【57】~【61】



untitle【57】フォーリン ラブ ウイズ 







えっ、なにしているんだ?

結局、食べる気になれず、予約を入れてくれたレストランの前まで行き、

そのまま帰って来たら、藤田がいた。

食事はもう、終ったんだろうか・・・

なにやら、慌ただしく動きまわっている



「お前、飯、食ったのか?」


藤田はかなりの量の書類をかかえて、

びっくりして俺の方を見ていた。



「副社長こそ、どうなさったのですか?

私よりも、随分後に出て行ったのではないですか?」



「あぁ、せっかく、お前が予約してくれて悪いと思ったが、帰った。

午後からの打ち合わせの書類の確認をしたいんだ。

食欲も無いし、なんか適当に・・・」


と、そこまで言った時には、

もう藤田が書類を置き、電話をかけていた。


「サンドイッチとコーヒー2人前・・・運んで・・・副社長室に・・・」


なんだ、やっぱり、こいつも食べてないんだ。

電話を置くと、また、藤田は書類を移動させ始めた。



「ところでお前、電話はかけたのか?」


藤田はその問いには答えず、


「ちょっと、待ってください。これが終りましたら・・・」とだけ言い、

俺が午前中かかって片付けた書類を次々にファイルに閉じていく。

なんの躊躇の無く、書類を裁いていく手際の良さは

見ていて気持ちいいほどだった。




午前中、ずっとこの部屋には2人でいた。

俺はこいつのアンバランスな才能に不思議な魅力を感じていた。

腹の立つこともあったが、とにかく、それでも許されるなにかがあった。

藤田がいるおかげでたびたび、助かっている。

古臭い考えを持つ会社の役員たちと衝突するたびに

その間に立って、何とか仲を取り成してくれた。

俺のような瞬間湯沸し器にはほどよい、冷却材になっている。



「すみません。さきほど、質問にきちんとお答えできなくて・・・

ファイルだけは間違いなく正しい位置に戻さないとあとの仕事に

差し支えますので、申し訳ありません。

答えですが、電話させていただきました。

急遽、今日の夜、8時に会うようになりまして・・・

それで仕事をそれまでに絶対終らせなくてはと思いまして

そのまま仕事にUターンいたしました。」



こんな時も、おかしなくらい丁寧な言葉使いをする奴だ。


「そうか、良かったな。あの眼鏡、いや、山下だったけ、何年ぶりなんだ?」



「2年ぶりです。一年早く、彼女の方が帰国しています。

帰国される時、会って以来です。偶然なんですけど、NYの自宅に遊びに行くと

お別れパーティーをやっていまして…その時から、会っていませんでした。」


「なんだ、おまえ、そのパーティーに招待されていなかったのか?」


「それはそうでしょう。

私は彼女の弟の友人であって、彼女の友人ではありませんから。

まぁ、知り合いとは言えると思いますが…」


「そうか?でも、俺にはそれ以上に思えたぞ。

向こうはどうだか知らないが少なくともお前はどうなんだ?」


俺は意地悪な質問をして藤田がどう答えるか試してみた。


しばらく、考え込んで、一言、こう答えた。


「フォーリン ラブ ウイズ ミス ヤマシタ」






「はぁ?…」


冷やかしのつもりだった。


まったく、予期せぬ答え。


本人は例の如く、いたって真顔だ。


逆にそんな質問をしてしまった俺の方が居心地が悪くなってしまった。


素直で自分の気持ちを否定しないところが藤田らしいが


ストレート過ぎないか?


それとも屈折した人生と恋愛の軌跡をたどってきた俺のそう思うのが

おかしいか?


びっくりした俺はもう一度、質問した。


「いつから?」


「フロム イエスタデイ」





なんで、答えが英語で返ってくるんだ?


いや、それは今さら、どうでもいい。


「昨日から……。」


俺の部下とあいつの上司が・・・

いや、藤田はともかく、あの女が藤田を好きになるか?

仕事一筋のキャリアウーマンだ。

恋愛より仕事を取るタイプに見える。



俺は恐る恐る、次の質問をして見た。


「何歳くらい、上なんだ?日本語で答えろよ!」


「たぶん、4歳か、5歳位だと。でも、年は・・・」


「それは俺だってわかっているさ。関係ないと言いたいんだろう?

