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暑さに耐え忍んだ果てに秋がやってくる寒さに耐え忍んだ果てに春が来るようにそれで秋も春も心穏やかになるのだな
2018年08月31日
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郵便局まで歩いて15分コンビニやマツキヨまで15分最寄り駅まで15分弱いつも買うコーヒー店までは20分どれも運動がてら歩くのにちょうど良い距離郵便局まで、1回で済む用事をわざと二日に分けて行く。運動を心がけているから。夜は今頃、一日の最後の散歩に出る。今1500歩歩いてきた。夏の終わりの夜の町は気持ちが良い。ムッとした暑さもなくなる。まっすぐな道の先に目を凝らすと闇の中に小さな明かりが転々とある。あそこまで歩けるかなと思いつつ歩くといつの間にかそこに足が届く。まだまだ元気なのだな,自分は、と思った。もったいないこと。
2018年08月30日
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若者から電話が来た。不要な貴金属はないかと問う。ないというと、では切手は? コインは? 等々できる限り誠実に応対していると、いきなりプツンと切れた。さようなら、ぐらいは言えば良いのにと思った。
2018年08月29日
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12年間も婦人病で苦しみ抜いていた人を,主は癒やされた。「娘よ,元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」「娘よ」と呼びかけられた喜び。主の御前では、容姿など,少しも問題ではない。育ちの良さや、物腰の上品さも、関係がない。愚鈍だとしても、学歴がなくても全然問題にされない。家や土地を持たなくても、家族もないひとりぼっちだとしても、主にとってはどうでも良いこと。ただ、信仰があるかないか、ただそれだけに、主は関心を持たれる。ただそれだけを。マタイによる福音書8~9章
2018年08月28日
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「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書5章16節この聖句を読んで、心怖(お)じるのだ。それからず~っとこの章の先を読むと、下のように書かれてある。「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(37節)今更、逃げては居られないだろう。だって、キリスト様に拾って頂き、50年以上もご一緒に生きてきたからには。キリスト様の呼びかけには、イエスかノーかで答えなさい、と。それ以上理屈をこねるのは、卑しい心か。または傲岸な思いか。では、イエスかノーで、先のご命令にお答えしましょう!「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。YES, Ye~~~~s,
2018年08月25日
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「ヨハネの黙示録」の凄さは、比べるものがない。「ファチマの第3の予言」を開いた教皇が、卒倒したという話は聞いても「ヨハネの黙示録」ほどであったかは疑わしい。「ヨハネの黙示録」を読んで卒倒してもおかしくはない。難解この上もない。その烈しさは、神の裁きの烈しさにほかならない。「黙示」は「啓示」であり、神からのメッセージなのだ。歴史上のさまざまな残酷極まりない出来事はこの「ヨハネの黙示録」の記述にパズルのように当てはまるのだ。「恐怖の書」だけではなく、「慰めの書」でもある。何という対照だろう。天上の歌と地上の嘆きが交互に現れる。新約聖書の注解を著したカルバンは、この書だけは取り上げなかった。ルターは「十字架」という言葉がないので、軽んじたという。しかし紛れもない「正典」だ。決して避けてはならない書だ。と、こんな感想を心に抱いて、新約聖書通読を終えた。5ヶ月かかった。次は、どの聖書で読もうかと考えている。
2018年08月24日
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テロリストたちは、子供たちに異教徒を殺すことが神の御心であり、天国に至る道だと教えるのだという。キリスト教徒は、敵をゆるし迫害する者のために祈ることが、イエスの教えであり、天国に至る道であることを、子供たちに教えるべきである。ヨーロッパのユダヤ人迫害の長い過酷な歴史を読んでいると、ユダヤ人迫害を恥じなかったクリスチャンたちは、その精神構造が現代のテロリストのそれに似ていることに気づかされる。聖書の使信を曲げてはならない
2018年08月22日
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志賀直哉の長編「暗夜行路」を丸暗記した人があると聞いたのは、高校生の頃だったか。あまりにもそのインパクトが強かったので、ボクもいつか読みたいと思い読まずに今日まで来てしまった。今でも読みたいと思っているが、あらすじを知るとちょっと気が引ける。丸暗記するほど入れ込む。それはすごい。尊敬する。わが娘は、大学受験の際に、教科書を丸ごと暗記したと。自分の娘に思えない。聖書丸暗記に挑戦する人は居ないかな?ヨハネによる福音書の1章、15章、17章など。部分的でも!ローマ書なら3章、6章、8章、12章マタイによる福音書5~7章(山上の説教)聖書のプロなら、これぐらいは空で言えるように!ボクと言えば、なにもできていないな。聖書愛が薄いというか、ほかのことに気をとられすぎている。そうだ、詩篇23篇なら言える!そこだけ?パスカルは聖書を全部、そらんじていると、姉さんジルベルトが言った。ほんとうかな?ちょっと大げさかも。新約だけなら、本当かも知れない。
2018年08月18日
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様々な催しがあった。議員有志たちは、靖国詣で。玉串を携え。首相は、戦没者墓苑へ。献花を携え。天皇は、慰霊式で挨拶。先の天皇は当初は靖国に詣でていたという。A級戦犯が祀られたことを知り、やめたという。天皇の良心を感じる。しかし時代は、戦犯だろうが、兵士だろうが分け隔てなく祀られて、人々は詣でるようになろう。それなら、爆撃で死んだ民間人も日本の国土で死んだ米兵も祀ればいいのに。ねぇ靖国神社さん!責任役員会でご検討くださいな。終戦の日子供も大人も老人もどの人たちも、平和の大切さを訴える。がしかしユートピアのような「平和憲法」では間に合わなくなっていると手が入れられる。他国から責められたとき自衛できない同盟国の危急のとき連帯できないミサイルが国土の上を飛んで来るときにはわが国民が拉致されたときには戦争はちょっとしたきっかけで始まるだろう。いったん始まれば、あっというまに戦時一色になる。平和を唱えるのは平和な時だけ。
