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学生にやさしくされて心の中で泣きながら帰ってくる日々
2022年12月07日
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年賀状っていいな一年に一回のお便りを読んで胸が一杯になるお元気で居られたのだボクは賀状は出さないけれどくださった方にはお返事を書きます感謝を込めて
2022年01月01日
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昨日は40年来の友人の教会に招かれお話した。車で約一時間の道のり。去年は一人だったが、今年は妻も同行。前日の冷たい雨も上がり、外出日和で感謝。途中、広々した公園があり、いつもそこに寄る。(ここに寄るのが毎年の楽しみ)集会をfacebookで広告していたのでお客さんが集まるかと思っていたが韓国人の牧師様が、ただ一人お見えになっただけ。88歳現役と伺いボクも妻もビックリ!穏やかで謙虚な、すてきな老牧師だった。あんなふうに歳をとるなら、長生きも良いな!またお会いしたいな。
2021年11月24日
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親族クリスマス会を開催しました。わが家には10人は入らないので、自治会館を借ります。さびしいわが家庭集会もこの日ばかりは賑わう。祈りながらクリスマスのメッセージを語りました。毎年同じ顔ぶれ。楽しみに来てくださるようです。
2019年12月19日
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明日の礼拝は、安藤 脩牧師が、ボクたちの家庭集会に来て、メッセージのご用をしてくださる。ボクたちは、東京聖書学校の同窓。ボクと妻が日本キリスト教団の教職を辞任して以来、安藤先生とは別々の道を歩むこととなった。安藤先生は、日本キリスト教団の教職として、無事に任期を満了された。直近にご奉仕なさった教会は、「横浜岡村教会」だ。まったく行き来がなかったわけではない。横浜の教会の機関誌「岡村の泉」を毎回、丁寧なお手紙を添えて、送ってくださっていたから。またかつて箱根で「日本ケズイック」が行われていた頃は、そこでお会いしていた。安藤先生が隠退されて、なんと茨城の筑波方面に居を据えられたのだ。ご用をお願いしたら、2つ返事でご快諾くださった。うれしいなぁ。「神のなさることは、時にかなって美しい。」(伝道の書)とは、このことだ。
2019年01月19日
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待降節に入る日曜日は、友だち夫妻がお手伝いに来てくださいました。ボクたちは、40年にわたる長いお付き合いです。ボクが静岡にいる頃は、毎年2回、彼が結婚してからは毎年1回お手伝いに来てくださいました。ボクも千葉の彼の教会を訪ねました。年輪を重ねた彼の聖書のメッセージも、シンプルになったな、と喜びました。
2018年12月03日
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今日から3日間ボクの属する群の教職の集まりがあります。参加者一覧表が事前に送られてきました。あの人の名前がない。あの人も。ボクも休めば、こうして心配されるのだ。やはり顔を見せなければ。
2018年11月13日
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「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」コリントの信徒への手紙13章13節天のエデンの園が実現すると、そこには愛だけがあふれている。神と人が愛で結ばれる。信仰はもういらない。希望もいらない。瑞々しい、永遠の今がそこにある。そこには愛があるだけ。たったそれだけ。
2018年10月31日
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今日読んだ聖書は、「テモテの手紙1」「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。」1章12節最近この聖句をよく思い出す。何度読んでも、励ましと慰めを与えられる聖句だ。約50年前、献身のため聖書学校に入学するときに、恩師が書いてくださった聖句だ。ボクをよく見ていてくださっていたのだ。こんな的確な聖句はほかに見当たらないくらいだ。
2018年07月18日
