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4学期の課題提出が終わったよ法律関係は、めっきり弱いんだな3学期の課題は「再提出」の予感なんと、1年だけ留年出来るらしい(事務手数料)10,000円+(1教科につき)2,000円=12,000円1教科増えるごとに、2,000円追加まぁ~それも良かろう
2009/01/31
村下孝蔵さんが、実際に歌っているのを聴きたかったな。自分は、このバージョンが大好きです。りんごでもいっしょに
2009/01/30
今日、総務課長・在宅支援課長と話をする機会があり、本音を聞いて頂いた。「無認可の福祉作業所の管理職に比べて、法人の管理職は甘いと思います」と。この一言が、ある施設のように「始末書騒ぎ」になるかどうかは神のみぞ知る。
2009/01/28
昨年の暮れに、新任・管理職主催の忘年会が開催された。当日は、都合のついた職員のみが出席した。そこで、世間一般に言われている「無礼講」って奴が起きた。新任・管理職は、昨年の5月に赴任し施設全体の改善を任されている。夏頃には、施設長が「●●●万でカラオケの先生を雇っちゃったよ」と嘆いていた。ちょうど暮れは、施設内で新任・管理職に対する不平不満が充満していた頃だった。忘年会の席で、職員のひとりが大声で新任・管理職に不平不満をぶちまけてしまった。課長は揉め事を予期していたかのごとく、頃合を見計らって退席していた。不平不満をぶちまけられた新任・管理職は、その場から退席しょうと席を立った。しかし、新任・管理職が帰るのを数人の職員が止め、元の席に戻って貰った。場所が飲み屋で、目的は忘年会、参加は自由。後日、この職員は施設長と課長、事務長から「始末書」を書くように言われた。一般人も一緒に飲食していた店内では、参加者は施設の看板を背負っていることを忘れてはいけなかった。
2009/01/26
今夜、17日に亡くなった方のお通夜がいとなまれた。(現代は、ご遺体を長期間保存できる)ご遺体が斎場へと移動する前に、自宅へと御焼香に行った。お顔を拝見させて頂いた時、ご遺体がお棺の端に寄っていた。納棺した際、真ん中に納めることが出来なかったのだろうか。そんな事を思いながら、手を合わせた。訃報ばかり続く…。
2009/01/23
研修は、商品の宣伝・販売だった。お金をかければ、良い物は揃えられる。だけど、職員の意識は変えられない。
2009/01/21
午前5時、夜勤者に看取られ逝かれた。看護士曰く「いつ逝ってもおかしくない状態だった」そうだ。夜勤者は、施設長の母親の看取りをした時と同じメンバーだった日曜日には、昼を主食8割・副食9割・汁50cc・茶50ccを摂取した。おやつのカステラ(ミキサー食)10割・ミルクコーヒー100ccを飲んだ。逝く人と残される人がする「最後の仲直り」というのを聞いた事がある。前日、仲違いしていた息子さんが初めて面会に来ていた。仲直りできたのかな…。
2009/01/19
夜勤中、同僚の入院している親御さんが危篤だと連絡が入った。同僚は課長に連絡し、拘束夜勤者に連絡後、早退する事を告げた。しかし、課長は「拘束夜勤者が到着するのを待つように」と指示した。当日の拘束夜勤者は、職員で最も遠距離から通勤していた。どう考えても、連絡を受けてから到着までに1時間はかかる。拘束夜勤者が到着したのは「亡くなった」という知らせの直後だった。すぐに、病院に向かえば間に合っていた。介護施設職員は「親の死目には会えない」というのが常識らしい。その場にいたら、後に始末書になったとしても一刻も早く帰したと思う。
2009/01/16
今夜は、新人(入社10ヶ月目、19歳)と夜勤です。今月に入り、2回ほど痴呆棟(13名入所)の夜勤を1人(主任教育なし)で勤務したそうです。そして今夜、一般棟(51名入所)の夜勤を2人(今までは主任教育を含めて3人夜勤)で勤務します。何故か、新人が3人夜勤をした時の様子は教育ノートに書かれていませんでした。主任からみて、特に書くことがなかったということなのでしょうか。「看取り」の入所者が1名、体調を崩しています。未だに施設では「看取り」についての話し合いはされていません。「あの世に逝くよ」「花が見えたよ」という発語に「まだ逝っちゃ駄目だよ!」と介護士は声かけをしています。何かと不安だらけですが、事故のないように新人の様子観察もしながら勤務するしかないようです。【追記】何だか、生きるのって難しいです。
2009/01/14
2009*01*11#23*44*15
2009/01/11
昼食時、遅番がMさんを離床させた。フロアの職員から「Mさん、かなり喘鳴がしています」と報告あった。私は「リクライニングを倒して様子をみましょう」と指示をした。その後、私は居室の食事介助のためにフロアを離れた。30分程経った頃、廊下が俄かにバタバタしていた。昼食後にMさんが脳出血を起こし、亡くなった。【追記】報告があった時、私はMさんの様子を確認しなかった。様子確認をしたら、病院に搬送することが出来たかもしれない。
2009/01/10
施設長の叔母が緊急ショートで入所。叔母とは、亡くなった母親の実妹。通夜と告別式の間だけ預けられた。「葬儀に出れなくて悔しい」と言っていた。非人道的と感じるのは私だけか。施設長の母親が亡くなった事で、施設のひとつの時代が終わった。
2009/01/07
午前6時20分、老衰のため永眠(享年87歳)。通夜で「死目には会えませんでした…」と喪主。施設長でさえ、死目には会えなかった。施設には「見取り」のマニュアルがない。介護士・看護士によって、対応は様々である。このままではいけないと思う。
2009/01/06
施設長の母親が急変し、多床室から静養室に移床。病院へは搬送せず、施設で見取りをする。苦しそうな呼吸をみて、施設長が酸素吸入を希望。看護士に連絡、酸素を流す許可を得る。酸素を流すと、嘘のように穏やかな呼吸になり眠る。施設長は容態が落ち着いたので一時帰宅する。
2009/01/05
2009/01/04
Mちゃんが言っていた。「爺ちゃんが入院するって決まった時、婆ちゃん泣いてたんだよ」自分は、「母と父を離れ離れにした」これは ”罪 ” か。
2009/01/03
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき)これがあの有名な、都から東国へ下って行く人も、都へ帰って来る人も、ここで別れてはまたここで逢い、知っている人も知らない人もふたたび逢えるという、その名のとおりの逢坂の関だよ。
2009/01/02
新年 あけましておめでとう ございます平成21年 元旦【追記】3年間が勝負の時
2009/01/01
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