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「少女(たち)に何が起こったか」(評価 ★★★★★ 満点五つ星) 長年にわたり若い女子体操選手を虐待していた変態医師、そして事実を知りながらも組織ぐるみで隠蔽していた連盟の不正を描いたドキュメンタリーを鑑賞(ネットフリックス)。 勇気を出して告発した選手や家族らの苦悩が紹介される。事件を報じた地方紙の記者や警察、弁護士にも取材。 よくできた映画だと思った。 前半は、少女たちが指導陣ら大人に振り回されながら(洗脳されながら)強化合宿とかで懸命に練習するさまが回想される。そんななか自分の身体をあちこち不適切に触ってくる医師がいて、だが少女たちは抵抗できずしかも誰にも相談できない。 後半はこのラリー・ナサー医師が法廷で女性たちに次々糾弾される場面が見どころ。さらには連盟の会長も出廷。 FBIまでもが連盟とグルになって隠蔽してたというのだから驚いた。しっかりしていただきたい。 この医師に虐待された女児は500人。そんなに被害者がいたらすぐに発覚しそうと思うものの、まだ右も左もわからない幼い彼女たちは、相手は医師だし、「治療の一環らしい」とすら思わされてしまってる。 本編でも触れられてたけど、そもそも女子体操というのは他競技と異なり、軽やかに飛んだり跳ねたりするためには低年齢のまだ体躯が華奢なうちのほうが向いているとのこと。1970年代にルーマニアのコマネチ氏が若くして世界一になって以来、業界では選手の低年齢化が一気に加速したのだとか。 五輪を目指すほどの優良選手なのであればなおさら、少女時代の全てを犠牲にして励んでいただかないと強豪ロシアとかには勝てませんよと言われ続ける。大人になってからじゃ遅い。 ちなみに、こうゆう児童虐待の映画観ると、ぼくは日本のことが心配になる。日本ってば、国ぢゅうが「可愛い少女大好き」を公言してるようなお国柄。アニメとかで文化になっちゃってるし、芸能界でも女性は若けりゃ若いほどチヤホヤされてる状態。最近のヲタク文化はわからないけど、国際基準だと日本の低年齢女性への過度な崇拝癖は児童の商品化つまり虐待とみなされてしまう可能性あり。
Dec 6, 2020
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ネスカフェゴールドブレンドのCMソング「だばだ~」。今やウェブで曲が聴ける。この曲もピカルディ三度の終止の一例として挙げられよう。 特筆すべきは、肝心の最後のミのナチュラル音をメロディー自体が受け持っているということ。メロディーがドの音で終わらないことだけでも凄いのに、実に大胆な終止法である。曲が世に出た当初、この最後の音をめぐって世界中の音楽家たちが激しい論争を繰り広げ、のちに「ネスカフェだばだ」事件として音楽史にその名を残している(らしい)。 しかしながら、僕としては、やはりメロディーではなく内声で「ピカルディする」のが正統であり奥ゆかしいと考える。オーケストラの中でヴィオラだけが密かにその悦びをかみしめられるような終わり方が良い。 例えば、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲(ドッペル)ニ短調の1楽章。最後の和音はヴィオラによって長調に変わる。小フーガト短調(弦四声への編曲版)も、ヴィオラが長三度で終わる。一般にバロックの短調曲だったら、ヴィオラがその重要音を受け持つと考えてほぼ間違いない。 僕はヴィオラを弾くようになって初めて、このささやかな特権に気がついたが、ピカルディ終止が病みつきになってるヴィオラ弾きは世の中に少なくないだろう。 オケで普段邪険に扱われている(?)ヴィオラパートが気軽に実行できる謀反プロジェクトを考えてみた。その名も「ピカルディの乱」。それは、ほんとは短調のまま終わるはずの曲を、逆に強引に長調に変えて明るい響きにしてしまうこと。パートの結束力が問われるし、何より、笑って許してくれるような指揮者のいるオケじゃなければできないが、いつか実行してみたい。 候補曲ならいくらでもある。(つまるところバロックの短調曲ほとんど。) ヴィオラパートの最後の音を半音上げるだけで、ハッピーエンドに早変わり。 ヴィヴァルディ: ヴァイオリン協奏曲イ短調Op3-6 ヴィヴァルディ: 四季より冬へ短調 バッハ: ヴァイオリン協奏曲第一番イ短調 バッハ: ドッペル協奏曲ニ短調(3楽章) ヘンデル: メサイアより序曲ホ短調 そこまでしてヴィオラの存在意義を世に知らしめる必要があるのか、と顔をしかめる向きもあるかもしれない。でも、ヴィオラ弾きだって時には表舞台で脚光を浴びてみたいのです!(つづく)
