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1月最後の日です。今日も午後12時30分までは施設の仕事。そして昨日の連絡指示通り、午後1時からは学童勤務でした。施設から家までは約7km。そのまま海に向かって4kmが小学校。途中にある我が家には一旦立ち寄るものの、時間的にほんの5分ほどしか余裕がありませんので、せいぜいトイレに入っている間に温めたおにぎりを食べる事ができるだけ。本日も冷凍してあったおにぎりを立ち食いして・・・、そんな行儀の悪い形で出発しました。 金曜日の学童、朝から利用していたのは男の子3人と女の子1人の計4人だけでした。休んでいる子が全てインフルエンザに罹ったという事ではありませんが、でも、今まだ元気な子もいずれ罹るかもしれませんし、学校も学童も今しばらくは動静を見守ることが必要かと思っていました。
2014年01月31日
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30日、木曜日です。今日は施設で避難訓練がありました。りえばぁにとっては初めての事でしたので、どこにどのように避難させるのか、園内放送を聞き、周囲の様子を見ながら利用者たちのサポートをしていました。心身に障害を持っている80人もいる施設ですから、一旦火事など災害が発生したらそれは大変な事です。精神的にパニックに陥ったりする人もいるでしょうし、また身体的に不自由で自力で逃げることが不可能な人も多くおります。その日に出勤している人だけではその棟の居住者全員を無事に避難させることは難しいところ。事務方も含めて職員全員が、これら利用者の皆さんを避難させることに集中しなければならないのではないかと思っていました。 夜、学童の指導員の一人から電話がありました。学童のある小学校の3年に加えて1,2年生も学級閉鎖になったということ。それで、予定通り、元気な子は学童で朝から預かることになったので、明日午後出勤のりえばぁには午後1時に出勤してほしいということでした。 通常は2時からのところ、12時半に施設の仕事が終わって、大急ぎで家に帰ったとしても昼食をのんびり摂ってもいられない時間。大変ですがしょうがないですね。
2014年01月30日
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29日、水曜日は午後12時半まで施設の仕事で、午後2時から学童の勤務でした。施設の仕事は毎日が勉強です。こちらの施設に寝泊まりして暮らしている障害者は男女合わせて80名余。男女の比はほとんどなくそれぞれ40名ほどで障害の程度で分けられた各2エリアで過ごしています。この80名の利用者さんは一人一人障害度が違いますから、介助する職員はそれぞれに相当したお世話をしているということですね。 外部から受注している仕事や施設内の廊下やトイレなどの掃除など軽作業ができる人もいて、それらの指導を担当されている職員さんもいますし、春になれば園内の畑で野菜作りを教える職員さんもおります。りえばぁがお願いされた事はそんな簡単な仕事もできない9名の人をお世話する事で、ここにはりえばぁの他にも職員がいますので、その人たちと協力しながら行っているところです。11時半まではその人たちとそこにいる人に部屋で体操をさせたり、体育館に連れ出して歩かせたり、トイレに連れて行ったり、お茶を飲ませたりとそんな事をして過ごし、11時半からは別のエリアに住む女性に昼食を食べさせるという事をしています。 ご飯が終わるとエリアに連れて来て、その人の歯を磨いてやり、他の人の仕上げの歯磨きもし、そうこうしているうちに終業時間の12時半になるという事です。まだ若い20代、30代、40代と、ちょっと見ただけではどこに障害があるのかわからない人も多く、人に食べ物を運んでもらわないと食事を摂ることができないとか、歯磨きや下着の上げ下ろしも手伝ってもらわなければないないとか、引き継ぎの書類を見ると、夜中に全裸になって廊下を歩いていたなどという事も書かれていたりします。 好きでそうなったわけでもないのに、こういった施設で過ごして行かなければならなくなっている利用者一人一人を思うと、なんだか切なくなりますね。時々家に帰る利用者を送って来る親を見ると、りえばぁよりも年齢が行っているという人も多く、その方たちの辛い気持ちを思うと、りえばぁも微力ながらもお役に立つように頑張らなければならないと思っているところです。これまで元気で生きて来られたお返しの人生、どこでお返ししても良い事でしょうからね。 ------2時からは学童の勤務。3時ごろに子供たちは帰って来ましたが、子供たちの話ではインフルエンザで3年生が学年閉鎖になっているとか。インフルエンザの学校の対応は即学童に関係しますので、一緒に勤めていた指導員(指導員の会長)さんに校長先生に様子を聞きに行ってもらいました。 そうこうしているうちに、元気で帰って来た(はずの)子の中で咳をしている子がいて、そのうち寒いと言い出しましたので、熱を測って見るとなんと38.5度。すぐ親に電話して迎えに来てもらいました。そのままお医者さんに行ったらしく、診断は「インフルエンザ」と。この学童の中でも他に一人がかかっているようで、これで2名になってしまいました。 この学童で預かっている子供たちの1,2年がこのあと閉鎖になったとしても、元気でいる子は家庭では大人しくしているわけではないでしょうからね。親が心配せずに仕事に行けるように、学童は開いて朝から預かる事に「なったようです。
2014年01月29日
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いつもの火曜日でした。午前中はあれこれと家の中で過ごし、(ああ、今日も真っ昼間にお風呂に入っていました)夕方からはスポ少の練習会。それが終わって書道教室へ行ってきました。 書道教室では先々月に提出した競書の結果が載っを2月号の本誌が到着していましたので見て見ると、「漢字半紙の部」、「手紙文の部」は初段のAクラス、調和体は真ん中の「佳作」に評価されていました。そしてつい2か月前から始めた「実用書の部」は7級で○が付き今月出した競書から6級で提出できるようになっていました。 まあ、調和体はもう少しでしたが、他は希望の通りの結果で嬉しく思っています。こういう事は、練習の励みになりますね。 写真は本日のスポ少の子供たちの様子です。 背中が可愛いですね。ラダ―トレーニングです。 ラダ―トレーニングの目的は、脳の指令を筋肉に伝える速度を上げること。自由に動くことではなく、動きを規制した状態で、速く複雑なステップをすることが大切とされています。運動は脳から神経を通って筋肉に伝達されて開始されますので、この伝達速度をあげることによって反応を速くすることが可能になるということですね。 準備運動、トレーニングなどを十分にしたあとで、バレーボールの練習を始めています。最近とっても上手になった子どもたちです。
2014年01月28日
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27日月曜日の富山県は晴れた良いお天気でした。郵便配達で家々を回っているAさん、「どこそこの家では魚を干していたぞ!」と。このような情報はよく聞かされます。要するに人様の良いところは真似をして、よくないところは自分の家ではしないようにとの我が家の大いなる参考とするところですね。 こちらは海が側にある町ですので、その日によって大漁の魚も上がり、そういうった時は各魚屋さんの店先にその魚などが安く販売されているようで、目ざとい人たちはそれを買って来て家で始末して干物などにしているようです。4月から消費税も上がるのに年金は減る一方だし、だからといって美味しいものは食べたいしね。美味しいものを安く手に入れ、食生活も楽しいものにしていくためには、これまで以上にアンテナを高くして他人の良いところを取り入れたりしながら過ごして行きたいものと思っています。 今日は午後12時半まで施設の仕事。帰宅してからは特別する事もなく、ちょうど届いた別の書道院の競書課題の2課目を清書していました。 こちらのは習っている書道教室のとは違うところのもので、先生にはもちろん見てもらっているものではありませんから、単なる腕試しって感じで参加しているのですよ。 左の「現代文体」は現在3級。右の「楷書」は1級です。 こちらの書道院は3段まで例月の競書で昇段でき、3段から試験を受けて上がると 言う事になっているようです。 なかなか評価が厳しいようで、一つ上がるにも大変そうな感じのするところのようで すよ。
