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「自閉症の子を持って」武部隆著 新潮新書 ©2005読み終えた。わが子が軽度自閉症と分かったとまどい希望を持ち続け、あきらめず受けいれてくれる幼稚園をさがし行政の冷たさを味わいながら子どもを普通学級に入れるために手を尽くす。 昔なら周りのさりげない思いやりのおかげで普通の生活を営めた人が、現代では生活に差し障りが生じるような環境になってしまったのだ。 筆者は、本書を通じて「心のバリアフリー」の大切さを訴えたいと考えている。 無関心でもいいから、「そこにいて構わないよ」という余裕のある社会になって欲しいのだ。 (本文より)
2023年07月01日
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「利休にたずねよ」山本兼一 PHP研究所どなたかが推薦していたので、入手して読んだ。茶の湯に生涯をかけた千利休どこまでが史実で、どこまでがフィクションかわからなかったが読み応えのある小説だった。一つのことをとことん追求する人生なら茶の湯より、神を求め、神を追求することが良いなと思った。つまらぬ生き方をした。来し方を思い起こせば、悔いの念ばかりが湧いてくる。衰えた肉と骨を苛むのは、砂を噛む虚しさである。茶の湯など、何ほどのことか。こうして無明の闇を見つめていると、茶の道に精進してきた自分の生き方が、まるで無意味だと思えてくる。 (139頁)その悔いがうたかたとなって心の闇に浮かんでは消える。若い頃こんな煩悶はすぐに消え去るだろうとたかをくくっていた。老境にさしかかり、ますます悔いの思いは深まるばかりだ。たとえ悔いに満ちていようとも、今日という新しい一日が始まる。心にどんな闇を抱えていても、どうせなら気持ちよく生きたい。なすべきことは、茶の湯しかない。(142頁)
2023年03月15日
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「ジァン・カルヴァン~生涯・人・思想」 J・D・ベノア著/森井真 訳昭和30年 日本基督教団出版部発行小著だが読み応えがあった。単なる改革者礼賛に終わらず、カルヴァンの激しすぎる性格など人間的欠点も公平に記している。終わりの方はカルビニズムへの評価、見直しがなされている。時々、パスカルとの比較言及あり。同じフランス人だ。確かにカルヴァンの純な精神は、パスカルと似ているなと思う。神に向かう精神の高揚を見つめるなら、カトリック(パスカル、アウグスチヌス)もカルビニズム(カルヴァン)もウェスレアン(ウェスレー)も変わりはない。カルヴァンは学究肌で、人前に出ることを嫌った。しかし時代の要請で、友人たちによって引き出され、心ならずも改革者の舞台に立たされたと書いてあった。昭和30年の発行だから60年以上経過している。これは名著ですよ! 読んだ方が良いですよ。翻訳は自然で平易で、古さを感じさせない。立派な翻訳だ。
2022年10月06日
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「リュシス」「ソクラテスの弁明」古代ギリシャ哲学者、プラトンが書いたもの。夢中で読んでしまった。半世紀、キリスト教の話を聞いて来た身には新鮮だった。キリスト教のお説教って上から浴びせかけるように話されることが多く不明瞭な言葉も時に聞かされる。プラトンの書物は、ジグソーパズルを一片ずつはめるように理詰めで語られる。わが身には驚きだった。何を言われても、堂々と我が道を往く、「ソクラテスの弁明」は圧巻だ。こんな生き方をした人が古代に存在した驚き。すごい、すごい、ギリシャ哲学ってすごい。
2022年09月16日
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「神さま」にまつわる13の物語若い頃から興味を持っていた書物だったが、はじめて目を通した。子どもに話しているようにも見えるが、難解だった。この詩人の特徴だろう、この難解さは。ロシアの題材が多いので、この人ロシア人かなと思ったがロシア旅行の直後に書かれたということだ。「神さま」を自由に扱っている。「神さま」って親友のその上か?キリスト教の範疇には当てはまっていない。「キリスト教詩人」ではないのだ。こういう神様の扱い方があるのかと驚く。「神さま」って自由な概念かと思うとちゃんと聖書がバックグランドになっている。これを「奥が深い」といってよいのか?リルケはロダンと関係が深いらしい。ボクはロダンは苦手だ。だからリルケも・・・・
2022年07月25日
