めんたい姉妹が行くよ♪~移動販売おらが村~ 

めんたい姉妹が行くよ♪~移動販売おらが村~ 

★piroが行く!若社長へ突撃インタビュー





【20代起業家物語 No1.】


今回のインタビューはベンチャー通信を5万部発行している
若き起業家、明石智義氏について。

起業家マインドを持った生き方を世の中に提案していく
ベンチャー通信を創刊
過去に、ライブドアの堀江社長、京セラの稲盛会長、
ユニクロの柳井社長、松井証券の松井社長、
ドンキホーテ安田社長など多彩な人々にインタビューしている。

名前:明石智義
年齢:25歳
ホームページ:
ベンチャー通信はこちらをチェック


「このままで終わりたくない」
大学2年生の夏、風雲児明石は決意した。


江戸時代から続く呉服屋の孫、明石智義は3人兄弟の末っ子である。
姉二人に可愛がられ、智義は甘えっこだった。

小学生の頃、姉が自分のお小遣いから買ってくる歴史マンガをむさぼり読む歴史が大好きな少年だった。
中学校の頃には、興味も歴史小説から更に深い哲学・思想に変わり始めた。
高校に入ると三島由紀夫等に夢中になった。「世界ってなんなのか。」「自分の存在とは」と自問自答する日々が続いた。

自分の考えている思想・美意識があり、それを小説という手段で世の中に出していきたい、純文学の小説家になりたい!と高校の頃から小説を書き始めた。
大学は小説家になりたい夢を叶えるため慶応大学の文学部を受験したが不合格。
一浪して再度慶応大学の文学部を受験した。
翌年、他一流大学の文学部は合格したが、慶応大学だけ合格しなかった。
明石の気持ちは「文学部」に行きたい!から「慶応大学に行きたい」に変わっていた。
その年、明石智義は慶応大学商学部に入学する。


大学に入っても明石の探究心は続いていた。三島由紀夫のように革命を起こしたい。 相対的な価値観はではなく、絶対的な真理が世の中にはある!哲学というような絶対的真理を信じたいという憧れ が明石の中にあった。
「古来の日本には武士道というのがあり、国のために、何かのために命をかけるというのがあったはず。」明石はそう考えていた。
しかし、なかなか実行できず鬱憤がたまりはじめていた大学2年の夏、
「このまま終わってしまうんだったら何か違うことをやりたい」
そう考え始めた。

実は、絶対的真理なんてなくて、世の中は相対的価値観で動いているんじゃないかと割り切るようになった。
相対的なもの、俗的な酒池肉林的なものを突き詰めていこうと思った。

それなら「お金持ちになってやろう!」
三島は幻想であり、マイノリティにしかならない。
絶対的な真理がないのであれば人生は一回しかないのだから割り切ってやろう。


明石の考える「俗的な物」は最終的に商売人にいきついた。

「起業家には哲学もあり、歴史上の人物に投影できるものもあり、自分で行動して未来を切り開く。世の中を変えていくと歴史人物と似ているな。」

折りしも、ある企業家の本に出会った時だった。
グッドウィルを創業した折口雅博氏の自伝「起業の条件」 である。

「こんなすごい奴が世の中にいたんか!起業ってなんて面白いんだ!まるで戦国時代の織田信長や幕末の高杉晋作の生き方みたいだ!」

その内容の凄まじさに圧倒され、明石は感動して涙した。

明石智義は自らも起業家になるために動き出した。

大学2年の9月明石は「企業家サークル」を立ち上げる。しかし、なかなか思うようにいかず、このままでは駄目だと10月には、大学近くに事務所を開設した。
12月には「ベンチャー通信」の前身となる「フロンティア」を1000部創刊した。
「学生向けに、起業家の生き方を伝える無料雑誌があれば、面白いんじゃないか」

