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一緒に祈るときには言葉の合間に「アーメン」とか入れるのは「合いの手」のようなものかな?今朝などは「天のお父様」と祈られてボクが呼ばれたわけではないのに「はい」なんて言ってしまい恥ずかしかった。
2010年01月16日
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「気づくまで待ち続ける」ボクの「おはこ」だ。そんなボクが自分自身に気づきはじめた。
2010年01月14日
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土曜日にお掃除に来て下さった方「土曜日の牧師さんってこんな暗い顔をしているのですか」と驚かれたことがある。今はそれほどではないか窓から差し込む明るい陽ざしとボクの心はやはりそぐわない。
2010年01月09日
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お昼のテレビで、1年の総集編を放送。「がん」がテーマのものがありました。癌は2人に1人がかかり、3人に1人は癌で死ぬ時代が来ていると。生涯の間に癌にかからないのなら、それが奇跡であると。興味深かったです。癌は命の根幹に関わっている病気だそうです。だから癌をやっつけることは命の根幹を脅かすこと。そうなら、もう癌とは仲良しになるしかないようです。癌に関わらず、病気は敵ではなく友であるとは、常々考えていることです。なってみなければわかりませんが、癌になっても治療をしようとは、今は思っていません。年齢的にどこにいようとも、生きる上でのいろいろな使命に対して荷を下ろせるのなら、感謝したいことでもあります。とりあえず、癌系統のわが家の中で今年も癌を発病せずに終えられそうです。神様ありがとうございます。
2009年12月26日
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主の御降誕を記念して、メリークリスマス。スクルージが目覚めた朝に、メリークリスマス。昨夜の宴は去り、飼葉桶のイエス様、どうぞ場所をお移り下さいボクの心の臥所(ふしど)の方に。綿の一杯入ったお布団を、用意しましょう。ボクの中で安らかにお眠り下さい。主よ、ボクの主よ。
2009年12月25日
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「ライフラインのつどい」近所の同盟教会で行われました。檜山さんのアコーディオン演奏を聴きました。少年の頃は、はめを外した人のようでした。神様のご用に立たれてよかった音作りが雄大で、アンサンブルのように聞こえます。ソロなのです。自作の曲を3曲も演奏し、若くて意欲的な音楽家と感じました。番組司会者の関根先生のお話メモなしでのメッセージ。聖書から箴言の御言葉が生きて迫ってきました。色々教えられました。Tシャツと、伝道のための小書籍を買って帰りました。
2009年12月05日
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あすの礼拝でするメッセージ、いつもながら苦闘しています。シンプルな詩編の御言葉、こねくりまわして複雑にしそうだ。晴れやかな精神だ、信仰だ、それが欲しい。よしまだ午後7時台だぞ
2009年11月21日
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伴奏なしの礼拝で、「ああいいな」と思った。伴奏付で歌って、「ああいいな」と思った。
2009年11月18日
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そんな とてつもないことを祈るのかよでも信じて祈ることは何でもかなえてくださると言われるので遠慮なく
2009年11月06日
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「朝の祈り」に信徒さんが来られました。信徒さんが来ると気持ちがぴりっとします。賛美で始め、聖書を輪読。今朝は「マラキ書」からでした。手短に解説を加えます。それから教団の日課を読みます。個人的な「応答の祈り」を交互にします。土曜日は「教団の教会のために祈る日」教団発行の「祈りの栞」を手にしながら順番に、ていねいにお祈りをしていきます。賛美と「主の祈り」で終わります。午後にまた来てくださるそうです。教会のお掃除のために。
2009年10月24日
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「聖餐式」という信徒が月に一度あずかる儀式先日は、配餐の最中に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を流してみました。余分なものはいらないとずっと「無音」でやっていましたが。それより以前はさんびかの「しみもとがも」を弾いて頂いた時もあります。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とは「聖体賛歌」というカトリックの聖歌です。3分ほどの短い曲ですが、モーツアルトのが有名です。きれいな曲です。16世紀、ルターのプロテストに対するカトリック側の対抗改革の際に作られたような記述がありました。プロテスタントの礼拝に、カトリックの礼拝音楽を流すこと自体はもはや問題はないと思うのですが「よかった」と言う人と「抵抗を感じた」という人がありました。
2009年10月17日
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「ヨブ記」が好きと言うこととヨブの気持ちを理解することとは別だ。ヨブ記の字面を見てうなったり感心したり、浅く同情するくらいが落ちだ。ボクには逆立ちしてみてもヨブの気持ちは分からない。たとえ死の病に冒されてもヨブの気持ちの深さは分からないだろう。しかしヨブの友人達の気持ちは良くわかる。だれの説明も不用だ。手に取るようにわかる。(ヨブの言葉は左のフリー頁に少しまとめてあります。よかったらお読み下さい。心にとめられたら、旧約聖書の「ヨブ記」に取り組んでください~老爺心)
