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カタカタ コトコト ピチャピチャボクは隣の部屋で読書しているが君は台所で昼餉を作るボクと君のために作っているのだカタカタ コトコトその音が聞こえなくても君はいつも作っていたのだ四十二年間も作っていたのだ
2019年03月06日
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木かげ一つない市場への道を両うでにくいこむ買物籠さげて家に養いを運ぶ主婦たちの後についてもういくたびゆきかえりしたことだろう。ガタガタとゆらぐ大きなうば車に病弱な児を二人のせて大根やキャベツや魚と同居させて坂道をあえぎあえぎ押上げた日もあった。子供が車から一人おり、二人おりする頃にはいつしか私の顔のしわもふえてきょう相変わらず二つの籠さげてひでりの道をてくてく歩いている。ああ市場の道よ雨やどりさせてもらった踏切番の小舎よひそやかにこおろぎの声していた草むらよ遠く平和につらなる六甲の山々よ私のひそかなる思いをみんな聞いてきた道よ。 神谷美恵子著作集月報1所載(みすず書房刊)
2017年03月05日
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「春の光」とは、今頃の季節の日の光を指すのだろう。外気がいまだ冷たくても、光の中に春がほのかに香っている。「春の光」という言葉は、草野心平の「富士山」という詩に出てくる。たしか高校の国語の教科書に載っていた詩だ。メロディーが聞こえてくるような語幹に惹かれた。草野心平のほかの詩にあたっても皆、音楽が聞こえてくるようだった。「春の光」に解説は不要。今日明日の頃、外に出てみたまえ春の光があなたの頬を撫でるよ「寒いだけだ」なんて言わないのだよ。以下、大好きなその詩の一部を川面に春の光りはまぶしく溢れ。そよ風が吹けば光りたちの鬼ごつこ葦の葉のささやき。行行子は鳴く。行行子の舌にも春のひかり。土堤の下のうまごやしの原に。自分の顔は両掌のなかに。ふりそそぐ春の光りに却つて物憂く。眺めてゐた。少女たちはうまごやしの花を摘んでは巧みな手さばきで花環をつくる。それをなわにして縄跳びをする。花環が円を描くとそのなかに富士がはひる。その度に富士は近づき。とほくに坐る。耳には行行子。頬にはひかり。 草野心平作「富士山」より(ネットから拝借)
2016年02月08日
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朝はメモ帳を取り出し一日の予定を立てようあれとこれとこれとこれ4つくらいの予定の2つでも無事に終えたら心安らかに一日を終えよう
2015年12月10日
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土曜日降り積もり、まだ残っていた雪の上に、また雪が降り積む。雪国の厳しさが少しわかりまた雪がもたらす詩情も伝わる。伊藤整著「雪明かりの路」という詩集。手元になくて引用できないが夕方の路地に出て、「そうか、これか」「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む」(三好達治) (静かに静かに降り積もる雪が、子どもたちを寝付かせたのかしら? (まだまだ津津と降り止まずに屋根に静かに積もって行く・・・・雪に生きる人々の詩の心人に詩情を与えて、また人を殺すこともある。
2014年02月14日
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詩と親しむようになったのは母の影響である。小学校の高学年の頃「智恵子抄」を読んでいた母は、そばにいたボクに、高村光太郎の詩を読み聞かせた。流れるような口調と言葉の美しさに捕らえられ光太郎の詩を自分で読むようになった。「あどけない話」を暗唱し、次に「レモン哀歌」を暗唱した。「レモン哀歌」はいっそう美しいものだった。中学校だったか、国語の教科書に、光太郎の詩「道程」が載っていた。それも暗唱した。三好達治の「乳母車」が教科書に載った。それも暗唱した。その美文調に心振るわせ,自分も美文を書くようになった。高校生になると、「美文」を作ることが出来た。高校2年生の秋に,教会に行き、クリスチャンとして生きる道を選んだ。「美文」の空虚さに目覚めた。クリスチャンとして生きる道は、美文を弄する道とは正反対であることがわかってきた。
2013年03月08日
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子どもと虫クワガタやカブトムシいじったりいつまでも眺めていたり時がたってだんだん弱くなってくるそれでもじっと見つめているはらはらして見つめているとうとう死んだ虫が死ぬともう見向きもされずに転がっている
2012年06月02日
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菜の花畑にやさしく風が吹くと菜の花は体を揺する風はまた向こうの畑に行く
2012年03月28日
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開拓伝道は、人が来ない日もある。時々は人が訪れてもまただれも来なくなる日々がある。ボクが説教の御用に呼ばれた日もだれも来なかった。でも伝道者夫妻を前に50人を前に語るように語り2人を励ますようにも語った。終わってからコーヒーを淹れてくださった。真新しい袋を開いてくださった。
2012年03月01日
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人は虹のように変わる宝石のように多面体愛する人の前でのあなた!いやな人の前でのあなた!仕事をしているときのあなた!趣味に興じているときのあなた!空を見ているときのあなた!こんなたくさんのあなたほんとうに一人のあなただろうか?