それはいいんだ・・・いや、なんか、合わない・・・気がして・・・」


俺は思わず、口を濁してしまった。




「あの女は諦めろ」なんて言える訳がない。

お前には似合わないとか恋愛対象にならないとかそんな事、俺が言えるか?

さんざん、藤田にはつくしとの事で助けてもらったんだ。

今度はコイツに何かしてあげたいと思う。



「食事に誘っていただきまして、光栄と申しますか・・・

夢のような気分です。」

冷静に話しているのに舞い上がっている?

やっぱり、おかしな野郎だ。




ドアを叩く音がする。

簡素な食事が運ばれてきた。


結局、いつものようにゆっくり食事をする暇もなく、

2人で簡単なお昼で済ます。


「申し訳ありません。今日はお時間ありそうでしたので、

レストラン予約したのですが、最初から、こうすれば良かったですね。

いつも、食事の時間を作ることが出来なくてすみません。」


藤田が俺に謝る。


「お前のせいじゃないさ。やる事があり過ぎるんだ。

文句を言われまいと、なんでもとりあえず、俺に書類を押し付けてくる。

それさえすればいいと思っているんだ。

本当は裏で結構、勝手な事やってることくらい、知っているさ!」

日頃のうっぷんをはき捨てるように言った後、コーヒーを一口飲む。

怒りで美味しいのか不味いのかさえもわからなかった。



藤田は自分の分だけさっさと食べ終わると、

もう、次の仕事に取り掛かっている。

タフな野郎だ。

俺もたいがい、犬並だとか言ってさんざん、馬鹿にされてきたが

あいつの精神力は・・・それ以上だな。




考えてみたら、誰と誰が合うとか合わないとか、

そんな基準がどこにある?


あいつと俺だってそうだ・・・


あいつ、今なにをしている?


妙な感傷に浸った後、

約束の午後8時までには

今日のすべての仕事をクリアにするため、

俺も仕事を再開し始めた。



せめてもの恩返しだ。



お前、ありがたく受け取れよ。








untitle【58】山下さんみたいな人







思わず、何度も時計を見てしまう。

それに村田さんが気づいて、笑いながら、言う。


「牧野さん、時間が気になるみたいね。まぁ、それもしょうがないか!」


「笑わないでくださいよ。もう、ドキドキものなんですから…

食事の相手が山下さんと藤田さんなんて、ありえない組み合わせなんですから。

この先の展開が全く、読めません。もう、どんなるんだか?」

ためいきまで、出てしまう。



「考えてもしょうがないわよ。

牧野さん、なるようにしかならないわ。

それより、楽しい食事になったらいいわね。

今さっき、山下さんが予約していた

レストランね、とても素敵なのよ。

雰囲気もいいし、料理もおいしいの。」


「おいしい」と言われ、思わず、料理の想像をしてしまった。

でも、出てくるのはなぜか、

肉じゃがにコロッケ、ハンバーグにきんぴらごぼう…

やっぱ、あたしの発想、貧相だ…

あいつに貧乏くさいと言われるはずだわ。



山下さんは本店から帰ってきた社長と展示を入れ替えた

シンディーの作品の点検をしていて、ここにはいなかった。



つくしはふと、何気なく、質問してみた。

「山下さんって、あの、もちろん、独身ですよね。」


村田さんはこの質問に少し驚いたようにしばらくつくしの方を見た後、


「改まってそんな質問されるとちょっと、びっくりするわ。

そうみたいね。

恋人がいるってのも好きな人がいるなんてことも聞いた事もないわ。

でも、結婚にも興味ないみたいよ。

彼女のようなキャリアがあって才能もある人は

なかなか、結婚に理想を描けないじゃない?

よほど理解のある人でないと結婚してもうまくいかないかもね。

家庭に収まるような人じゃないし、才能が埋もれるのは惜しいわ。」


と、何かを考えるように言った。


「ごめんなさい。急に変な質問しちゃって…

別になんでもないんですけど…

こんな質問したなんて言わないで下さいね。」

つくしは謝るように言った。


「言っても、彼女、気にしないと思うけどもちろん、言わないわよ。

でも、わたしがむしろ、気になるのはその藤田君とか言う人よ。

牧野さん、知り合いなんでしょう?どんな人なの?」

村田さんから、今度は逆に質問された。


でも、彼を一口に語るのは難しい…。


「藤田さんは…まぁ、いい人だと思いますけど…

なんというか、癖のある人で、言うならば、山下さんみたいな人です。」


「えっ、山下さんみたいな?」

村田さんが不思議そうにあたしを見る。


「はい、頭がよくてとても才能のある人だって所は共通してると思うんです。

でも、なんか変なんです。抜けてるところもあって、

そこがまたいいところでもあって…

完全無欠な人って、近寄り難いですから、それはないんですけど。」


本当に藤田さんを説明するのに言葉をいろいろ捜してしまう。

でも、適切なちょうどいい言葉が思い当たらない。

それは山下さんにも言えることかも知れない。


「なんとなく、わかったような気がするわ。

要するに似たもの同士ってわけ?」


似たもの同士?