2009年10月09日
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さんびコンサート10月18日(日)1時30分うた・兎束 沙枝先生(メゾ・ソプラノ)プロフィル:1968年ヨーロッパに渡る。 ミュンヘン音楽大学、ケルン国立音楽大学に学ぶ。 淀橋教会聖歌隊ボイストレーナー。 教会コンサートなどに活躍。去年と一昨年は、ゴスペルコンサートを開き、好評でしたが今年は、古今の賛美歌、聖歌を歌っていただきます。皆さんとご一緒に歌うときも、あります。合間に、やまひでが解説、メッセージをいたします。安らぎと恵みのひとときとなりますように!午前10時40分からの礼拝でも歌われます。 三島西キリスト教会 電055-972-196 411-0038 三島市西若町7-8
2009年10月08日
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「おはよう」ボクが朝のお祈りその他を終えて牧師館に上がっていくと妻が食事の支度を始めていた。一晩休んで力がよみがえった。「ひっぱってね」昨晩は薄い掛け布団を引き寄せる力もなくなり寝床に倒れ込んだ彼女
2009年10月06日
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弱くてはならない強くあれ待てよ・・・強くてはならない弱くあれ待てよ・・・
2009年09月26日
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天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、 力、富、知恵、威力、 誉れ、栄光、そして賛美を 受けるにふさわしい方です。」また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、 賛美、誉れ、栄光、そして権力が、 世々限りなくありますように。」四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。ヨハネの黙示録5:12~14天の御国では、このようにイエス様に絶え間のない賛美がささげられています。ボクたちはきのう教会に行って、イエス様を礼拝し賛美をささげました。それは天の、御国で賛美をする練習だったのですね。その喜びは、前味を味わったことですね。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年09月07日
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「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」マタイ6:34このボクの座右の銘には2つのポイントがあります。一つは、明日のことを必要以上に考えなくてイイおおらかさを。2つ目は「その日の苦労だけはちゃんと十分にしなさいよ」
2009年09月04日
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今日の午前の祈り会は10人礼拝で10人の時さえあるのに祈り会が同数。思わず「礼拝みたいですね、今日は」と言った。教団の教会のために祈る週で40あまりの教団教会のためにみんなで分担して祈り合いました。
2009年08月26日
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今日の礼拝のプログラムです。主日礼拝順序 午前10:45~正午 説教・山口秀樹師招 詞 エフェソの信徒への手紙6章10節 着席賛 美 新聖歌17「主をほめよわが心」 起立主の祈 起立交読文 詩46 (新聖歌841頁) 着席祈 り 着席賛 美 「主の愛を伝えよう」 着席聖 書 エフェソの信徒へ6章10~24節 着席使徒信条 福音の言葉(説教)「偉大な力によって強く」着席賛 美 新聖歌458「光の高地に」 起立献 金 着席感謝と応答の祈り 着席頌 栄 新聖歌62「天つ御民も」 起立祝福の祈り 起立報 告 着席 分かち合い メッセージをお聴き下さる方は、下記へどうぞ http://mnc.holy.jp/service.html
2009年07月26日
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明日から「夏期聖会」でお泊まりなので今日は信徒さんの訪問をしました。信徒としては礼拝出席は義務であり権利なのです。義務のほうばかり強調される嫌いがあり。「老い」のために寝たきりになり出てこられなくなったら教会のメンバーとしての礼拝出席の権利を守るために小さな礼拝を捧げに行くのです。賛美、主の祈り、聖書、賛美、祝祷聴力も衰えておられるので耳元まで屈まなければなりません。こちらの姿勢が変則になって、腰に負担がかからないように気を付けます。家族の中で、今の所はただ一人のクリスチャンですが快く迎え入れられることがうれしいことです。
2009年07月20日
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「痛みは必ず消えるって知ってるから大丈夫。もし消えなかったら、天国に召される時」これは早期老化症(プロジェリア)という遺伝子の病にかかり、通常の10倍もの速さで老いて行ったカナダの少女、アシュリーの言葉身体がだんだん弱くなることは、ただつらいことで、良くないことだと思っていた。しかし今、弱くなると言うことは、主の御国に近づいている印でもあるのだから良くないことばかりではないと、アシュリーの言葉が、心に響く。アシュリーはこの4月に、17歳で天に召されていった。ボクたちは、もう60年以上生きてはいるが、心はアシュリーの心で生きているよ。
2009年07月07日
