キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

天国ってあるの


 荒川のそばで生まれ、葛飾区の真ん中をト音記号のようにくねくね流れている中川のそばで育ちました。
 川のこちら側から向こう側を見ると、背の高い草が茂っていて、とてもさびしい所のようでした。
 幼いボクには川の向こうのこと、想像が出来ませんでした。

 ある日、父親が自転車の後ろにボクを乗せて、川向こうに連れて行ったのです。 川の向こうには、見たこともない大きな町があったんです。

 ボクたちが「死」という川を渡って向こう岸に着く時、素晴らしい国は、あるのでしょうか。
 素晴らしい国は、あるんだよ!
 そこから帰って来た人がいないのに、どうして「ある」と言えるの?

 それは、今まで決して嘘をついたことのない方が、保証されたからです。
 イエス・キリストというお方です。ボクたちのため、十字架にかかってまで、「そこ」へ行けるための道を、用意して下さったのです。

 ボクたちの人生のステキなゴールとして、そこへはだれでも行けるのでしょうか。そうだよ!

 天国に入るためには、「偏差値が60以上必要」と言われたらどうでしょう。
 また「たくさんの良い行いをした人でなければならない」と言われたらどうでしょう。じゃ、ボクにはどれもダメだなぁ。

 イエス様は、「子供のように」「心を入れかえ」天国を受け入れる人に、それが与えられると約束しておられます。
 その道はイエス様が十字架にかかって開いて下さった道です。

 病床でクリスチャンになった父に、「命は残り少ない」と医者から宣告された時、ボクは父に伝えました。
「もうじき天国に行けるからね。ボクたちもあとから行くから、先に行っていて待っていてよ」
 本当のことを伝えられる喜びがありました。

「子供のような素直な心で、天国を心に迎える人には、だれでもそこに行けるようになる」(マタイ福音書18章3節=やまひで訳)



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