2014年01月27日
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26日、日曜日のことです。今日は家族全員・・・(といっても、3人だけですけどね。) が、休みの日。こんな日はどこか温泉にでも行って、心身のんびりしたいものだと思っていたのですが、出かけるには少々面倒だなどと思え、出かかる代わりにと真昼間からお風呂を沸かして入っていました。 来月の学童のクッキングは“たこ焼き” を作ろうという事になり、その担当がりえばぁになっています。子どものいない我が家、たこ焼きのプレートはあるものの、一度も作ったことが無く、今日は暇に任せて試作品を作って見ようかと思いつき、試しに作って見ました。プレート一枚に26個できるようになっているのですが、“たこ焼きされどたこ焼き”とばかりに、初めて作るにはちょっとコツがあるように思いました。一枚目を何とか作りましたが、もう少し手際よく作れないものかと考えたら、我が家に先生がおりましたよ。それは息子ken。彼は学生時代に東京自由が丘の銀だこでアルバイトしていたことがあるのです。彼を呼んで2枚目は作ってもらい、りえばぁは横で彼の手さばきをじっと見ていました。 焼きあがったたこ焼きはお皿に乗せ、青のり、削り節、ソース、マヨネーズなどをかけて。熱々のたこ焼きをはふはふしながらお腹いっぱい頂きましたよ。当日はこのプレートをテーブルの真ん中に設置し、みんなで竹串でひっくり返しながら焼かせて見ようかと思っています。26個×3回÷9人=?などと算数の計算などをさせながらね。そうそう、一年、二年はまだ掛け算も割り算も習っていないようですので、式は少し変えないといけないですけどね。(一人8~9個はちょっと多いですね。6~7個にして残ったのは先生方の分ですね。)
2014年01月26日
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25日、土曜日は午後から学童の勤務があるだけでした。Aさんもkenも仕事に行っていない午前中は、薪ストーブの燃える暖かい居間に書道の紙を広げ、条幅作品の制作に筆を走らせていました。2月10日が締め切りという「漢字条幅の部」の入段試験を受けるため、数日前からその準備をしているりえばぁです。この条幅の昇段試験の課題は2作品で、1課題目は例月の競書Aでいいのですが、もう一課題は漢詩20字を半切という縦136センチ、横34,5センチの大きさに創作して仕上げるという事が条件になっています。創作するという意味は、そこに見本はありませんから、自分で事典からその字を選び、紙に配置して、抑揚や強弱をつけて人に評価されるような作品にするということなのです。が、この作業、小さな半紙では行った事があるのですが、この大きな半切では初めての事。しかし、そういう事が応募要領で示されているならば、受験しようと思えばやらなければなりませんしね。今年の目標に、この書道も前進することを掲げていることから、この年の初めからめげているわけにはいけませんし、結果はどうあれ、ともかく挑戦しなければ先に進まないと思って、とりかかっているところです。課題1はお手本を見て書けばそれなりに仕上がるかと思いますので、まずはそれを先に仕上げるつもりで書いていました。後の創作の方は、とりあえず選んだ字を配置し、反省しながら数枚を書き、今度の教室の日に先生に細かい事を指導してもらおうと思っています。 --------------------午後の学童は、朝から利用している2年生の男の子と、まだ書初めが張り出されていない1年生の女の子を親に承諾してもらって連れて来てもらい、仕上げてもらっていました。乾いたところで他の子の横に張り出しましたが、これで学童9名の書初めが全部そろって気持ちがとてもすっきりしました。活発な女の子で、終わるとすぐに体育館で遊びましたが、それは一人で遊ぶ2年生の子のためにも良かった事だと思っていましたよ。 夜はAさんが職場の飲み会とかで、そのお店まで送迎しましたが、たまに飲みに出かけて浮かれて帰って来るAさんを迎えるのも良い事だと思っていましたよ。
2014年01月25日
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24日、金曜日。今日もお昼12時半までは施設の仕事がありました。ほとんど毎日が朝から晩まで印で押したように決められたカリュキュラムの中で、しかもほとんどがあの施設の中だけで日々を送っている利用者のみなさんです。町内も東西南北と飛び回っているりえばぁには「よくもまあ、飽きないで過ごしているものだ!」とその顔を見ることがあります。考えるまでもなく、そういう事がわかればこういうところに入居することもない人たちであるということなのですけどね。窓から見える景色に季節を知るものの、今日は何日で、何曜日かなどどうでもよく、ただ張り出されている食事メニューに目をやってそれを楽しみにしているところも見受けられます。朝から晩まで一日中食堂の外側に立って中を眺めている利用者もいますし、食堂の中で雑巾を一枚持ってそこを居場所にしている利用者もいます。利用者数80人もいると、その障害の程度も様々で、軽い人は施設内の作業所で外部から持ち込まれている軽作業を行っている人もいますし、施設内の掃除を担当して、いくらかの対価ももらっている人もいるようです。 女性の中にはお口が達者で、どこに障害があるのかと思われるような人もいますし、その口達者がゆえに仲間同士でのトラブルや喧嘩がおこったりも普通にあるようです。また、こういう人たちのその特性として、どの人も相手を見極めることがとても上手なようです。特にお世話してくれる指導員に対して、自分がどうあれば得して過ごされるかなどとすぐに計算しますからね。ここは生活支援施設ですので、なるべくならば“できることは自分でする”のが基本になっています。また、ここは寝たきりになっている人を介護する施設でもありませんから、少しも自分で出来なくなれば、こちらでの入居は更新できなくなるのでしょうし、それを踏まえて私たち介護職員は、今の状態をなるべく退化させないように、皆さんの日常の中に運動機能を促すということも仕事の中に入っています。 ここを手伝ってほしいと通されたエリアに居住する利用者は20名ちょっといるようですが、つきっきりでお世話を必要とする人はそのうち9人ほどです。年齢的には27歳から60代と思しき人たちで、会話のできる人、できない人とその程度も個人個人みな違っています。一日中、車いすに座って過ごし、自分が誰かもわからない人でも、体育館に連れて行って肋木につながらせて立たせてみたり、支えれば立てる人、歩ける人にはそのように介助しているところです。午前中の体育館の中は、そういった運動をしに各エリアから集まった障害者がひしめき、身体的に一番弱い私たちのエリアの利用者は、だれも来ないうちにでかけ、大勢が集まって来る頃に退散しているというところです。りえばぁはこちらに勤めて初めて、我が町にもこういったような施設が多くあり、その質や程度によって各々利用しているたくさんの心身の障害者がいて、またそれを仕事としてお世話している人たちの多くいることを知ったというところでした。この世界、勤めて見ないと分からないというところでしたね。
2014年01月24日