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今日の礼拝のプログラムは下記のようです。主日礼拝順序 午前10:45~正午 司会・説教・山口秀樹師招 詞 イザヤ書40章8節賛 美 新聖歌17「主をほめよわが心」主の祈 交読文 口語訳14・詩37祈 り賛 美 黄色3「勝利を望み」1,2,4 聖 書 エフェソの信徒へ4章25~5章5節 ウェスレアン・ホーリネス教団信仰告白福音の言葉(説教) 「新しい生き方」 賛 美 新聖歌505「主われを愛す」聖餐式 新聖歌46「わが主よ今ここにて」献 金感謝と応答の祈り頌 栄 新聖歌62「天つ御民も」祝 祷報 告メッセージをお聴き下さる方は、下記のURLで音声が流れます。 ↓ http://mnc.holy.jp/service.html
2009年07月05日
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昨日、書いたさんびかですが、この歌が、新しい賛美歌集から外されがちな理由を、自分なりに考えてみました。つまり、「兵士」などという言葉があり、戦うことがテーマとなる歌は、いけないというのでしょう。イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」マタイ26:52クリスチャンは剣で解決をしないようにと、主に教えられています。だから歌われていることは「誘惑に会っても屈しないで 主を信じる道を進もうではないか」そういう信仰の歌なのですから、気にすることなく、歌い続けてよいのです。「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。」1テモテ6:12
2009年06月30日
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転倒して大けがをしても治ればまた一人歩きに挑戦するあくまで自分の力を信じ試し続ける人周囲の心配をもろともせずついに寝たきりになるまで
2009年06月17日
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一人で外出のできない信徒さんを訪問します。2週に一度のペース。聖餐式も時々に行います。普段は、家内と交互に訪問することにしていますが、聖餐式を予定するときは、一緒に訪ねます。教会の聖餐式のようには、長々としませんがそれでも、おざなりの仕草にならないように気を使います。病床聖餐を執り行うと信徒さんは大きな喜びを全身で表現します。その喜びの深さは、自ら病床聖餐にあずかるようにならない限りわからないでしょう。いつかボクの病床を牧師が訪れ聖餐式をしてくださる時が来ると思うと心待ちをしたい気持になります。礼拝はクリスチャンの喜び礼拝は天国の喜びです。礼拝に出席してつまらないと思う人はきっと天国に行ってもつまらないと思うに違いありません。そして礼拝の本質は聖餐式にあると思えるのです。病床で聖餐にあずかるとは苦しみと忍耐に満ちた病床が瞬時に天国に変わる恵みを味合うこと。
2009年06月09日
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ペンテコステ・聖霊降臨日に祝福あれ「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」1章13-14節あの主の日以来、イエス様が約束された聖霊が来て下さいました。聖霊が私たちと共に永遠におられます。ペンテコステは教会の暦に記されていますが、私たち信徒個人にも、聖霊に満たされる経験があります。個人的なペンテコステの日をも、私の個人史に記したいです。そして日々更新したいです。皆さんに祝福がありますように。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年05月31日
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来たわが国で集団感染の兆し。発症したなら普通のインフルエンザに準じて恐れずたんたんと治療を心がけます。まだ毒性が弱いから今は大丈夫。気を強く持とう。子供たちは強い。きっと大丈夫。そうだボクたちは決して負けない。薬の力ではなく命の力で勝つんだよ。
2009年05月16日
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ボクは主をほめたたえています。今現在も主をほめたたえています。ボクの生そのもので主をほめたたえたいです。ボクがどんなに沈んでいてもそのために主の価値が変わることはありません。だから主をほめたたえています。だから鼻歌を歌っているなどど思わないで。主をほめたたえているのですから。
2009年05月07日
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とりあえず、主をほめたたえましょうとにかく、主をほめたたえましょう
2009年05月05日
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富士聖会案内~~4月29日(水)<昭和の日>会場・ウェスレアン・ホーリネス教団三島西キリスト教会TEL 055-972ー1963 第1聖会 10時半~12時証詞 峯野賜保 姉説教 山口秀樹 師昼食と交わり 12時15分~1時15分 昼食代500円第2聖会 1時30分~3時 証詞 三浦千寿子姉(信徒会) 説教 小林久仁子師献金あり
2009年04月26日
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イタリアン・レストランを開店するというので祈りを頼まれました。式文づくりに2時間かかりました。式は15分ですみました。(レストラン開店の祈り)序詞賛美聖書関係者のことば祈り賛美祝祷祈りが終わると試食会に招待されました。あぁ、役得だなぁ~
2009年04月25日