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アドラーの言葉「人類は弱いため、共同体がなかったとしたら、とうに絶滅していたでしょう。」 人類は他の動物みたいに生まれて間もなく独り立ちができるわけではありませんし、大人になっても決してひとりでは生きていけません。アドラーも「人間の歴史をさかのぼると、一人で生きた人がいたと言う痕跡を見つけられない」といいます。見方を変えれば、こうした弱さが人間独自の社会や文明を生み出してきたのです。 そのような歴史を持つ人間は、そもそも誰しもが共同体感覚を備えています。そして、共同体感覚を育むことこそが自分に価値があることを自覚させ、幸せをもたらすのです。 アドラーは「共同体感覚を増すことの価値はいくら強調してもし過ぎることはない」といっています。和田秀樹「アドラー100の言葉」宝島社 179ページ
2022年06月20日
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イギリス中世文学岩波文庫版の「上中下」を重ねたら、分厚い分量で思わず気後れがする。しかし短めの短編集なので、一つ一つあたるとそんなに苦ではない。ブリューゲルの絵のように上から下までさまざまな生き様が雑多に並べられている。中世という時代の切り取り時代も、人の生き様も、ステレオタイプのように簡単には言い表せない。いつの時代でも、きっとそうだ。最終章は、「教区司祭の話」ここは真面目な「霊想」であり、場違いのようにあるいは、あらがうように最後に置かれているのだ。信仰を知らない人びとには、退屈な部分だろう。この部分だけでも、一冊の短めの文庫文になり得る分量がある。当時のキリスト教会の霊性の高さをうかがわせる、隠された宝玉と言って良いだろう。チョーサーよ、あなたは一体どんな人なのだ。
2022年06月09日
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友人である女性教職が「主からの恵み366日」という霊想集を上梓した。今週、とつぜん送られてきてビックリ。神学生に問うと、私たちもいただいたと言う。近年、後輩たちが続々、本を出版する。北から、南から、遠く韓国から。それぞれ内容もしっかりしていて、豊か。みなさんの自由さ、ユニークさに脱帽。366日の霊想集の頁をめくる。心に響いてくる。長く聖書を読み続けて、一つ一つ感想を書き記して来られたのだな。だれにも真似の出来ない独自な世界。なつかしい人びとの名前や写真が所々出てくる。
2022年01月21日
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「神の国のプロムナード」サムエル・チャドウィック教理説教集イムマヌエル綜合伝道団発行イムマヌエル聖宣神学院神学生 訳1994年発行読み終えました。若い頃、読んだような跡があるが、すっかり忘れている。教理的な枠組がしっかりした説教は読んでいて安心。ウェスレーの説教を読む雰囲気がある。ウェスレーより平易かな。「これ神学生が訳しているんだって。うらやましいな」うちの神学生に話すと「私たちも訳しているものがありますよ。 いつでも本にできます。」と言われビックリ!(爪を隠していたんだね)良い著者の本に出会うと、同じ著者の本がまた読みたくなる。
2021年11月29日
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好き嫌いが、善悪の判断にすり替わる好きが善、嫌いが悪身勝手な人間「悪い癖だと自分でも思っている。何でも最初から好悪の感情でくるから困るんだ。好悪がすぐさまこっちでは善悪の判断になる。それが事実大概当たるのだ。」 『暗夜行路』(志賀直哉著)より
2021年09月27日
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『暗夜行路』志賀直哉著読み終えたので、『氷川清話』勝海舟著を手にした。読み始めると、豪放磊落個性的な人柄が伺える。文句なく面白い!でも幕末明治初期の日本史には、現在の所、興味がないのでもう読むのはやめよう。『暗夜行路』は、23年後にもう一度読み返したい。
2021年09月16日
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ボクの電車通勤は読書の時間今、志賀直哉の『暗夜行路』を読んでいます。志賀直哉の短編は高校時代にほぼ読み尽くしました。『暗夜行路』だけ残っていたので、わが読書人生の仕上げのつもりで読んでいます。恥ずかしながら短編の記憶は『城之崎にて』くらい。あとはわすれた。『暗夜行路』は読み始めたとき、内容が自分好みと隔たっていると思いやめようかと思いました。読み始めたのだからと、我慢して読んでいきました。今、前編の終わり近くまで読み進めています。面白くなりました。文章の精緻さ、描写の細かさ景色の描写も、心理の描写も同じように曖昧さがなく精緻を極め純文学の質の高さを思わせます。通俗的な題材なのに哲学的な言葉も飛び出して思わず二度読み。志賀直哉に限らずひと昔前の文学って文章の質が高いと思う。
2021年08月24日
