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少し過去のこととなったが、5月29日の日曜礼拝の<み言訓読>からフッと感じた世界があったので書き留める。現時点では、あくまでも私的見解であることも申し添えておく。
天暦4月23日(陽暦5月29日)日曜礼拝 <<み言訓読>>
原理講論(P.421~)
第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理
第三節 イエスを中心とする復帰摂理
(三)第三次世界的カナン復帰路程1. 霊的な信仰基台
ユダヤ民族がイエスに逆らうことにより、第二次世界的カナン復帰路程は失敗に終わったので、イエスが洗礼ヨハネの立場で四十日の断食をもって立てられた「信仰基台」は、サタンに引き渡さなければならなくなってしまったのである。それゆえに、 イエスが十字架によってその肉身をサタンに引き渡したのち、霊的洗礼ヨハネの使命者としての立場から、四十日復活期間をもってサタン分立の霊的基台を立てることにより、第三次世界的カナン復帰の霊的路程のための、霊的な「信仰基台」を復帰されたのである。 イエスが十字架で亡くなられたのち、四十日の復活期間を立てられるようになった理由はここにあったということを知る人は、今日に至るまで一人もいなかったのである。それではイエスは、霊的な「信仰基台」を、どのようにして立てられたのであろうか。
イエスがメシヤとして現れるときまで、神はユダヤの選民たちと共におられた。 しかし彼らが、 メシヤとして現れたイエスに逆らいはじめた瞬間から、神は彼ら選民たちを、サタンに引き渡さざるを得なくなったのである。 それゆえ、神はイスラエルの民から排斥されたひとり子イエスと共に、選民を捨て、それから顔を背けざるを得なかったのである。 しかし、神がメシヤを送られたその目的は、選民をはじめとして全人類を救おうというところにあったので、神は、イエスをサタンに引き渡してでも、全人類を救おうとされたのである。また、サタンは、自分の側に立つようになった選民をはじめとする全人類を、たとえ、みな神に引き渡すようになったとしても、メシヤであるイエスだけは殺そうとしたのである。 その理由は、神の四〇〇〇年復帰摂理の第一目的が、メシヤ一人を立てようとするところにあったので、サタンはそのメシヤを殺すことによって、神の全摂理の目的を破綻に導くことができると考えたからである。 こうなると、神は、イエスに反対してサタンの側に行ってしまった、ユダヤ民族をはじめとする全人類を救うためには、その蕩減条件としてイエスをサタンに引き渡さざるを得なかったのである。
サタンは、自己の最大の実権を行使して、イエスを十字架で殺害することによって、彼が四〇〇〇年の歴史路程を通じて、その目的としてきたところのものを、達成したことになったのである。 このように、イエスをサタンに引き渡された神は、その代償として、イスラエルをはじめとする全人類を救うことができる条件を立て得るようになられた。それでは 神は、どのようなやり方で罪悪人間たちを救うことができたのであろうか。サタンが、既にその最大の実権を行使してイエスを殺害したので、蕩減復帰の原則により、神にも最大の実権を行使し得る条件が成立したのである。 ところで、サタンの最大の実権行使は、人間を殺すことにあるのであるが、これに対して神の最大実権行使は、あくまでも死んだ人間を、再び生かすところにある。 そこで、サタンがその最大の実権行使をもって、イエスを殺害したことに対する蕩減条件として、神もまた、その最大の実権を行使されて、死んだイエスを復活させ、すべての人類を復活したイエスに接がせ(ロマ一一・24)、彼らを重生させることによって救いを受けられるようにされたのである。
しかし、 我々が聖書を通してよく知っているように、復活されたイエスは、十字架にかけられる以前、その弟子たちと共に生活しておられたイエスと全く同じイエスではなかったのである。彼は、既に、時間と空間とを超越したところにおられたので、肉眼をもっては見ることのできない方であった。彼は、弟子たちが戸を締めきっていた部屋の中に、突然現れたかと思うと(ヨハネ二〇・19)、エマオという村へ行く二人の弟子の前に突然現れて、長い間同行された。しかし彼らは、近づいてこられたイエスと一緒に歩きながらも、彼がだれであるかを知らなかったのであり(ルカ二四・15、16)、このように現れたイエスはまた、忽然としてどこかに去ってしまわれたのである。イエスは、すべての人類を救われるために、その肉身を供え物として十字架に引き渡されたのち、このように復活四十日のサタン分立期間をもって、霊的な「信仰基台」を立てられることにより、万民の罪を贖罪し得る道を開拓されたのである。
ここで、私が目を付けたのは
イエスがメシヤとして現れるときまで、神はユダヤの選民たちと共におられた。
である。三色マーカーのどれにも引っかかっていないだけに見過ごしてしまいがちな「一文」である。
さて、2000年前のイエス様がこの地上に来られるまで神様は何処におられたというのか?「神はユダヤの選民たちと共におられた」というのである。では、ユダヤ選民の中におられてジッとされていたというのか? 神の独り子・イエス様をこの地上に送られるための準備を選民とともにされておられたのだ。
アブラハム・イサク・ヤコブ (イスラエル選民)、 モーセ (イスラエル民族)、 そして、イエス様と。ところが、「 メシヤとして現れたイエスに逆らいはじめた瞬間から、神は彼ら選民たちを、サタンに引き渡さざるを得なくなったのである 」。
次に、神様はローマへ行きキリスト教(第二イスラエル選民)を立てられた。何故?