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今日はヨハネの第一の手紙を読んだ。クリスチャンなら愛し合うべきと繰り返されている。愛の実を結ぶために、信仰がある。愛し合うことの実現のために、神との交わりがある。愛し合うことの実現のために、悔い改めがある。愛し合うことの実現のために、キリストの血潮がある。愛し合うことの実現のために、サタンとの戦いがある。愛し合うことの実現のために、神がボクたちを愛してくださった。愛し合うことの実現のために、祈りがある。以上がこの手紙のテーマだとわかった!「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」ヨハネの手紙1 4章7,8
2018年03月07日
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新しい教会暦のはじめの日ボクたちの小さな家庭集会は早くも祝祭モード先週から息子が一時帰宅して、こちらで数日間の頼まれ仕事礼拝の後の食事の準備に奔走してくれた。今日は、友人夫妻が応援に駆けつけて、メッセージのご用。キーボード持参で夫人が賛美をリードいつものギターとのコラボで快い賛美の時7人も集まると、華やぐなぁ~みんなで頂く昼食も豪華アドヴェントって、こんなきらびやかで良かったかしら。「主の日」だから、良いのだね!寿司ご飯を作り、どんぶりに盛り、その上に刺身をたっぷりと載せる。
2017年12月03日
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ささやかなご奉仕をしている神学院の「学生クリスマス」に行きました。これ以上シンプルなものは無いと言える「クリスマス礼拝」よかった。実力です。礼拝の後は会食。これはシンプルではなかった。だれが何人来るかわからない中、食事の準備は大変だったでしょう。色々な人からの差し入れがあった模様。ここで学生が寸劇をした。全然じょうずではなかったが、ただ清らかだったよ。よかったよ。満たされたよ。
2016年12月13日
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高校3年の時、洗礼を授けてくださり献身に導いてくださった恩師ご夫妻を偲ぶ会が持たれた。当時の青年会で一緒だった人とも、40数年ぶりに再会ほかにも懐かしい人たちばかり象先生も駆けつけてくださった。若さとは言え未熟だった時代支えられ支えられ支えられ助けられ助けられ助けられ祈られ祈られ祈られ今になってようやく知る人間の鈍感(あれ自分だけかな)後ろを振り返ることが許された今日という日に感謝してさあ、前を向こうあそこ、天のところ、あそこまでまっすぐに行くぞ
2016年11月23日
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面白い友人どこで知り合ったのか良く覚えていない向こうもそう言っていたいつの間にか友人になる彼はずっと千葉で1年にいっかい必ず静岡にいたボクの所に応援に来る遊びに来る?交わりが始まったのは彼が大学生の頃だったというやがて彼は結婚したがそれからは奥さんと2人で来るようになった素朴な彼だが、奥さんも輪をかけて素朴神様の配剤だな~ボクは居を千葉に移すと1年にいっかいずつ説教のために行き来するようになった今日はボクが行き来月は彼が来る今日ボクは説教者なのだけれど時間に遅れた時間の計算が甘かった弟の運転で、妻とそして駅に寄り母を迎える4人で行ったがなんと! 彼の所に着くと彼の町の牧師さん夫婦が応援に来られていた遅れたことを謝るとあとで奥さんが来てワタシもいつも遅れるのでやまひでさんたちが遅れてきたのでほっとしましたというそんな慰め方があるなんてすごい、と感心来月、彼らがウチに来る番!楽しみだな~
2016年11月03日
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朝から土砂降りでしたが、ハイキングではないからいいか、と、今日は恵葉聖会に参加。息子が新鎌ヶ谷駅まで、ボクたち夫婦を送ってくれました。88歳の母とは現地で落ち合うことに。駅に着くと、改札口の向こう側に、懐かしい人たちが出迎えて下さいました。聖会の会場教会までピストン送迎です。たくさんの人たちが来て、みんな神様の御言葉を聞くことに熱心です。午前の聖会を終えて振り返っても、母の姿はなかったので、この雨だからあきらめたのだろうと。昼食を終えた頃、「お母さんが見えました」と呼びに来られました。会場がわからず雨の中をさまよっていたとのこと。親切な人がここまで車で送ってくれたと。無事でよかった!雨の中、道に迷い、さぞ心細かっただろう、さぞ消耗しただろうと思いましたが、母は疲れも見せず、にこにこしています。恵まれた聖会が終わると「私の家は柏市です。帰り道ですから、お送りしましょう」親切な信徒さんが声をかけて下さり、我が家の近くまで私たち夫婦を送って下さり、母をも最後まで送り届けて下さるそうです。親切の大洪水の中、感謝に心満たされた日。
