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昨日、少し身障者手帳のことを書きました。この手帳とはどんなものかとお思いの方もいるかと思い、書いてみます。大阪府の場合(都道府県単位での発給。申請は市の障害福祉課で行う)は青いビニールのカバーがついており、障害の等級と障害の内容、あと、バスや航空機での料金の割り引きがある旨、書いてあります。せいぜい5-6ページぐらいの薄いものですが、本人の写真を貼るようになってるので、ダーリンの身分証明に使えます。申請には、申請書と主治医の診断書が必須です。発症3ヶ月後ぐらいから申請できます。(症状によりますが)症状が変わった場合はまた障害内容を変更してもらうよう、申請が必要です。うちの場合は平成16年1月に申請して、3月初めに発給されました。いつかはこの手帳を返還できるような身体になってほしいと願っていますが、今はこれがとても役に立っています。私鉄は半額、タクシーは1割引き、新幹線の乗車券半額(ただし、車椅子がおけるスペースの指定券--のぞみでも2車両に2席ずつと限定なのに-は割引がありません)娯楽施設等で入場料が割引になるところもあります。ただし、車椅子に乗ってても手帳がなければダメです。(私鉄は見せなくてもOKのところもあるみたいです)決して余裕があるわけではない我が家の経済にとってはありがたい存在です。医療費に関しては、大阪府では平成16年11月より、1ヶ月医療機関1箇所あたり1回500円、2回1000円まで自己負担となりました。2箇所行けば、1ヶ月2000円までは要自己負担ということです。それ以前は障害1級(多分2級も)などの重度障害者の医療費は医療証(重度障害者で所得制限内の人の場合、取得できる)を呈示すれば全額無償でした。だんだん厳しくなってますね。昨日の「1リットルの涙」では、陣内さん演じる父親が「国のお世話にならなくても自分の娘のことは自分でやる」と言ってました。親心かもしれないけど、もし、父親の方が事故や急病で先に死んでしまったらどうするんだろう?と思わざるを得ませんでした。自分が先に逝くときのことも考えて十分な準備をしてあげる方が本人のためにはなるのではないかと。障害福祉では、介護の主体になっている人が亡くなったときに、介護される人に支払われる年金制度もあります。もちろん、介護の主体になっている人が生前に申し込みして、払い込みをしていく必要があります。もらえる金額は忘れましたが、大阪府ではこの制度があるので、他の都道府県でもあるのではないでしょうか。現実的には可能性が全くないとはいえないので、介護の主体である人間としてはいつも頭の隅にあります。ダーリンにこういう話をすると一番嫌がるのですが。
2005年11月09日
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今日の夜7時から3時間、NHK教育で障害者と介護についての討論会をやっていました。障害者側と介護職の現役やその卵の人々が参加して、障害者の望む介護というものについて論じていました。まもなく成立するであろう障害者自立支援法については、やはり在宅障害者の自己負担が定率(10%)で行われるであろうこと、そうなると24時間介護が必要な重度障害者や進行性の病気を患っている障害者などは、かなりの経済的負担を余儀なくされ、障害基礎年金(1級障害で年間993,100円)では在宅生活を維持できないよう追い込まれていく状況が語られていました。また、逆にこの法律を支持し、障害者も相応分自己負担をすべきという障害者もいました。この人の持論では、この法律にはちゃんと終日介護が必要な人にはその介護が与えられる内容が盛り込まれるはずということでした。本当にそうなのでしょうか。障害者を取り巻く状況もさまざまです。労災認定を受けて労災年金を受けられる人、家が裕福な人、また職場で社会保険が無く自分で国民年金をかけていて障害基礎年金(1級障害で年間993,100円)だけもらえる人(うちはこれです)受傷時に大学生などで、20歳を超えていて国民年金に加入していなかったために1級障害であっても全く無年金の人もいます。