2011年10月14日
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神学校のライブラリーの棚に粗末な装丁の薄っぺらい本が目が留まる。「詩集・祈りの炎」本田清一このかたは牧師で、超教派の集会に良く顔を出されていたかた。ケズイックでも最近お顔が見えないな、と思っていたら96歳でなくなられていたようだ。詩を書かれる人でした。御名前のように清々(すがすが)しい詩。穏やかな中にも心熱い思いがみなぎっている。牧師らしい、メッセージに近いものもある。 聖霊の雨よ ふれ ひからびたわたしの心に (65頁)こんな感じです。気に入った詩はPCに書き込もうかしらネット検索すると、本田先生の詩が載せられているサイトを見つけた。解説付で。 ↓http://www.seiai.net/0602seisyo.html
2010年01月15日
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歌い手が外国の歌を歌う感情を込めて歌うが伝えられて来ないそれから日本の歌を歌ったボクの心は語りかけられた
2009年06月04日
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文章を書くときは主観的な自分がいる。読み直すときは客観的な自分となる。
2009年05月28日
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ボクもフランシス・ジャムのように詩を書きたい。書ける 書けない 書ける 書けない 書ける 書けない 書ける 書けない 書ける 書けない 書ける 書けない 書けない 書けない 書けない 書けない 書けない 書けない!
2008年06月01日
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「警句を良く吐く人、悪い性格」46「私は次のような挨拶を聞くと、いやな気がする。 『たいへんご苦労さまでした』 『ご迷惑をおかけしないかと心配です』 『あまり長くなりはしないかと心配です』こんなことを言う人は、まさにそのとおりだと思わせるか、私たちをいらだたせるか、どっちかである。」57「『反乱のたいまつを消去する』あまりにけばけばしすぎる」59 パスカル『パンセ』 第1章・精神と文体とに関する思想よりパスカルの心は幼子のようにシンプルだ。それが魅力だ。きっと「言葉」は道具のようにあやつるものではなく、心の率直な表白のためにあるのものなんだな。
2007年09月22日
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インターネット・オークションで詩集を買いました。裏表紙に著者の為書と署名がありました。それなのに、読まれた形跡がありません。きっと難しかったのでしょう。抒情詩とはやさしいようで難しいものです。小さな景色から、奥深いものを探り出すこと、その細やかな心に共感できなければ読み続けることは大変です。「故園・冬の旅抄」という題の島崎光正さんの詩集ですが
2006年10月03日
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「先日(中略)暮鳥のほかの詩に目を通していると、思わず息をのむような詩に行き当たった。今までになぜこの詩がひろく紹介されなかったのか、不思議でならない。一人でも多くの人に、この美しい、素朴で力強い詩を読んでいただきたいものだ。」暮鳥の記事を探してHPを巡っていた時に、上のような文を見つけました。これを書かれたのはTADさんという方です。 http://homepage3.nifty.com/TAD/poems_2/poem_20.htmTADさんが紹介しておられる「日本」というこの詩。まだ日本が悲惨な戦争をする前、山や谷や水も空気もまだ汚染されていない、瑞々しい自然の中で歌われた詩だったに違いありません。ではTADさんがご紹介下さった詩を味わいましょう。日 本 ~山村暮鳥~日本、うつくしい国だ葦の葉っぱの朝露がぽたりとおちこぼれてひとしづくそれが此の国になったとでも言ひたいやうな日本大海のうへに浮いているかいらしい日本うつくしい日本 小さな国だ小さいけれどその強さは鋼鉄のような精神であるおう日本ぴちぴちしている魚のような国勇敢な日本古い日本その霧深い中にとじこもって山鳥の尾のながながしいゆめをみていたのもいまはむかしのことだめをあげてそこにどんな世界をお前はみたか日本、日本お前のことをおもふと此の胸が一ぱいになるお前は希望にかがやいているお前は力にみちているそして真剣だだが日本よお前の道はこれまでのようにもうあんな平坦なものではあるまいお前はよるひる絶えずお前のまはりに打寄せているその波の音をなんときているか寂しくないかおう孤独な遠い一つの星のような日本からりとはれた黎明の天空(そら)のような国ときどきは通り雲のさっとかかるぐらいのことはあってもおまえはまだただのいちどでもその顔面に泥をぬられたことはないんだそんな美しい国なんだ日本幸福な日本強い日本わたしらは此処で生れたんだ また此処で最後の息をひきとって遠祖らと一しょになるんだ墳墓の地だ静かな国、日本小さな国、日本つよくあれすこやかであれ奢(おご)るな日本よ、真実であれ馬鹿にされるな