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今日は午後1時から学童の指導委員会がありました。朝から午後12時半まで施設の仕事があったため、家に戻っても昼食さえ摂る時間もなく、すぐに出かけることになりました。本日の議題は、預かっている学童の中で家庭的に問題が生じた子供がいて、その子の対応について話し合っていたことが第一。その他にこれまでの反省から問題点を洗い出したり、来月の予定を決めたりしていました。そして、まだ今は1月ですが、4月からの受け入れについての作業をこの時期に進めなければならないとして、それを進めてくれていた指導委員会の会長からの説明などもありました。今、学童を利用している子は1,2年生合わせて9人です。来春この小学校に入学して来る子供は36人だそうですが、今のところ学童の希望者は今いる子も合わせて15.6人とか。20人までは指導委員数は2名のままで21名から10名ごとに3名の勤務が認められるとかで、どうせなら21名になって欲しいねというのが一致する考えでした。今の9名の子どもを2名で見るのも大変なのに、15名に増えても2名のままだと、いったいどうなるのだろうと私も心配になるところです。 --------写真撮影のこと------------- ところで、この指導委員会で子どもたちの日ごろの様子や行事などの写真撮影を、その日の当番やサポートに当る人がしてほしいと皆さんにお願いしました。そうでないと勤務外でも、りえばぁがわざわざ撮りに来なければなりませんからね。今時のカメラはデジカメでは、でたらめに何枚撮っても構いませんし、撮り慣れていない人でも大丈夫だろうと思ってのことでした。そこで、さっそく本日この後に行われる「クッキング」の行事の様子を写しておいてほしいと、今日の当番にカメラを渡して頼んで帰宅しました。翌日、そのカメラを取りに行って確かめたところ・・・・・、 こんなのとか、こんなのとか・・・ 17枚ほど写してくれていたようですが、全てこのような食べている写真で、肝心のこれを作っている写真は一枚もなく、がっくりしたところでした。これじゃ、クッキングではなく、おやつの時間に見えますよね。 意図する物がまったく見えない写真で、この方に頼んだ自分が悪かったのだとは思いますが、しかし、他の人もこの方と大差ないでしょうしね。皆さんに写真を撮ってもらうのは無理なのだろうかと思案しているところです。 しかし、写真を撮るのってそんなに難しいのでしょうかね。
2014年01月23日
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22日、水曜日は午後12時半まで施設の仕事。帰宅して午後2時から6時まで学童の勤務。そして夜は2週間に一度のヨーガ教室のある日でした。この3本立てで合計9時間のお仕事?をしたりえばぁでした。 夜はおかげで心身が解放感100%でぐったり。夕食後まもなく、睡魔が襲って来てそれに勝てず早々に寝てしまいましたとさ。 この景色は2日前の20日の朝の様子です。 昨夜降った雪は辺りを銀世界に変えていました。このずっと先、山と山の合間を縫って行くと、そこは宇奈月温泉なのですよ。その宇奈月温泉のずっと奥はあの黒4ダムですよ。 そして、下は現在りえばぁが勤めている障害者支援施設です。りえばぁの家からここまで約7kmってところですね。
2014年01月22日
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21日、火曜日の事です。この日の富山県は曇り。まだ雪の残る畑に行き、雪をかき分けてねぎを採って来ました。これは毎朝Aさんが食べているうどんに乗せているもので、採ってきていたものがなくなったためでした。雪の中のねぎは柔らかく、甘みも増しているようでしたよ。 そして、この日はいつものように、夕方からスポーツ少年団の指導。それが終わって帰宅してから書道教室へとそんな日でした。書道教室ではこの日1月の競書の締め切り日。そのため、午前中は提出する各部門の清書の見直しと、2/10締め切りの「条幅」の素案を練っていました。本日、提出してきたのは下記です。 上段は「現代文体」で今月の課題は山頭火の句。下段は左から「半紙漢字の部」で、今月はこの楷書を提出しました。中は「手紙文の部」、右は「実用書の部」で最近始めたものです。手紙文や実用書は、日ごろの生活に即役立つものだと思って、これからも続けてしっかり勉強して行こうと思っているところです。
2014年01月21日
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20日、月曜日は障害者支援施設の勤務以外の予定は何もありませんでした。そういう日というのは、働いている最中から気持ちがゆったりして来る気がします。 考えて見ると、りえばぁはもう世間では高齢者と言われる歳になっているのに、なおというか、ますます忙しい日々を過ごしていますからそういう気持ちになっても無理はないという事だろうと自分の中で思っています。それなら、何かを辞めて少しのんびり過ごしたら~と自分に向かって言いたいところでもあるのですが、これもまた自分の性分から「頼まれれば断れない」とか困っている事を黙って見過ごすことも出来ないみたいな感じになって、自ら忙しい日々を作っている事になっているところです。ですので、社会の人の中であれこれと必然的に緊張しながら過ごしているからであり、これをどう解消するか・・・、それはたぶん、今の状況に慣れる事と、それに対してストレスなく上手く対応する術を得る事だろうと思っています。 周りには世間の中で、また家の中でも人さまのお世話にならなければ生きて行けない人がいて、それらの人をまたお世話するする人もいて、社会全体がこのサイクルの中で動いているところかと思います。介護施設も多くあり、その施設ごとに特色を持ち、そこで職員も利用者さんも基本はそれにのっとって動いているようです。 昨年8月まで10カ月間だけでしたが働かせてもらっていた施設は、様々な事業を展開しているところでしたが、りえばぁのが配属されたところはその中のディーサービスの場所でした。認知症対応のその場所には毎日10人ほどのご老人が会社が送迎する車で通所してきていました。りえばぁの仕事はその人たちに昼食を作って食べてもらう事。つまりは給食のおばさんそのものでした。「ここがあなたの職場です。」と通されたその調理室は、とても調理室とは思えない雑庫・・物置と言った感じのあるところ。狭いところに、調理とは関係のないものが上から下までびっしりおかれ、身動きもしずらいほどでした。衛生的にも問題があり、それからというもの調理の仕事をしながら徐々に調理室らしく替えさせてもらいました。出入り自由のその調理室は介護人の履く内ばきもそのままで、ついさきほど利用者に付き添ってトイレに行って来たそれのまま。毎日仕事の終了には、その調理室を雑巾がけをしているのですが、調理で汚れるそれとは明らかに違う汚れも多く、これは問題にしなければならないと職員会議にかけて、調理室の出入りの回数、調理室に入るときは履物を替えてもらうなど認めてもらいました。その他、戸棚の整理、調理器具の徹底、小さなことも見直し、ずいぶん調理室らしくすっきりさせてもらいました。また、食材の調達方法も業者に納入してもらう事もさせてもらいました。あれこれとそれらしく改善させてもらったその施設も、直属の上司の考え方に違和感がぬぐえず、この先も楽しく働けないところと感じ、学童の仕事の事が持ち上がった時点で辞めさせてもらったという事でした。 それがこういった福祉施設の勤務の初め。そして、10月から3か月の約束で今勤めている施設の仕事に入ったのですが、その仕事の終了12月が終わるころ、「再度改めてこちらで働いてくれないか!」との打診があり、様子を見ているうちに「じゃ、ちょっとしばらく働いてみようか!」という事になったところです。あれから約1か月。そのエリアは、同じ施設の中においても別の居住者が住むところで、その障害の程度に応じて職員の対応(仕事内容)も違い、それまでの3か月間のそれとは全く違う物でした。 そこでのりえばぁは介助職員としての仕事で、その居住区の中で作業のできない人たちの介護でした。りえばぁはもう一人の職員と2人でその人たち(9人)の見守りとトイ介助や、機能低下を少しでも 遅らせるための運動などをさせたりというもの。体育館に歩きに連れて行ったり、また、まったく歩けない人も、自分が誰だかわからない人も体育館に連れ出して1時間ほどそこで過ごしているところです。他の大勢の人の中に連れ出すことで、何かを感じるかもしれませんしね。体育館は、その時間になると、各エリアから歩きに来る利用者でいっぱいになります。障害の程度によって4つに分かれているエリアの人が一日に一回、一堂に集まる場所になっていて、程度の低い利用者同士では軽いコミュニケーションなども生まれているような感じになっています。りえばぁも他のエリアの利用者さんからも声をかけられたりしていますが、それらの人たちに対応している自分を見ると、動きも言葉もスローになり、なんだかまったりして来る感じになっていて、別世界にいるように思っていますよ。
2014年01月20日