Feb 12, 2006
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今日は駆けっこ大会に出場し、21キロメートル走りました。 摂氏8度、湿度80パーセント、くもり。肌寒かったので長袖で走りましたが、走り始めたら身体があったまってきて、半袖でも良かったかなと思えたほど。 この数週間、何となく軽い足取りで走れてるような気がしてたし、体調も良かったので、もしかしたら2時間以内を達成できるかもともくろんでおりましたが、結果は1時間58分36秒。マイルあたり9分03秒。今の自分としては大満足です。参加者988人ちゅう376位とのこと。 なお、主催者からの事前のお達しでは、目安走者(ペーサー)さんが伴走してくださるということだったので、彼らを頼りに走ればいいやと、ぼく自身は時計も携帯も持たず身軽で走ることにしました。しかしペーサーさんが見当たらず、結局は速度情報なしに自分の感覚だけで走り倒しました。 あまりに坂が多い走路だったのにも慌てました。 いずれも下調べを怠って行き当たりばったりで走ってしまったぼくが悪いので、次回の教訓としなければいけません。 なお、今までに出場した大会の全記録は以下。<半マラソン(21キロメートル)> 2023年10月 1時間58分36秒 1マイルあたり平均9分03秒 2023年04月 2時間04分27秒 1マイルあたり平均9分30秒 2022年04月 1時間58分43秒 1マイルあたり平均9分03秒 2019年04月 1時間58分19秒 2018年10月 2時間05分20秒 2018年04月 2時間02分52秒 2018年04月 2時間02分55秒 2017年10月 1時間54分03秒 2017年04月 2時間02分06秒 2016年10月 1時間55分18秒 2016年04月 1時間53分15秒 2015年10月 1時間48分23秒 2015年05月 2時間04分07秒 2014年10月 1時間53分10秒 2014年04月 1時間57分44秒<マラソン(42キロメートル)> 2015年09月 4時間20分44秒 2014月09月 4時間19分53秒 <5キロメートル> 2023年10月 25分46秒 1マイルあたり平均8分18秒 2023年08月 26分16秒 1マイルあたり平均8分28秒 2023年07月 26分52秒 1マイルあたり平均8分39秒 2023年05月 26分10秒 1マイルあたり平均8分26秒 2022年10月 24分31秒 1マイルあたり平均7分52秒 2022年09月 25分19秒 1マイルあたり平均8分09秒 2022年08月 25分36秒 1マイルあたり平均8分15秒 2022年07月 26分01秒 1マイルあたり平均8分23秒 2022年06月 26分55秒 1マイルあたり平均8分40秒 2021年08月 26分13秒 2021年06月 25分08秒 2021年05月 26分16秒 2019年10月 24分59秒 2018年10月 24分23秒 2017年10月 24分10秒 2016年10月 23分29秒 2015年09月 24分56秒<4マイル(6.4キロメートル)> 2022年04月 33分00秒 1マイルあたり平均8分15秒<10キロメートル> 2023年09月 53分32秒 1マイルあたり平均8分38秒 2023年02月 51分47秒 1マイルあたり平均8分20秒 2021年10月 51分08秒 1マイルあたり平均8分13秒 2021年08月 55分30秒 2019年10月 51分32秒
Oct 22, 2023