2016年09月22日
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明日、九州の牧師方が、品物を持って熊本を訪れると今、伺った。働きから退いて、家族と共に静かに暮らししている一人の女性教師を助けるため。幾ら地面が揺れたって、山が崩れ、橋が落ちても、信仰も愛も揺るがない。天に昇ってきなさいと、御声を聞くことさえ、変わらない喜びであるはず。それだけ、生き残った者へ託されている責任は重いのだ。
2016年04月19日
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土曜日の夕方、ふと郵便受けを見ると隣町の教会のちらしが入っていた。なんと、戸部豊トランペットコンサートだって。それも、明くる日の日曜日の午後この辺り、軒並みに入れてくださったのかな?戸部豊先生~友だちと言うほどでもないがまったく面識なしでもない。ああ、行きたい、と思ったが、今のボクには隣町の教会を応援する余裕はない。神様のご用のために南船北馬日夜励んでおられる戸部先生ご夫妻の姿を思い浮かべる。おお主よボクにも伝道の力をください。
2016年04月04日
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昨日、礼拝の後ひと休みして夕方、横浜に出かけた。二俣川キリスト教会でもたれている「Tomoe展」を見るために。ボクたちの友人の娘さんTomoeさんの原画展である。妻はどうしても一緒に行くという。Tomoeさんに会いたい、Tomoeさんの絵を見たいと。こちらに来て、妻が電車に乗るのは5月の息子の墓参りに続き、2度目。印刷された絵はがきが、どんなにきれいでも、それは「缶詰」に過ぎないと思った。その原画からは作者の息づかいが伝わってきた。彼女の個展への「招きの言葉」の中の「絵を描くことは語ること」と言う一言にボクの心は感じ入った。
2015年06月15日
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お泊まりの山中湖畔の修道院は白く染まった。賛美と祈りに励む。修道女さんたちの穏やかな笑顔。ボクたちの笑顔はどう映ったかな?
2015年04月09日
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子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよ子どもの言うことを聴くんだよああ子どもの言うことを・・・・・
2015年03月06日
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開校以来の学長の居ない卒業式。悲しみがいっぱい。晴れの卒業式。神様のぶどう園に一人の働き手を遣わす。喜びがいっぱい。学長は8日前に天にのぼった。みんなの心がいっそう一つとなる。
2015年03月03日
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「フィレモンへの手紙」からオネシモの話をしようとすると涙腺がとたんに緩んで話せなくなる。オネシモは、逃げ出した奴隷だった。獄中のパウロと出会い、導きを受けてキリスト様を心に受け入れ信徒と生まれかわった。オネシモの事情を懇切に書き記したこの小さな手紙と「コロサイの信徒への手紙」の2通の手紙を携えてオネシモはかつての主人の元に帰っていく。いいや、遣わされていくと言うべきか。ここまでは普通に話せるのだけれどコロサイの信徒たちの前でパウロから預かった2通の手紙をおずおずと、恥ずかしそうにフィレモンに差し出すオネシモああもうその場面を思うたび、泣かずにはいられない。
2015年02月19日
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今朝妻との家庭礼拝で読んだ聖書は、ヨハネの第2の手紙。「短いけれど、良い手紙ね。」妻は感想を述べる。その内容は、真理による愛で互いに愛し合うこと。ほんとうにボクたちの教会時代は、この聖句のようだった。そして今の西佐津間家庭集会も、肉親愛のその上に真理による愛が輝いていると信じる。ヨハネの第二の手紙 長老のわたしから、真実に愛している選ばれた婦人とその子たちへ。あなたがたを愛しているのは、わたしだけではなく、真理を知っている者はみなそうである。それは、わたしたちのうちにあり、また永遠に共にあるべき真理によるのである。