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今日19日、日曜日の午前中はKチーム主催のちびっ子ソフトバレーボール教室でした。月に1~2回開いているこの教室、いつもは10名以上のちびっ子が集まるようですが、今日は吹雪いて寒く外に出るには勇気がいるというお天気のせいか、参加した子供は3人だけでした。その3人に連れて来た親と、Kチームの子供たちも入れていつもの十数名で約2時間、バレーボール教室を行っていました。私とAさんは毎週火曜日に、こちらの小学校に出向いて子供たちにバレーボールの基本の基本を指導しているところですが、今日のような教室には別の指導者が担当していることからこちらには来ていませんでした。今日はその指導者が都合で来られないという事で、特別家で用事もない私たちが頼まれて代わりに行って来たという事でした。Kチームの本体はこんな吹雪の中でもどこかに遠征に行ったらしく・・・、それは毎年の事なのですけどね。私たちもチームを持っていた時は、このような雪の中でも新潟や長野などへ遠征もしていたこともありますので、その大変さはよくわかる事です。指導者も付いて行く親御さんにも頭の下がる思いでいましたよ。 終わってすぐに家に帰り、午後はのんびりと過ごしていた・・ような気がします。 ところで、みなさん、お年玉年賀状は当たりましたか?今年の1等は現金1万円だそうで、これっていったい誰に当たったのでしょうね。りえばぁは、3等72と74のが7枚でした。300枚ほどの枚数にしてその当たり数が妥当なのか、多いのか少ないのかわかりませんけどね。
2014年01月19日
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あっという間に1週間が経ちました。 ※今日は24日金曜日。本当のところ、すでに2週間近くも経ったというところですけど・・ りえばぁの頭にはまだあの東京体育館での春高バレーの準決勝及び決勝戦、そして大きなおまけとなった月曜日の改修前差後の国立での高校サッカーの決勝戦の様子がありありと残っていますからね。高校生たちの試合はそれがどんな競技であっても、絶対的に白熱した試合になり、見ている人にも活力を与えることは間違いのない事です。ともかく面白く、最後の最後まで結果がどうなるかわからないところ。今回もバレーボールにしろ、サッカーにしろ、それぞれの会場で大変盛り上がって満員の観衆を一つにしていましたね。 この二つの試合を一年の初めに見ることが出来て、りえばぁはもちろんの事、同行したAさん、サッカーの試合当日家から駆け付けたkenともに、我が家一同は今年一年元気で過ごせるように思っています。 そんな1週間前の余韻を抱きながら、かかりつけの医院に出向いたり、書道の練習をしたりと今日やるべきことを重点に一日を過ごしていました。 火曜日から始まった床修理も本日終了しました。今回は廊下一走りと、8畳と6畳の2部屋です。貼り替えた床板がまだ湿っぽいということで、畳は上げたままですが、これでまた数十年は無事に暮らせるだろうと思っているところです。工事は廊下側の壁塗りがこれからのため、完成にはまだ少しかかるようですけどね。 築40年近い床の土台・・・思いのほか、しっかりして頑丈そのものでした。 裏側(北)の廊下
2014年01月18日
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17日、金曜日は施設勤務の他は何の予定もありませんでした。こういう日は何となく気持ちもゆっくりしますね。 仕事が終えて家に入ってしまうと、外出するのが嫌になるというのがいつものりえばぁですので、そのまま町に直行し用事を済ませて来ました。その用事というのは、数日前に依頼されていた“寒中見舞い”はがきのあて名筆耕、160枚分は夕べのうちに終わらせていましたので、それを届けるなどでした。 夜は、来月10日締め切りの「条幅」部門の入段試験用課題を検討していました。 試験問題は2点あり、1点は本誌に出ている競書の1枚で、後1枚は創作課題で漢詩20字を書体自由で自分で構成して書くというものでした。お手本があれば、それを真似して書けば何とか作品にする事ができるのですが、活字だけのを作品にするというものはこれはそう簡単には行きません。まず、書体を何にするかを考え、決めたところで、事典などから字体を抽出しなければなりませんので、今日はまずその1段階というところでした。楷書や隷書などとなると、誤魔化しも出来ませんし、1枚描くのに時間がかかりますので、草書を主体に字によっては行書も混ぜて書くことと決め、「大字源」を開いてそれらの字を集めていました。 次はこれらの中からその字を実際に配置して行くということになります。 これらの本から字を集めます。 (集字) これらの中から前後左右、全体を考えて、字を選びます。 一応配置して見ました これは小筆で50センチほどの長さの紙に書いているのですが、提出作品はこの3倍ほどの紙に書くことになりますので、作品に仕上げるにはまだこれからという事ですね。締め切りは2/10ですので、1月の競書提出が終わってからじっくり取りかかろうと思っています。
2014年01月17日
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16日、木曜日は施設の仕事だけでしたが、午後に少しだけ学童室を覗いて来ました。毎週木曜日は何かしらの行事を組んでいるところ、今日は「切り絵教室」を予定していました。覗いたところ、子どもたちはいつでもなく真剣に机に座り、今まさにその制作に熱中しているという感じでした。学童室は放課後家に保護者のいない子供たちを預かるところで、その居場所とするところです。安全性を見守りながら自由に過ごさせればいいのでしょうが、他の子供たちの関係もあり、またある程度教育の一環でもあることからそういう訳にも行かないところ。その日のテーマに合わせて指導し、時をすごしているというところです。 指導員は1か月に1度、一堂に会し、問題点などを洗い出し共通認識を確認したり、次月の予定を決めたりしています。 毎週木曜日は欠ける子供がいないことから、 小さなイベントを行う日と設定し、中身についてそこで協議しています。第1週目は「運動遊びの講習会」や先日のように「書道教室」などを。第2週目は「工作教室」とし、これまでは紙飛行機作りやリース作りなどしました。第3週目は「クッキング」、短時間でできるおやつなどを作る日。第4週目は「お茶教室」と。今後もしばらくはそんな感じで進んでいくのではないかと思っています。日ごろの指導は交替で2人ずつ担当しているのですが、このイベントの日だけは当番だけでは足りなく、補助として他に1~2人出勤しています。写真の撮影もその補助員が担当すれば良いと思うのですが、それに気づく方がいなく、勤務外なのにりえばぁがわざわざ出かけて行ったりしているところ。次の会議では出勤した誰かが担当することをお願いしようと思っています。 画像は真剣に取り組む子どもたちの様子です。 こんなに集中している姿は滅多に見れるものではありません。 向こうには先日の“書初め”を貼ってあります。これは向こう側からここを通る先生や他の生徒さんにも目に触れる場所ですよ。学童はいろいろ「やってるな!」の無言のアッピールと言うところです。 何を制作しているのかと覗いて見ると、 こんなのとか どらえもん?見本ははこの箱の中のドラえもんのようでしたが・・・・、いろんなどらえもんが出来そうでしたね。そしてこれも作る予定のようです。
2014年01月16日
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1月15日、水曜日の日記です。この日は午前中が施設の仕事。午後2時からは学童の勤務日ということで小学校へ行って来ました。毎週水曜日はレクリエーション協会の方が 「あそびの城」という名で、学校の終わる放課後に地区の公民館でいろいろな遊びを子供たちに提供しています。遊びを通して子どもの心を育てて行こうというのを企画して行っているのですが、これが町の教育委員会が後援している事で、大勢の子供たちが参加しているようです。学童に通う子供の中にも数人いて、水曜日の学童室はその分利用する子が減り今日も2人が欠席でした。9人のうち、2~3人がいないとなるとずいぶん寂しくなる感じですが、 何の何のいつもと変わらず室内は終始大賑わいでしたよ。小学1、2年の子どもに振り回されないようにするのには、気力体力が必要と今更ながら思っていました。 下の写真は、不定期に発行する「学童だより」です。今回初刊ですが、この後はこのような形で年に数回発行して行こうと言う事にしています。 子どもを育てると言うことは、関わっている人全員の共通認識が必要ですからね。写真をたくさん載せて、その様子をご家族の皆さんで知っていてもらいたいと思って発行したのですが、預かっている責任上こうした報告も大事かと思っています。