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「ただいまマイクのテスト中」 突然ながら英語ネタ。今回は音響用語編。 クラシック音楽だけ演奏するならまだしも、ミュージカルをオケピットで弾いたり、大会場でロッケンロゥルなお兄さんお姉さんたちと共演したり、studio musician、session musician として録音会場に籠って収録したりする場合、英語圏で音楽活動するなら知っておいたほうがいい音響関連の単語があると思うので、基本的なものをここにまとめておこうかと。マイクロフォン、拡音機器 - 日本語と同様で、正式にマイクロフォン(microphone)と言うよりかは短縮して単にマイクと呼ばれる。ただ、綴りがよくわかんない。mic だと思うのだけど、mike(人名のマイケルみたい)と書く人もいて真相は不明。間違っても mice と綴っちゃいけない(←ねずみ)。 - microphone は滅多に動詞としては使われないのに対し、mic は動詞となり得る。(ちょっと聞こえにくいから)Can you mic him up? とか The singer is now mic'ed とか。意味としては amplify みたいなもんか。 - マイクの作動試験をするときに音響さんが使うお決まりの表現は「Testing, testing, one, two, three」(ただいまマイクのテスト中)。 - マイクにもほんとにいろんな種類がある。ぼくらバイオリン弾きがよく使うのは楽器に直接装着するもの(pick-up)。楽器の音だけを拾ってくれる優れもの。自分の独りごととか鼻すする音とかは拾わないので助かる。 - ちなみに open mic(オープンマイク)という言葉があって、これは音楽酒場などで参加者(飛び入り含む)が入れ替わり立ち替わりマイクを握り芸を披露する形式のこと。 - 電気的に拡音するためのマイクやスピーカーなどの機器の総称は PA system。これはパブリックアドレスの略。←つい最近知った補助音源、カラオケ - 作曲家から事前に「デモテープ」が楽員に送られてくることがあるけど、楽曲予習用に単に旋律と伴奏が録音されてるものもあれば、既に確定したテンポで録音されてて、実際に上乗せ録音できるぐらいの最終的な状態の場合もあって、scratch track と呼ばれる。 - 指揮者がいない場合(いたとしても)、テンポをきっちり合わせるため、楽団員は曲の拍子をカチカチ鳴らしたものをヘッドフォンでこっそり聞きながら演奏することも多く、そのメトロノーム音のことは track click。日本の業界ではドンカマと呼ばれてるかと。「はい、ここでクレッシェンドしてぇ」とか「ダカーポですから注意してくださいね」とか音声が一緒に収録されてたりもする。助かるのだけど、気が散ることもあって、奏者的には慣れが必要。 - ミュージカルやオペラ、バレエなどは楽団がオケピットで生演奏するのが理想。でも予算や場所の都合でそれが無理な場合、ナマではなく事前に録音された(pre-recorded)音源を使用することになるわけで、それは canned music、backing track、karaoke など。 - カラオケについては sing along、play along などとも呼んで、一緒に歌う/演奏する。 - 音響業界ではとにもかくにも track という単語が乱用(誤用含む?)されてるというのがぼくの印象。setlist(セットリスト)と類義で tracklist と言ったり、film music の意味で soundtrack と言ったり。「音楽」とか「曲」という意味でトラックと言いまくれば手っ取り早く業界人のふりができる。頭や耳につける小物 - 頭にかぶせるのはヘッドフォン(headphone、headset)。おそらく、マイクロフォンつきにヘッドフォンをヘッドセットと言う。で、ぼくが欲しい(けど持ってない)のは片耳式のもの。自分のバイオリンの音はナマで聴きたいので左耳は空けておきたいから。でも場合によってはステレオ仕様になってて、右耳から指揮者や音響技師の指示音声、左耳から舞台の役者の声というように両耳が必要なこともあるので難しい。ちなみに片耳式ヘッドセットって左右の重さの均衡が悪いものが多く、頭をちょっと動かすとずり落ちることがあるので使用にコツがいる。 - かぶりものではなく耳に突っ込むもの(イアフォン、イヤモニ)のことを、earbuds とか in-ears とも言う。IEM も業界ではよく聞く単語。in-ear monitor の略。総称的に言うならたぶん earpiece。 - 日本語でインカムという言葉を聞くけど(たぶんインターコミュニケーションデバイスかなんかの略)、それは英語圏の人がいうIEMという装置が一番近いような気がする。後述「モニター」にも分類できる。 - ちなみに、淑女さんとかがよく身につける光り輝くジャラジャラした美しい耳輪や首輪や腕輪などの装飾具は bling-bling と呼ばれ、雑音を忌み嫌う録音現場では当然ながら持ち込み禁止。そもそも会場では足音すらたてちゃいけない。床の固さにもよるけどやはりゴム底運動靴、足袋、わらじ、裸足が無難。間違ってもタップシューズとか履いてくのはまずい。ダメ、ゼッタイ。 - 大音量から耳を守るのに使う耳栓のことは ear plugs。大音量対策と言えば、会場ではドラムスや金管を囲う透明プラスチック板が設置されてることがあり、(plexiglass) shield と呼ばれる。近くの人のマイクに音を拾われないようにする役割もある。モニター - monitor の意味するものはいっぱいあって紛らわしい。スピーカーとかテレビ画面とかをも意味する。現時点で何がどのように見えて/聞こえているのかを確認するための機器。イアフォン/イヤモニもヘッドフォンも広義ではモニターの一種。 - 近年、ミュージカルの現場では、オケピの各奏者に小さめのモニター操作器が支給されるようになってきて嬉しい限り。自分のヘッドフォンだけに有効なモニターなので、好みに応じて特定の楽器や舞台の役者、指揮者やブースからの指示声量などを細かく音量調整できる優れもの。自分のスマホ上で調節できるアプリもあって超便利(ヤマハの「MonitorMix」とか)。音響技師 - 音響さんのことは sound engineer。SEと略してもいいんだろうけど、SEとは業界ではおそらく特殊効果音(sound effect)のほうを指す。 - 録音専門の技師さんは recording engineer。一語で言うなら「レコーダー」ではなく recordist(なはず)。 - いつも管理室(booth)にいるのでブースさんとも呼ばれる。 - 収録後の mixing/編集作業(均衡を整えたり切り貼りしたり)をする人は(サウンド)ミクサー。
Oct 2, 2020
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「For no one」 今日は久しぶりに室内楽で遊んだのでその感想を。しかもあんまし知られてない曲、「Phantasy Quartet」と呼ばれるブリテン作のオーボエと弦楽三重奏のための作品。 面子は、アリアンナさん(オーボエ)、ぼく(バイオリン)、ナンシーさん(ビオラ)、エレンさん(チェロ)。 ブリテンというと、ぼくはシンプルシンフォニーという曲と出会ったのがたぶん最初。よって第一印象はフツーにいーかんじだったのに、数年前に「戦争レクイエム」を弾いたときにけっこう苦戦し、印象ががらりと変わった。つかみどころのない作曲家というのが正直な感想。 この「幻想四重奏曲」は15分ぐらいの単一楽章の曲で、曲調やテンポが頻繁に変わる。ぱっと聴いても何が何だかわかりにくい難曲だけれど、聴くよりも演奏するほうがずっと楽しめる。 てか、作品番号は第2番であり、ブリテンが18歳の頃に書いた作品らしい。そうと言われなきゃこれがお子ちゃまが書いたものとは思えない。こってり凝ってる。あぁ、great Brittenっ。 譜面は冒頭に「行進曲風に」と書かれててチェロが静かに始める。そして徐々に音量が上がっていきあれこれ発展、で、最後はまた徐々に静かになっていきチェロが終える。 そういえば、ムソルグスキー「展覧会の絵」にも「Bydlo(牛車)」だかゆう似たような構成の曲があったのを思い出す。つまり、遠くから何かがやってきて、目の前を通り過ぎて向こうへと去っていく。 で、この目の前を通り過ぎてくのがいったい何なのか。曲芸一座なのか戦隊なのか、いろいろ妄想してみるのもまた一興。 ちなみに、この曲でぼくが最も驚いたのは冒頭の小節。いきなりG.P.(ゲネラルパウゼ。誰ひとりとして音を発しない沈黙の箇所)。これはチョー珍しい。てか、この小節、別に要らなくね? おそらく、二小節(計八拍)をひとかたまりとして数えるとかそうゆう事情によるのだと思う。
Apr 19, 2022