父なる神および父の御子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安とが、真理と愛のうちにあって、わたしたちと共にあるように。 あなたの子供たちのうちで、わたしたちが父から受けた戒めどおりに、真理のうちを歩いている者があるのを見て、わたしは非常に喜んでいる。婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。(中略)あなたがたに書きおくることはたくさんあるが、紙と墨とで書くことはすまい。むしろ、あなたがたのところに行き、直接はなし合って、共に喜びに満ちあふれたいものである。選ばれたあなたの姉妹の子供たちが、あなたによろしく。
2015年01月20日
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日曜日病妻が側にいて両親を介護する思いを胸に側にいる息子がいて80も半ばを過ぎる母が来て母をエスコートするわが弟が来てボクと合計5人テーブルを囲み礼拝を守っている。たったこれだけただこれだけの情景に平安を知り幸せをかみしめる。ほかのものは何もいらないくらい。寺子屋の先生のようにボクは礼拝説教をする。
2015年01月11日
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家畜小屋から聞こえるうぶごえ。驚いて家畜も啼く。なだめる母マリアの声。父ヨセフはだれかを呼びに走る。大変でしたね。羊飼いたちがやってくる。こんな赤ちゃんの頃から貧しい人々との関わり。キリスト様、たたあなたにのみ栄光が輝きますように。夕食後妻が、「歌いましょう」息子のギター伴奏で、3人でキャロルを歌い出すとシンガポールの娘から、スカイプ電話での呼び出し。電話をつなぎ、娘家族と一緒に歌う。あの夜の家畜小屋の安らぎと同じだと思った。
2014年12月25日
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馬小屋にお生まれになった幼な子イエス・キリストを心に想う。それはどんな夜だったかしら?プロテスタント教会のイブの礼拝は終わったかしら?カトリック教会は終夜にミサが続くのかしら?キャロリングは繰り出すかしら?世界中のサンタクロースは準備を整えたかしら?サンタのお手伝いをする親たちが昼間は忙しく動き回ったことだろう!幸せな親たちに平和。父を失ったあの子の元にもサンタは訪れるかしら?飼葉桶に寝かされたおさなごイエスを見つめる聖家族の平安。全世界の子供たちに平和。
2014年12月24日
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徳島ではお年寄りと2人で、山寺に向かっていた僧侶が雪のため、乗っていた車が脱輪し、歩いて向かったようだが寺の手前で、2人が倒れているという。意識はないという。お年寄りは80歳代きっとお寺の檀家なのだろう。僧侶にとっては檀家は命だ。年取った檀家さんが動けなくなったとき若い僧侶は彼のそばを動かず一緒に助けを待ったに違いない。助けの手は、地上ならず天の彼方から伸ばされ倒れている2人を包み2人の体は確かに冷えきったが心は温かかったに違いない。
2014年12月06日
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言葉で怒っていなくても顔で怒っていれば、だめ顔で怒っていなくても目で怒っていれば、だめ言葉も顔も目もみんなやさしくないと、だめ
2014年10月29日
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何と穏やかな一日だっただろう。ボクの弟は防災訓練とかでお休み。バス、電車を乗り継ぎ、86歳の母が一人で来るので駅までお迎え。いつもは弟のギター奏楽だが今日は息子の出番。ギターが違えば音色も違う。弾き方も違って個性の違いがわかる。4人での礼拝を楽しく守る。ボクの聖書のメッセージにも熱が入った。夕方近く、シンガポールの娘からスカイプの呼び出し。穏やかで明るい晩秋の始まりにふさわしかった。
2014年10月19日
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今日は電車の中で聖書を読んだ。それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」「いいえ、何もありませんでした」ルカ22章35節(新共同訳聖書)今までの歩みを振り返らされた。ほんとうにそうだ、と思った。教会にお仕えした30数年の間不足したものはなかった。わずかな信徒さんの集う小さな教会からスタートして、辞するときも、相変わらずで、数字だけをお話しすれば、がっかりされるかも知れない。しかし信徒さんたちとの交わりはそれはそれは豊かなものだった。心の中に隠されているものは目に見たり、出して見せることはできなくてもいつまでもキラキラ光り続ける。それを天の御国へ持って行く。