そんなこと、思っても見なかった…


でも、考えてみたら、昨日の今日で藤田さんが忙しいのに

電話をしてくるなんて

「えっ、もしかしたら?」

と鈍感のあたしでも考えてしまった。


それに昨日、山下さんは電話があるのを確信めいて言っていた。


いや、でも、山下さんは村田さんの言うようにたぶん、

藤田さんのこと恋愛の対象なんて、特になんとも思っていないだろう。

でも、藤田さんは昨日の様子もそうだけど、

山下さんのこと…やっぱり?



あぁ!だめだ、わかんない!!

あたしは人の恋愛どころじゃないんだ。

自分のことでさえ、うまくやれないのに…ホントそれどころじゃない。



村田さんが急に考えこんで一人,頭を振りながらブツブツ言っている

つくしに気付き、尋ねる。

「どうしたの?牧野さん、何かあったの?」

「あっ、ごめんなさい。なんでもないです。」

と、つくしが答えたと同時に事務室のドアが開き、

社長と山下さんが入ってきた。



「牧野さん、昨日はお疲れ様!今日も来るなんて勉強熱心だね。」

右手を軽くあげて、つくしに笑顔を向ける社長。


「あっ、こんにちは。昨日は私こそ、お邪魔じゃなかったんでしょうか?

何の役にも立たずに・・・

でも、あんなビジネスの世界があるなんて正直びっくりでした。」

思わず、イスから立ち上がり慌てて挨拶するつくし。


「なんか、悪かったかな?

突然の現場が大きな取引だったからね。

刺激、強すぎた?」

社長が気の毒そうに言った。


「そんなことないですわ。

あんな大きな取引はなかなかないんですから、

今後のためにも良かったと思いますわ。

ねぇ、牧野さん?」

山下さんが、ニコニコ笑顔にえくぼを見せながら、割り込んできた。


「そ、そうですね。びっくりしましたが、良かったです。

連れて行ってもらえて、プラスになったと思います。」



つくしの答えを聞いて、胸をなでおろす社長だった。

昨日、取引先の若い副社長から聞いた衝撃的な告白に内心、

どうしたものかと社長自身は少し、悩んでいた…。



「牧野さんも道明寺副社長の事について言及しないようだし、

このままお互いにこのことには触れないでおくのがやはり、良いようだ。」

社長が出した結論だった。



「じゃ、私はこれから、成城のS氏宅へ商談あるから、失礼するよ。

来て早々、また、出て行って悪いけど・・・あとはよろしく。」

来た時と同様に、社長は右手を軽く上げて事務室を出て行った。




「社長にはこのまま、黙っておくわけ?」

事情を知っている村田さんがつくしに突っ込んできた。

「それは・・・」つくしがどう言っていいか、

悩んでいると山下さんが代わりに答える。

「牧野さんが言わないで欲しいって言っているから、それで良いんじゃない?

商談も成立したことだし、今さら、言ったってなんの徳にもならないでしょう。」



いや、その、これは損・徳の問題じゃないんですけど・・・

2人に知られた事を社長だけが知らないで良いかという問題な訳で…


「そういう、ややこしい問題はとりあえず、あっちに置いときましょうよ。」

山下さんはめんどくさそうに何故か、窓の方を指差して「あっち」と言った。


それを受けて、村田さんはつくしにこう言った。

「わかったわ。あっちにポイね。

私も聞かなかったことにして良いかしら?