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「意味がなければスイングはない」 今日は月に一度のトリオの練習日。僕がバイオリンで、チェロはルース、ピアノはセス。 この二人とは今までずっと仲良くやってきたのに、先月の練習時にプチ言い争いが勃発。いろいろあって、結局、僕は選曲権を剥奪されてしまい……。 で、今日は少なくともブラームスの3番の4楽章を仕上げるという目標は合意されてたけど、ほかにやる曲はルースとセスのご両人が選んだ。 レナード・バーンスタインの1937年の作品だとか、スークの作品2だとか、奴らは好き勝手に言いたい放題。しかも実際に楽譜を入手してるとこがスゴい。二人とも(広く浅くだけど)ホントにいろんな曲を知ってるのには素直に尊敬してしまう。 さて、今宵は、現役のアメリカ人作曲家ポール・シェーンフィールド Paul Shoenfield さんとやらのトリオに挑戦。1986年の作品。 僕は先月楽譜を配布されたときに初めて知った人だけど、アメリカ人室内楽おたくのあいだではかなり知られつつある作曲家だそうで。 この曲の1楽章はスウィング感が大切。八分音符の弾きかたがふた通りあって、楽譜どおりに均等に弾くときと、付点にして「タッカタッカ」させるときがある。どっちにするかは楽譜に明記されてるものの、自分で判断しなきゃない場合もあり。そうゆうふうに音楽をつくっていくのって、慣れていないぶん、けっこう楽しい。 作曲家自身が「カフェの音楽」と名づけてるぐらいだから、あまりにお行儀の良すぎるクラシック音楽用のアプローチはしないほうがいいみたい。 ジャジーな独特のリズムと和音はさすがにカッコヨイ。 こうゆう曲、好きな人は好きだと思う。村上春樹家のCD棚のなかにありそうななさそうな。 ただ、完全なジャズというわけではもちろんなくて、基本はやっぱりクラシック。1楽章Allegroできちっと主題が提示されて、2楽章Andante moderatoでは美しい旋律が登場、3楽章Prestoの移弦攻撃も協奏曲っぽく正統路線。 おぉ、意外に楽しいじゃん、ってことになって、次回の練習でじっくりやることになった。晩秋のニューヨークで夜遊びするような、そんな「ちょいワル」ごっこはたまには必要。***** 当初は、ほかにももっとやるべき曲があるとは内心思ったけれど、周りの演奏仲間たちの好みとかも尊重し、今後もこの三人で継続して楽しく弾いていけたらいいなと思う宵でありました。
Oct 12, 2007
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「私待つわいつまでも待つわ例えあなたが振り向いてくれなくても」(評価 ★★★★★ 満点五つ星) イギリス北部サンダランドのサッカーチームを取材したドキュメンタリーをネットフリックスで鑑賞(第一期と第二期)。 感想は、花マル、素晴らしかった。毎回楽しみに観られた。番組の主題歌を歌えるまでになった。あまりにハマってしまい、最終回を観終わった今、ぼーっとしている状態。そして、今後の彼らの活動も追ってみたいような、いや観たくないような気もして複雑。 プロサッカー業界の裏側を観られるという単純なドキュメンタリーではなく、このサンダランドという町の人々やイングランド北東部独特の労働者文化も丁寧に紹介される。EU離脱/Brexitに関する市民の反応も都会の人のそれとは異なる。 選手も経営陣も、ぶっちゃけ、給料や実力に応じてあっさり他所に移ってしまうわけだけれど、地元の住民は一生かけて健気に応援している。その誇りと愛情ゆえ、チームが結果を出せてないときは選手や経営陣に容赦なく罵声を浴びせる。長年応援してきた彼らは、いまさら他市のほかのチームに乗り換えることなどできない。 監督や経営する側の苦悩も計り知れない。選手の不祥事や怪我には翻弄されるし、報道機関や後援団体にも対応しなきゃいけない。そもそも潤沢な予算などない。 番組では、最初のほうは選手たちにも積極的に取材していたけど、後半ではむしろ経営陣や支持者の心境を掘り下げて描いていたような印象。おそらく選手への執拗な取材は悪影響という判断があったのかもしれず。 映像や編集もお見事。回を重ねてるうちに観てるぼくもだんだん土地勘が備わってきて、あたかも自分がこの町で暮らしているように錯覚するほど。そんな大きい町でもないし、市民はみんな徒歩で競技場に向かい、試合後は酒場で呑み明かす。
Jun 3, 2020
