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2022.07.02
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源頼朝が石橋山合戦敗北の後、この近くの土肥椙山巌窟(ししどの窟)に潜んでいて、土肥氏の夫婦が食糧を運んだりして、助けたと言う話は有名で、湯河原駅前には銅像が立っています。大河ドラマでは「ししどの窟」での梶原景時の動作がチラリと描かれただけでしたが。ここに行くには、椿ラインを湯河原方面か箱根方面から車で行くと「ししどの窟」見学用の駐車場が道路脇にあるので、そこに駐車して、尾根道をむしろ下って行くと土肥城址に着きます。大きな石碑が立っていますが、場所はそれほど広くなく、湯河原方面に下った場所に城の遺構を確認できます。時代から考えると山城というより、砦程度の規模だったのでしょう。そこからの展望は抜群で、眼下には湯河原の市街地と頼朝が房総半島に船出した真鶴半島と相模湾が広がります。
<地図>

<遺構>
主郭①から東に向けて曲輪を形6つ並べ、それぞれを高低差のある切り岸や堀切で切断している。特にAの二重堀切とBの堀切は見事で、中世城郭の魅力を堪能できるだろう。さらにBより東は自然地形の緩斜面となるのだが(②)、その先に忽然と土塁を伴う堀切Cを入れ、横矢までかけている。また、温泉街が並ぶ南の千歳川へ向かって下りる尾根にもある程度警戒を払っていて、要所に 堀や切岸を普請して虎口を造作している。一方、北西(箱根方面)に伸びる尾根は無防備と言っていい。とにかく、東から来る敵に
備えようという築城者の強烈な意思を感じるが、城の東麓には若干の平地と海しかない。こうした極端な指向性や、曲輪面の削平にはあまり関心がない点は、規模こそ違うものの足柄城と共通する。また、当城は。麓から相当距離があるので、地域支配の拠点にはなりえない。海から船で湯河原付近に上陸し、箱根外輪山内に侵攻を図る豊臣軍の別働隊に備えるという目的に特化した、戦術級城郭と考えられる。
<歴史>
この土肥城山は源頼朝の挙兵に参加して以後、活躍した土肥実平の館に対する詰めの城という見解が一般に強い。しかし、この城を土肥実平に代表される鎌倉期の城と即断するのは妥当ではない。仮に根小屋と山城の関係を考えたとしても、謙倉期の山城としては、やや形が整いすぎるという印象が強い。現状からは室町期の大森氏あるいは戦国期の後北条氏らの利用があったと考えるほうが妥当である。古くから城山として知られていたところであるが、遺構の全容はこれまでほとんど紹介されたことがなかった。
遺構の残存状態が良好であるうえに、郭の構成がわかりやすいため、今後、標示などが整俑されれば初心者や一般市民にもなじみやすい山城になることは疑いない。
<関連武将>土肥氏</関連武将>
<出典>日本城郭大系、中世神奈川城郭図鑑(西股総生)</出典>





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最終更新日  2022.07.02 04:55:18
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