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「アンネの日記」を読んでから、ヨーロッパ・ユダヤ人迫害史にのめり込んでいる。「アンネ・フランク最後の7ヶ月」を読んで色々な意味で衝撃をうける。また読み直したい。「ユダヤ人」上田和夫著(講談社現代新書)、これも読み終えた。感情を抑えた筆運びに、読んでいて安心感がある。「ユダヤ人とドイツ」大澤武男著(講談社現代新書)、読み始めている。著者は上智大学を出ておられて、ドイツ在住。80歳になられたかな。まだ三分の一ほど読んだだけだが、ヨーロッパ近代史への深い知識と洞察を感じる。バランス感覚が優れているように思った。ただ本の装丁が悪趣味。品がないのは講談社。大澤武男さんの著書をもっと読んでみたい。
2021年06月09日
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「ユダヤの民と宗教」シーグフリード著新書版なのでコンパクトだが、読み応えがあった。章ごとの訳注の分量が多く、親切。ユダヤ教側がなぜキリストを受けいれなかったのか。キリスト教アリウス派だったら受けいれる余地はあった。もしメシアを受容していたら、イスラム教は起こらなかったかもしれない、など、興味深かった。------------------------イスラエル民族の宗教のすべては「約束」に力を得ている。単純にして、絶対的に純粋な一神教であって、その後イスラム教のみがこれと同じほどの純粋な一神教を再現している。この善を愛し悪をいとう神は人格神であって、人間に語りかけ、会話をなし、人はこの神に祈り、神はそれに耳を貸し、その上この神と、人は問答し、かけひきまでできるほどである。(12頁)ユダヤ教は偶像の攻撃に始まった。新しい点といえば、まごころから神に仕えることが本質的であるとされた点である。 (50頁)イスラエルの信仰は正義の神、悪を憎み正しきを守る人格神が一つであるという、比類のない中心的思想を特徴としている。それらはすべて二つの命題にまとめられよう。すなわち「汝は心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛すべきである。」また「自分を愛すると同様に汝の隣り人を愛すべきである。」この思想の特に目を引く点はその驚くべき簡潔さであって、全てを神に、神にのみに限定している点である。そこにこの教えの偉大さが見られる。 (84頁)(キリスト教と分離した)ユダヤ教には何が残るであろう。頑なな一神教の立場と、完全な律法の遵守と、キリストの出現によって毫も影響を受けなかった救世主待望の思想がそれである。(115頁)キリスト教徒との離反は不可避的であった。なぜなら神と律法に集約されたユダヤ教は、キリストのペルソナの上に作られたキリスト教とは別個のものだったから。(119頁)-----------------鈴木一郎訳 c1967 岩波新書
2021年05月30日
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狭い家に二家族と一人、計八人。トイレにも満足に行けず、水も流せず、風呂は交代で行水。人の気配を感じれば、すべてを休止し、息を殺す。過酷な環境の中で、14歳の女の子は、大人の様子を観察し、批判し、評価する。親さえからも心の距離を置く。精神的独立を求める心の叫び。地上では来ることはなかった将来への夢と憧れを語る。ラジオに耳を傾け、戦況に心を弾ませ、戦争の終結を心に描いたが、夏のある日、音もなくゲシュタポがやってくる。「アンネの日記」は小中学校の教科書に載っていると聞いたが日記のすべてが万人向けとは言えない。少女らしい希望や、苦難に負けない強靱な心を吐露する部分なら良いのだけれど。ボクも何回かこの日記をここに引用してきたが好みにまかせた選択に過ぎない。捕らえられて強制収容所での最後の7ヶ月の日々もしアンネが日記を書くことが許されていたらどんなことが書かれるのだろうと、想像する。死に至らしめられた不当な迫害に直面しますます精神の自由に憧れ、そこに心を置いていたに違いないと思えるのだ。
2021年05月18日
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1944年4月11日 火曜日 いったいだれがこのような苦しみをわたしたちに負わせたのでしょう。だれがユダヤ人をほかの民族と区別させるようにしたのでしょう。だれがきょうまでわたしたちを、これほどの難儀にあわせてきたのでしょう。わたしたちをいまのようなわたしたちにしたのが神様なのは確かですが、いつかふたたびわたしたちを高めてくれるのも、やはり神様にちがいありません。わたしたちがこういったもろもろの苦難に堪え抜き、やがて戦争が終わったときにも、もしまだユダヤ人が生き残っていたならば、そのときこそユダヤ人は、破滅を運命づけられた民族としてではなく、世のお手本として称揚されるでしょう。 神様はけっしてわたしたちユダヤ人を見捨てられたことはないのです。多くの時代を超えて、ユダヤ人は生きのびてきました。そのあいだずっと苦しんでこなくてはなりませんでしたが、同時にそれによって強くなることも覚えました。弱いものは狙われます。けれども強いものは生き残り、けっして負けることはないのです!