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「幸せと訊かないで嘘つくのは上手じゃない」(評価 ★★★★☆ 四つ星) ロシアの王族ロマノフ家の子孫(と思われる人)をそれぞれに主人公にした八つの物語。全部鑑賞し終えたのでその感想を。 ロシア系白人かつお金持ちという設定という登場人物ばかり。しかも演じてるのがいかにもな美男美女の役者という印象。 さぞかしロマノフという苗字を活かし、その名に恥じぬセレブな性格/生活の人々のお話かと思いきや、みんなしてなんだかややこしくて可哀そうな人生を送っており。 ロマノフ家に関する知識がなくても鑑賞には問題なし。てか、ぼくは数か月前に「アナスタシア」というミュージカルを演奏する機会があったときに、ロマノフ家の悲劇についてちょうど調べまくったとこだったわけで。 それぞれの話は基本的には独立しているので順番に観る必要はない。ただ、よぉく気を付けて観ると登場人物が一部でかぶっている。例えば、第一話の主役のひとりが第八話のパリの駅の場面でチラッと映る。一瞬すぎてわかりにくいけど。 どの回もそれなりに楽しめるものの、どう考えてもありえない強引な展開ばかりなので苦笑。演技派役者も数多くいたけど、脚本がこなれてないというか、もったいない。そもそも誰が主役かわかりにくいのもあって、アタマを使って観る必要がある。ロマノフ家ねたとはあんまし関係のない話もあって、なんだこりゃとも思う。 映像的には美しい。特に観光名所が次々と映し出される回もあって旅好きのぼくには楽しめた。パリ(第一話)、ニューヨーク市(第四話)、メキシコ市(第六話)など。 全体的に背景に流れる音楽も凝っている。ラフマニノフやリムスキーコルサコフやチャイコなどの名曲も流れる。 着眼点はなかなか面白いのもあって、そういう点では以下の三話は楽しめた。第二話:ロマノフ家の子孫が参加する団体旅行(船旅)に行く予定だった夫婦。夫は陪審員に選ばれたために旅行をドタキャン、妻は独りで参加する。第五話:子どもたちのピアノの先生に関する噂話で母親たちが妄想、暴走する。第七話:アメリカ人夫婦が厳寒のウラジオストックに行き、仲介人を頼りに養子に迎えようとする。 それにしても、誰もが知ってる歴史上の人物の苗字を持つ子孫さんって、なんだかんだいって気苦労が多そうな気がする。
Aug 15, 2023
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「あんたもあたしも、みんなも社長さんも」(評価 ★★★★☆ 四つ星) 公式サイトは http://nanakai-movie.jp/index.html<感想> 何の予備知識もないままいきなり鑑賞したら、思いのほか大作で見ごたえがあった。組織のなかで常に上や世間の目を気にしながら仕事しなきゃいけない平成末期の会社員さんたちの苦悩がよく描かれていて、興味深く見られた。 ただ、ちゃんと気合い入れて観ないと誰が誰だか混乱してくる。出演者がみんなして濃いぃおじさんばかり。野村萬斎、香川照之、及川光博、片岡愛之助、鹿賀丈史、橋爪功、北大路欣也、ほか。てか、世良公則さんの演技見たの、昭和映画「Wの悲劇」以来かも。認識できなかった。 あと、いつも日本映画観て幻滅することのひとつが主題歌。この映画でも、コテコテな日本企業のお話しなのに、主題歌がアメリカ人さんの歌う英語のお歌だったのが不釣り合いで、雰囲気台無し。<題名について> 「七つの会議」という題名はどうゆう意味なのか、最後まで観てもぼくには解明できなかった。悔しい。 ちなみに、英語市場向けの題名は「Whistleblower」。内部告発者という意味。
May 23, 2019