2014年01月15日
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今日から家の修理に大工さんが入りました。建てて30年以上も経つと、心配な個所も出てきています。ずっと以前に居間、台所、トイレ、お風呂場などのある家の半分を改築したのですが、今回はその時手を付けなかった反対部分の座敷側。歩いていると、ぎしぎし、べこべこと床が落ちるのではないかと思うほどだった 一部屋と北側の縁側の床部分を今回思い切って直してもらう事にしました。床板を乗せている土台が腐っているのではないかと心配したのですが、畳を起こし、問題の床板をはがして見るとそれは全く大丈夫で、上の板だけ取り換えるだけで良いようです。新しい家を建てられればいいのですが、りえばぁの年齢では長男やkenにマイナス遺産を残すことになりますからね。ともかく、何とか修理して住み続けて行かなければなりませんので、時々はこうして少しずつ大工さんにチェックしてもらう事が必要だろうと思っているところです。大工さんは、こういう昔の家は太い木材を使い、土台もしっかりしていて、壊して新しい家など…もったいない事です、などと言っていました。修理は3~4日で終了するようです。 午前中は書道の練習。夕方からはスポーツ少年団の指導に。そして帰宅してから書道教室へといつもの火曜日でした。そして、夜は寝るまで頼まれた寒中見舞いの宛名筆耕のお仕事をしていました。
2014年01月14日
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今回の東京旅行は大変なおまけつきになりました。何しろ、あの改修前の国立競技場での最後の試合、しかも初の北陸同士の決勝戦となったあの感動の高校サッカーを実際に見ることができたのですからね。 宿泊場所としていた東京さぬき倶楽部 を早めに出発。昨日、一昨日と同じく近くの駅から地下鉄に乗り会場へ。 決勝戦の開始時刻は午後2時05分と遅く、それまでの間どう過ごそうかと話ししながらの私たちでした。ところが、時刻はまだ10時半にもなっていないというのに競技場にはもう長蛇の列ができていました。結局、私たちもその中に並び、長い時間と、そして富山からかけつける息子kenを待っていたのですが・・・、田舎者の私たち。こんな風に何時間も何もしないで並んで時を待つなどしたことも考えた事もありませんでしたから、東京の人って、どこでも並ぶんだなって呆れながらおりました。 やがて開場予定の12時少し前、kenも到着して一緒に競技場の中に入りました。 バレーボール会場では2メートル近い選手もぞろぞろいますので、身長185センチあってもそれほどにも思わないところですが、ここ陸上競技場でのkenはよく目立ち、探す私たちにしては大変楽でしたね。 お隣石川県の星陵高校にもエールを送りたいりえばぁたちでしたが、今回は富山県人として全面的に第一の応援しようと、どうせなら席も富山第一高校応援席に近くを探して座っていました。試合経過は皆様ご存知の通り。あの大逆転劇にスタンドの興奮は渦を巻いていた感じ、私たちもその渦の中で幸せな気持ちに浸っていました。気がつけば私たちの後ろ側には東京オリンピックの聖火台が 赤々と燃えていました。昭和39年の時、全国を回ったこの聖火を高校を卒業したばかりのりえばぁもそのランナーの一人として町を走りました。サッカーの試合が終わってしばし、無関係ではないこの聖火をしげしげ見つめてしばし感慨に浸っていたということでしたね。 競技場の上空にヘリコプターも現れ、もうすぐ選手が入場です。 ヘリコプターはあの雲の中の点 試合が始まり、両チームの攻防に観衆は一喜一憂 ついに延長戦
2014年01月13日
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人生で一番、気力体力のあるのは高校時代だと、それは誰もが思うところです。ですので、りえばぁがそもそも思うのは、そのあとの長い人生にも大きくかかわって来るのも、その高校時代にどんな風に過ごしていたかということになるのではないかと考えます。運動にしろ、文化活動にしろ、また勉学でも、そこには目的を持って一生懸命に励むという事が大事で、それがたとえ遊びであっても意味があれば必ず自分の今後に役立つはずだと思っています。今回、東京体育館の晴れの舞台で試合に臨んだ選手たちはもちろんのこと、それを見るために集まった観衆に目をやってみても、それが感じられました。応援も一生懸命、 観戦も一生懸命、審判も会場整理係も、お店の人も一生懸命・・・そんな熱気の中に身を置いていると、この老人夫婦も心なしか若い気分になっていましたよ。 11日の土曜日は男女各2試合の準決勝戦、12日の日曜日は決勝戦でした。東京体育館のフロアには3面のバレーボールコートを作れ、先週の3回戦まではその3面を使って試合が行われていました。3日間で男女各4チームずつの勝ち残りが1週後の本日に試合が行われるということになり、国元から改めて会場入りしたと言う事です。3月に行われていた時は時期が春休みということで、初戦から決勝戦まで続けて行えたのですけどね。今年、ここに勝ち残ったのは、男子が星城高校(愛知)、東福岡高校(福岡)、鹿児島商業高校(鹿児島)、雄物川高校(秋田)の4校で、女子は九州文化学園(長崎)、共栄学園(東京)、都市大塩尻(長野)、東九州龍谷(大分)の4校でした。準決勝戦の対戦は男子が1試合目が星城と東福岡、2試合目が鹿児島商業と雄物川。女子の1試合目は東九州龍谷と都市大塩尻、2試合目が九州文化と共栄学園。10時から始まった準決勝戦はどの試合も白熱し、4試合が終了したのは夕方も暗くなっていましたね。 東京体育館の前にはおなじみのバボちゃん人形が・・・ 女子の組み合わせ表です。Cブロックの18番目の由利がりえばぁの高校です。後輩たちは2回戦で高知に敗退って感じですね。セットカウント2:0でストレートで負けてしまったようですが、点数を見ると誠に惜しいところでした。 勝てば、あの2メートル1センチの身長のある今大会注目一番の中国人センタープレーヤーと対戦する事が出来たのですけどね。 女子1試合目の練習時、すごく目立つ選手がいました。 長野塩尻の選手ですが、身長は165センチしかないのに、最高到達点がなんと288センチあり、とてつもないジャンプ力の持ち主なのですね。その選手がアタックで飛ぶと、会場中から感嘆の声が上がっていましたよ。 男子の第一試合開始です。こちら青いユニフォームのチームは秋田の雄物川なのですが、この中に2メートル1センチと大会一の高身長の選手がいて、大会前から注目されていたようです。まだ1年生だと言う事ですが、何の何の周りの上学年と変わらず実に堂々とプレーしていましたよ。この選手は将来全日本チームで活躍すること確実です。今、高校生だと6年後の東京オリンピックでちょうどよい年齢になりますからね。 今大会には男女とも2メートル1センチの選手がいました。バレーボールは身長が高ければそれだけで注目されるスポーツですから、後はこの両選手がどのように活躍するかと大会前から注目されていたようです。男子は190センチ以上の選手が何人もおりますので、大きいと言ってもそれほどとびぬけて目立つというほどでもないのですが、女子の場合はそれは大変目立ちますね。ジャンプしなくても伸ばした手はネットのずっと上ですから、対処が早いという事。対戦するチームはこの選手をどうマークして攻略できるかが課題であるといえます。 男子の試合は空中戦と言う感じですね。
2014年01月12日