2021年05月17日
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1944年2月12日 土曜日親愛なるキティーへ、太陽が輝いています。空は紺碧に澄みわたり、心地よいそよ風が吹き、そしてわたしはあらゆるものにあこがれていますーー深く思い焦がれています・・・・ひとと話したい、自由になりたい、お友達がほしい、ひとりになりたい。そしてなによりも・・・・思いきり泣きたい!1944年2月23日 水曜日どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。生きているかぎりは、きっと。----------------------アンネ・フランク略年譜1929年6月12日 ドイツ(フランクフルト)で誕生1934年 オランダへ移住1940年5月15日 オランダ降伏1942年6月12日 13歳の誕生日に父からサイン帳をプレゼントされる1942年7月6日 隠れ家へ1944年8月4日 逮捕1944年8月8日 ヴェステルボルク通過収容所(オランダ)へ1944年9月3日 アウシェヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ向かう移送列車に乗せられる1944年10月28日 ベルゲン=ベルゼン強制収容所へ1945年1月6日 母・エーディト、アウシェヴィッツで餓死1945年2月の終わりから3月初めベルゲン=ベルゼンで死亡 アンネの死の数日前に姉マルゴット死
2021年05月14日
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1943年12月30日 木曜日そしてまたハンネリは? まだ生きているでしょうか。いまどうしているでしょうか。神様、どうか彼女を護って、ぶじにわたしたちのもとへ連れもどしてあげてください。ハンネリ、わたしはたえずあなたの立場に自分を置いてみます。あなたの立場だったら、どんな運命に出あっていただろうかを考えます。なのに、たびたびここの暮らしをみじめに思ったりするのはなぜなのでしょうか。ハンネリや、彼女とおなじように苦しんでいる同胞の身を思いやるとき以外は、どんなときにも感謝の心を持ち、満足と、幸福とを噛みしめるべきではないでしょうか。私は利己的で、卑怯者です。(中略)これだけ恵まれていても、まだ神様を信ずる心が足りないからでしょう。神様は多くのものをーーわたしがとうてい受ける資格のないものを与えてくださっているのに、わたしは依然として毎日のように、多くの過ちを犯しつづけているのです。同胞の人たちのことを考えると、ただ泣きたくなります。一日じゅうでも泣いていたいくらいです。いまできることは、神様におすがりして、奇跡を起こしてくださるように、そして不幸な人たちをすこしでも救ってくださるように、そうお願いすることだけ。それだけはいまでも十二分にやっているつもりです。 227~228頁 1944年1月6日 木曜日ハンネリはわたしにとって、わたしの親しいひと全員、ユダヤ人全員の苦難の象徴のように思えます。ですから、彼女のために祈るときは、全ユダヤ人のため、苦しんでいる人たちみんなのために祈っているんです。 238頁(アンネが祈っていた友だちハンネリは救出され、アンネは死んだ)「アンネの日記・完全版」アンネ・フランク 深町真理子訳 株式会社文藝春秋©1994
2021年05月13日
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「パスカル」を読み終えたので、5月は「アンネの日記・完全版」を手に取った。「だれよりもたいせつなキティーへ」と書き始める。キティーとは日記帳につけた愛称。若きアンネの心情はあふれる。友人、親戚、家族のこと、さらけ出している。母親との葛藤にも、アンネのからっとした性格がでている。「どうしてこんなにまでママのことが嫌いになったのか、自分でもさっぱりわかりません。」「実のおかあさんよりも、お友達のほうがよっぽどよく理解できるなんてーー悲劇ですよね、これって!」
2021年05月07日
