のんびり生きる。

のんびり生きる。

いいえ。それができるのなら、


「どれ?」
「たぶん十二時の。君が病院に帰るのなら。今度はいつ会える?」と男は、すでに会えることはあたりまえといった口調で尋ねた。
 女はまだ下着姿だった。彼のほうを振り向いたとき、淡い色のスリップを通して太腿の輪郭がぼんやり見えた。「もう会えない」
「どうして?」気楽な気分は変わった。「何かまずかった?」
「いいえ。ぜんぜん。その反対よ」

・・・・・・
「もしかしたらぼくらは結婚できるんじゃないか?」と男はしゃにむに問い詰めた。
「いいえ。それができるのなら、そんなに軽々しく聞いたりはしないでしょ」
「最初はお金のない生活だろうけど、お互いがいることだし、働けばなんとかなるよ」と男は訴え続けた。
「いいえ。ごめんなさい。あなたのことはとても好き。でもそれはあり得ないの。あたしの心はもうだいぶ前から決まってたの」
「じゃあ、もう一度だけというのは?」男は女を遮って言った。
「まる一晩費やしたばかりじゃない」
「最後にもう一度だけ」男の両手はすでに執拗に要求していた。そしてことが終わるやいなや、後悔した。なにもしなかったほうが、かえって失うものは少なかったかもしれない。
「すまない」と男は言った。
「ぜんぜんへいき」
 グリルでも朝食はあったが、階下で支払いを済ませた後ホテルで食事を取りたくはなかった。オコンネル・ストリートの、大きなプラスチックとクロムメッキの建物に入った。落ち着かない沈黙の中で、ゆっくりと食べた。
「許してもらえると嬉しいの、もし何か許してもらえることがあるのなら」と長い沈黙の後で女が言った。
「ぼくも同じことを頼もうとしてた。許しを乞うことなんて何もないよ。もう一度君に会いたかった。ずっとあっていたかった。こんな幸運に恵まれることは二度とないと思ったから。これほど率直で・・・・・・これほど怖いもの知らずの人に逢うなんて」言い終わる前に、男は自分のことばにまごついてしまった。
「あたしぜんぜんそんなんじゃない」女は笑った。長いこと笑っていなかったから。「あたしは臆病よ。来週のことに怯えてるの。大概のことには怯えるほうなの」
「気が変わったときいつでも連絡できるように、ぼくの住所を知らせておくよ」
「気は変わらない」
「ぼくも昔はそう思った」
「いいえ。変わらない。変わってはいけないの」と女は言ったが、それでも男は住所を書いて女のポケットに滑り込ませた。
「ぼくが見えなくなったら捨てればいいさ」
 ふたりして立ち上がったとき、女の眼に涙が溢れているのがわかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ジョン・マクガハン「男の事情 女の事情」

 「ほかの男たちのように」21頁-25頁
 Like All Other men by John McGahern
 吉川信訳

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