QBスニーク

◆復職◆



 前回の外来診察からの4週間は,ネットを利用した資産管理,翻訳サイトでの翻訳JOB,およびHPの管理に加えて,年度替りのタイミングを計って会社への復職を果たした.当初は在宅勤務を希望したが,会社の就業規則に在宅勤務の体系が存在しないことから,短時間でも極力毎日出勤することとして,復職の許可が降りた.退院後261日目(移植後381日目)にして復職を果たしたことになる.このとき眼前に大きな落とし穴が存在することに気付く術も無かった.

 復職後2週目を迎えた.相変わらず単時間でも会社に出社していた.短時間会社に出ても何も仕事が手につかないのは初めからわかっていた.帰宅すれば疲れで数時間寝込む日が続いた.実質的には在宅勤務の形を取らない限り何も出来ないであろうと感じた.上司の考え方と自分の考え方とのギャップの大きさに閉口した.入院中に部署が変わり,同時に上司も変わっていたため,慣れるのには時間が必要なんだと自分を納得させた.会社の仲の良い先輩たちからは「もっと休養をとらなければいけないよ」というありがたいアドバイスをいただいていた.

 復職後二週間目が終わった週末,昔経験したような背中の痛みが気になり,恐る恐る背中に手を伸ばした.水泡の塊に触れた.高校3年生の冬に同じ感触を味わったことがあった.帯状疱疹(ヘルペス)の発症であった.骨髄移植後の免疫力が低下した患者の多くが入院中に発症する病気であった.退院して10ヶ月近く経過したこの時期に発症するのは珍しいのではないかと勝手に推測した.移植を行ったN病院に連絡を入れたが主治医と連絡が取れなかったため,最寄のK総合病院(検査入院して白血病の診断を受けた病院)の救急に飛び込み点滴の応急処置を受け,週末は乗り切った.

 週明けに正式に皮膚科に受診した.帯状疱疹は右背中から脇を介して腹部へと進展していた.予め,N病院の主治医とも連絡を取ってもらった.免疫力の低下した状態で帯状疱疹を拗らせると髄膜炎を患って死に至ることもあるという恐ろしい話をされた.N病院では入院が必須であることは知っていたが,K病院であれば通院可能であるので,朝2バイアル,夜1バイアルの点滴を継続することになった.

 点滴開始後5日目には,帯状疱疹が治まり始めた.緊急事態ということで,会社への出社はしばらく見合わせることとなった.会社嘱託の産業医からも出社を控えるようにとの支持が出ていた.K病院での点滴開始後1週間が経過し,やっと点滴から開放された.会社の方も,産業医の支持による変則的な勤務体系が認められることとなった.不幸中の幸いであった.上司からも「無理しないように」というこれまでとは一変した理解ある連絡が入った.自分が恵まれていることを改めて感じた.

 前回の外来時に胃から胸に掛けて感じていた痛みはヘルペスの前兆である神経痛であったことに気付いた.骨の中よいうか内側が重苦しく痛かった.炎症反応もヘルペスの前兆だったのであろう.そのご神経痛は背中へと移り,帯状疱疹が出始めたものだと推測された.

 退院後298日目(移植後418日目).退院後15回目の外来診察.白血球数が10000台に増えているものの,異常な細胞は認められなかった.帯状疱疹の治りの良さに主治医が驚いていた.次回はマルクを実施する.

 前回の外来診察からの4週間は,ヘルペスと闘う日々と,それによって失われた体力を補充する日々であった.せっかくのゴールデンウィークも前年に続いて不健康なゴールデンウィークになってしまった.生きているだけ幸せと考えるべきであろうと感じた.

 翌週から,週に2日程度出社し,それ以外は在宅で仕事をこなす生活が始まった.やっと本格的に復職したという実感が持てた.
[2002.08.21更新]
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