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「ユダヤ人とローマ帝国」大澤武男 (講談社現代新書) を読んだ。キリスト教側からのユダヤ人への迫害の歴史が焦点となっている。やはりそうなんだ、という思い。ヨーロッパでは、ユダヤ人は「キリスト殺し」の烙印を押されてきた。「キリスト殺し」として迫害される萌芽は聖書の中にあるという。聖句さえ引用されていて衝撃を受けた。「キリスト殺しのユダヤ人」のステレオタイプそうしてユダヤ人はスケープゴートされて世界の荒野をさまよい続けた。金口ヨハネもアウグスチヌスもルターも反ユダヤ人思想の持ち主だという。ボクの愛読書であるパスカルの「パンセ」、またウェスレーの説教には、反ユダヤ人思想は見られなかった。それはうれしいこと!「反ユダヤ主義」は旧約にても新約にても聖書の思想ではない。反ユダヤ主義クリスチャンは、エセ・クリスチャンだ。愛のなんたるかを知らないキリスト教徒の皮を被った異教徒である。「これは決して同胞を告発するためではありません。」使徒言行録28章19節と語る使徒パウロに心を寄せよう!
2021年03月29日
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モーリアック著「テレーズ・デスケールー」を読んだ。遠藤周作が繰り返して読み、影響を受けたと、どこかで読んだので、いったいどんな本だろう、いつか読みたいと思っていた。モーリアックは詩作からスタートした人らしく、きれいな透明な文章だなと思った。主人公テレーズは、自分も夫も愛せず、惰性のようにして生きる。自殺も考える。まるで自分を殺す延長のように夫を毒殺しようとする。ぞっとするような筋書きだが、なにか現代の生の象徴のようだ。殺人未遂は免訴となるが、夫婦の絆は切られず、関わりは続く。最後、夫は妻を赦し受容しているように思わせながら結ばれる。ボクがキリスト教に興味を持ち始めた頃、聖書と一緒に色々な「イエス伝」を探しては読んだ時代があった。モーリアックの「イエスの生涯」も読んだ。カトリック作家が描くイエス伝って、ずいぶん聖書と違うな、とと思ったけど、不思議な魅力も同時に感じたことを思い出した。また「イエスの生涯」を読み直して確かめたい!!
2021年01月10日
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古い話だが、高校時代図書館にあった「キリスト教暴露」(ドルバック著)という本を見つけた。信仰に入って間もない頃だった。ヨーロッパの歴史の中で、キリスト教がいかに害悪だったか、書いてあった。そうなんだろう。でもそれは神やキリストが悪いのではなく、欲望を満たす道具としてキリスト教を利用した人たちが悪いのだとはすぐにわかって、ボクの心は揺るがなかった。あれから50年たち、ニーチェの「キリスト教は邪教です」に出合った。ニーチェは牧師の子で、若い頃は牧師を志した人。しかし大学でリッチルといったかな、キリスト教に批判的な教授に出会い信仰を無くした。それからは戦闘的な反キリスト者となって、独自の哲学・思想を作り上げた。しかし晩年は精神を病み、牧師の妻であった母親の介護を受けなければならなかった。母親の元で信仰を回復して亡くなったと読んだことがあるが、おそらくそうだったのだろう。「キリスト教は邪教です」は、考えさせられる部分も多かったが、どうしてニーチェはここまでキリスト教を憎み蔑むのかと、哀れみの情を禁じ得なかった。ニーチェのほかの著作も読もうとしたが、気持ちが入り込めず、難解で読み進められなかった。ニーチェの本で時間を使うなら、パスカルの方が断然良い。
2020年03月17日
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聖書協会共同訳による旧約通読で「ヨブ記」までを読み終えた。ほっ。去年の暮れに友人が「ヨブ記に聞く!」と言う題名の本を上梓して、ボクたち仲間にお送りくださったので、ヨブ記の通読は、友の本を参照しながらだった。「ヨブ記に聞く!」は、霊想書と断ってある通り、平易で霊的な読み物だ。1章ずつ分けられて書かれているので、一日1章読めば、42章だから1か月強で「ヨブ記」を通読できる。各章の終わりは、必ず新約聖書の御言葉と祈りで結ばれている。この書の終曲、神様が登場してからの霊解部分は、普段物静かなこの友人の心に、こんなに熱い信仰の心が秘められていたのかと驚かされた。それにしても「ヨブ記」は簡単には語り尽くすことが出来ない深遠な書だ。ただ繰り返し味読するしか、ボクには手立てがない。-----------「ヨブ記に聞く!」塩屋弘 著 発行所・ヨベル 2019/11/24 ¥1300+税
