かもしだ★はやを♪の機械系日誌   パワードスーツ・コム

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●渚にて編 その1


滞在であった。

 半年滞在を計画し、旅立ち、生活し、帰国するまでを、順を追って記録し
ていこうと思う。そういえば、今まで、何にも記録してなかったなあ。


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 1982年3月、私はシドニー行きの本格的な準備に入っていた。

 それまでの半年間で、大学の休学届けやら、ワーキングホリデービザの取
得手続きやらで忙殺されていた。

 ワーキングビザは当時日本がブラジルとオーストラリアとの間で若者の長
期滞在による交流を、相互に促進しようと躍起になってた時期で、預金残高
がはっきりしてれば、わりとすんなりととれた。が、当時70万円の銀行預
金残高証明書を造るのに、当時両親はあちこちから金を借りまくり、残高証
明が取れた時点でさっさと返却しまくっていた。70万円の預金残高は、当
時の政府が考える「最低70万円あれば、現地で就職するまでは食っていけ
るだろう」という基準で、持って無い人はビザが降りなかった。

 つまり私は、ほとんど一文無しで行かねばならなかったのだが、両親は不
憫に思ったのか、航空券代と10万円を包んでくれた。いよいよビザも発行
され航空券を手配する段取りとなった。


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 小さい頃から「お前は虎になるのだ」うそ、「お前は、大きくなったら海
外に1年間住むのだ」と亡き父に言われ続け、その気になって大きくなって
た私だったが、海外旅行とは物いりだ、ということにこのときになって気が
ついたりした。

 まず、当時はパック旅行とか格安航空券とか、そういうものが広く出回っ
ておらず、近所の間口一間のひなびた旅行代理店のおじちゃん、おばちゃん
(そう、昔は旅行代理店は不動産屋とあまり区別がつかなかった)に、旅行
の相談をしたところ、日本航空で行くと往復の半年オープンに使える航空券
で65万円かかる、と言われた。

 できるだけ安い移動手段を探して、といったところ初海外旅行にも関わら
ず、乗り継ぎのリスクを犯せば、なんとか払える範囲のところの往復の旅行
航空券を予約できた。



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以下続く・・・・・

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