2014年09月25日
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「人の子は安息日の主である。」こう言い、イエスは安息日の教義を乗り越えておられる。「アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。彼らの子孫は十代までも、いつまでも主の会衆に加わってはならない。」申命記の中にある律法だが、モアブ人のルツはその信仰のゆえに、上の律法に反して主の会衆に迎えられている。人間中心と言うべきだ。人への思いは、教義を乗りこえることがある。キリスト教徒として生きてきて間違いではなかった。
2014年09月05日
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支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 支えられ 今日まで来た 皆さんありがとう 神様ありがとう
2014年08月23日
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日曜日暑さのためか、気力がなくなり、8時頃寝てしまった。突然ともだちから携帯に電話。教団事務所から電話しているという。夏期伝道引率のために前日から来ているのかも?それにしても、ボクとの違いを見せつけられる。教団愛も、彼の方が数段勝ると思った。ああ彼のためにその健康と働きのために切に祈る。
2014年07月28日
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卒業以来初めての参加。ということは約45年ぶりです。今まで、日曜日と言うことで行けなかったし、遠方のために参加が難しかったのです。今回は「元文芸部」が懇親会に集まると言うことで部活の皆さんに会いたくて参加を決めました。初めはわかりませんでしたが顔を合わせているうちに昔の面影が戻ってきました。ああ懐かし。その波瀾万丈の時代。精神的に最も危険だった時代にお世話になった友、先生がたのお顔は見えなかったけれど、走馬燈のように心のスクリーンに現れてきます。「歳を取ったねぇ」「昔と変わってないよ」えっ?きっとどっちも本当でしょう。だってみんなも昔のママだよ。ちょっとしわが増えただけ。
2014年06月22日
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年次総会に出る朝「ワタシもみんなと会いたい」と妻が涙ぐむのでボクの心は閃き「じゃぁ、中の日においでよ!」妻は考え込み決意し息子にエスコートされてやってきた中の日に友だちも思いがけなく妻を見つけては声をかけて喜んでくださる妻は泣き恩師がたにも挨拶ができたお昼の食事を共にしまた息子にエスコートされて帰って行った
2014年03月21日
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妻は8時過ぎには寝る支度のために2階に行く。PCの前に座っているボクの横を通り挨拶する。「今日はクリスマス・イブなのよ」とボクの前に来て、「羊は眠れり」を一人で歌い出す。そうボクはこの讃美歌が大好きだった。教会にお勤めしている頃のクリスマス、毎年のように歌っていた。ボクも一緒に歌う。懐かしさに泣けてくるのを隠して、笑う。
2013年12月24日
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ネーちゃんのために、ってきょうだいの助け合いの精神は健在だった。普段は隠れていてもいざとなったら露出してきて惜しむこと無く力を出してくれる。近所の友人も、丸一日も来てくださってこまやかに力を貸してくださった。なんだか3年前のボクたちの引越とそっくりだった。
2013年07月13日
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明け方、見た夢は後輩のM牧師がボクのそばで電話をしている夢。彼が電話の相手に「性同一性障害」の苦しみ、たたかい生きづらさがどんなであるかを切々と語っているのです。ボクの知らなかったことばかり・・・ボクは感動して、感謝の念があふれました。
2013年04月16日