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「聖書通読」はキリスト者にとっては、大切な日常ですが、ボクは自分用の「録音聖書」を作成することをお勧めします。あくまで自分の霊性の向上のために。耳から聞く聖書の御言葉は、想像以上に深く心にとどまります。録音機能付きのMP3プレーヤーで簡単に録音でき、PCにつなげばPCのスピーカーで聞くことができます。ただしMP3プレーヤーでデジタル録音したものは、何ともかさかさに乾いています。音の深みや柔らかさを求めるのなら、カセット・テープの方がずっと良いです。ボクは、カセット・テープの録音をオーディオインターフェースを介してPCに流し込みましたが、アナログ録音の柔らかさがMP3に移りました。ラジカセで録音した場合、頻繁にストップと録音を繰り返すと、ラジカセのスイッチ部分が途中で壊れてしまいます。新約全部を録音しようとしたら、2,3台使うことを覚悟する方がいいです。テープのヘッドも汚れてきます。音がくぐもってくるのでわかります。指の腹でこすっても汚れは取れますが、テープクリーナーで掃除すると良いでしょう。読み違いなどに気づいた場合でも、テープを止めて戻したりしないで、そのまま読み返して録音します。PCに取り込んでから、音声編集ソフトで読み違いの部分をカットできます。音声編集ソフトは、無料でダウンロードできるもの、オーディオインターフェースに付いているもの、単品で買う物等あります。高価なものではありません。皆さん、自分で読んだ聖書をオーディオプレーヤーに入れて、持ち歩きましょう!
2009年04月23日
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ボクの教会で、ガンバッテ聖書の朗読録音しました。数年前のこと。カセットテープをしこしことPCに取り込みました。必要な方におわけしますと、以前ご案内したことがあるのですが、もう忘れていたのです。今週の始め、電話がありました。見知らぬ老牧師からでした。聖書を読むのがつらくなったから、音声で聴いて恵まれたい、と。すぐに送って差し上げました。新約聖書は、MP3ファイルにしてCD3枚に入ります。先ほど、お電話がありました。「PCで聴いた、とてもすばらしい」と。感謝しておられました。ボクも大感激。
2009年04月17日
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夜と共に死に朝と共に生まれかわります。昨日までの自分でなくてよいように。今朝は新しい自分。キリストにあって。彼がよみがえられたように、あなたも死んでよみがえりました。後を振り返ってごらん。朱き十字架があなたの視界を遮っています。ここから向こうはもうありません。
2009年04月14日
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イースターおめでとうございます。死にうち勝つ力を持たれる神様の祝福が皆さんと共に!イースター礼拝のメッセージをアップロードしました。マルコによる福音書からです。興味のある方は、どうぞお聴き下さい。 ↓ http://mnc.holy.jp/service.html
2009年04月12日
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キリスト教の暦では、最も厳かな期(とき)を過ごしています。「受難週」です。「聖週間」とも呼ぶようです。グレゴリア聖歌にも「聖週間のための音楽」等があります。日曜日に、イエス様はエルサレの町に入られます。月曜日は、神様の裁きの時が近いのに、祈りを忘れ神殿で 商売をしている人たちを怒られます。(宮きよめ)火曜日。論争をし、たとえ話を話され、終末の預言をされます。水曜日は、ベタニヤで、マリアから油を注がれます(葬りの準備) ユダの裏切があり日です。木曜日 弟子たちと最後の過越の食事(最後の晩餐) 食事の後、弟子たちの足を洗われます。 ゲツセマネでお祈りをなさり、ご自分に課せられた使命を 最終的に受容されます。 捕縛され、ユダヤ人たちから審問を受けられます。聖なる金曜日 ローマの側の審問を受け、死刑の判決。 ゴルゴダの岡で十字架をお受けになります。 そして埋葬。土曜日 墓の中日曜日 主は墓から出てこられます。「復活」です。
2009年04月08日
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昨晩は入浴後はすぐに寝るのが良いのにまたパソコンに向かって体を冷やしてしまった。大切な日曜日の前なのに、大きな失策だった。そのためだろう、今日は調子が悪く、礼拝や定期総会などの大切なプログラムに支障を来してしまった。年度始めからこのていたらく、まったく何のために齢を重ねてきたのか?神様どうぞお赦し下さい。
2009年04月05日
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障害者と呼ばないでください。障害者なんてこの世にいません。あたりまえの一人の人がいるだけです。健常者と呼ばないでください。何が健常なのでしょう?健常者もこの世に存在しません。男らしいとか女らしいとかそんな言葉もごめんこうむります。一人の人がその人らしく生きているのです。
2009年04月04日
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3月15日の礼拝のメッセージのアップロードルカによる福音書23章32~49節「今日わたしと一緒に楽園に」(30分弱)興味のある方は、どうぞお聴き下さい。 ↓ http://mnc.holy.jp/service.html
2009年03月15日
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イエス・キリストというたった一人のかたで世界の悲惨を救おうとする。死と生の極みに立っていたパスカルの言葉。「イエス・キリストなしに、世界は存在しないであろう。 その場合、世界は崩壊するか、地獄のようになるか、 どちらになるほかはないからである。」 (パンセ556より~中公文庫版)
