パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

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詩編127編



【はじめに】 きょうはペンテコステです。今日もみ言葉のように聖霊に満たされて、霊の目をしっかり見開きつつ、信仰と愛に生きる一週間を全うしましょう。

【テキストの解説】  詩篇127篇は都もうでの歌の8つ目の歌です。15篇ある人生巡礼の歌のなかでちょうど真ん中の歌がこの詩篇になります。人生巡礼の核となる詩篇といってよいかと思います。この歌はソロモンの歌といわれる。前半に二つ、後半に2つダビデの歌があります。

【メッセージのポイント】
1) 【都に上る歌。ソロモンの詩。】
1主御自身が建ててくださるのでなければ
家を建てる人の労苦はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ
町を守る人が目覚めているのもむなしい。
2 朝早く起き、夜おそく休み
焦慮してパンを食べる人よ
それは、むなしいことではないか(1-2節)
⇒ 主の臨在なき人生は空虚である
 この詩は「主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労は空しい」(口語訳)という句から始まります。そして「主が町を守られるのでなければ守る者の醒めているのは空しい事である」と続きます。ここには神の守りと祝福がなければ人生は家庭も都市も国家も空しいものであると歌われています。
 ある本を読んだらハワード・ヒューズなる人物のことが記されています。彼は20億ドル(2000億円―3000億円)もの財産を貯めたが空しい人生を送りました。晩年の十年は孤独と不安のなかにドアを締め切りで暮らして淋しく死んでしまったといわれます。ジャン・ポール・ゲッテイも40億ドル(4000億円―500億円)ものお金を持ちつつ5回結婚し皆破れてしまい、長男は彼の死ぬ1年前にアルコール中毒で死に、彼自身もさびしく死を迎えていったといわれます。ルター訳のこの詩の表題は「万物は神の祝福に依存する」とあります。
2) 主は愛する者に眠りをお与えになるのだから(2節d)
⇒ 主は愛するものに眠っている時も恵みを給う。
  2節に「主はその愛する者に、その眠っているときにもなくてならぬものを与えられる」(口語訳)とあります。ここには神の守りが美しく表現されています。ここでいう「愛する者」は幼いソロモンが預言者ナタンに名付けられた「主の愛するもの(エディディア)」と同じ句が使われ(サム下12:25)、それがソロモンの歌と呼ばれる端緒になったのではないかとまで言われます。
  神様を第一にしている時、わたしたちの人生は不思議に守られるのです。人生は言う迄もなく、順境の時もあれば逆境の時もあります。しかしすべては主のみ手の内にあるのであります。最善以外の何をもなし給わない主に深く信頼して、わたしどもは自分の馳せ場を精一杯走ればよい。栄冠は主より来ます。
3)3 見よ、子らは主からいただく嗣業。
胎の実りは報い。
4 若くて生んだ子らは、勇士の手の中の矢。
5 いかに幸いなことか
矢筒をこの矢で満たす人は。
町の門で敵と論争するときも
恥をこうむることはない。
⇒ 家庭を祝福される神(3ー5節)。
  詩人は3節からは語調を変えて、家庭の祝福を歌います。「見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。」(口語文)。神様の祝福はまず、子供たちであるといいます。
「まされる宝子にしかめやも」の日本の歌にもあるように次の世代を担う愛の結晶である子供たちへの思いは大きいようです。
 かつて英国ですばらしい働きをされた救世軍のウイリアム・ブース師はこのように語りました。「わたしは8人の子宝に恵まれたけれども、皆、大変、よい子であった。このような子供たちであるなら80人ぐらいほしかった」。師の背後には信仰の妻キャサリン・ブースが祈っていたといいます。

【結論】 「万物は神の祝福に依存する」。神無しの人生は根無し草のように不安定です。しかし、岩なる神へ基礎を置いて歩むなら嵐の時にも動揺することがないのです。

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