どうせ、私も、もうすぐ、ここの勤務も終わりだし、

牧野さんにはできるだけここにいて欲しいから。」


「こちらこそ、プライベートの事でお騒がせしてすみませんでした。

これからも変わりなく、接してください。お願いします。」

と頭を下げるつくしだった。



山下さんが「さぁ、そろそろ、また、持ち場に戻らないとね。」

と事務所を出ようとした時だった。

また、携帯の着信がする。

山下さんが電話の相手を確認している。

と、一瞬、あたしの方を見たような気がした。

が、何ごともなかったかのように出て行った。



部屋のドアを閉め、慌てて、電話を受けた。

「もし、もし・・・山下ですけど・・・

えっと、あなたは誰かしら?」


相手はこう答えた。


「突然の電話で申し訳ない。道明寺です。」


着信の発信者名がすぐそこにいた

「牧野つくし」だったので驚くのも無理はなかった。





untitle【59】この女、ただものじゃないな。







13時半を少し回った時、藤田が言った。


「副社長、そろそろです。下に車が用意してありますので。」


「もう、こんな時間か、14時だったな、確か、約束の時間は。」

俺は自分の時計で確認し、藤田の方に視線を移した。


「はい、そうです。ではこちらの仕事を切り上げて私もお供させてもらいます。」

藤田が席を立とうとしている。


「いや、今日はお前はいいや。ここにいて、仕事の続き、やっとけ。

どうせ、すぐ、帰ってくるし、今日の相手は問題ないからな。」

視線を下に逸らし、独り言のように言ってみる。



「えっ、いいんですか?お供しなくて?」


どう、考えても、言葉と裏腹に喜んでやがる・・・


「あぁ、いつまでも、子ども扱いすんなよ。お前がいなくても平気だ。」





部屋を出る前になにか一言、言いたかったが、

ぐっとこらえてやった。





うん?


背広のポケット…


なんか、やけに重たい


無意識のうちにつくしの携帯をポケットに入れていた。

歩いて、エレベーターに向かう途中に、気づいた。




「電源をオフにしとかないとな・・・」

ポケットから、取り出そうとした時だった。



突然、鳴り始めた携帯。

思わず、発信者名を確認する。


「三条桜子」

なんだ、桜子か・・・


でも、俺が取るわけには・・・

鳴り止まない

エレベーターホールに響き渡る音。

俺のほうを恐々と見る社員が数人。




「うるさい、なんだ?何の用だ?」

思わず、携帯に向かって、怒鳴りつけた。

「ち、ちょっと、なによ。びっくりするじゃない!私は先輩に電話かけたのよ。

なんで、道明寺さんなの?そこ、先輩、いるんですか?」


「いねぇよ…俺、今、会社なんだ。切るぞ!」


役員専用の空のエレベーターが来た。

それに乗り込んだ。


「待って!ちょっと、待ってください。

道明寺さん、先輩とあれから、どうなったんです?」


しぶとく粘る、桜子。


「どうにもなってねえよ。あのまんまだ。今、話すことはなにもない…」


「でも、携帯は?どうして先輩のを道明寺さんが持っているですか?」


「頼むから、今、色々、俺に聞くなよ。もう、切るぞ。

どうしても、聞きたいなら、本人に聞けよ。」


「だから、その本人に聞こうと電話したら、

道明寺さんが出たんじゃないですか!」




・・・その通りだ。

だが、今、説明している暇はない。


「仕事の途中なんだ。今、移動中で、たまたま、取ったんだ。

悪いが今から、電源切るから・・・

どうしても、知りたいのなら、類に聞け!じゃ、切るぞ。」




「ハァ・・・類に聞けって…花沢さん??」

「なに、それ?」

一方的に切られた電話から、聞えてくる機械音をしばらく聞きながら、

最後の言葉を桜子はどう、判断していいか、迷っていた。




エレベーターはどこの階にも止まることなく、一階のロビーに着いた。




迎えの車の中で、俺も迷っていた。


桜子から、電話を受けたときから、ずっと、そのことを考えていた。



手に持ったまま、車に乗り込んだ時に、

思わず、もう一度、携帯を開いてしまった。

いくらなんでもつくしの携帯の中を覗こうなんて思ってもなかった。



悪いが見てしまった着信履歴


つくしの携帯はメール機能はついていない

発信者は笑えるくらい、ほぼ、俺ばかりだった。

たまに自宅だったり、俺の知ってる名前が並ぶ・・・



そして見つけた「山下知子」と言う名前。


あの女だ・・・

眼鏡のあの女・・・藤田が好きになったと言った

俺にはどこが良いのか理解できないが・・・



昨日は、藤田のために携帯番号を聞いたが、自分がかけようなんて

思ってみなかったものだから、今日メモはそのまま、渡した。



迷った挙句、14時から会った取引相手の所要を手短に済ませ、

帰りの車の中で、「山下知子」の番号を押してみた。





「びっくりさせて悪い。あんた、昨日の人だろ?