2018年08月15日
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午前中は妻と家庭礼拝をするのが日課です。賛美を歌い、新約聖書を1章、交互に声を出して読み。心にとまった聖句をそれぞれ挙げます。それから2回ずつ、お祈りします。家族、親族、仲間の教会や牧師たち、神学生のため40分ほどかかります。そうして一日をスタートします。それはそれで恵まれた時間なのですがそれでも、一人で聖書を読み、黙想することとは違います。家庭礼拝をしているからと一人黙想の時間を省略すると霊性が枯れてきます。暑さのせいもあるかも知れません。夜、「ヨハネの手紙」を読みふけったところです。それから讃美歌を歌いました。「恵み豊けき主をほめたたえまつれ」夜ひとり静かに歌うのに、ぴったりです。大好きな讃美歌の一つ!心満たされます。
2018年08月14日
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友人の応援でその教会でご用をした。早めに行き礼拝堂に座るとオルガニストがその日の賛美の歌をおさらいしている。礼拝堂に、リードオルガンの音が響き渡る。練習の、いくぶんたどたどしい音の流れにも心満たされる。ああ、やはり礼拝堂にはリードオルガンが良い。
2018年08月12日
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「台風大丈夫でしたかぁ?」朝6時半過ぎ、寝床で起きようか、もう少し寝ていようか逡巡していると、電話があった。さわやかなお声そうか、朝5時半から1時間お祈りをして終わった所なんだなボクのためにも祈られた!
2018年08月10日
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「ぼーっとしてるんじゃねぇよ」チコちゃんの声が聞こえてくる最近ぼーっとしていることが多いそうだ、あれだ、と心に閃くこともあるがすぐにノートに書き留めなければ忘れるそれでも明日はアルバイトに出なければならない日曜日は友人の教会を応援しなければならない
2018年08月09日
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「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」 ローマの信徒への手紙12章15節本能的にそう生きられる人は別として。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くように生きるためには、自分がそそり立っていてはならない。自分を捨て、奴隷のように、心を低くしなければならない。「苦難のしもべ」の役をとらねばならない。
2018年08月07日
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午前中予約の電話をし、夕方診察に出向く。このあたりは歯科医院が多い。この地に引っ越して最初に行った所がここ。いつも空(す)いている、待合室には多くても一人。今日もだれも居なかった。最初、診察料が高いな、と思いつつも再診を受けたときには、案外安くまた出かけていく気になった。他の歯科も行ってみようと思い、患者が多い別の所にも行ったがまた来たいとも思わなかった。それで最初に行った歯科医院に戻った。ここは男性と女性の医師が診察している。夫婦だと思われる。ボクが行くと決まって女医さんが担当なさる。大きなマスクをかけているので、お顔の全体が見えない。余分な話もなさらない。診察の様子はキビキビしていて、腕は相当だと見立てた。愛想の良い医師より、こういう先生が良い。
2018年08月06日
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「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」ローマの信徒への手紙12章15節若い頃、心を寄せたこの聖書の言葉今、また心に強くよみがえる。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くそんな人がすぐ近くにいたら!ボクの喜びを喜んでくれるボクの悲しみを悲しんでくれるただそれだけのために、ボクのそばにいてくれるその人は、ボクのこだま心を映す鏡もう一人のボクその人を見るときに、自分を見るその人の喜びはその人の悲しみはそれは、ボクのものです!
2018年08月04日
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ボクの妻は、ボクの振る舞いや言葉に注意を与える。なんとボクにふさわしい妻だろう。もしほめそやされていたら今頃、ボクは老いさらばえて、もしかしたらもうこの世にはいないだろう。
2018年08月03日
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どうも懐旧になるのは、歳のせいです。明け方、讃美歌を思い出して起きて開きます。ページを繰るごとに、懐かしさにいっぱいになる。奏楽者だった信徒さんに教えて頂いた讃美歌。その信徒さんのお顔と、小さなオルガン礼拝堂、園庭若かったひと群れの人々ボクたちの群はもう讃美歌を捨てて、新聖歌となり使われなくなったそして忘れ去られる、それは日本キリスト教団発行の「讃美歌」開き読めば美しい信仰の言葉に心打たれるしかし文語体はもう若者にはわからない、と捨てられたり、訳し直されたりひとり静かに歌おう
2018年08月02日
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少年の頃の8月1日はほろ苦さと共によみがえる。学校嫌いだったボクにとって8月1日は、第2学期が始まるサインだった。その予感はいつも的中信じがたい早さで登校日が来て、そして新学期。来月になればボクも70歳ここまでの年月は短かったのか、長かったのか短くもあり、長くもあった。少年の頃の8月1日を懐かしく思う。
2018年08月01日
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