2009年03月14日
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「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 マタイによる福音書6章34節人は明日のことを心配しなさいと言う。キリスト様は明日のことを心配するなと言う。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月19日
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「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。」コリントの信徒への手紙1 15章42~43節-----------信徒の復活についてのパウロの言葉。どうして今、朽ちるものか?どうして今、いやしい者?どうして今、弱い者か?わかった。復活の喜びの日を待つために。だからあきらめずに最後まで生きようぜ。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月14日
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今朝は「山上の垂訓」から読んだ。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイによる福音書5章13~16ボクたちが、塩の味気がなくなったり、輝きを失ったら、もうこの世では何の意味もないデクノボウ・クリスチャンになるんだ。キリスト様のご苦難を、安っぽい恵みにしないために、ボクたちはあくまでも、この世を味付け、暗い場所を明るくすることを目指し続けなければならないんだ。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2009年02月10日
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「神父のセクハラ犯罪」今朝の新聞に載った。それでネットで調べた。自分は絶対にそうならないとは言えないもの。他人のことではないと思った。『理由については「母子は本当に大変な家庭で、あまりにふびんだったから」と話している。』ますますあり得そうに感じる。魂が霊的に弛緩すると、きっとそうなる。間違いなくそうなる。いつも主を見上げて、清らかな愛を主からいただき、主から頂いた使命に燃え続けていなければ、ボクだってきっとそんなふうに転落していくのだ。一番悲しむのは妻と子。伝道しようとしてお祈りしている親族は、「なぁんだ」教会の交わりを破壊し、信頼して祈っていて下さっている信徒さんを裏切り、教団の恩師を裏切り、後任者として遣わされる後輩に肩身の狭い思いをさせる。セクハラ初めはわずかな思いつきが大きく膨らんでいき、神様と人と、社会への重大な背信となる。セクハラは、ダメ。心の窓に書いておく。セクハラは、ダメ。
2009年02月06日
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東京新年聖会から今帰ってきました。ほやほやです。ボクが神学生の頃、「淀橋新年聖会」と呼んでいました。あの頃から35年ほどもたつ、伝統のある新年聖会です。聖会1は峯野龍弘牧師のメッセージでした。大ボスらしく、心のど真ん中から切り崩されて行きます。聖会2は、湯澤鈴世牧師主婦牧師らしい優しくシンプルな語り口。聖会3は、菅原登志子牧師むずかしい「ヨハネの手紙1」をテキストとして、キリスト様に従うとはどんなことか、絵のように知らせて下さいました。集会の様子をMP3プレーヤーに録音して聞きながら帰り、集いの余韻をまた味わいましたが、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めたら、電車はボクの町の近くまで来ていました。
2009年01月12日
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あさって月曜日(祝)は「東京新年聖会」が淀橋教会で開かれます。聖会1 朝10時聖会2 3時聖会3 夕6時と3回行われます。全教会の承認が必要なことがあり、合間に教団の臨時総会が開かれます。ですから今回は全国から集まり少し規模の大きな聖会となるでしょう。
2009年01月10日
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「悔い改め」とは自己崩壊の一形態。一部を崩してスタートする。全面的に崩して、主の物となる。その時、新しい自分に気づく。自分を隠していた色々なヴェールが剥がれ落ち、神様に造られたままの自分が現れる。それが自己崩壊の真実!「罪」は、それまで分かちがたく自分につきまとっていた。そうだ、お別れしてもいいんだ!大丈夫なんだ。
2009年01月06日
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信仰と心は離すことができないように一つになっている。だれかが、心から信仰を剥がそうとするなら、心もくっついて剥がれてしまうだろう。
2008年12月28日
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夜は死朝は復活昨夜までの心の痛み苦しみ悲しみ嘆き怒り恨み昨日は早めに死んだらクリヤーな朝が来た
2008年12月16日
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突然に霧が舞い降りてくるように心配事が心を占領し始める時があります。そんなとき「オー神様、真実なあなたにこの心配事をお委ねします」と心の中で主を見上げ心配事を1秒も心にとどめないようにします。
2008年12月01日
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