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食材を揃えるために、いつものスーパーへの道を走らせていると集会案内のポスターが貼ってある家の側を通った。「あのウチ、クリスチャンだぞ!」妻喜ぶ。帰りに車を停めてポスターとその家をまじまじと眺める。イースター礼拝の案内で「日本キリスト教団鎌ヶ谷教会」と書いてある。「クリスチャンがここに住んでいる。ああうれしい!」と妻。
2013年03月30日
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あしたの日曜日ボクは友人の教会を訪ねる。30年以上のお付き合い~箱根ケズイック聖会で同室になってから彼は一年に2回、ボクがお勤めしていた教会に来てくださるようになった。千葉からはるばる静岡に。彼が来ると夕礼拝のお説教をお願いしたが、いつもより集まる人が多かった。神様は彼に一人の女性を添わせてくださった。彼の訪問は一年に一度となった。奥さんが車を運転してきた。ボクが千葉に転居すると今度はボクが1年に一度伺うようになった。明日はその日なのである。お話の準備はもうできた。
2013年01月19日
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クリスチャンで鬱病と付き合っている人は多いと思われる。ボクも鬱になることがある。(病院に行かなくても立ち直るから、軽いのだろうと思われる)クリスチャンで、鬱になるのは不信仰だからと思うと鬱から立ち直るのが遅れる。最近は、鬱は「心の風邪」と言われることがある。クリスチャンだからといって、風邪を引くことはないことはないだろう。同じように、クリスチャンだからといって、鬱にならないことはないという。ものすごく落ち込んでいるボクを見かねて精神科クリニックの受付にいた母がこれを飲むと楽になるよ、と薬を持ってこられたことがある。でも基本的に何であっても薬は飲まない性分なので飲まなかった。あの薬はどこへやったかな?薬を飲んだことがないので、薬を飲むのが怖いのだ。クリスチャンはまじめな人が多いので、鬱になると信仰はどこへいったのかと自分を蔑み、自分を追い込んでしまう。聖書を読まなくては、祈りもしなくてはクリスチャンとしての自分のふがいなさを悲しみ、焦りを感じる。いやいや生きる活力とか気力が低下していく病気だよ。そんなふうに自分を追い込まないでいいんだよ。信仰もあなたの一部であり、生きものなんだよ。礼拝や祈とう会を休んでもかまわない。ゆっくり休むんだよ。とにかくやすむんだよ。休むことに決めた!
2012年11月18日
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娘と家族が礼拝出席力強さが増してくる孫2人を見る幸せ妻が賛美を歌いながらウルウルしているのでこちらに伝染
2012年09月02日
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「今日は家にいますか?」と午前中電話があり「いますよ」と答えると、午後からお訪ね下さいました。ボクと妻の共通の友人、東京聖書学校の先輩。といってもボクは毎週のように事務所で会う間柄です。加齢のこと、病のこと、牧師職と、職を退くこと家族のこと、ペットを飼うこと楽しい会話を交わし「もう一軒、回る所がある」そう言って帰って行かれました。静かな雰囲気の中にも、現役牧師の香り。ちょっぴりうらやましくなりました。
2012年08月30日
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加齢のせいか、たくさんの忘れものをする。「忘れたわ」「いいよ、取ってきてあげる」「忘れ物をしたから、待ってて」肝心なものを買って来なかったとか。でもぜったいに忘れてはならないもの。忘れていて、笑って済ませないもの。愛を忘れるな
2012年08月20日
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ボクには母教会が2つあります。若き信徒時代に2つの教会を行き来していたからです。つまり一人の牧師が2つの教会を牧していました。2つの教会は兄弟教会のようになりました。家庭集会を終えた午後その一つの母教会を訪ねました。離れて40年経っているのにそれが数日のように思えるから教会って不思議クリスチャンって不思議
2012年06月03日
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息ある者はこぞって 主を賛美せよ。詩編150一日中、神様を賛美していられたらどんなに良いでしょう。神様の御国とはそういう所でしょうか?ボクの歌っている顔がこわいらしく「もっとうれしそうな顔をして歌ったら?」と妻に言われたことがあります。そばで一緒に歌っている妻ににがにがしい思いを持っていたので顔に表れてしまったのです。あぁ、顔ってなんと正直なのでしょう!人をゆるせない心があっては、賛美は賛美になりません。
