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Aug 23, 2011
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カテゴリ: TV番組
NHKの大河ドラマ「江」を見ているが、小生のような歴史音痴で脳幹梗塞には整理しておかないと、とてもついて行けない。

若干の年代の前後は無視する。
信長は自らの上京のために最大の邪魔である浅井長政に姉の「お市の方」を嫁がせた。
江自身は、その政略結婚の結実である3人娘「茶々」、「初」、「江」の末娘である。
しかし、浅井長政は信長の上京を阻止する側に回り、破れ、自刃し、妻子は信長の元へ戻る。
そのとき、「江」は父親の顔を知らない乳飲み子であった。
またまた、信長の野望に沿うべく、お市の方は柴田勝家と再婚し、親子は北の庄へ移る。
勝家の無骨な優しさに次第に親子の温かみを感じるようになる。

両親は自刃するも娘3人だけは脱出させる。
娘3人は秀吉を親の敵と許さないが、妻達の秀吉との接し方や秀吉の揺らぎのない愛情を感じ、「茶々」(淀殿)は遂に秀吉を受け入れるが、最初の子は短命に終わる。
「初」は初恋の京極高次に嫁ぐが子供はいない。
(高次は光秀に味方したことで一時危うい時期があったが、近江の国に基盤をもつ家系を利用したい秀吉の野望や、秀吉の側室となった妹・竜子の支援で、また、秀吉死後の「関ヶ原の戦い」では徳川方について自らの城を守り続け、自分は負けたものの、「関ヶ原への三成・西軍の到着を遅らせる働き」で、主戦場の関ヶ原では徳川・東軍の勝利をもたらした功がある。「初」も夫亡き後、大阪夏・冬の陣で、膠着状態のなか、淀殿の交渉人として見事に役割を果たし、落城後は秀頼の娘・後の天秀尼の命乞いを家康にしている。)
「江」はNHKドラマでは秀吉が故人・信長の甥にあたる佐治一成と結婚させたとある。
その結婚の実態は不明で、叔父信長が「江1歳」の時その結婚を決めたとも言われる。
ともあれ、「江」の「11歳」の時に佐治の水軍が徳川方に付くのを嫌い秀吉が離縁を決めるところは一致する。
秀吉は、子供を亡くした悲しみや、自らの圧政を正当化するのにさんざん利用した千利休が反発したことで切腹を命じたことを悔やむなかで、精神状態がおかしくなり、家臣一同が危ぶむなかで、目を海外(朝鮮、中国)に向け出す。
「江」は城で会った豊臣秀勝(秀吉の同名養子の3人目、秀吉の甥である。その兄は同じく養子の現・関白秀次)を頼もしく思っており、秀吉は「江」を嫁に迎えさせる。
「淀殿」は「朝鮮征伐」を指揮するため九州にいる秀吉から子供を造れと呼び出される。
無意味と知りながらも、秀勝は豊臣の旗頭として「朝鮮征伐」に向かうが、戦いの中で「病死」する。

(完子は織田、浅井、豊臣家の血を受け継いでいる。完子は3歳で淀殿の養女となり、12歳で九条忠栄・後の幸家に嫁ぎ、公家から天皇家へのDNAと辿ることができる。)
「淀殿」はふたたび男子をもうけ、これがのちの秀頼であり、秀吉は狂喜する。
精神がおかしくなった秀吉は、息子秀頼のために関白秀次を廃する動きを見せ、「忠臣」石田三成が実行し、切腹させる。
このことを非難し、また秀吉を両親殺害の敵(夫と離縁や死別の元凶)と憚らない「江」であっても、あくまで政略結婚に利用したい秀吉(自らを養父という)は、自分の最大の敵とみる徳川家康の跡継ぎ・秀忠(後の徳川2代将軍)に、「23歳」となった「江」を何とか嫁がせる。
年では姉さん女房であるが、彼女の美貌から年齢に比べてさぞ若く見えたであろう。

秀忠は、一度、秀吉の養子となった織田信雄の娘と結婚しているが、信雄VS秀吉の仲違いにより離縁しており、秀忠も初婚ではない。
さて、「江」と秀忠の間には沢山の子供が生まれているが出産順の最初4人に注目する。
「25歳」で生んだのが、千姫であり、豊臣秀吉と長姉・淀殿の息子豊臣秀頼に嫁ぐ。大阪城の落城で淀・秀頼は自刃するが、千姫は脱出する。救出した坂崎出羽守とは相容れず、江戸城までの警護役若武者・本多忠政の息子・忠刻に惚れたのを不憫におもった家康は千姫(二十歳)、忠刻(21歳)を結婚させ、後日姫路城に入れる。
「32歳」で生んだのが、あの3代将軍・徳川家光である。
「34歳」で生んだのが、忠長であり、幼児期は容姿端麗、頭脳明晰で両親に溺愛されたが、跡目相続騒動で乱心などの名目で自害さる。
「35歳」で生んだのが、和子であり、女帝・明正天皇の生母である。その後継争いにも皇室の安泰を貫き貢献している。
以上は、これまでのあらましと(時代検証は未了)、よけいな事後をふくむ追加情報である。
脳幹梗塞の小生には判りにくい歴史読本のほんの一部である。






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Last updated  Oct 31, 2013 04:32:16 PM
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