その後の彼の行動は劇的で、現在(2004年9月)ベンチャー通信は11号目を発行し
発行部数は5万部にものぼる。



ベンチャー通信の詳細はこちら



明石智義は言う。
「ベンチャー通信」を発行しだして、自分に自信をもちはじました。

大学2年まで自分の中で上手くいっていなくて、自分は社会不適合者のかたまり、マイノリティだと思っていました。

本当は大学生の時テニスサークルに入ってワイワイとしたい気持ちもあったけど
自分は駄目なんじゃないか。入っちゃいけないんじゃないかという劣等感をもっていた。

でも心の中では社会に入りたいと思ってて、でも認められないからだから俺は
鋭くとがっていくんだという感じだった。

でも、ベンチャー通信を起こし、社会人の方々に話を伺いにいくと「社会ってやさしいなぁ」と感じた。

自分には何もメリットないのに、事務所を貸してくれたり「お前は頑張っているんだから、がんばれ!」と応援してくれたり。特に起業家の人が多かった。

「こんな俺でも認めてくれるんだ。起業家の生き方ってすごいな、かっこいいなと思った」

立ち上げ時、社会人の人脈も情報もお金もなく「ないない尽くし」で、自分の強みは何だろうかと考えた。その時「何もないのが強みなんだ!」と気づいた。

「学生は何もない」の代名詞。そんな学生を見て、社会人は知識的にも体力的にも弱いから手助けしよう、応援しようと思ってくれる。
起業家の人々に体当たりしてきたら、皆自分を受け入れてくれた。
それが明石の起業家精神に火をつけた。


―学生時代はベンチャー通信を運用し、そのままベンチャー企業を立ち上げるのではなく
リクルートにお勤めされたのはどうしてでしょうか。

大学生のとき、わざと留年しました。

色んな人にあいたかった気持ちもあり、学生の身分に甘えて企業から仕事をもらっていました。でも、このままじゃいかんなと、いずれ社会という外海に出たとき競争社会でもまれたら自分はどうなるのかと危機感をもった。このまま卒業してNPO法人を立ち上げて綺麗な団体としてやっても大きくなれないのではないか。

ハングリーになりたい!そう思い、リクルートにいってもまれたら何か変われるんじゃないかと思いました。今まで我流で運営していたので自分のやり方でいいのだろうかと卑屈な疑問をもっていた。学生という身分に甘えてもいたので、余計な脂肪も(1年間分の)落とせるのではないかと思いました。

―リクルートに入って半年ほどで退職されたのはどうしてでしょうか。

リクルートにはいり、学ぶこともありとても面白かったです。
だけど、本筋は変わらないなと感じた。学生時代に我流でやっていたことと比較し、自分がリクルートに「いる意味」がわからなくなってきたので退職しました。


正直、昨年の9月に会社をやめて半年は、食うにも困る生活だったという。

今までは学生という身分を武器にして仕事をしていたし、また会社勤めをしている間に
我流でやっていた時の自分の感覚を忘れ、半年間のブランクを取り戻すのに必死だったためだ。

しかし、約1年たった今、彼は20代の社会人、また学生に多大な影響を落とす人となっている。
ある学生はベンチャー通信を読み、起業家に弟子入りし現在、その起業家から出資をうけて独立会社を起している。


彼の思う起業家とは下記の5条件が必要だという。

1. 曇り一点のウソもない
2. 正直で、素直、そして誠実
3. 常に自分の頭で考え、世の中の常識にとらわれない
4. 人生は一回しかないと考えて、いつも全力で生きている
5. 妥協はせずに、いつも本質を追求し続けている

最後に、若手起業家向けのイベントなども多く開催している彼に
ベンチャー通信でインタビューするミドル経営者の方々と、20代の若手起業家との違いは
何かとたずねてみた。

「20代の人は、哲学など、抽象的な話が少なく即物的な物が多ですが、原理原則を話す人がミドル以降の人は多いのではないかと思います。」

なるほど真理かもしれない。

彼は今、間近な株式会社設立のために動き始めている。
常に行動し続ける平成の竜馬がここにいる。





© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: