November 15, 2023
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カテゴリ: 気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

関ケ原の戦い(1600)を描いたこの回では、今までの
戦国ドラマで描かれた関ケ原とはどんな点が変わるのか、
私はその部分に注目して見ていました。

松本 潤さんが徳川家康を演じるこのドラマでは、開戦
当初は石田三成(中村七之助さん)方の西軍がやや優勢
のような感じで、でもそれが家康が仕掛けておいた調略
によって、その後はジワジワと三成にとって想定外の


逆にこれは出なかったのかと思ったのが、井伊直政
(板垣李光人さん)の娘婿殿。
直政はやがて徳川第2代将軍となる秀忠の弟(お愛の
次男)の忠吉に娘を嫁がせているし、忠吉は子役の
時代に少し登場しているので、この関ケ原でも登場
するかと思っていました。ちょっと残念。

とはいえ、別のアングルで、石田三成が捕縛された
後に家康に、天下取りのためにこの先も、きれいごと
では済まない、避けては通れない道を示した、という
のが興味深いものでした。
いろいろな人物の描き方があって、面白いですね。


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慶長5年(1600)9月14日、徳川家康(松本 潤さん)は美濃の赤坂(現在の
大垣市)に陣を構えて、大垣城にいる石田三成(中村七之助さん)の動向を見て
いました。(大垣城と赤坂の直線距離は約4km)
福島正則はすぐに大垣城を囲んで攻撃をと主張しますが、藤堂高虎は今いる兵では
足らないと言い、内心では豊臣恩顧の武将たちに手柄を全部持っていかれては困る
井伊直政は、徳川秀忠の本隊を待つのがいいと家康に進言しました。
その秀忠は信濃の上田で真田によって足止めをくらってしまい、家康のいる赤坂に
向けて急ぎ進軍しているところでした。



ただ本軍が到着しないのは敵の三成方も同じである、しかし毛利が三成につけば
この戦は危ういと本多忠勝(山田裕貴さん)は考えました。
家康は黒田長政(阿部進之助さん)に毛利調略の状況を尋ね、長政は既に内応を
約束している吉川広家を通じて小早川秀秋と毛利輝元に調略を繰り返していると
家康に答えました。
家康は井伊直政(板垣李光人さん)に小早川に何枚も文を書くよう命じ、さらに
各陣所に小早川は既に家康に内応していると言いふらすよう命じました。
家康が流した噂は大垣城にいる三成方の西軍の諸将らに動揺を与えました。
しかしそれでも三成は、毛利の軍が秀頼を頂いて戦場に来ると信じていました。



家康は秀忠の到着を待たずに、そして大垣城を放って出陣すると決めました。
家康は自分が関ケ原に向かえば三成たちが後を追ってきて、徳川が得意の野戦に
持ち込めると計算、しかし直政は三成に後ろを塞がれて大坂から本軍が来て前を
塞がれたら危ないと進言しました。
それでも家康は三成が大軍勢を率いるのは容易ではないと考えていました。
家康らが出陣した報が三成方の西軍にもたらされ、三成は先回りすべく関ケ原に
向けて急ぎ進軍を開始しました。
翌9月15日の早朝、家康ら東軍は関ケ原に着き、桃配山に陣を張りました。
関ケ原では家康は周囲をぐるりと西軍に囲まれましたが不思議に落ち着いていて、
長年自分と共に歩んできて、先に逝った者たちや今は遠くにいる者たちに思いを
馳せ、その者たちの思いが今ここに集まっていると感じていました。



やがて霧が晴れていよいよ決戦の出陣となり、直政はこの戦の先陣は絶対に徳川で
なければならぬと考えていて、家康も直政に先陣を命じました。
そして井伊直政勢がいきなり攻撃を仕掛け、井伊勢の抜け駆けに怒った福島正則や
藤堂高虎らが一斉に動き出し、双方の大軍が入り乱れての戦いになりました。
初めは地の利のある西軍が有利でしたが、三成は小早川が動かぬことに苛立って
いて、その小早川は松尾山の上から双方の成り行きを眺めていました。



三成の側近の嶋左近は、毛利家重臣の吉川広家(井上賢嗣さん)が家康の背後を
突けば小早川も動くと考えていました。
徳川勢も自分たちの背後に陣取る南宮山の毛利勢が攻撃してきたら危ないと考えて
いましたが、家康は毛利家は小早川秀秋も吉川広家らの家臣もまとめきれていない
と読んでいて、調略の進展を待っていました。
その吉川は南宮山の麓に陣取っていましたが、兵たちには飯をゆっくり食べるよう
命じていて、長宗我部から出陣の矢の催促が来ても動く気配はありませんでした。
吉川が動かないため、その奥にいる毛利秀元も動けなくなっていました。



大坂城にいる毛利輝元は吉川や小早川が家康に内通していると知り、秀頼を頂いて
出陣などとはうかつにできない状態でした。
我が子・秀頼が出陣すれば西軍の士気が上がって家康に勝てると考える茶々(北川
景子さん)は、大坂城にいる輝元が出陣しないことに苛立っていました。
そこへ家康の側室の阿茶(松本若菜さん)が北政所・寧々の使いとして茶々の前に
現れました。
阿茶はこれは北政所も同じ考えとして茶々に、秀頼はこの戦には関わらないほうが
よい、徳川の調略はかなり深く進んでいて間もなく勝負が決着するだろう、毛利が
出陣しないのはその証、我が殿・家康は秀頼を守る、と伝えました。
阿茶の言葉に茶々は激怒し、すぐに自分を抑えましたが、阿茶に二度と自分の前に
現れぬよう言って退室させました。



小早川と吉川が動いていないことを確認した家康は、桃配山を下りて前進し、今この
時を逃さず一気に勝負をかけると決め、徳川軍2万の出陣を命じました。
戦場の真ん中に出てきた家康を見て、三成は西軍の総掛かりを命じました。
総大将・家康が戦場にいることで味方は士気が上がって西軍を押し、そして家康は
もうこれで様子見をしている小早川秀秋(嘉島 陸さん)も動くと読んでいました。
その狙いどおり秀秋は、一気に山を下りて大谷吉継の陣を襲撃するよう家臣に命じ、
小早川勢のまさかの裏切りで大谷勢は壊滅し、吉継はその場で自害しました。



東軍の勢いで西軍は総崩れとなり、兵たちは戦場から一斉に逃げ出しました。
忠勝は家康に戦勝の祝いを述べ、家康も皆をねぎらいました。
その時、西軍の島津勢が徳川勢に向かっていると報が入り、家康は島津がここから
逃げるためだから放っておくようにと命じました。
しかし井伊直政が徳川の目の前を通すまいと島津に向かっていって、井伊勢は再び
戦闘状態になり、直政は銃弾を浴びて重傷を負いました。



午後になり、開戦から半日もたたぬうちに東軍が勝利して西軍が敗れた報が
毛利輝元(吹越 満さん)の元に届きました。
あまりの予想外の展開に輝元は狼狽し、茶々と秀頼の前では声を大にして三成の
非を訴えていましたが、茶々は輝元を許さず扇子で打ち据え退室を命じました。
その後、毛利輝元は大坂退去で減封、宇喜多秀家は改易で配流に、上杉景勝は
減封で移封に、真田昌幸は高野山配流から紀伊九度山に蟄居、小西行長は処刑と
西軍諸将らの仕置きが決まり、嶋左近は行方知れずでした。



島津を追って重傷を負って気絶した井伊直政は、徳川の陣に運ばれて家康から
手当を受けていました。
気が付いた直政は起き上がり、殿・家康の名を傷つけたくなかったと、そして
改めて家康のほうを向いて喜びの笑顔で戦勝祝いを述べました。
天下人となった家康を想像して「これから先が楽しみだ。」と直政は嬉しそうに
語り、家康もそんな直政に優しい笑顔を向けていました。



関ケ原の決戦から7日たった9月22日、戦場から敗走していた三成が捕まって、
近江大津城で家康の前に引き出されていました。
家康が三成に、戦無き世に出会えたなら互いに無二の友となれたはず、と語ると
三成はそうではないと言い、自分は豊臣に忠誠を誓った、全ては豊臣のため、その
志は微塵も揺らいでいないと家康に返しました。
家康が、ならばなぜ死者が8千を超えるこのような無益な戦を引き起こしたのか、
何がそなたを変えたのかと怒りを込めて問うと、三成は少し笑って「思い上がりも
甚だしい!」と家康に強い口調で返しました。
そして三成は「自分の中にも戦乱を求むる火種が確かにあった。それは誰の心にも
ある。この悲惨な戦を引き起こしたのは自分であり、あなただ。そしてその乱世を
生き延びるあなたこそ、戦乱を求むる者!」と家康を見据えて言いました。
「まやかしの夢を語るな!」ーー死を覚悟している三成の心の底の言葉を家康は
受け止め、「それでも、やらねばならぬ。」と静かに告げて去っていきました。
石田三成はその後、京の三条河原で処刑されました。






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Last updated  November 15, 2023 05:13:48 PM


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