redcore

redcore

キング牧師について


キング牧師の力づよいことば

1929年,ジョージア州アトランタの黒人牧師の家に生まれる。
聡明で、もの静かな青年は25歳でアラバマ州モンゴメリーの黒人教会の牧師になる。
市バスでの差別に抗議した主婦が逮捕されたのをきっかけに,26歳の時、公民権運動に加わる。以来,反対派や警察からなんど度も暴行を受け,投獄された。胸を刺されて命を落としかけたこともあった。家に爆弾を仕掛けられたりもしたが,キング牧師は『 暴力には魂の力で応えるのだ』と訴え,暴力をつかわない運動を指導。「 白人に対する黒人の勝利でなく,すべての人の自由と平等という勝利が白人と黒人がともに見るアメリカの夢」と説き続けた。
そして1964年,ついに公民権法が制定。キング牧師はノーベル平和賞を受賞する。
しかし,「非暴力主義」に反対する力も台頭し始め,1968年4月,キング牧師は,テネシー州メンフィスに黒人清掃作業員の運動の応援に出かけとき,銃で撃たれ亡くなった。39歳の若さだった。


1963年8月28日,アメリカ,ワシントンDC。黒人公民権運動の行進に参加した25万の人びとにむけて,リンカーン記念堂前で行なわれた
“I have a dream.”の演説後半部分です。

私には夢がある。いつの日にか,ジョージアの赤土の丘の上で,かつて奴隷であった者たちの子孫と,かつて奴隷主であった者たちの子孫が,兄弟として同じテーブルに向かい腰掛けるときがくるという夢を。私には夢がある。いつの日にか,私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく,人となりそのものによって評価される国に住むときが来るという夢を。私の父が死んだ土地で,メイフラワーの清教徒達が誇りとした土地で,すべての山やまから自由の鐘を鳴らそうではないか。もしアメリカが偉大な国であるのなら,これは実現されなければならない。

 ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から,自由の鐘を鳴らそうではないか。ニューヨークの稜々たる山やまから,自由の鐘を鐘を鳴らそうではないか。ペンシルベニアのアルゲニー高原から,自由の鐘を鳴らそうではないか。コロラドの雪を頂いたロッキー山脈から,自由の鐘を鳴らそうではないか。カリフォルニアの曲線の美しい丘から,自由の鐘を鳴らそうではないか。それらばかりではない。ジョージアの石ころだらけの山,テネシーの望楼のような山,そして,ミシシッピーの全ての丘から,自由の鐘を鳴らそうではないか!すべての山々から,自由の鐘を鳴らそうではないか! そして私たちが自由の鐘を鳴らす時,私たちがアメリカの全ての村,すべての教会,全ての州,全ての街から自由の鐘を鳴らすその時,全ての神の子,白人も黒人も,ユダヤ人も非ユダヤ人も,新教徒もカソリック教徒も,皆互いに手を取って古くからの黒人霊歌を歌うことができる日が近づくだろう。

 「自由だ,ついに自由だ,全能の神よ,感謝します。ついに我々は自由になったのだ」と。

**対照的な人物として、日本では、映画でおなじみの「マルコムX」がいる。彼も、方法こそ違ったが、キング牧師と双璧をなす偉大な黒人の指導者だった。
マルコムX

**関連ページred1の日記『ジョージアの誓い』

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: