のんびり生きる。

のんびり生きる。

そうしたところでしか根付くことがなかった


著者名:長田弘 1999
出版社:


人生というのはそれほどたいしたものなわけではない。しかし、それはすこしも不幸ではない。むしろ不幸というなら、たいした言葉や立派なうそがあまりにもおおくありすぎ、あまりにも容易にもちいられている。そのことが不幸なのだ。
              〈ノンセンスの贈り物〉より

およそどんな冗舌にも不足していないような時代に不足しているのはただ一つ、ほんとうに必要な言葉だ。みずからゆたかに沈黙できるような言葉だ。
               〈モーツァルトのように〉

大事なのは、それがどんなものということではないのだ。おもちゃはモノではなくて、つまるところ、時間の容れものなのだからだ。〈省略〉おもちゃは、そうした一人の日々のいたるところに穴を開けている、退屈という怖るべき時間をいれる容れものであって、その中身は無なのだ。

探偵小説において重要なのは、潔白であって、罪ではないからである。
「叔父がビルマでワニにくわれてしまったんです」。一人の青年が悲しげにクリスティーに言った。「どうしていいか、分からなかった。で、そのワニを剥製にするのが一番いいと思って、そうしました。そしてそれをイギリスの叔母へ送ってやりました。」
                      〈絶望のなかにも〉

公衆便所といって、公共便所とはいわない。風呂と電話と便所にかぎって、公衆という言葉がつかわれる。そこにはパブリックの本来の意味がある。公衆という言葉がそういう風にしか、そうしたところでしか根付くことがなかった。そこにこの社会のありようの秘密が、功まずして見えてくるようだ。すなわち、公共のみがあって、公衆がいない。
                       〈街の秘密〉

「アメリカ合衆国の象徴は、鷲でなく、ザリガニであるべきだ。線路に鷲をおいたとする。列車が来たとき、その鷲はどうすると思う?とんで逃げちまうんだ、やつは。だが、その線路にザリガニをおいたら、どうなると思う?ザリガニのやつはハサミをあげて、その列車をとめようとするのさ。」    (空飛ぶ猫の店)


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