「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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おきらく主婦のたわごと
幼少時代
自分が大泣きしている。赤いチェックのスカートをはいているのは私・・・?!
私は誰かを探すように走り回っている。
大声で泣き叫んでいた。
どこからともなく笑い声が聞こえていた。
その声は誰?!
後にその光景をアルバムの中でみつけた。
そうか・・・私の写真をとるために母は遠くから私を見ていたのだ。
私は片時も母から離れられなかった子どものようだ。
おかっぱ頭。
スカート姿の私はあきらかによそ行きの姿でおめかしをしていた。
それはお世辞にも可愛いとは言えない子どもだった。
生まれたところは恐ろしく山の中。
バス停まで歩いて30分くらいかかった。
我が家にはマイカーがなかったので街に買い物に出掛けるのはちょっとしたイベントだった。
村に小さい雑貨屋さんが2件あって随分お世話になった。
ほとんど畑で採れるものや山菜などが多かった食卓だった。
我が家のカレーライスにお肉というものは入っていなかった。
母が肉を嫌いなこともあったが豚を飼っていたから食べたくなかったのかもしれない。
その頃は一家に一台車があるかないかだったと思う。
バス停までの山道を母とテクテク歩いて行くのが嬉しくてたまらなかった。
行きは下りだ。帰りはバスから降りて山道を歩くのかぁ~と思うとげんなりした。
どうしてうちはこんな山奥にあるんだろう。。。
バス停の近くだったら良かったのになぁと思っていた。
街に行くと必ず母と立ち寄るところがあった。
それは小さなデパートの地下にある喫茶店だった。
そこで母がいつもかき氷を食べさせてくれた。
母はおにぎりを持参していて、そこでうどんをとって食べていた。
そんなことが当たり前の時代だった。今では考えられない。
そのデパートのトイレは上の階にあったのだが、そこへ行くと帰りに必ず
おもちゃ売り場の前を通ることになる。
買ってもらえるなど思ってもいない。
私が見るだけ・・・そう思ってお店の中をのぞこうとすると母が言った。
「そんなもの!ねね(赤ちゃん)じゃあるまいし!ほら、いくよっ!」
母は私をどれだけ大人な目でみていたのか・・・・
「こどもだろーがっ!」今の自分ならつっこみいれるところだ。
5歳のこどもはおもちゃを見ることははずかしいことなのか・・・
それから私はいつもおもちゃ屋の前は素通りするような子になった。
本当は見たかった。見るだけでいいのに・・・
子どものようにふるまうことは悪なのだ。
母が嫌がることをしてはいけないと思いこんでしまった。
そしてその頃何度も言ったことがあった。
「お前が腹にいたときに・・・
生もうかどいうしようかって悩んだんだ。
姉ちゃんの時に帝王切開で痛い目にあったから
もうあんな目にあいたくないと思ったがや。」
もしかして、私は生まれてこなかったかもしれなかった?!
5歳だったが私には分かっていた。
お腹の中で殺されたかもしれないと理解していた。
「じゃ、なんで生んだが?」思わず私が言うと母は淡々と言った。
「姉ちゃんが下に欲しいって言ったから。」
その時は「ふーん。」くらいにしか思っていなかった。
今思うとなかなかきつい言葉ととれる。
多分、その言葉は私の身体に無意識に刻まれていったはずだ。
母の言っていた帝王切開が痛かったということが意味不明なのだが、
本人は麻酔をせずに切開したと言っていた。
本当なのか、どうなのか今もわからない。
そんないい加減な母に私は育てられた。
母の話はどうもつじつまが合わないことが多かった。
子どもの頃にはわからなかったが大人になるにつれ母の怪しさは
ただ者ではないと思ったものだ。
私には9歳年上の姉がいる。
この姉のおかげで今の私があるわけだ。
が、生まれてみれば
「こんなんだったらいらない!」
思うほど可愛い妹ではなかったらしい。
姉にすれば後からやってきた私は我が儘な子どもにしか見えなかったと言う。
泣いたらなかなか泣きやまない。
なんとなく記憶にある。
泣いて気をひこうと足をドンドンしてみるのだが、
「放っておこう。」
母も姉もそんなときは相手にしないと決めていたようだ。
ぐずっていた内容は憶えていないのだが、相手にされないことに意地になっていたことを
記憶していた。
姉は私よりももっと我慢していたのだろう。
私に手をかける母の様子をずっとみていた。
「お前はかわいがられていた・・・」
「お前が小さい時、母ちゃんが かわいい、かわいいってチューしてたけど
どこがかわいいのかって思ったよ。」
そんな言葉から姉の寂しさが伝わってくる。
私が母に抱かれていた記憶がないように姉にもそんな記憶があるわけもなかった。
姉は父親似ですっきり顔をしていた。
子どもの頃の写真を見るとひょろりとしていて、あまり子ども臭さを感じさせない子だった。
手のかかる子どもではなかったようだ。
「姉ちゃんはかたい!(お利口の意)お前はずない!(悪い)」
私はよくそう言われた。言われることに慣れきっていた。
母の口癖だったからだ。
「お前が男の子だったらなぁ・・・お前を生んだときに、また女かぁって言われたよ。」
それが母にとって悔しい出来事のひとつだったらしい。
男の子を産めないということは嫁にとってひどく居心地の悪いことのようだった。
私は女で生まれてはいけなかったのか・・・?!