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今回上京した目的はもちろん高校生のバレーボール全国大会、春高バレーと言われるもののその準決勝戦と決勝戦を観戦することでした。昨年は埼玉県所沢体育館で行われたこの大会ですが、今年は本来の東京体育館に戻っての開催となっていました。 私たちはホテルで朝食を頂いた後、車はホテルに置いたままにし、地下鉄で会場に向かいました。実は地下鉄に自分たちだけで乗ったのも初めてのこと。皆さんには笑われてしまうことかもしれませんが、この地下鉄乗車の旅も田舎者の二人にはどきどきもので、不安いっぱいというところでした。わからないものは聞けば済むことですし、昔からのことわざで“旅のかき捨て”も言われる諺もありますからね。それでも一応は自分たちの目で見て確認しながらの行動でしたが、やはりいざという時は“聞く”ということで事なきを得て過ごしました。 地下鉄の駅はそれが当たり前の事かもしれませんが、「いったいどこまで潜るの?」というほど、エレベーターや階段でどんどん地下の奥へ下るので、それにはいささか驚きを通り越して心配な気持ちにもなりましたね。 ホテルのある麻布十番駅から東京体育館や国立競技場のある線は「都営大江戸線」とかいうのを利用すれば便利で最短距離のようでした。線の色はEと書かれた細い紫線でしたね。それを覚えれば、あとは1番線か2番線の方向さえ間違えずに乗ればOKということです。ところが、それで3日間通って行きは同じところから入れば良かったのですが、問題は帰り。一日目は麻布十番で下りたまでは良かったのですが、乗るときにどこの出口から入ったのか覚えていず、適当に地上に顔を出しては見覚えのない風景にあれ?そのあたりを歩いて、案内板を見つけては右へ左へと自分の行きたい方向を探して歩き、やっと見つけて宿に戻ったという事でした。地下出口を見つけるのに一苦労。まるでもぐらたたきゲームの中の一コマとなっている感じになっていましたよ。 ホテルの窓からは私の大好きな東京タワーがビルの間から見えました。 この日記の日、土曜日に行われた準決勝戦については次の日記で記録しておきますね。
2014年01月11日
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10日、金曜日。午前中は私は施設の仕事。Aさんも郵便局の仕事でした。すぐに出かける準備をし、Aさんが帰宅して間もなく東京へ向けて家を出ました。時計を見ると14:45。エルグランドの走行距離メーターは155,822m。近くのインターチェンジから北陸道に乗り、一路東京に向けて車を走らせました。あの天下の険と言われる親不知までは15分で着きます。ここは海の上の高速道で冬場は通過するのも寒々しいところなのですが、今日の日本海は比較的穏やかな色をしていましたね。18:15埼玉県三芳SAで休憩と同時に夕食を摂りました。ここまでの所要時間は3時間30分。総距離メーターの数字は156,170mでしたので274kmをAさんは一度も休むことなく運転し続けたという事ですね。 今日の目的地は港区にある「東京さぬき倶楽部」。そこまでは残り50kmということで私たちは三芳SAで1時間ほどゆっくり休みました。首都高速芝公園で下り、そこから所要時間わずかで19:58に目的地に着きました。 当初、この日は学童の出勤日にもなっていましたので、それが終えてから家を出ることにしていましたので、時間的にも、また雪のシーズンでもあることから到着は夜中になるかもしれないとホテル側には告げていました。なので、通常の時間ほどに早く着いたことでカウンターの方は驚いていましたよ。 写真はこの冬の行程で最難関と言われる新潟県と長野県の県境付近の雪の様子です。 新井かな?ここではタイヤをチェックしていましたよ。 妙高高原・・・ここいら付近は3月にも雪があるようなところです。 もうすぐ長野県です。雪にはあとちょっとの辛抱です。
2014年01月10日
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現在の時刻は14日0時15分。さきほど3泊4日の東京旅行から無事に帰って来ました。行きはそうでもなかったのですが、帰り道の高速道は雪が降り、長野から新潟県に入ったあたりはすっかり雪国でした。地面も圧雪状態になっていて、一車線の部分も長くのろのろ運転が続きました。また、いつもがらがらの北陸道なのに、今日はずいぶんと車の数が多く、これはたぶんサッカー応援の車が多いのではないかともっぱらの車内の話題でしたよ。 国立競技場でのその高校サッカーの試合、しっかり観戦してきましたよ。ともかくすごい試合でした。第一高校の応援団のいる上のエリアで観戦していたのですが、私たちと同じく一般席で見に来ていたらしいまわりの人たちも何らかの富山県に縁のある人たちらしく、試合が始まり経過するとともに、すっかりサポーターに。選手や応援団とともにいたという事でしたね。詳しくは当日13日の日記に記そうかと思います。 さて、この日付である 9日木曜日は、午前中は施設勤務で午後からは学童に出勤しました。 今日は学童の 正式に出勤日ではなかったのですが、今月の一つの行事として「習字教室」として、お正月とあってテーマが“書初めに挑戦”となっていて、その指導に行ったということでした。その様子です。 女の子たちこちらは男の子たち 普段は落ち着きのない子どもたち。意外に真剣に取り組んでいるのには驚きでしたよ。 そして調子に乗って書いて仕上がったのはご覧の通り。 みんなそれぞれ、思い思いの言葉を書いています。ちなみに「こうま」は一年生の冬休みの宿題の課題で、「よい子」は2年生の課題。一・二年生は筆ではなく、クレヨンでの習字だそうです。筆使いはまだ習っていない子どもたちで、どうなることかと思っていたのですが、少しの指導でこんなに字らしい字が書けましたよ。
2014年01月09日
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あの生活支援施設の仕事は休んでいた方が戻って来られたことで、りえばぁは一応契約終了になっていました。こういう施設の仕事というのは、世の中が好調になるほど働いてくれる人がいなくなるということで、この施設でも再々職業安定所に足を運んでいるようですが、さっぱりな結果になっているとか。そこで、“飛んで火にいる夏の虫”的に、私に続けて働いて欲しいとの話があり、渋りながらも6日の仕事始めに様子を見に行きました。仕事の内容は本日10日、3日目にしてやっとつかめて来たのですが、なんとも最初の説明不足というか、無いというかそれははっきりせず、他の人に一々聞きながら1日を終えました。1日勤めただけではよくわからない部分もあり、かといってその後もこのままではお試し勤務となりると、それはただのボランティアという事で、時間を作って行っても無給で時間目いっぱい仕事を与えられることから、とりあえずそこでしばらく働いて見ることにしました。そこの施設の別のエリアの勤務ですが、そこはまた別の世界があり、慣れるのに少し時間がかかりそうです。 この日記の水曜日の夜には「ヨーガ教室」が始まりました。あの地区のヨーガ教室は今年で9年目を迎えるそうで、集まった仲間でそのことに驚き、今後もぼちぼち続けて行きましょうということを話していました。 今日は10日です。昨夜からの雪も朝からの好天気でアスファルトの道路にはほとんど残っていません。これから私とAさんは東京に向けて出発します。明日、あさってが東京体育館で春高バレーの準決勝戦と決勝戦を観戦。そして明日の高校サッカーでもし富山代表の第一高校が勝利するならば、月曜日に国立競技場に出向き、第一の応援をしてこようかと思っているところです。ブログも帰って来てからの更新になるかと思いますが、それまで待っててくださいね。それでは。
2014年01月08日