藤田の知り合いの・・・」


「そうですけど、どうされたんですか?なにか、昨日の件で不都合でも?」


つくしの携帯で電話している相手を不審に思いながら、次の言葉を待つ。


「いや、昨日のビジネスの件は完璧だ。それは特に問題はないんだ。

どう、話を切り出したらいいか、俺も迷っているんだが・・・」

少し、沈黙が続く。


「あの、話の途中で、ごめんなさい。話は牧野さんのことでしょう?」



えっ・・・

この女、やっぱり、知っているのか?

俺とあいつの関係を・・・


「昨日、牧野さんから、あらかた聞きました。

今、お忙しいんでしょう?手短に話を済ませましょう。

電話をかけてきたのは今日の藤田さんとの約束に関係していますね。」




驚いた。


なにもかもわかってんだ。


この女、ただものじゃないな。


「こっちの気持ちを汲み取ってくれて感謝するよ。その通りだ。」




でも俺の言いたいことが、あんたの今の一言で変わった…









untile【60】俺には俺のやるべきことがある。





もちろん、この時点で俺は電話の相手は

俺とつくしの関係は知らないと思っていた。


昨日、事情をホテルで社長に説明した時、この女はいなかった。


だから、つくしの名前が出るとは思っても見なかった・・・


俺は「藤田のことをよろしく」と頼むつもりだったはずだ。




いや、それは違う・・・


そうじゃあ、ない


俺はある種、期待をしていた


この女につくしが俺とのことを話しているんじゃあないかという期待



俺は藤田にかこつけてその探りを入れようとしていた


なにもかも見透かされているような感覚


俺は正直、焦ったが、女は続けた。


「もし、よろしかったら、少し、 私に話させてくださいませんか?」


「どうぞ…」


「最初に謝らないといけません。

昨日、知らなかったとは言え、牧野さんをあなたの前に

引っ張り出すよう形になってしまって…ごめんなさいね。

あなたにも牧野さんにも迷惑を掛けました。」


「それは謝る必要はないと思うけど・・・」


「そういっていただくと助かります。

それで、罪滅ぼしと言うわけではないんですが、

なんとか、2人に協力できればと思いました。

就職の件、黙っていたこと、牧野さん、後悔されてるみたいですよ。

実は私、藤田さんを使って、あなたと仲直りさせる計画を立てていたんです。

でも、直接、お電話いただいたので、下手な工作をする必要はなくなりました。」



女はここまで言うと俺の出方を伺っているようだった。


マックス150キロの直球を打ち込まれたような感触だった。


だから、俺もそれにはストレートで返すことにした。



「なにもかもわかっているあんたには正直に言うよ。

俺もあんたにそのことで協力してもらいたいと思っていたんだ。

でも、気が変わったよ。

今日は藤田との食事だけを楽しんでくれないか?」


「…それでよろしいんですか?」



「あぁ、俺は俺のやり方でなんとかすることにしたから・・・」


「道明寺さんがそれでよろしいのなら、私はなにもしませんよ。ただ…」



俺はしばらく、この女の話を聞いた。



「そこまでしてくれたら、十分だ。感謝するよ。

じゃあ、藤田のこと、頼む。間違いなく、時間通りに行かせるから…」



俺は携帯の電源を切った後、


自分の馬鹿さかげんに可笑しくなって笑ってしまった。



運転手は驚いて俺のほうをチラッと見たが、すぐにまた、

何事もなかったかのように前を向き直した。





俺はまだまだ、甘いな・・・


あの女、俺に言いにくいことを言わせなかった


たいした女じゃないか!