2020年03月08日
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「グスタフ・マーラー」愛と苦悩の回想アルマ・マーラー著 石井宏訳(中公文庫)十八歳違いの夫婦。奥さん(アルマ)から見た作曲家マーラーの記憶夫婦の相違に苦しみながらも、マーラーの最期まで共に生きる。アルマも作曲家。アルマは夫のために筆を折って、結婚生活に入る。娘を二人もうけ、長女を病で失う。やがて夫を51歳で天に見送る。ナイーブそして強靱な作者の精神夫との葛藤、わが思いを赤裸々に表す。たくさんの音楽家が登場する。R・シュトラウスを先頭に、フーゴ・ヴォルフ、ブラームス、メンゲルベルク、ワルター、トスカニーニオーケストラの団員と絶えずトラブルを起こすマーラーの姿。オペラ指揮者としての名声。アルマ、31歳で未亡人に。再婚、離婚。再々婚と死別。85歳まで生きた。マーラーを(天に)送ってから50年以上を生きた。マーラー夫妻を心に映しながら自分の妻への態度、妻の自分への態度を振り返る
2019年03月14日
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ポーター作「少女パレアナ」パレアナの「喜びの遊び」は周囲を明るくし、やがてそれは町中に広がる。若い頃読んだこの本を読み直した。母親はパレアナが幼い頃死に、牧師であった父親も、パレアナがまだ子供の頃に死ぬ。母親の妹である気むずかし屋の叔母の元に引き取られる。「喜びの遊び」は、お人形を期待した慰問袋に、松葉杖が間違って入っていたとき、悲しみにくれるパレアナに、父親から「これを使わなくてすむことを喜びなさい」と言われたことをきっかけに始まった。底抜けに明るい、澄みわたる空のような小説だ。読み終えて心洗われていると、欲が出て続編が読みたくなり、第2作「パレアナの青春」を手にした。こちらは青春まっただ中のパレアナ!青春の奔流は、きらきら きらきら輝く大団円の大海に向かって一挙に流れくだる。------------------------エレナ・エミリー・ホグマン・ポーター(Eleanor Emily Hodgman Porter、1868年12月19日 - 1920年5月21日)はアメリカ合衆国の小説家。ニューハンプシャー州リトルトン出身。多くの恋愛小説・家族小説・ギャグ小説を手がけ、中でも「ポリアンナ」シリーズは最大のヒット作になった。 ~Wikipediaより~
2018年12月10日
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年甲斐もなく「ガラスの靴」(新潮文庫)を手に取った。シンデレラ物語「シンデレラ」を、現代風に書き著したエリナー・ファージョンという人は、作家であり詩人だそうだ。流れるようにやさしく書いている。翻訳の野口百合子さんは、大人向けにこれを訳したそうだ。子供のようにときめいて読んだ。
2018年10月25日
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神谷美恵子の著作を読んでいて、この本が推薦されていたので、ボクは取って読んだ。昨日読み終わった。神谷美恵子の訳だ。マルクス・アウレリウスは「哲人皇帝」といわれるローマ帝国の皇帝。哲学者であって皇帝は、歴史上たった一人と言われている。ほんとうは哲学する学徒として生涯を過ごしたかった。晩年は戦乱の中で過ごし、皇帝として出陣中に客死した。58歳。折々に書き留めていた短文をまとめた「パンセ」形式の書物。アウレリウスはキリスト教を知らない。「自省録」は、キリスト教ではなく、ストア哲学の背景に依っている。「自省録」原題はギリシャ語で「ta eis heauton た えいす へあうとん」=「自分自身に」人に読ませるためではなく、自分を励ますために書き綴った。心を貫く書物だ。心に矢が突き刺さり、向こう側に抜けていくのだ。ボクは貫かれた。ストア哲学徒に、一瞬ボクの心は変身した。読み終わって静かに自分を振り返った。そうだ、クリスチャンだからこそ、心に響くものがあったのだとわかった。
