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著者・編者 | 松本健一=著 |
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出版情報 | 新潮社 |
出版年月 | 2011年01月発行 |
「代表的日本人 100 人を選ぶ座談会」で、昭和天皇を「畏るべし」と評した作家・評論家の松本健一さんの著作。松本さんは後書きで、「昭和天皇の『畏るべき』ところは、あえていえば、2 ・ 26 事件のとき北 1輝から軍隊を奪い返し、戦後 GHQ=マッカーサーを押し返し、また自衛隊に突入した三島由紀夫を黙殺したたたかい振りにあった」(413 ページ)と語る。本書は、そのひとつひとつの「畏るべき」点について、当時の天皇側近の言葉や歴史的事実を踏まえながら、丹念に検証している。
松本さんは天皇の政治姿勢は、皇太子自体に訪れたイギリスの影響を強く受けており、立憲君主制を理想としていたと推測する。それを「リアリスティックな政治感覚」(61 ページ)と呼ぶ。
天皇が政治・軍事の表舞台に登場するのは後醍醐天皇の時だけで、昭和天皇にしても「国内の権力闘争からは出来るかぎり遠ざかることが、皇室の永続性を保証する」(396 ページ)ことを第一義に考えていただろうと指摘する。
そのため、「日清戦争の『開戦の詔勅』には、大東亜戦争のような“聖戦”意識はなく、西洋ふうの『文明国』として『国際法』にそむかないように、『一切の手段を尽』してたたかえ、とのべられている」(94 ページ)という。日露戦争もほぼ同じである。残念なことに、太平洋戦争の時は、「東条の頭には、昭和天皇とちがい、国際法の遵守などという発想が一切なかった」(104 ページ)ため、あのような事態に陥ってしまった。
それでも昭和天皇は孤軍奮闘し、「君臨すれども統治せず」を理想としながらも、「みずからの『天皇の国家』という意識において、公式に『戦争の終結』を口にした」(306 ページ)のである。
その意味において松本さんは、「昭和天皇に戦争責任はあるか。むろん、ある」(205 ページ)という立場である。
私の昭和天皇の記憶は、もちろん高度成長期以降のものでしかないが、一人で伊豆へ向かっていた際、たまたまお召し列車とすれ違ったことがあった。そしてちょうどホームの向かい側に、天皇・皇后両陛下の車両が止まった。その瞬間はいまでも鮮明に覚えている。私の座席の近くに、自然に乗客が集まってきて一生懸命に手を振る。本の一瞬の出来事だったが、まるで異世界に吸い込まれたかのような感じがした。
昭和 63 年から 64 年にかけての時もそうだった。国民すべてが昭和天皇の容態に一喜一憂し、大喪の礼の時には未だかつて感じたことがないほどのしんみりとしたムードになった。
それだけでも「畏るべき」存在である。
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