そうやっていくつも母に否定され続けてきた。
その時には自分は何も思ってはいなかったが、私の身体にはしっかり刻まれていたのだ。
母は自分の言葉が凶器になっていることになど気がつく様子はなかった。
そんなネガティブな母のお腹で過ごし、母の側で育った私がポジティブになれるわけがなかった。
父親は大工で月々の決まった収入がなかった。
家は養豚をしていた。母の内職のようなものだった。
家はあまり裕福ではなく、お金がないことで父と母はいつもケンカになった。
普段父はとても穏やかで子どもを可愛がる人だった。
私が我が儘を言って泣いてきかないときは夜中であっても外に放り出すような
一面もあったが、よく仕事のないときには家で遊んでくれていた。
父が私たちこどもに甘くすることを母はとても嫌っていた。
「甘やかすとろくな子にならない!」
母はいつも吐き捨てるように言った。
夕方父の晩酌が始まると普段父も我慢しているのかすごみをきかせて母を蹴とばすことがあった。
そんなとき、私は大声で泣いて母の前に立った。
このままでは父に殺されると思った。
子どもの私には暴力をふるう父が悪者にみえていた。
母が可哀想だと思っていた。
母は父をにらみつけている。
私が一番嫌な出来事だった。父が憎い!こいつが悪者だと思ったこともあった。
大人になって、いろんな事が分かっていくうちにあることに気がついた。
父の暴力も悪いが・・・
母の言葉の暴力というのは、それはすごいものだった。
本人には自覚のないことだった。
もし自分が父の立場だったら、殺してしまいたいと思うくらいの暴言を吐いていた。
父はとても素直でやさしいところがあって近所の人から助けを求められることがよくあった。
人に頼まれると
「おう~!わかったぞ!」
そう言ってかけつけるような人だった。
それが母にとっては許し難いことだったのだ。
「自分には優しくない!
外面ばかりいい!」
今思えば、母はそうとうのやきもち焼きのようだった。
飽きもせず毎日ケンカをくりかえす。
あの時、姉はいなかった。
中学生でバレーボール部にはいっていたので家に帰ってくるのは遅い時間だった。
私は耳を押さえていつも隣の部屋で泣いていた。
いつもいつもひとりで。
何で私はこんな所に生まれたのか・・・
外に出れば星が見えた。
それは手をのばせば届きそうなくらいだった。
「帰りたい・・・」
いつもそう思っていた。
そこが自分の家であることを信じたくなかった。
他に帰るところがあるような気がしていた。
そう思うことが私の希望だったのかもしれない。
なんとなくここは住みにくいと思い始めていた。
私は幼稚園にも保育園にも行った経験はない。
送迎のバスもなければ、家には車もないのだから行けなかった。
近所の同級生はお爺ちゃんのバイクで送り迎えをしてもらっていた。
何よりお金がかかるわけで、バスがきていたとしても私の両親にその選択はなかったに違いない。
小学校の同級生は6人いたが4人まで私と同じように幼稚園にも保育園にも行っていなかった。
毎日、母と行動を共にしていた。
一緒にテレビをみたり、畑やたんぼに行ったり・・・・
母はその合間に飼っている豚の世話をしていた。
思えばあの頃、母を一番信頼していた頃だったと思う。
そして私の生活が激変する出来事がおこった。
それは小学校にあがる1年前のことだった。
母が私の前に座った。
なにか良くなさそうな話しだな?!