2018年10月16日
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「モーセ」浅野順一(岩波新書)©1977 を読む。浅野先生とは、若き日一度だけお目にかかった気がする。確か真っ白な髪がふさふさしていた。かつての青山学院神学部の先生で、ボクのボスの恩師でもあられる。お二人とも天国におられる。ボクもそこへ行く。安心して読めるのは、翻訳のぎこちなさがないから。これは助かる!一般人を読者に想定しているから平易である。ただ専門的な部分もある。ご自分の浅学を告白しておられるところがある。牧師と、学者の両立は大変だった。牧師をなさっていたから、読者への配慮が随所に表れるこんな本が書けたのだ。「勉強ばかりしていると、伝道への思いが高まり、伝道や牧会に時間をとられていると、学問への思いが高まる。」どこか他の所でこんなふうに書いておられた記憶がある。さてどこを引用しようか?「神のごとく正しく厳しいモーセは民の前にでる時のモーセであり。人間らしい謙虚・柔和なモーセは神の前に出るときのモーセである。このような矛盾が一つとなって働いているところに、われわれがモーセから教えられるところが多い。」(「モーセ」71頁)
2018年10月07日
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「あなたがわたしたちを あなたに向けて創られたからです、 そのため わたしたちの心は、 あなたのうちに憩うまでは 安らぎをえられません。」 アウグスチヌス「告白録」第1巻第1章より上の本を読み終えて満足感に浸っている。若き日の罪深い生活とその遍歴を、赤裸々に綴っている部分があるので昔の翻訳は「懺悔録」という本のタイトルが多い。そういう部分は目を引きやすいが、それが一部分であることは読めばわかる。神への問いかけの言葉であふれている。神への賛美の言葉もあふれている。神の愛への応答としての神への愛を綴った書物だ。宮谷宣史というかたが翻訳なさった本だ。宮谷先生は、ボクがまだ30歳代のはじめ、東静分区の教師会に来てくださった。アウグスチヌスについて御講義くださった。先生はまだ40代そこそこの若き研究者だったのだ。ご健在だったら、80歳を超えておられる。
2018年02月16日
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この揺るぎなく立つ信仰の書を、苦労して読み終えた。神学的な部分はおおむね理解したと自認するが、哲学的言辞も多く、そこはほとんど理解できず、読み飛ばさざるを得なかった。「三位一体の神」ただこれだけのテーマで、これだけの分量の書物が生まれる。まことに言葉多い書物だが、言葉足らずの書物でもあり、著者はそのジレンマの苦しみを、最後に神に祈る。神は無限だが、「無限の三位一体」に正面から取り組むアウグスチヌスも巨大だ。全15巻の最後に置かれている「祈り」だけでも、後日フリーページに掲げることにします。
2017年12月05日
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清水書院からでている”人と思想シリーズ”の「カント」を読んで、心に触れたので、カント哲学の入門書と言われる「道徳形而上学原論」を読んだ。入門書らしく岩波文庫の薄い本だった。しかし内容は難しい言葉の羅列。哲学ってこんなに難解なのかと閉口しながら読んだ。「意志の自律、他律」「定言的命法」「理性的存在者」「格律」「目的の国」う~~む、難解だぁ。しかし所々に心に触れる言葉もあり、そこには赤線を引いた。読み終わり、「訳者後記」を読むと、なんと、わかりやすく解説している。訳者の解説で、ばらばらなジクゾーパズルがはまった感じ。道徳的生き方こそ、人間のしるしであるとカントは言う。それは人間の心の奥底から湧きあふれるのだ。神様の教えだから従うというのは「他律」であり、価値がないのである。キリストの律法に従うボクたちとしては、随分考えさせられる。「目的の国」とは、道徳的生き方を真心から志す人々が集まる一種のユートピアか?