相手のほうが一枚も二枚も役者が上をいっている



「道明寺さん、いくら、あなたでも牧野さんの携帯を使って、

勝手に電話するのはよくないですよ。

発信記録残るんですからね。

早く、消去して置いてください。

そんなことしたら、また、嫌われますよ。」



手ごわい相手に負けまいとかっこよく決めたつもりだったのに、

電話の相手が最後に言った言葉で、とどめの一発を食らわせられてしまった。





見慣れた大きなビルが見えてきた。


黒塗りの車から降りる数人の男達。



『あれは、・・・今、会うのはまずいな。』


正面玄関に横付けしようとする運転手に俺は言った。

「地下に行ってくれ」

車は滑り込むように大きなビルの地下駐車場へと入っていった。



急いで部屋に戻り、立ったまま、今からの会議について藤田と

もう一度、要点の確認をしあう。


来客が来たと知らせる電話。


それはわかっている。

数分前に見た。

ビルの前で車から降りるのを。


会議室で待っているのは、今の俺一人では、太刀打ちできない相手だ。

このため、藤田が資料を何日もかかって揃え、準備をしていてくれた・・・

交渉に勝つために・・



さぁ、仕事だ。


俺には俺のやるべきことがある。


勝ち続けるために






「お帰りなさい。どうでしたか?」


商談に行っていた社長が戻ってきた。


山下さんが社長に聞いている。

「うん、なんとか、決まりそうなんだが、色々、迷っているみたいでね。」


「まぁ、金額が大きいですから、それもしかたありませんね。

できるだけ、先方の要望を聞き入れるように努力はしますが・・・

なんでしたら、もう一度、作家と値段交渉もしてみますので。」


2人で今日の商談の話をしているのが聞こえてくる。


バイト感覚じゃ、やれない本当に大変な仕事なんだ・・・


専門的に学ぶってすごいな。


そしてそれを仕事に生かしている。


つくしは改めて、山下さんの仕事振りを見て、実感してしまった。



あたしのように腰掛け程度にちょっと、仕事するのって、どうなんだろう?

山下さんから見たら、あたしなんか、どこにでもいる平凡な女子大生なんだ。



あたしは、まだまだ、甘いな。


自分のこともきちんと決められないでいる。



司、今どうしている?


