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2017.07.22
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カテゴリ: 独生女考

私が「独生女理論」なる言葉を聞いたのは2015年4月、郭炳憲元能登教会長からだった。当時は鮮文大の教授のそれとか言っていたが、最近の「独生女論」は2017年4月のものを指してのものらしい。
批判される方々にとっては、それが何であってもお構いましということらしい。
ところが、今回のビデオ「独生女批判理論」を見る限りにおいても、お父様が御言葉集で180回「独生女」を語っておられたということだが、その一つの提示もなされないままのそれこそが批判するためだけの何物でもないことを物語っていた。
そもそも「独生女」についても聞きなれない言葉としてのみで批判が先行するばかり、それについての説明がない。ブログ「侍さん」の記事からは、「独生子」は韓国の聖書によるもので「独生女」はお父様の造語という話だ。これの意味、位置づけが欲しいものである。

私の過去記事からはお父様の語られた「独生女」を8個挙げていた。
一つは天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文(以下)から3個、





そして、「 独生女考(13)-- 「独生女」は「黒・天聖経」のほかにも!! 」(以下に抜粋)からは5個だ。

さて、今回は別の書物からの「独生女」の記述の紹介である。これも真のお父様のみ言である。
出典は『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269である。

以下はそれの拡大したもの。5個もの「独生女」を発見することが出来る。



今日、キリスト教で言うひとり子とは一体どんな意味を持っているのでしょうか。また、 ひとり娘 とはどこにいるのでしょうか。イエス様が ひとり娘 を探し出していたなら、今日の摂理歴史は新しい転換点を迎えていたでしょうが、 ひとり娘 を探せ出せなかったことが歴史的な悲劇となったのです。
 再創造の歴史の中で、 ひとり娘 はどのようにして探し出すべきでしょうか。 ひとり娘 はアダムによって再創造されなければなりません。神はアダムのあばら骨を取って配偶者をつくったという事実に留意すべきです。それは、実際にアダムのあばら骨を取ったのではなく、アダムに似せた相対者としてつくられたという意味なのです。だからみ旨にかなうように育てなければならないのです。そのために、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭、洗礼ヨハネ家庭とヨセフ家庭が必要だったのです。


真の御父母様の生涯路程 (10)  』からのお父様のみ言葉を挙げていた。

一人娘(独生女)について――真のお父様のみ言から

お母様になる人は、血統的にどのような過程を経なければならないでしょうか。お母様を選ぶにおいては、すべての条件が合わなければなりません。それは簡単ではありません。前後で合わなければならず、左右で合わなければならず、上下で合わなければなりません。お母様の顔がかわいらしいからということで立てたのではありません。条件が合わなければなりません。その第一の条件は、どのような血筋に生まれついたかということです。サタン世界から讒訴され得る血統の因縁をもって生まれたのか、そうでなければそれを乗り越えることができる血統的内縁をもって生まれたのかということが重要です。



 お母様は世界の女性たちの代表です。全人類の女性を代表して一人の女性がつながって、お母様に連結させるのです。ですから、お母様になられる背後においては、三代が連結されなければなりません。 本来は一人息子、一人娘にならなければなりません。 アダムも一人息子でしょう?イエス様もひとり子ではありませんか。再臨主も、神様のみ旨から見れば一人息子と同じです。一人息子のみ旨を立てていくからには、長女である一人娘がいなければなりません。それゆえに復帰摂理において、男性と女性が相対的な立場で一つになって連結され、この世のサタン世界を越えて天国に行かなければなりません。

 エバがアダムを通して造られたように、お母様は、全く分からないところから出てこなければなりません。親戚が多くてはいけません。三代があとについてきてはいけないのです。普通であってはいけないのです。まさしく今のお母様がそのようなお母様です。 お兄さんもいない上に父親もなく、独りです。 母子二人しかいません。

 み旨のために、幼い時も支援を受けずに独りで生きた 一人娘 七代続きの一人息子の家系だと言ったでしょう。そのような一人息子にしたのは、サタンの血統をごちゃごちゃと残さないためです。それで、このおばあさんも一人娘です。お母様も一人娘です。三代が巻き込まれていくのです。ですから、お母様は三代の受難を受けました。祖母と母親の二人が信仰に狂って歩いたので、おしめにしても満足に当ててもらい、御飯にしても満足に食べさせてもらったでしょうか。

上記はお父様がお母様の血統にまで触れていた。

このように、独生女批判理論を振りかざされるのであれば、お父様のみ言についても明示されていかれてこそ理論として認められるというものだ。

ところで、独生女批判理論をされておられる方々を見ていると、ふと、ある聖書の場面が脳裏に浮かんできた。

ヨハネによる福音書/ 08章 01節~11節

イエスはオリブ山に行かれた。 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕

イエス様が黙々と地面に書いておられたのは、そこに集った人々の罪の数々であったのではないか、という礼拝を受けたことがある。
当時、律法学者やパリサイ人たちが一人の女性の淫行でもってイエス様を試されたものであった。
今日も一人の女性(お母様)を取り囲んでその罪(?)を暴こうとされておられるのが、批判者の方々の姿だ。このイエス様のみ言葉を思い起こして欲しい。批判される方々の中で、誰がお母様に石を投げつけることが出来るというのか。「罪のない者」--その人こそが「独生子」「独生女」である。

もしもそのような人があれば、私ほかみんながその人に付き従うだろう。

また、キリスト教とは罪のないイエス様が「私」(人類)のその罪のあがないとなって十字架の道を行かれたものだ。

2008年7月19日のヘリコプター事故は、まさに、真の父母様お二方で超えていかれたゴルゴダの丘であった。ところが、イエス様のように死んでよみ返った(霊的に)のではなく、本体(実体)そのものが生きてそのゴルゴダを超えられたのだ。それを私たちは信じることができるか?!

以下、ヘリコプター事故後の真のお父様の祝祷。






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Last updated  2017.10.15 09:32:50
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