この法律はこれらのさまざまな人々の暮らしにあわせて作られているのでしょうか。はなはだ疑問です。そして、話題は障害者が望む介護について語られ、きゅうりの浅漬けをヘルパーさんに作ってもらうのに、必ず7ミリずつに切ってもらうよう自分でチェックしている利用者がいました。ダーリンも私もそういう細かいことには全く頓着しないたちですが、洗濯物のたたみ方、掃除の仕方などに細かく注文をつける利用者がいることは知っていました。この人もそういう人なのかなと思っていると、彼女は「自分で生活をプロデュースしていきたいから」といっていました。私はそれまでそういう要望をする人々のことを少しあきれてみていたのですが、はっと気づいたのです。彼女は身体が動けばきっと自分で立って台所に行き、7ミリずつきゅうりを切るに違いないということに。「意志があっても、身体がその通りに動かない」からそう要望するのだということに。細かかろうがなんだろうが、それがその人のポリシーであり生き方で、身体が不自由だからといってその意志を押さえ込む必要はないということに気がついたのです。そしてそこまでのきめ細かい介護を望むとすれば、当然介護時間は長くなり、やはり障害者の自己負担増はその人の生き方までも強制的に変えさせてしまうことだということです。番組の最後の方で「青い芝の会」という30年以上前の障害者の運動が紹介され、当時の運動の中心人物だった方がスタジオにこられていました。当時は障害者(なかでも脳性まひの人)の子供の将来を悲観して親が子を殺してしまうという事件が数多くあり、社会も殺した親に同情的で、親は減刑されるという事例が多かったようです。これに対し、この会は「障害者は殺されてもよい存在なのか?」と問いかけて、ビラ配りや座り込みなどの運動をすすめていきました。現在の障害者の人権擁護運動の草分け的存在かもしれません。その方が言われていた言葉で、「可愛がっていたわが子が障害のある親を殺しても減刑される、そんなひどいことはない」といっておられたのが印象的でした。当時は介護保険もなく、在宅介護はすべて家族に任せられていました。それが悲劇を生んだのかもしれません。我が家も家事援助他をヘルパーさんにお願いしており、その間私はフルタイムで働く事が可能になっています。それは私にとってもダーリンにとっても、とてもよい状態です。自立支援法は障害者をどこへ連れていくのでしょうか。小泉さんに聞いてみたいです。
2005年10月29日
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我が家はダーリンが退院直前に公的な補助金を一部得て、バリアフリーの住宅改造を行いました。父が工務店と喧嘩までして、なんとか限られた予算内で改造を行うことができました。3LDKの小部屋に区切られていたマンションの2LDKの部分を全面仕切りなしのフローリングにし、トイレもドアをはずし、浴室にもリフトを付け、ダーリンが生活できるように考えて改造しました。ですから家の中ではダーリンは比較的自由に暮らすことができます。リハビリにも支障ありません。しかし、一歩外にでると話は違います。今日、ダーリンと妻は2ヶ月振りにいつもの美容院にカットに行きました。私(妻)がダーリンの車椅子を押して5-6分の近所の美容院です。ここはダーリンが受傷する前から私が行っていたところなのですが、なぜ今ここに連れて行っているかというと、1階で、しかも入り口に段差がないからなのです。もちろん美容師さんの技術の高さと親切な対応もありますが、やはり入り口に段差があるかないかは、女性である妻の介助で車椅子を押す場合、大きな条件となります。私たち夫婦は大阪府の郊外に住んでおり、人口も急激にに増えて、焼肉レストランや居酒屋など、どんどん新しくできてきていますが、大部分が入り口に10センチ前後の段差があり、中には3-5段の階段のあるところまであります。