2017年04月12日
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アウグスティヌス著作集のPDF化を終えた。この中から、「告白録」「三位一体論」を今年中に読みたい。本を切ってスキャンしていると、読書への渇きが心にあふれる。PDF(パソコンやスマホ)で読むのではなく、裁断したペーパーを手にして少しずつ読んでいく。1冊の重い本ではないから、立っていても、電車の中でも読むのが容易なのだ。ウェスレー標準説教53は、できる限りテキストファイルにする。これを何らかのデーターベースに構築したいと思っている。ついで「ジャーナル」を読み終えれば、人生の一つの目標を達成だ。書棚に「デン」と居座っているのは、教文館の「パスカル著作集」1冊1冊こつこつ集めたもの。このシリーズの『パンセ』は普通の配列と違っているので、興味深いものだ。思い切って裁断し、少しずつ読んでいきたい。パスカル著「プロヴァンシャル書簡集」はまだ手をつけていないので、この山にも登りたい。このようなPDF化、テキスト化、そして読書は、この世の生を終える準備の一環である。PDFとテキストファイルは、ボクの代で終わりではなく、だれかに容易に託することができるから、うれしいのだ。父がこの世を辞した年齢は72歳なので、ボクにとっても72歳は一つの壁になっている。そう、72歳の誕生日まで、上記の計画がどこまで進むか? これは自分自身へのチャレンジである。
2017年02月18日
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リントシュトレームの『ウェスレーと聖化』を読み終えた。この10年ほど、折々にウェスレーの標準説教などを紐解いてきた。53の標準説教集は2度ほど目を通した。一つ一つ迫力あり感銘深い説教だが、系統的にはなかなか把握できなかった。リントシュトレームのその書物を読み、ウェスレーの説教集の内容がパズルのピースがはまったように全体的に鳥瞰できるようになった。ウェスレーからの引用が豊富にあるのもうれしかった。これで一段落!そこで今日はパスカルの『パンセ』を再び手に取った。ウェスレーとパスカルは、時代も違い視点も少し違っているが、「神を愛すること、人を愛すること」それが共通の命題。両者の真実は、カトリック、プロテスタントの相違を止揚し普遍的なキリスト教を映し出している。
2016年12月29日
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友だちが、「ウェスレーの説教は全部ネットに載っているよ」と、教えてくれたので、さっそく探した。見つけた。 Wesley Center Onlineこれは、すごいサイトだった。ウェスレーの主要な著作が全部テキストになっている。ウェスレーの全説教が、アルファベット順、年代順に並べられている。もしこれが日本語だったら、本を買う必要が無い。
2016年12月14日
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若い頃、ジイドの「田園交響楽」という本を読みました。ベートーヴェンの「田園交響楽」とのつながりを心に描きながらきれいではあっても、悲しい結末が悲しかった
2016年11月06日
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今晩に一気に読んだ。「ヴィルヘルム・マイステルの修業時代」の第6巻の部分にあたり、独立した短編小説として扱われるという解説。題名のように、主人公フィリスの内面が細やかに描かれている。一人の男性に恋をし、やがて許嫁となるが、心が深まるにつれて、彼を愛しつつも彼から離れ、信仰一筋の道を選び直す、というあらすじ。神への純愛、まっすぐな信仰を告白しつつ物語は閉じられる。神に飛翔する魂の告白は、まるでウェスレーの言葉であるかのように感じる。ただしモデルはヘルンフート兄弟団に属していたようだ。下の引用は物語の結尾であるが、いうまでもなく、神に向かう心は戒律ではなく,一つの衝動、心の自然な姿であるという。神が自分をそうするように導いておられるというものだ。「わたしにはほとんど戒律というものの覚えがありません。わたしを導き、いつも正道をたどらせてくれるもの、それは一つの衝動なのです。わたしは自由に心の欲するところに従います。それでもほとんどなんの拘束も悔恨もおぼえません。わたしはこの幸福が誰のお陰であるかをよく知っております。」(関泰祐訳)
2016年10月23日
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