あいつ、あたしとは違う


ちゃんと、戦っている


正面から堂々と


逃げないで


いや、逃げることなんか、できないんだ・・・



つくしは改めて平凡な自分の度量の小ささにためいきをついていた。






「なんとか、うまくいきましたね。」


藤田が安堵の顔をして俺に言う。


「そうだな。感謝するよ。お前の揃えてくれた資料が効いたよ。

相手、びっくりしていたな。そこまで調べあげたのかって…」


会議室から出て、俺は藤田と廊下を歩きながら正直、ホッとしていた。


裏打ちされた確かな資料。



味方であるはずの一緒に出席したグループ内の

重役までもが驚いて俺を見ていた。




『どういうことだ・・・俺が失敗でもすればいいなんて思っているのか?』

改めて、『敵は外部の人間だけじゃないな』と確信した瞬間だった。


まぁ、いい、見ていろ


本当の実力をつけてやるからな…


今に泣きを見るなよ。




大股で歩く俺の先回りをするため、藤田が小走りで追い抜いていく。


俺に、重役室のドアを開けてくれるために。








untitle【61】おしゃれになった




「牧野さん、用意できた?そろそろ、行きましょうか?」


山下さんが持っていたバッグを軽く持ち上げて外の方を指差した。


「あっ、はい。できてます。」


慌てて立ち上がるつくし。


勢い余って、イスがうしろに音を立てて動いたのを必死で止める。


山下さんがそのイスを笑いながら、引き戻してくれた。


「すみません。」つくしは山下さんに謝る。



「がんばるのよ、牧野さん!賽は投げられたよ。」

村田さんが笑顔でエールを送りながら、見送ってくれた。


つくしは山下さんのうしろについて画廊を後にした。




外に出ると、3月が近づいていてもまだ、冬

こんな時間になると冷え込んで肌寒い・・・

顔に冷たい風が当る。


でも、あたしのハートはそんな冷たい風にもびくともしないほど熱かった。

しばらく、すっかり暗くなった空を見上げる。

「牧野さん、大丈夫?」


山下さんが一緒に歩きながら、声を掛けてくれた。

いつの間にか山下さんはあたしの横に来てくれていた。


「ほら、背中、曲がっているわよ。前向いて、しっかりしなさい!」


その言い方がまるで学校の先生が生徒に言うような口調だったので

これには、あたしも「ハイ!」と思わず、大きな声で返してしまった。


「よし、その調子よ。元気のいい牧野さんが一番よ。」



勤め帰りや買い物帰りの大勢の人たちに混じってあたし達は歩道を歩いた。


未来の扉へと1歩づつ、近づいて行くような感覚だった。




「牧野さん、約束の時間まで、まだずいぶんあるし、ここからすぐなの。

だから、ちょっと、お茶しましょうよ。私がおごるから・・・」


「あっ、コーヒー代くらいなら、あたし、払えますから」


つくしは慌ててそれを断った。


「遠慮しなくていいのよ。今日の食事も昨日のお詫びみたいなものよ。

やっぱり、あなたにいやな思いをされたのは事実なんだから。」


ありがちなメニューを一通り、見ながら、結局、コーヒー2杯を注文する。


「お詫びだなんて、そんな事言わないでください。

あたし、考えたらあれで良かったんじゃないかと思いました。

もちろん、これからの仕事としての役にも立つと思うし、

正直、道明寺の仕事の一端を垣間見ることができたのですから・・・

ほんと、大変なんだなと改めて認識しました。」


わかっているつもるだったけど、わかっていなかったんだ、司のこと。


滅多に弱音をはかない司があの日、車の中で珍しく、愚痴を言ったっけ…


そんな司の気持ち、全然考えられないで、自分のことでいっぱいだった。

愚かだった…

仕事を何とかやりくりして、あの日もデートに誘ってくれた。

楽しい時間にしなければいけなかったのに、あたしはそれをぶち壊した。


「牧野さん、どうしたの?さっきから、ずっとコーヒーカップの中、

スプーンでかき混ぜているけど、なにか、考え事?」

山下さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「あっ、すみません。あたし、ボーっとしていました。」

あわてて、手にしているスプーンをカップから取り出し、受け皿に置いた。


「道明寺さんとの事考えていたんでしょう?目が遠くを見ていたわよ!」

山下さんはえくぼを見せながら、あたしを半分冷やかしかげんに見た。



山下さん、よく見るととてもきれいだ。

飾らないシンプルな化粧に髪型、服、みんなこの人の人柄を示している。

その眼鏡を外したら、絶対にもっと、きれいなはずだ…


「なによ、牧野さん、今度は私を見てどうするの!」

あたしがまじまじ、山下さんを見ているもんだから、注意されてしまった。


「すみません。だって、こんな言い方、変かもしれませんが、よく見ると

山下さんって、きれいだなと思って…あの、眼鏡、外して見てくれませんよね?」


「だめよ、これは伊達じゃないのよ。ホント、見えないの!

残念ながら、リクエストに答えられないわ。コンタクトは体質に合わないし…」


と、慌てた様子だったが、ニッコリ笑って、


「でも、きれいだって言われて悪い気はしないけど…、

牧野さん、意外と営業に向いてる?」とあたしに言う。


「誤解しないでください。あたし、おべっかなんて使ってません。

本当にそう思ったから言ったんです。眼鏡をかけてても素敵ですって!」


必死に誤解を解こうとするつくし。


「牧野さん、すぐ、そうやってむきになるところがまた、面白いのよね。

営業向きって言ったのは冗談よ。いちいち、気にしないこと!

これもあなたの悪いクセよ。反応しすぎよ。しかも的を得ていない!」

山下さんにいろいろ指摘されるたびに本当の自分の姿が見えてくる。


いいところ


わるいところ


ふと、歩道に面した大きなガラスの向こうに映る自分に気づく。


くらい

しんきくさい


全然、おしゃれしていない自分。


これがあたしの現実だ。


「えっ!」

感じる首もとの暖かさ。


山下さんがバッグから、一枚のスカーフを取り出してあたしに掛けてくれた。


上質な素材のスカーフだ。


「どうしたんです。急に。これって…」


びっくりして、スカーフを握る。


「だから、お礼とお詫びのしるしよ。今、言ったけど、聞いてなかったでしょう?

お礼はバイト、がんばってくれたし、今日も手伝ってくれたから。

お詫びは昨日の事、申し訳ないと思って…。それ、私のお古よ。

どうせ、牧野さん、新品買ったってやっても、

『貰えません』って付き返すでしょう?

だから、お古。それなら、受け取ってくれるでしょう?」


山下さんはそう言いながら、そのスカーフをあたしの首元に

きれいに結んでくれる。


「でも、あたし…」どうしていいか、戸惑う。


「でも…は無しよ。ほら、似合ってるわよ。それだけでおしゃれになったわ。」


そう言われて、もう、一度、大きなガラス窓の方を向いた。


あたしは山下さんから、『おしゃれになった。』

と言われ、それを確認するはずだった。



でも、目に映ったのはおしゃれなスカーフをしたあたしでなく、


まぎれもなく、司の姿だった。


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