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日本国民すべてがあんまり気違いではなさすぎるので、三島氏は、せめて自分ひとりで見事に気違いを演じてやろう、と決意したのにちがいない
昭和 45 年(1970 年)11 月 25 日、 三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹、介錯される ――。
本書は、三島由紀夫本人の行動や信条には一切触れていない。三島と同じ時間を共有していた 120 人の人々の、11 月 25 日の出来事を詳細に綴ったものだ。その意味ではノンフィクションと言えるが、三島の自殺があまりにも劇的であるため、彼らはあたかも小説の中の人物(しかも脇役)にも見えてくる。
この時、昭和天皇は健在で、総理大臣は佐藤栄作、自民党幹事長は田中角栄、警視庁長官は後藤田正治という最強の布陣である。市ヶ谷という東京都のど真ん中で起きた事件だけに、多くの著名人が事件を間近に体験している。川端康成、永六輔、司馬遼太郎、石原慎太郎、安部譲二、瀬戸内寂聴、仲代達矢、勝新太郎、坂東玉三郎、美輪明宏、篠山紀信、等々。
俳優・仲代達矢は、かつて三島に向かって「どうして、作家なのにボディビルをやるんですか」(178 ページ)と訊いたという。三島はこう答えた。「僕は本当に切腹して死ぬ時に、脂身が出ないように、腹を筋肉だけにしているんだ」。
後に航空幕僚長となり政府見解との相違から更迭された 田母神俊雄
は、防衛大学校の学生だった。校長が「暴力は絶対許せない」と訓示したことに対し、後年、「『そりゃそうだろう』とストンと得心した記憶がある」(194 ページ)と記し、「その得心は今でも変わらない」という。
作家・安部譲二は三島に呼び出されて六本木のクラブに出向いた。三島は「この店にキープしである私のボトルは君にあげる」(147 ページ)と言った。「プランディーやウイスキーなら、置いといても悪くなることもないでしょう。外国にでも永い旅行ですか」と安部が聞き返すと、三島は「ああ、そうなのだ」と答えたという。
アニメ研修生だった安彦良和は、その夜、「アニメ研修所の同期生と共に、三島はなぜ死んだのかを語り合った」(214 ページ)という。
ともかく、120 人が 120通りの三島感を持っていた。
これについて、著者は、「40 年前に、三島由紀夫は情報化時代を体現していた」(274 ページ)と結ぶ。つまり「現実社会には『たったひとつの真実』など、存在しない」のである。
自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室のバルコニーに立つ三島の姿を目撃したという荒井由美は、「あのとき、60 年代末のムーヴメントが終わった。『これで時代が変わるなあ』って思ったことを覚えてる」(58 ページ)という。
ウルトラマン
という勧善懲悪型ヒーローや、科学万能主義を前面に押し出した 大阪万博
は、もはや時代遅れとなってしまった瞬間だった。
さて、自分の記憶をたぐってみると、同じ年にあった大阪万博のことは明瞭に覚えているのに、なぜか よど号ハイジャック事
と三島の割腹自殺は記憶にない。家にはテレビもあったのに、なぜだろう?
子どもの記憶に、三島の自殺のような複雑な事象は残らなかったのかもしれない。
単純明快な大阪万博やチキチキマシン猛レースは鮮やかな記憶となって心に残り、自分は昭和時代を一直線に駆け上っていく。その上昇飛行が終わるのは、約 20 年先のバブル崩壊であった。そして間もなく、真実の欠片もないインターネット世界と現実の生活が重なり合うようになる。
三島が、いまの日本を見たらどう感じるだろうか。
■メーカーサイト⇒ 中川右介=著/幻冬舎/2010年09月発行 昭和45年11月25日
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