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こちら富山県の7日朝は大変寒くこの冬一番ではなかったかと思います。いつものように朝食にAさんに作ったうどん。それに入れるネギが無くなっていることで、畑に行ったのですが土が霜で硬くなっていて、採るのに大変苦労しました。少しだけ何とか採り、あとは11時を過ぎてからにしたのですけどね。バケツの水も凍ってパリッパリ。昔は冬になると凍るのが普通だったのですが、現在ではあまり見かけなくなりましたから、ちょっと驚いてしましましたね。霜が解けた頃、再度畑に行き、ネギの他、大根、ニンジン、ゴボウを採って来て、夜にはおでんときんぴらごぼうを作ってたべましたよ。ところで、その牛蒡を土から抜くとき、すでに牛蒡の良い匂いがしていたのですが、こういう経験って家で作らないと分からない物ですね。りえばぁ、これまで牛蒡はスーパーで買って来て食べていましたので、こんなことを初めて経験し、ちょっと嬉しい気分になっていました。 午後は夕方からスポーツ少年団の指導に。終わって帰ってから書道教室にと。どちらも今年最初の練習日でした。 写真は5日の日曜日に家族で富山市のラーメン店に行った時のものです。 私とkenが食べた“トマトラーメン” ちょっとピリ辛で、味は濃厚。とっても美味しかったです。 Aさんが食べた“味噌ラーメン” 長男が食べたのはつけ麺でしたが、写真がどこに行ったやら・・・・このラーメンやさんはもともとはバスで営業していたのだとか。店の前にはお店の看板のようにそのバスが置いてありました。 ラーメンやさんの入り口のドアは重しを用いた自動ドア(閉めるときだけの)でした。 我が家にも採用OKって感じですね。
2014年01月07日
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6日、月曜日。今日は我が家の住民の仕事始め。1年の始まりです。といってもAさんは暮からずっと休みなく働いていますので、それは別としてですけど・・・。ken、りえばぁ、そして帰国して滞在中の長男も今日は東京に仕事に向かいました。それぞれが元気で1年を過ごしていく事は誰もの願いですが、そのためには前後左右アンテナを高くし、努力を惜しまない事が大事な事だと、それが朝食時の話題になりました。「よっしゃ~!」という感じでりえばぁより先にAさんとkenが出て行った後、次はりえばぁ。 今日りえばぁの出かけたところは年末まで3か月の予定で勤めていたあの生活支援介護施設でした。施設の事情から「そのまま残って仕事を続けて欲しい」と強く言われた事から、「それなら一度様子を見てからにします!」と、今日はその“お試し日”といったところでした。今までの洗濯室の仕事は治療に当たっていた本来の人が帰って来ましたので、りえばぁは予定通りそこは終了といったところ。今度の仕事は別の寮に入っている女子のサポートという事でした。要するに介護の仕事言うことになるのですが、それはとうぜんそこに相手があるということですからね。人に厳しいりえばぁに果たして優しく対応できるかどうかというところです。また、勤務時間も考えなければなりません。家業である農業の事や学童、スポーツ少年団、そして趣味の書道などに影響を及ぼすことになるのは避けたいですし、第一自分自身の健康を害するようになる事だけは絶対にしたくないですからね。そのためには返事をする前に、今度の仕事内容を吟味することが大切だと思い、今日はその様子を見に行って来たという事でした。 12時半まで勤め、急いで帰って1時からの学童保育勤務に。9人のうち3人がお休みで、今日の利用者は男の子3人、女の子3人の計6人でした。 1日保育の時、子供たちはそれぞお弁当を持って来ています。午前中は宿題やそのお弁当を食べたりと時間も過ごせますが、午後からはその分がなく終了の5時半までは大変長く、その長い時間をどう過ごさせるかと、指導員もあれこれと考えるところです。部屋の中でしてはいけないとされている物を投げることや走る事も元気な子供たちには通じませんからね。寒い体育館ですが、やはり体育館で遊ぼうという事になり、私たちも寒さしのぎに子供たちと走ったり、ボール遊びをしたりしているという事です。 りえばぁはいつも子供たちの様子を見て、室内の過ごし方も体育館内での遊びもその場で考えて与えているところです。今日は子ども2人だけでビーチボールをしているのを見て、これをみんなでやることを考えました。バドミントンコートに支柱を立て、ネットを張ってと。それを見て、子どもの一人が器具庫から点数板を持って来て、スコアをつけ始めました。勝負となったら真剣になる子供たちです。最初は来たボールをただ打ち返すだけだったのですが、そのうちチーム内の誰かに助けてもらって向こうに返すということも出来るようになって、助け合うことも大切だと思うようになって来ていました。寒い体育館の中、ビーチボールは合わせ目から裂けるという事も多く、2時間ほどの間に3つも破けさせてしまいましたけどね。ゴムのソフトバレーボールでは痛いというし、今度はこのボールを何にするか考えなければならないと思っています。 夜は、新年の仕事始めが8時間半も働いたことで、夕食後は睡魔に襲われすぐにダウン。変な夢をいくつも見ながら夜も一度も起きることなく、目覚まし時計で起こされて目が覚めたのはいつもの時間でした。たぶん10時間も寝たのではないかと思っていますよ。 下の写真は先日行った金沢駅の食堂でのあれ? です。 目の前にあったメニュー表ですが、モルツ中瓶ー600円などマイナスの金額がありますよね。ジュースやコカコーラは普通ですが・・・、「これってアルコール類はお金をくれるの?」などと待っている間の話題になっていました。
2014年01月06日
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5日は日曜日、Aさんは今日も仕事です。今年に入って初めての休みはもう1週間あとになりそうです。そんなAさんを気の毒な!と思いながら、明日から仕事のken、そして私は長い休みの最後をゆっくり過ごしていました。正午12時から始まった高校全国選手権大会順々決勝戦は、我が県代表の富山第一高校と、昨年優勝した高校を破って宮崎県の代表となった日章学園の試合がありました。サッカー大好き人間のkenや長男と一緒に応援しながら見ていたのですが・・・、立ち上がり間もなく先制点を入れたのは富山第一高校。その後も優勢に試合が進み終わって見れば、まさか、まさかの4対0勝ち。それには驚きましたよ。 これで第一高校は全国4強入りを果たしたのですが、県勢としても13年ぶりのベスト4入りになったのだとか、準決勝戦は来週の土曜日に、決勝戦は一日おい13日月曜日に国立競技場で行われるようです。今日富山から応援に駆け付けたのはブラスバンド部員他関係各位、今朝早くバス7台で向かったようですが、来週は更に多くの人が応援に向かう事でしょうね。Aさんと私も東京に行きますが、行先は東京都体育館。春高バレーの準決勝戦および決勝戦を観戦して来ます。思って見ると、バレーボールは日曜日で終わりますので、月曜日にまだ都内にいる私たちですから、もし富山第一高校が決勝戦を戦う事になっていれば、国立競技場に応援に行く事は可能だなってさきほど思いましたよ。 さて、3日に行った金沢の写真、また少し残っていますので、以下にそれを載せておきたいと思います。 この写真は兼六園を出ての道路上から撮ったもので、金沢城を囲む石垣とお堀です。車が見えますが、その車の行く先の方には重要文化財になっている金沢城の石川門があります。 ここの信号を亘って向かって行くと、 この建物は昔の県庁なのですが、こちら側は灯りが点いてなんだか賑やかな感じがしますね。一階にも二階にも喫茶店やレストランが入っているようで、ここでは向かいのお堀を見ながらゆっくり食事をするという雰囲気になっているようでしたよ。また、向こう側の石垣は夜になると、ライトアップもされるようですから雰囲気がありますよね。 そしてこの建物の反対側はこんな顔をしています。 まったく別の顔ですね。 この建物、「元県庁」として保存されているようです。 “しいのき迎賓館”という名前で県内外からのお客さまをおもてなしする場所にもなっているようです。 すぐ隣にはこのような建物もありました。 石川四高記念文化交流会館と看板がありましたが、この建物も文化財になっているようでしたよ。昔は学校として使われていたようでした。 町のあちこちにこのようなモニュメントがあります。 こういうのって、楽しく心もほこほこしますね。
2014年01月05日