メシアを再びこの地上に送られるためにだ。
さらには、米国(ピューリタン)、そして、韓国へと選民の中の選民探してこられたというのだ。特には、教会では神父(男性)であっても、キリストの「新婦」だという。
以下は、真のお父様聖和後の真のお母様のみ言葉:
「基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会」の講演文
2012.9.17 清心ワールドセンター 真のお母様サタンが霊肉界の主権を掌握して全権で君臨する凄絶な摂理的状況の中で、真の父母の路程は出発しました。 6000年主権のサタンが悪の先祖として最も恐れることは、善の先祖である「真の父母」が出現することだったので、サタンはどれだけ激烈な反対とあらゆる発悪をして来たでしょうか? 真のお父様は、1960年本人とともに聖婚を通して「真の父母」の位相が定立されるまで、計り知れない蕩減の摂理路程を過ごして来られました。人類に真の父母はたった一度しか迎えることができず、一度の真の父母は永遠に真の父母様なのです。
1945年第二次世界大戦の終息とともに、真のお父様は公的生涯の摂理路程を出発されるようになりました。天が準備したキリスト教の2000年の精誠の基台の上に、 韓国の神霊運動を中心とするキリスト教が、 「摂理的 新婦 」 の使命を受け、天が送られた再臨のメシヤを新郎として侍り奉り、 「実体的 新婦 」 に侍る摂理を広めなければなりませんでしたが、 キリスト教はその摂理的責任を果たすことができませんでした。 真のお父様は、2000年のキリスト教の霊的基盤と、連合軍の勝利を通した実体的な摂理的基盤をすべて失った中、千辛万苦の摂理的事情の中でお一人興南の徳里特別労務者収容所という地獄の底から再び蕩減復帰の摂理路程を展開 なさり、ついにサタンの強烈な攻撃を忍耐して打ち勝ちサタン分立の勝利的基盤を立てていかれました。その基盤の上にキリスト教を代身とした 「 摂理的 新婦 」の資格で1954年に「世界 基督教 統一神霊協会」 を設立 なされ、その基盤の上に 「実体的 新婦 」として本人を迎え、歴史的な聖婚式を行うことで、ついに1960年に真の父母の路程が出発 するようになったのです。
……
1985年8月、ついに真の子女を代表して犠牲になった次男興進君の犠牲と真のお父様のダンベリー苦難の勝利的基台の上に荒野時代が終決し、「一勝日」を期して新しい摂理が出発しました。そしてサタン主管圏の中心人物であった共産主義の首脳ゴルバチョフと金日成に会って天の愛で屈服させました。その基盤の上に、 再び「摂理的 新婦 」格として1992年に「世界平和女性連合」を創設 して、本人は人類歴史上、最初であり最後である再臨のメシヤに侍る実体 新婦 の立場で、再臨主・メシヤ・救世主・真の父母を満天下に宣布 するようになりました。そのような基台の上で本人は、摂理の中心である真のお父様に侍り、「母子協助」の摂理を7年間展開して勝利圏を奉献し、初めて天一国時代が開かれるようになったのです。
また 、「韓流サッカーをエンジョイ」記事 からは、
クリスチャン2000年の歴史は、独生女を探していく摂理歴史
であった、と韓国週刊誌でも書かれるなどして発表していた。
【参考記事】
「独生女」について、まだ、混乱している方がいらっしゃるように思います。
私は、真のお母様が「独生女」とおっしゃられる意味というのは、「血統的内縁」のことである、と思います。……
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