母にしては神妙な面もちだった。
「あのな。母ちゃん、明日から働きに行くわ。
おまえ、明日から みち(猫)とふたりでおってくれ。
いいかい?」
声がでなかった。
驚きで瞬きもできなかった。
しばらくたって、ようやく
「うん。」そう言って頷いたと同時に涙がボロボロこぼれた。
「いやだ!」と言えなかった。
言ってはいけないんだ。
言ってもどうしようもないんだ。
家にはお金がないから、仕方ないんだってわかっていた。
母も私の大きな目から らっきょうのような涙が出たと言っていた。
母もつらかったのだろうか・・・
次の年には私が小学校、姉が中学に入学する。
せっぱ詰まってのことだった。あと1年も待てなかったくらい我が家は苦しい状態だったようだ。
それからの1年、私は猫とともに家で留守番をしていた。
姉は中学生で忙しかったのか家でいっしょに過ごした記憶があまりない。
私は8時くらいには寝てしまっていたので姉の顔を見ない日が多かった。
でも姉にはむかってはパンチをしたことがあったが数十倍の力でかえされ、
あ~この人には逆らえない。
そう思った。姉は私の小さい母のような存在だった。
道徳観があって正義感も強かったので私はよく叱られた。
本当の母よりも母らしかった。そして厳しかった。
でも姉のことは好きだった。
不思議なことに小学校に入学する1年前の姉の記憶はあまりない。
母においていかれたショックが大きかったせいなのかもしれない。
母は嫁いできて姉を生んだあと出稼ぎに行っていたことがあったそうだ。
父が病弱で寝たきりの生活を送っていた時期があった。
その頃は祖母がいた。小さい姉を祖母にまかせて働きに行っていたらしい。
「働かないだんな」
母はいつも父をそう言っていた。
自分はいつも苦労すると嘆いていた。
母が私をおいて勤めた会社は隣の市にあった。
鋳物工場で1日働くと真っ黒になるので会社のお風呂に入って帰ってきていたらしい。
近所の人が会社のバスを運転していたので母はそこに便乗していた。
時間がかかるので朝の6時過ぎに家をでる。
私はいつも母を見送っていた。
そして私の長い1日が始まった。
父も仕事に出掛けていったので日中は猫といっしょだった。
母はひとり置いていく私を不憫に思ったのだろう。
毎日百円をくれた。
今自分の子にだって毎日あげられない。
それが母の愛だったのかと思う。
ご飯は電子ジャーにはいっていた。
おかずはない。ほとんどふりかけをかけたり、自分でおにぎりを作って食べていた。
恐ろしいことに私は火もつかえた。
「必ずガスの元栓はしめなよ!」
私がガスの元栓をひねって火をつけることにだれも文句を言われなかった。
よく即席ラーメンなんかも作っていた。
自慢できる食生活ではなかった。
おかげで私の偏食はものすごかった。
野菜という野菜はほとんど食べることができなかった。
6歳の頃にはリンゴも丸いままむくことができた。
母は家事が苦手だった。指先があまり器用な人ではなかった。
そのせいもあってか私は小さい頃から包丁を持っていた。
よく手も切って痛い目にあった。
包丁で切ると痛い!と身をもって体験した。
母は放任主義というのか・・・・
自分のことでいつもいっぱいな人だった。
会社に行くようになって、毎日不機嫌になっていった。
私と父が夕方、母の帰りを待っていると恐ろしい形相で帰ってきた。
「おかえり~。」父がニコニコして言う。
母は重たい空気と共に帰ってきた。
「あ~。だやい。(だるい)疲れた!」
そう言ってご飯を食べ9時には寝てしまう生活だった。
慣れない仕事だったせいなのか・・・
何年経っても母はいつも身体のあちこちが痛いと言うのが普通だった。
母が機嫌が悪いのに慣れきってしまっていた。
母が来るまで父とほんわかとした気持ちでいても、母が帰って父の晩酌がはじまると
決まっていつものケンカが始まっていた。
段々私の心はまひしていった。
日中、朝のうちは子ども番組などを見ていた。
あきれば外に出て野良犬といっしょにいた。
近所のあばちゃんが声をかけてくれた。
私がひとりで家にいるのを不憫に思ってかお菓子もよくもらった。
そしてお店に行って食べたいお菓子を買って、飼っている猫といっしょに食べた。
おかげで可愛かった猫は体重5キロの巨体になってしまった。
家の辺りではボス猫のようだった。
とても人なつこい猫だった。その猫を抱っこすると本当にずしっと重みがあって
心地の良いものだった。
いつか、この子は死んでしまうのだろうか・・・
そんなことが頭をよぎっていた。
そのことを考えるだけで私は泣きそうになった。
その後、6年間は生きてくれたのだがいつもいなくなる不安があった。
私が失いたくないもののうちのひとつだった。
私はいつも猫に話しかけていた。
人に話しかけるのは苦手だった。
人もあまり住んでいないし他人とふれあうことがなかったから仕方がない。
いつも私はブツブツ独り言を言っていた。
一人二役の一人遊びだった。
周りの人は奇妙に思ったかもしれない。
そうとう危ない遊びもした。
家の屋根の上に登ってグルグルまわった。
見つかればただごとではなかったろう。
一度父親に見つかった時にはこっぴどく叱られてしまった。
父は時々私につきあってトランプやおはじきなどで遊んでくれた。
嬉しかったが、私が本当に求めたのは母とのふれあいだったのかもしれない。
忘れられない出来事がある。
母が休みの日、朝から忙しくしていた母。
私はどうしてもボール投げをして欲しかったので母にねだった。
「今、忙しいのや!!」
私がしつこく言ったので、母はしょうがなく私にボールを投げてくれた。
私は嬉しくて思いっきり母にボールを投げた。
「はい、これでおしまい!」
ほんの数回だった。母はさっさと行ってしまった。
私は柱に向かってボールを投げた。
二度と私は母に遊びを求めることはなくなった。
小学校に入学するときがやってきた。
そこから私にとって地獄の日々がはじまったのである。
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