なぜ段差がなければいけないのか、建築に疎い私にはわかりませんが、ただもうそれだけで「行けない」ことだけは確かです。そしてそのたびに「ダーリンが歩けるようになったら行けるからいいや」と思う反面、なんで段差をつけるのだろう、車椅子を使わざるを得ない人がいっぱいいるのに。。と考えてしまうのです。進行性の病気の人、お年寄りで足腰の弱っている人、脊髄損傷以外でも車椅子が外出に必須の人がたくさんいます。そういう人たちが「行けない」場所のなんと多いことか。そして歩道に無造作に自動車を片輪かけて駐車する人、障害者用のトイレに入り、ドアの外で車椅子の障害者を長々と待たせる人。自分が車椅子に頼らざるを得ない状況になったときのことに思い至れば、決してそんなことはしないでしょう。うちのダーリンはいつの日か歩けるようになるでしょう。でも、もしそういう望みのない人にとっても暮らしやすい、「バリアフリー」という言葉自体が不要になる世の中になってほしいと思うのです。
2005年10月10日
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先日のブログの中で、ダーリンが脳神経外科の部長から「車椅子の人生を受容すべき」と言われたことを書きましたが、医療関係者の大多数がこういう反応です。実はダーリンが受傷してすぐ、私も同じ脊髄損傷者の体験記を読んだり、ホームページを読んだりして、「車椅子の人生」を前提としたダーリンのこれからの人生を考えていました。ダーリン自身には本当のことは言えずにいたのですが。実はダーリンは受傷前は京都の老舗のコーヒー専門店に勤務しており、20代の頃から喫茶の修行をしていたので、この際喫茶店を自分で経営させてみよう、車椅子でも動けるように工夫して店を開こうとか、リハビリセンターに何年か入れ、ITの勉強をさせて在宅でできる仕事を受注してやらせよう。。等々。医師の説明を受け、ネットサーフィンを繰り返しても「脊髄損傷は損傷したところ以下は動くことがなく、回復はありえない。」という回答しか帰ってこず、私の頭のなかにも次第に「あきらめ」と「あきらめた上での別の道」をダーリンに歩ませることが当然のことのように染み透っていったのです。でも、ダーリンの本当の望みはそこにはなかったのです。しかし、最初に入院した病院での日々も3ヶ月を過ぎ、脊髄損傷のためのリハビリ病院を探さなければいけないという状況になってきました。治療のための病院には、回復不可能な患者のいる場所はありません。そこで、いくつかのリハビリ病院に出向き、受け入れてくれるリハビリ病院を見つけました。公営の施設で、最長3年までいることができ、車椅子での社会復帰を保証してくれるというものでした。そんなある日、いつものように「脊髄損傷」をキーワードにネットサーフィンをしていると、「立った、歩いた」という文字が目に飛び込んで来ました。脊髄損傷者が「立つ?」「歩く?」私は目を疑いました。そして吸い込まれるように、北海道のU先生の、友人Mさんに施した6年間のリハビリの記録を読み始めたのです。Mさんは頸髄の2-5番を損傷し、まばたきしかできない状態でした。そんなMさんが、U先生のリハビリにより、立ち、歩いているのです。すぐにU先生にメールを出し、すぐに返事をもらいました。U先生の返事は、とにかくこちらに来なさいということでした。リハビリ病院への入院が決まっていたので、「リハビリ病院を退院してから行かせていただいてもよろしいでしょうか?」と聞くと、「リハビリ病院を経てからでは受け入れない」ということでしたので、悩みましたが、ダーリンも「U先生に賭けたい」ということでしたので、入院中でしたが、とにかく北海道に行くことに決めたのです。ダーリンも部長先生の言葉から「ずっと車椅子なんだろうか?」と思いながら、毎日を過ごしていたのですが、U先生の記録をプリントアウトして持っていったところ、始めは興味なさそうでしたが、読み進めて行くうちに「歩けるようになるかもしれない」という希望を持ち始めていたのです。