2012年05月11日
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この地で初めての復活祭を迎えた。ちょうど桜の満開と重なる。わが家3人+母とわが弟5人で守った幸せなイースターの礼拝。思いきり「ハレルヤ」の声を響かす。礼拝の後はちらし寿司の元で作ったちらしを寿司を食べる。スリランカ旅行から帰った弟のお土産、おいしい紅茶をいただく。写真を見る。それから「お花見に行こうよ!」5人で歩いて六実の桜通に繰り出す。犬も一緒。風もなく快晴で花見日和。たくさんの人が出ていた。
2012年04月08日
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大日向繁牧師は若き日に新約聖書を読み始めたが自分にはなじめないと思い途中でやめてしまった。しかし世をはかなみ奥さんと一緒に死出の旅に出た。十和田湖で身投げをしようと夜中に係留されていたボートの綱を解いていたら警官に見とがめられた。次に伊豆大島の三原山の火口に飛び込もうとはるばる大島に渡り、奥さんと三原山に登った。火口を見下ろせる所に来て噴火は収まりそこでも死ねないことがわかった。そこで死ぬことはもうやめて生きることにした。もう一度聖書を手にした。読み進んでいくと、キリストが十字架に付けられた場面に至った。「父よ、彼らをおゆるしください。 何をしているのかわからないのです」キリストは十字架の上でこう祈ったと書いてある。だれのために祈っているのか、と思った。 父よ、彼らを・・・・おゆるしください。 わたしを拒んだ人々を わたしではなくバラバをゆるすように求めた人々を わたしの頭にいばらの冠をかぶせた兵士を 十字架の杭にわたしの手足を釘づけた兵士をわたしはわかった。このかたは神だ。神以外にそのように祈れるかたはいない。と、そこから大日向繁はクリスチャンになることにした。
2012年04月06日
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「受容する」受難節にボクの心は揺さぶられ与えられた使命は「受容」だと行きついた「耐える」こんな言葉は消え去って欲しい「喜ぶ」ことが良い「喜び、喜べ、天において・・・・」とイエス様もおっしゃる人との係わりで生まれる喜びには、時に惑わされる天を仰いで喜ぶことが喜びなんだ
2012年03月30日
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キリストの弟子は12人。その中の一人が彼を裏切ったイスカリオテのユダ。たった12人の弟子しか作らなかった。その中の一人が裏切った。小さな弟子の群の会計係だったらしい。信頼されていたはずだ。だれよりも主を愛していたはずだ。激しく深い愛が変わると激しく暗い憎しみに変わることがある。ユダの失望は大きかった。彼が考えていたメシア像とは違っていたのだろう。「俺が好きなのは、りりしく格好良く清々しいメシア」でも実際は見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。 (イザヤ書53章より)十字架を前にしてますます主が小さく見えるようになる。「なぁんだ、こいつがメシアかぁ」木曜日の晩の夕食の際だってあいつは奴隷のように俺たちの足を洗おうとしたのだ。そしてお前たちもこうしなさい、だと、ちぇっ俺の足も洗いやがったやさしい目で、俺をまっすぐに見やがったへっ何も知らずに。ユダは銀貨30枚で主を売り渡した。彼は敵の先頭に立ってゲッセマネの園で祈り終えて出てきたキリストを迎えた。少しは緊張したぜ。脂汗が出てきやがる。「先生」といって、キスをしてやったさ。それが捕らえる合図だったのさ。やつは「友よ」と俺を呼びやがった。この場に及んで、「友よ」だと?馬鹿かね、キリストは。友でね~よ、敵さ、裏切り者さ。キリストはかくして捕らえられ、引かれていった。十字架の刑が彼を待っている。ユダの手には銀貨30枚が握られていた。ユダは掌の中の銀貨を見つめた。いつまでも見つめていた。銀貨はだんだんと光を失ってきた。やがて黒々とした錆びた鉄の塊のように見えてきた。思わずユダは身震いした。そうだ、返してこよう、この銀貨は。ユダ、銀貨のことは忘れなさい。敵の懐に飛び込んではいけない。彼の元に、主のもとに、行きなさい。帰りなさい。今すぐ。まだ間に合う。主に向かって叫びなさい。赦しを求めなさい。主は今でも待っていると思う。あなたを。
2012年03月29日
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