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YAMAHA XS250 1982年登場のヨーロピアン・ロードスポーツです。20代前半に中古で買って乗ってました。まさにこの色です。写真が手元にないのでネットで探したことがあったんですが、この色の画像はみつかりませんでした。ところが先日購入した雑誌にこの画像が載っていました。「モーターサイクリスト」の3月号です。勝手にブログに載せちゃってゴメンナサイ(^^ゞ出た当初から形が好きで、ずーっと欲しいと思っていたバイクでして、たまたま前を通った、島根大学の近くにあるバイク屋さんの店頭にあったので即購入しました。シートに穴が開いていて程度はそれほど良くなかったんですが、目立つ所にサビは出ていなかったので決めました。400ccと共通ボディにパラツインの250ccエンジンで30sp。けして速いバイクではなかったですね。お金がなかったのでノーマルのまま乗ってました。今時のバイクと比べると、パワーは無いし、タイヤは細いし、ブレーキはちゃっちいし、いいところは1つもないですね(^^ゞでも形は今でも通用すると思いません?そう思うのは私だけですかねえ(^^ゞ
2007.02.07
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今夜は中途採用で入社された人の歓迎会でした。飲んで食って騒いで歌って、1時間半ほど前に帰ってきました。酒は1滴も飲んでませんが(^^ゞさてと、ネタが無い(~_~;)なので旧車ネタですw。先日、マツダ・シャンテが走っているのを見ました。色は深緑色でした。きれいにレストアしてありましたよ。生産期間は1972-75年。最終型でも30年は経ってますw。水冷4st4気筒だったキャロルの後継モデルとして登場したんですが、エンジンは軽トラのポーターキャブと同じ2st2気筒でした。もちろん当時の軽は360cc。今の軽と比べると非力です。シングルローターのRE版も出る予定だったんですが、他メーカーからの抵抗に遭い1度はおりた運輸省の認可が取り消されちゃったんですよね。ですがこの車、当時の軽の中では高性能で、非常によく走ったそうです。確かにいっぱい走ってましたね。当時は。造りも結構しっかりしていて、実は売れば売るこどマツダが損をする価格設定だったそうです。僅か4年で姿を消し、結果的に1989年に2代目キャロルが登場するまで長ーい間マツダから軽乗用車は無くなってしまいました。今でも大事に乗っておられる人がいるんですね。すごーく懐かしかったですw。
2006.08.04
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昭和48年のオイルショックで、大飯喰らいのロータリー車が売れなくなり、在庫一斉セールで社員販売されたサバンナRX-3をうちの親父が購入しました。出不精であまり乗らなかった親父もさすがに燃費の悪さに我慢できず、1年ちょっとで手放してしまいました。その代わりにうちにやってきたのがグランドファミリアAPです。写真は後期型の輸出仕様(左ハンドル)です。うちのはこの型で色はゴールドでした。グランドファミリアはサバンナと同じボディーにレシプロエンジンを積んだ車で、フロントマスクとリアコンビランプの形が変えてありました。これに乗り換えた直後、走らないと嘆いていた親父を覚えています。当時の車は、このようにグラマラスなボディーラインが多かったですね。こういうラインの車、また出てきてほしいと思う私はやっぱりオヤジ?