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金沢行きの続きです。 昨日3日は長男夫婦に誘われて、思わぬ小旅行になりました。我が家からは100キロほどの距離、高速では1時間ほどの場所にありますが、用事以外で行くというのはこれまでほとんどなく、その用事で行ったという事も含めて、聞かれて考えて見るとそれは十数年も前の事ではなかったかと思えるほどご無沙汰でした。 それほど金沢というところは、行こうと思えばいつでも行ける近い場所であるということです。 私と長男は高速バスを見送ったあと、まちバスに乗り、まずは二十一世紀美術館へ。 そこには書家の一人でアーティストでもある柿沼康二の作品約700点が展示されていましたので、まずはそれを主に見て回っていました。 作者は1970年生まれと言いますからまだ40代と若い書家。その若い彼自身が目指している書というのは 「吸って吐いて、自由な書」と言う事を念頭に「書はアートたるか、己はアーティストたるか」と命題を立て、新たな表現物として書を追及しているということでした。それだけに、元となる臨書から発展した斬新なアート的作品までこれが「書?」と凡人のりえばぁには理解不可解なものまで展示されていましたね。 この美術館の中にはこんな場所があります。プールを覗くと、水の底にうごめく人間たちが・・・・ そして、ここがその水底から上の眺め、下をのぞき込んでいる人が見えます。 美術館を出て、すぐ近くの兼六園へ。登り口にある神社で初詣して来ました。 神社の前の通りを可愛いまちバスが走って行きました。まちバスは金沢駅を発着する本来のJRのと、他にこんな雰囲気のある赤と青のバスも市内を走っているようです。 兼六園真弓坂口から中に入りました。お正月は入園料は無料とか。 兼六園のほぼ真ん中にある霞が池です。 こちらは兼六園発祥の場所という「瓢池(ひさご)」。 名の通り、池は瓢箪の形になっているようで、下の画像にある立札にもそう書いてありました。 下は「夕顔亭」という名前のある茶室。園内に現存するもっとも古い建物で、1774年安永3年に建てられたそうで、現在も使用されているようですが、今日はあいにくお休みということで残念ながら中に入ってお茶を頂くことはできませんでした。 冬の兼六園は何と言っても雪景色がおすすめ。総面積約11.4haの園内には160種類役8,200本の樹木があり、それらの木々には丁寧に雪囲いがされているのですが、これらは雪があっての風物詩。催し物も何にもない園内は観光客もちらほらで何とも寂しい感じがあり、半分ほど回って出て来たという事でした。 雪がないことで、こんなものを発見。気の根っこが浮き出ていますね。おお~!と驚いて写真を撮ったものの、これがりえばぁの手の表面に似ていて、少しギョエ~とした一枚でもありました。 この日記の日付である4日は、ず~と家の中。そろそろ始まる仕事への準備や添削指導を受ける書を書いたり、いろいろ様々なことで日を過ごしていました。
2014年01月04日
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今日は長男に誘われて、金沢駅発の高速バスで大阪へ帰る嫁さんを金沢まで送って行きました。ここで使用した車は長男が年末年始の自分用の足にディラーから借りたという電気自動車。燃料は電気というところからガソリンスタンドのお世話にならなくてもよいの事ですが、一回の充電でそれほどの距離が走れなく、今回も金沢までの100キロほどを途中で充電しなければ行くことが出来ないというところ、行きは1回、帰りも金沢市内と家に近い魚津市でと往復で合計3回の充電が必要でした。1回の充電時間は80%ほどまで完了させて30分間は必要ですし、この充電設備は限られたところにしかなく、ネットで検索してやっと着いたところはお正月休みで利用できないようになっていたり、また充電を待つ車もあったりでなかなか自分の計算通りには行かないというところでした。なので、普通高速で1時間で行けるところ、行きは3時間近く、帰りは4時間もかかり、そのあたりの整備がされないうちは電気自動車の普及はまだまだと言う感じを受けましたね。少なくてもちょっとの時間も惜しいと思っている私やAさんには、行きと帰りの時間だけで6~7時間もかかるようなこのような車は、とても付き合っていられないとはっきり言えるようでしたよ。 1時過ぎの大阪行きのバスを見送ったあとは、車はそのまま駅近くの駐車場に預けたまま、市内を周遊する“まちバス”に乗り、「二十一世紀美術館」と「兼六園」まで行って来ました。その様子です。 まずは充電器と充電中の車です。 高速道路から望む“とやまきときと空港”と白い山々です。 全日航機は今、飛行場を飛び立ったばかりで、空高くその姿が見えました。 金沢駅で高速バスを見送ったあと、りえばぁと長男は町を走るバスに乗りました。 金沢駅はずいぶん画期的に変化していましたよ。 この写真を撮っている場所には、こんな噴水時計がありました。 この2枚の写真は町バスにのって金沢駅に帰って来た時のものです。もう暗くなって来ていますね。この後、駐車場から車を出し、それに乗り長い時間かけて帰宅したと言うところでした。家に着いたのは夜の9時半ごろ。Aさんは晩酌を済ませ、コタツで居眠りし、外出していた息子kenも帰宅して部屋でパソコンに向かっていましたよ。 二十一世紀美術館や兼六園の写真は次の日記に載せますね。
2014年01月03日
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新しい年が明け、今日は2日目です。日ごろ忙しくしている皆様やご家族も、新年3日間ぐらいはのんびりと過ごされるのではないかと思います。 我が家は昨日元旦から仕事に出かける人がいて、りえばぁも朝から忙しくしていました。通常日の勤務始まりは8時半であるためゆっくり送り出す事ができるのですが、今日元旦は7時半に出発式があり、今日はその時間までに集合するようにとの事。たくさんの年賀はがきを配達するにはその時間に出発しなければ配り終えることができないということと、今日はどの家でも届くのを待っているでしょうしね。 Aさんが帰宅するのが早かったら、帰国して年末から家にいる長男夫婦も交えて家族みんなで初詣に行こうと決めていました。そのAさん、待てど暮らせどなかなか帰って来ず、 やっと帰宅したのは5時をすぎてあたりは暗くなった頃。「これから出かけるにはちょっとねぇ!」という事になり、結局出かけるのはやめてすぐに宴会ということになりました。 Aさんがお正月用にと用意しておいたお酒類、お土産の焼酎、長男夫婦が買って来たワインなどを開けワイワイ楽しんでいました。 さて、今日は2日。今、りえばぁは先ほどから始まったお正月恒例の箱根駅伝を見ながらこれを書いているところです。箱根駅伝はお正月番組の中で最も好きなもので毎年見て楽しんでいます。ただ、毎年のようにチームの誰かがアクシデントに見舞われるなどありますからね。それだけは見たくないといったところ、この箱根に向けて日々辛い練習を積み重ね今日に臨んだ学生さんたちですから、全員が本来の力を出せた形で走りで終えて欲しいものだと願っているところです。 11時から公民館で地区の新年会が行われるようです。Aさんが仕事のため新年会には参加はできないのですが、我が家を含む班が片付け当番にあたっているようで、終了するころに片付けに行って来なければならないと思っています。 他は今日は「書初めの日」ですから、筆を執らなければなりませんね。今月の競書の練習でも始めようかと思っていますよ。
2014年01月02日
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皆様明けましておめでとうございます。ブロ友のみなさんにはご家族おそろいで、 新しい年をお迎えのことと思います。今年が皆様にとって幸多い年になりますように祈念しております。 さきほど玄関先に貼った皆さまへの挨拶状です。 これが今年の我が家のしめ飾り代わりということにしています。 さて、我が家の今朝は、年賀はがきを配達するために7時半に集合というAさんに合わせ、少し早く起きてお雑煮つくりをしていました。Aさんはそれを大急ぎでお腹に収め、さきほど出勤して行きました。ゆっくりできるのは配達が終わり明日の準備を済ませて帰宅する午後も遅い時間になるのだろうと思っています。ちなみにAさんは午年生まれ。 今年も馬のごとく走り回る一年になることだろうと思っています。りえばぁの役目はAさん、息子ken、そして離れて暮らす長男夫婦の家族が健康で毎日がうまく走り回れるように気を配り、リエばぁ自身も“きときと”に過ごして行けるようにすることだと思っています。みなさんと一緒に、元気で毎日明るく過ごしていきましょう。今年もどうぞよろしくお願いします。
2014年01月01日
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