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月に一度、ニューヨークリンカーンセンターで日曜の朝に催される「モーニングコーヒーコンサート」シリーズ。休憩なしの一時間一本勝負。 今日は、イタリア系スコットランド人バイオリニスト、ニコラ・ベネデッティ氏がなかなか強気な演目をご披露くださった。彼女、は、ハタチ?www.nicolabenedetti.co.uk ブラームス:スケルツォ楽章(FAEソナタより) ブラームス:ソナタ3番 サン=サーンス:序奏とロンドカプリチオーソ ラヴェル:ソナタ (アンコールは「タイスの瞑想曲」) 堅実な演奏というのが第一印象。音が硬くて輪郭がハッキリとしていた。特に1曲めのブラームス「ファラミの歌」。 ラヴェルのソナタも、一音一音、流されずにキチッと弾いてて、ピチカートも痛々しいまでに気合いが入ってた。 こんなに正統派だったなんてちょっと意外。 ……なんて偉そうなことを書いてしまったものの、実のところは彼女の美貌に悩殺されてしまい、音楽的なことはあんまり覚えてなかったりするのも事実(笑)。胸元といい背中といい、激しくお肌を露出なさってたし。 彼女と対照的だったのがピアニストのアレクセイ・グルニュク氏 Alexei Grynyuk。学級に一人はいるタイプ。長髪に眼鏡で、地味な風貌なのは否めない。 ニコラ嬢って、ビボーを武器に世界を席捲する女王様キャラなのか思いきや、立ち振る舞いは実に謙虚。舞台上から観客に律儀にご挨拶。ぶりぶりブリティッシュな話し方。 終演後には、隣接するギャラリーで演奏家を囲んで簡単な懇親会が開かれるのもこのシリーズの魅力。僕は午後にオケの本番を控えていたので泣く泣く退散した。(於: ニューヨーク、リンカーンセンター内ウォールターリードシアター)
Jan 27, 2008
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「風に立つライオネル」(評価 ★★★★★ 満点五つ星) ネットフリックスで鑑賞。1985年発売の「ウィーアーザワールド」(=アフリカ飢餓救済を目的とした慈善唱歌)の収録秘話に関するドキュメンタリー。 当時のお宝映像はさすがに見応えありまくり。マイケル・ジャクソンさんほか既に亡くなってる方も十人ぐらいいて、故人の映像には特に見入ってしまう。 盲目のスティービー・ワンダーさんとレイ・チャールズさんがあれこれコラボしてるのも凄いし、ボブ・ディランさんの意外な一面も見られる。 50人近い大物歌手らが深夜に集結し、夜が明けるまでに一気に収録したというのだからこれは快挙。しかも独唱部は個別に収録するのではなく、みんなで輪になってわずか二、三本のマイクロフォンを囲んで歌合戦。 ぶっちゃけた話、ぼくのようなおじさんおばさん世代だったら既に見たことのある映像も多いかもしれない。でも、むしろこのドキュメンタリーの真の見どころは、あれから時を経た今、当日に実際に歌っていた歌手や音響職人らがあの時の記憶を頼りに語りまくるところ。てか、みんなして今や後期高齢者なのに、当時のことはかなり鮮明に覚えていらっしゃって、目を細めたりぎらぎら輝かせたりしながら語る語る。 この企画を成功に導いた功労者はライオネル・リッチーさん。コネを最大限に活用し、何十人もの予定が合致する日時と場所を選び出し、周到に根回し。 いざ当日深夜に収録が始まると、ドタキャン歌手の穴埋めとかもしなきゃいけない。 クセの強い歌手たちがわがままな振る舞いもしはじめる。そもそもどんな大物歌手でも、独唱部はたかだか二小節とか四小節とか一瞬であることがほとんど。その一瞬に関して彼らにもいろいろ言い分はある。 歌詞を変えようとか細かく意見してくる人も出てきて収集つかなくなりかけるのだけど、そのへんはリッチさんがビシッと制しつつ、夜明けとともに見事に収録終了。
Apr 1, 2024
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「森の妻さん」(評価 ★★★☆☆ 三つ星) 大都会在住の夫婦が妻の田舎を訪問、森のなかを歩きながらあれこれ口論する話。山道で迷うは、熊は出没するは、猟銃持った地元の人が発砲するは、鉢に刺されるは、嘘っぽい小ネタもいろいろ。 主演は中井貴一さんと鈴木京香さん。 感想としては、フツーに楽しめた。どんでん返しが欲しかったような気もするし、いや、下手に細工するより、こうやってだらだら進行するほうが現実的なような気もするし。 てか、ぼくはこうゆう舞台演劇的なベタな台詞まわしに全く抵抗がないので、三谷さんの作品は堪能できるけれど、おそらく苦手な人はチョー苦手と思われ。 鈴木さん演じる妻がこれまた卑屈な女で、中井さん演じる夫もだらしない。観ててイライラする。でも、お山を歩くのはやっぱり気持ちよさそう。
Sep 11, 2020
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