プロヴァンス・ダジュールへようこそ

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フランス人と宗教の必要性

フランスの真実
La france en vrai




フランス人と宗教の必要性 (2004年9月)


フランスに来て驚いたことの一つに宗教の考え方が挙げられます。

パピーとマミーは足腰が弱くなってきているので年に1回教会へ行けば良いほうだけれども、
信仰心は普通に厚く、家中いたるところにイエスさまやマリアさまが飾ってあります。
これは日本でいう、仏壇や神棚に当てはまるのではないでしょうか。

パパとママは毎週とは行かないけれど月に1回くらいは日曜日のミサに参加。
そして主人はフランスで最も多い、滅多に教会へ行かないカトリック信者の一人ですが、
冠婚葬祭に形式上絡んでくる宗教には適当に合わせているといった、私世代と一致するリアクション。

ああ、日本と一緒だな~と安心していたのですがそうでもないらしいと思い始める出来事が・・・。

私たちの結婚式を教会で挙げるかどうかについて話していた時のことです。

私としては他多数の結婚式を夢見る女の子同様、
「教会でウェディングドレス」
に憧れていたのですが、
フランスでは信者でなければ教会で式を挙げられないとのこと。

どちらかが信者でない場合は生まれる子供を信者にするという条件付で
教会で式を挙げることが許されるのですが、
式までの6ヶ月前から、遅くても1ヶ月前から週に何度か教会へ足を運び
教えを受けなければいけないと知らされました。

まあ、そんなこともあるのか、従いましょう、ってな感じで抵抗も無くその時はフツーに聞いていたのです。

しかし後日、主人の妹と結婚と宗教について話していた時のこと。

彼女は主人よりもハードな、決して教会へ行かないカトリック信者の一人。
生まれて間もない頃に本人の意思に関係なく洗礼を余儀なくされ、
大人になってもカトリックの教えを信じることができない。
なぜ私をカトリック信者にしたの!?
というカトリック・ナンセンス派。
つまり意思を持って教会へは行かないアンチ・カトリックとでも言っておきましょうか。

そんな彼女から見ると、毎日曜日に教会へ行かないなら偽りの信者、ましてやキリスト教でもないのに
キリスト教式に教会でウェディング・ドレスを着て結婚式を挙げるなんて異常としか言いようがないとのこと。

これはつまり、私が異常だと言われたも同然でかなりムカついた出来事でしたが、
以前彼女が日本に来た際、お決まりコースでお寺を案内した際、フツーに手を合わせた私に向かって、
「あなたは無宗教だと言っていたのになぜそんなことをするの?」
と真剣に問いかけてきたことがあり、
「う~ん、こうするのがフツーだから」
としか答えられず悔しい思いをしたことが思い出されました。

つまり、彼女からしてみれば、熱心に信仰する宗教ではないのに宗教的な行為をすれば
それは猿真似で極めて滑稽に映るらしいのです。

たまたま私の義妹が極論者だったというだけの話ではなく
多かれ少なかれこの念はほとんどのフランス人が持っていて、
やっぱり日本人がキリスト教ではないのに
「キレイ」
というだけで教会でウェディングドレスを着て結婚式を挙げる傾向にあると言えば、
大きなオドロキに匹敵することが徐々にわかってきました。

勿論、
「教会でウェディングドレス」
は多くのフランス人女性の憧れでもあり、熱心な信者でなくても
「キレイだから」
という理由で式を挙げるケースは多く、義妹のようなハードなアンチ・カトリック派にとって
格好の批判の餌食になります。

まあ、そんな彼女の結婚式は教会では行わなかったものの、ウェディング・ドレスを着用。
ノエルに代表される年間の宗教行事も普通にお祝いする様子を見て、内心クスッと笑ってしまうのですが、
反面安心させられるのも事実。

だって想像してみてください。結婚式やお葬式も普段着、ノエルもお祝いせず…となってしまったら!?

義妹の結婚式に招待された、しばらく会ってなかった親友はスーパーハードなアンチ・カトリックになっていて、
わかりやすく言うとヒッピーな格好で、つまりヨレヨレのシャツに破けたジーパンで出席。
さすがの義妹も唖然、招待したのを後悔していました。

コミュニオン(赤ちゃんの頃に洗礼を受けた子供たちが12歳の時に行う
カトリック信者であることを確認する式)に出席した時も然り。
参列者の中に場違いにもTシャツ+バミューダ+ビーチサンダルの若者を発見。

また、ある時突然お葬式に参列することになったpidoo。
正装ではないけれどとりあえず全身黒でまとめて臨んだら。
いるわいるわ、Tシャツ+ジーパン+スニーカーで参列する近親者たち!
黒を基調とする服を着用する人は2割ほどの現実を目に心底落胆し、マミーに話しました。
すると
「昔、毎週日曜に教会へ行くのが常識だった頃はみんな黒地の一丁裏を持っていてね、
服の選び方を心得ていたものだけれど。
最近では皆教会へ行かなくなり、場所柄をわきまえず、
皆自由気ままな服を着るようになったのよ、嘆かわしい」
と。

結婚式におしゃれをしていくのは
新郎新婦の晴れやかな気持ちを一緒にお祝いしたいという気持ちを表現するものだし、
お葬式に黒系の服で臨むのは故人への悲しい沈んだ気持ちを表現するためだからという日本でいう常識、
こちらのまだ信心深かった頃の常識が薄れているということなんでしょうか。

そんな彼らはたいてい
「どんな服装だろうと、出席することに意味がある」、
「これが普段の私だから」
と理由付けます。

しかしそこには自分自身を表現したいという気持ちがあるだけで、
その日の主役に対する敬意が欠けているのではないでしょうか。

私を含める多くの日本人は、生活の中でこういった「常識」は普通に教え込まれていますが、
フランスでは一体誰が教えてくれるのでしょう?

つまり、フランス人にとって教会とは、生活にメリハリをつけ、
常識を教える場所なのではないかと気が付いたのです。

最近、近くの教会で、水着での立ち入りを禁止したと聞きました。
つまり、禁止しなければ水着で教会に入ってしまう人間がいるということなんです。

誰でも他人の家へお邪魔する時はその家の勝手に合わせるもの。
教会はいわば神様の家。
私はお寺に入る時は境内の水で手を洗い、手を合わせるように、
教会では聖水に指を浸し十字を切ることが最低限のマナー、尊敬の気持ちを表す方法だと思います。

いやあ、恐るべしフランス人。もし私に子供が生まれたら、頻繁に教会に連れて行こうっと。



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