北海道での訓練の日々についてはまたおいおい書きますが、もし主治医が、障害の受容を強制するような人だったら、そしてもしU先生のことを知らずにリハビリ病院に入れていたら、きっと「立ち」「歩く」ということは全く考えずにただひたすら障害を受容する(させる)ことにのみ心を砕いていたことでしょう。進行性の病気の患者で、否応無く障害を受容せざるを得ない人々もいます。しかし、年間約5000人うまれる脊髄損傷者はなんら下肢のリハビリによる回復を試されることなく、「障害の受容」を余儀なくされているのです。障害を受容するにはみな3年ほど苦しい葛藤の日々を過ごすといいます。その苦しみは本当に必要なのでしょうか。本当の望みをかなえる可能性は本当にないのでしょうか。「障害の受容」は下肢のリハビリを試してみてからでも遅くはないのではないのでしょうか。「あなたは一生車椅子です」と宣言する前に、その人の本当の望み-「歩きを取り戻すこと」-の可能性を考えてもらいたいと思うのです。その可能性がたとえわずかだと思われたとしても。
2005年10月09日
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脊髄損傷というと、イコール「車椅子」「歩けない」という風な連想だけをする人が多いかもしれません。実はそれ以上というかそれと同じぐらい深刻なのが脊髄損傷につきものの膀胱障害と直腸障害です。膀胱にも肛門にも括約筋というのがあり、これは脊髄神経を経由して脳によりコントロールされ、健常者は尿意や便意を感じてトイレに行き、排泄します。脊髄損傷者はこの脳からの命令が途中(脊髄)で遮断されているため、尿意や便意が無い人が多く、括約筋のコントロールができないため、便や尿を自力で出すことが困難です。ですので、膀胱ロウなどの手術をしている人を除き、脊髄損傷者は排尿は自己導尿(導尿カテーテルを尿道から膀胱に管を差込み膀胱内にたまった尿をとる)や摘便(直腸内にある便を肛門から指でかきだす)または浣腸により便を出している人が多いです。通常の消化排泄ができないため、常に胃腸薬や下剤で強制的に内臓を動かしている状態です。また導尿に関しては、どんなに気をつけていても、尿路感染症との戦いがやむ日はありません。異物である導尿カテーテルは滅菌された状態で病院からもらい、常に消毒薬のジアミトール水につけて保管していますが、本人の体調や何かしらの雑菌の混入により、尿道に雑菌が入り、40度以上の高熱をともなう尿路感染症を起こしてしまいます。本人は膀胱や尿道にも感覚がないので、尿の濁りや高熱がその唯一のしるしとなります。悪化すると腎不全をおこし、命にかかわります。過去の脊髄損傷者の多くが腎不全がもとでなくなりました。うちのダーリンも排便はレシカルボンという直腸内でガスを発生させる座薬を使い、腹圧を使って自然排便するようになっていましたが(北海道のU先生のところで腹圧訓練を受けてから可能になりました。)排尿は今年の3月まで自己導尿でした。ところが、今年の4月に、2度目にU先生のところに行った時に、宿舎を管理してくれているIさんから、排便の際に自然に尿がでることを告げたところ、「自力排尿の訓練をしてみたら」と言われました。カテーテルを入れなくても腹圧を使って括約筋を開かせることができるようになってるのかもしれない、と。実はこの2回目の北海道行き(今年の4月初め)直前に尿路感染症を起こし、なんとか自力排尿できるようになればと思っていたところでしたので、とにかく大阪に帰ってから始めることにしました。始めは1時間とかの短い時間間隔でとったり、尿漏れしたりしていましたが、半年経った現在では一切カテーテルを入れることなく自力排尿しています。主治医からも夏の尿量の少ない、暑い時期に尿路感染症を起こさなかったことを考えれば「成功」したと考えてよいでしょうと太鼓判を押されたのです。これもリハビリを続けてきて腹圧その他が発達してきたお陰だと思っています。排便も以前は私(妻)の手助けが必要でしたが、今はそれも必要なくなったのです。
2005年10月08日
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