2006年09月30日
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山村暮鳥の中期の詩を一編ご紹介します。聖書の中に、キリストが姦淫の現場で捕まえられて、石打の刑になろうとする女性を助けた記事があります。この記事から着想を受けたのでしょうか。暮鳥は男に身を委ねる女性の心を慈しみ、女性を買う男の弱さをむしろ憐れんでいます。知人の中にこんな女性があったのではないかと感じるほど、女性の心を掘り下げ同情していることが、スゴイのです。(「風は草木にささやいた」所載) 或る淫売婦におくる詩女よおんみは此の世のはてに立つてゐるおんみの道はつきてゐるおんみはそれをしつてゐるいまこそおんみはその美しかつた肉体を大地にかへす時だ静かにその目をとぢて一切を忘れねばならぬおんみはいま何を考へてゐるかおんみの無智の尊とさよおんみのくるしみそれが世界の苦みであると知れああそのくるしみによつて人間は赦されるおんみは人間を救つたおんみもそれですくはれたどんなことでもおんみをおもへばなんでもなくなるおんみが夜夜うす暗い街角に餓ゑつかれて小猫のやうにたたずんでゐた時それをみて石を投げつけたものは誰かあの野獣のやうな人達をなぐさむるために年頃のその芳醇な肉体をああ何の憎しみもなく人人のするがままにまかせた歯を喰ひしばつた刹那の淫楽此の忍耐は立派である何といふきよらかな霊魂をおんみはもつのかおんみは彼等の罪によつて汚れない彼等を憐めその罪によつておんみを苦めその罪によつておんみを滅ぼす彼等はそれとも知らないのだ彼等はおのが手を洗ふことすら知らないのだ泥濘の中にて彼等のためにやさしくひらいた花のおんみどんなことでもつぶさに見たおんみうつくしいことみにくいことおんみはすべてをしりつくしたおんみの仕事はもう何一つ残つてゐない晴晴とした心をおもち自由であれ寛大であれひとしれずながしながしたなみだによつてみよ神神しいまで澄んだその瞳聖母摩利亜のやうな崇高さおんみは光りかがやいてゐるやうだおんみの前では自分の頭はおのづから垂れるああ地獄のゆりよおんみの行為は此の世をきよめたおんみは人間の重荷をひとりで背負ひ人人のかはりをつとめたそれだのに捨てられたのだああ正しいいたましい地獄の白百合猫よおんみはこれから何処へ行かうとするのかおんみの道はつきてゐるおんみの肉体は腐りはじめた大地よ自分はなんにも言はない此の接吻を真実のためにうけてくれああ何でもしつてゐる大地そして女よ曽て彼等の讃美のまつただ中に立ちながらひとときのやすらかさもなかつたおんみを蛆虫はいま待つてゐるのだあらゆるものに永遠の生をあたへあらゆるものをきよむる大地此の大地を信ぜよ人間の罪の犠牲としておんみは死んでくださるか自分はおんみを拝んでゐる彼等はなんにもしらないのだわかりましたかそして吾等の骨肉よいま一どこちらを向いておんみのあとにのこる世界をよくみておくれ
2006年09月30日
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詩人・山村暮鳥は、明治の中期から大正の初めにかけて活動しました。神学校時代から創作し、聖公会の牧師になりました。しかし結核のために牧師を休職せざるを得ず、結果的に詩作に専念できたようです。貧しい食卓を囲む家族の詩があります。海で夫を失った夫人を励ます詩があります。妊婦を励ます詩があります。労働者や農夫を讃える詩があります。人間の生を肯定し、どんな運命にあっても誠実に生きることを求めています。同傾向の詩人としては、宮沢賢治などがあり、室生犀星も「愛の詩集」など、ヒューマニズムの香り高い詩を作っていますが、暮鳥の場合は、メッセージ性がもっと強いものです。人間は神に創造されたもの、神に愛され育まれ支えられて生きるものこういう確信に支えられているから、こんなにも大胆に歌えるのだと思います。彼の創作は3つの詩集に即して3期に分けられ、最初の詩集は才気がまさっているのか、難解です。あまりにも斬新で、当時でも賛否両論があったと言うことです。第2期は、人々に人生の意味を伝達する宗教家としての視点があります。第3期は、芸術家としての野心も伝道の心からも離れて、でかい図体をした子供のような、自然詩人として終わっています。彼は日本の芸術史に屹立とそそり立つまれな詩人だと思います。すべての詩がネットからダウンロードできるようです。興味のある方は原詩にあたって、ボクと感動を分け合って下さい。
2006年09月29日
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詩を作ったこの行はいらないと削除していったらとうとう何もなくなってしまった
2006年09月08日
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九十九里浜の高村光太郎の詩碑の前に立っている轟々たる波の音昔日、向こうの浜辺で光太郎と智恵子が遊んだというちい、ちい、ちい、千鳥の鳴き声が智恵子を呼ぶ声に聞こえた「千鳥と遊ぶ智恵子」この詩がここで歌われた
2006年09月06日
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