2006.01.12
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日本で初めて「GT」という記号が使われた市販車です。写真はJ’s Tipo 11月号からの引用。登場は1964年。なんと自分が生まれた年(おっと自爆)。1584ccDOHCエンジンは120psを6400rpmで搾り出しています。今でこそごくありふれたスペックですが、当時としては超が付く高性能。コスモスポーツの登場が1967年ですからそれより3年早い。また、今でも走り屋さんに愛されているハチロクよりは20年も早いんです。ハチロク(AE86)レビン/トレノは同じ1.6Lで130ps。20年の差を考えるとベレットGTのすごさが解っていただけると思います。ベレットは丸目4灯ヘッドライトのシンプルなデザインですが、ボディラインも含めて好きな旧車の1つなんですw。今またこういうデザインの軽量FRが出るとけっこう売れると思うんだけどなあ。
2005.10.14
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ウルトラセブンに出てくるウルトラ警備隊の専用車両「ポインター」です。ベース車両はクライスラーのインペリアルクラウン(1958年)という車だそうです。もちろんエンジンはレシプロなんですが、劇中ではロータリーエンジンを積んでいる事になっていました。当時、ロータリーエンジンと言えば「未来」を想像するエンジンだったんでしょうね。実際にウルトラセブンの次の作品「帰ってきたウルトラマン」では警備隊専用車両「MATビハイクル」としてコスモスポーツがそのまま使われてきました。
2005.08.31
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カリオストロの城に出てきた車、FIAT500です。500ccで20psという今の時代では普通に流れに乗るのも辛そうな性能ですが、この可愛らしさで人も道を開けてくれることでしょうね。先日、近所で走っているのを見ました。まさにこの色でした。1977まで生産されたらしいですが、生産中止になってから30年近く経っているのに未だに高い人気だそうです。特に日本ではルパンの影響が少なからずあるのでしょうが、相場も高めで、やっと100諭吉を切るたまが出てきたとのこと。映画の仕様を再現した「ルパン仕様」なるものがあるらしいですが、値段はなんと250諭吉。かなり勇気がいりますね。こういう旧車を見るとなぜかうれしくなってしまいます。いつかはコスモスポーツと思っているのですが、旧車の保管にはちゃんとした車庫が必要ですのでこの夢は叶うことはまずないでしょう。
2005.06.28
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ファミリアの歴史は800ccエンジンを積んだバンが1963年10月にデビューしたところから始まります。「ファミリア」とはイタリア語で「家族」の意味です。1年後の1964年10月に4ドアセダン、11月に2ドアセダン、12月にトラックが相次いでデビュー。そして写真のクーペは1965年11月に1000ccエンジンを積んでデビューしました。なんと1965年4月にはトルコン式ATが出ているんです。今では当たり前のATですが、売り上げの大半がATになったのは僅か10数年前のこと。40年も前のファミリアにATがあったなんて驚きです。ファミリアがロータリーを積んだのは1968年7月から。1967年11月にデビューした2代目の追加モデルとして発売されました。
2005.06.24
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これは私が免許を取ってから最初に運転した車です。当時父が所有していた4代目ファミリアです。ファミリアはこれが最後のFRになります。この次があの「赤のXG」が爆発的にヒットし、トヨタにカローラ2を造らしめた初代FFファミリアになります。父は初代の4Dr800から始まり2代目のプレストクーペ1000、3代目のグランドファミリア4Dr1300、4代目X508(1400)、5代目サルーン(1500)というようにここまで歴代のファミリアを乗り続けてきました(途中、キャロルとサバンナRX-3を挟んでいますが)。まさに我が家のモータリゼーションの起点はファミリアです。私も6代目の4Dr1600を所有したことがあります。このX508は顔がコスモに似ていることをCMで強調していたことを覚えています。もうさすがに今は走っているところを見なくなりました。
2005.06.02
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さて、コスモの話しの続きを。私が所有したのは3代目コスモの後期型4DrHTです。リトラじゃなくなったやつです(前期型は4灯式リトラでした)。写真が今手元にないので掲載できません。今度探しときます。ロータリーは予算が足りなくてレシプロの2Lにしました。それも新古車。当時ハイソカーブームの最中で、若い人がこぞって(出雲弁かな?)無理して高級車に乗ったものです。巷にはクラウン、マーク2、クレスタ、ローレル、セド・グロなどに乗った若者があふれていました。私もその仲間入り。コスモ自体もそういう方向の車になっていましたね。ルーチェと兄弟車で。結局4Drがあったのは後にも先にもこのモデルだけでしたが。今となってはフェンダーミラーなんてあり得ない話ですが、当時はちょうど移行期で、私のコスモはフェンダーミラーが付いていました。オプションのドアミラーへの交換も考えたのですが、せっかく付いている熱線がドアミラーにはなかったのでそのまま乗ってました。それでも恥ずかしくない時代だったんです。熱線付きミラーは雪の時に重宝しました。そのコスモのエンジンには「マグナム」というペットネームがついていました。行きつけのガソリンスタンドがその頃ちょうど「丸善」から「コスモ」に社名が変わり、新発売のハイオクが「マグナム100」。これは俺のためのガソリンだ!と、喜んで入れてました(笑)。コスモはしばらくブランクがあった後、ユーノス・コスモとして再び2Dr専用モデルとして、また、ロータリー専用モデルとして復活しましたね。3ローターという武器を積んで。これはまたバブル真っ只中という時代背景を象徴するモデルでしたね。
2005.05.30
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