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喧噪、雑踏、人々の欲望、そして思惑‥全てが在って、それぞれの主張が交錯する大都会。ボスボラス海峡が結んだ西洋と東洋の歴史が重なる街。多様な人種と、それぞれの宗教が坩堝のように、渾沌と渦を巻いている街、イスタンブール。昨年10月、イタリア田舎暮らしの途中で、トルコ在住のマダム・カセさんを訪ねた、私達のイスタンブール紀行。わずか5日間でしたが、あとから考えてみると、滞在中、一番長く時間を費やしたのが、この「国立考古学博物館」でした。この博物館、トプカプ宮殿の中庭の一角にあります。トプカプは、三大陸を制したオスマン朝・支配者の栄華の跡。その膨大な秘宝・財宝、はたまた王のハレムを一目見ようと、見学者が列をなしている大混雑の宮殿ですが‥ その喧騒と打って変わって、ここは、訪れる人もまばらな、信じられないほど静かな時を刻む「大理石の森」でした。案内して下さるカセさんも、『こんなにゆっくり観たの初めて‥』と驚いていらしたほど、静寂の中に、次々と浮かび上がってくる石の群像は、饒舌で、しかも、無彩色でありながら、光と影の中に鮮やかな色を感じさせてくれるのです。 大理石の森に迷い込み、彷徨い歩いているうちに、いつしか、彼らの声が聞こえてくるような‥ 誰もが皆、気がつくと独り言のようにこの人たちと会話をしていることでしょう。 まるで血が通っているような‥手を差し伸べたら、握手してくれそうです。 かの有名な「アレキサンダー大王の石棺」と言われています。石棺の多くは、無造作に置かれ、外で雨ざらしになってるのも多いのですが、さすがに↑はガラスケースで覆われ、囲いの中!でも、私は石棺より、この器の方に見とれていました。なんともいえず美しい「碧色」でしょう?器は、当時の暮らしや、食べるシーンが彷彿されるので、とくに興味がありますね。 考古学博物館の付属棟で、共通チケットで入れます。タイルの他にも、イズニックやチャナッカルの陶器、イスラムの「青」が印象的な窓ガラスが素敵。それにしても、ビザンツ帝国、オスマン帝国、合わせて「千年の都」として栄えたイスタンブール!イスタンブールと呼ぶよりは、コンスタンチノープルと呼ぶ方がしっくりきそうな‥この「スルタンアフメット地区」の歴史地区を、全てひっくるめて「世界遺産」です。どこかを掘れば、小判ならぬ遺跡がザクザク?出るようで、博物館には、まだまだ、こんなにカケラが仕分けされています。ウチの彼は、中庭でお茶をしている間中、『この石棺一つでも日本に来たら大変なモノだ! 外に置いとく位なら、一つでも寄贈してくれないかなぁ』と、ずうっと言い続けていましたが‥ という訳で、コンスタンチノープル歴史の旅は、イリオス・オデュッセウスのトロイア戦争まで遡り、遠くギリシャ神話まで想いを馳せる「白日夢の旅」でもありました。トップ写真は、博物館の中庭。小さな売店で、軽食、飲み物も売っていて、それぞれが、思い思いに「歴史の中の時間」を過ごしていました。・ビジネス・経済・就職 産業 人気順 ・セカンドライフを提案! ・AccessPlus RakutenShop 人気のアイテム(産業)・「トップジャパン・ネット」・「花・何でも通販屋」
2008年03月04日
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「断食」の話なんですが、お正月チョット食べ過ぎたので、わー、ダイエットしなくちゃ!という話じゃありませんよ~ほら、1年に一度、30日間に渡るイスラム教徒のあのラマザン(断食期間)のお話なのね。「ラマダン」はアラビア語、トルコ語で「ラマザン」三ヶ月前の10月、私たちがイスタンブールに到着したのは、このラマザンの真っ只中でした!ラマザン中は、太陽が出ている間(早朝5時~夕方7時くらい)、水も食べ物、タバコも口に入れるモノは一切禁止!この禁欲的な修行を通して、神への感謝と、貧しい人の気持ちを思いやるという意味合いがあるそうですが、老人、子供、病人など弱い人は除外していいし、そもそも断食するかどうかも、個人裁量に任されていてわりかし自由なんだ、とのことでした。「断食」という言葉から、私は、飲まず食わずの苦しい修行の日々を考えてしまいましたが‥トルコでは、日本のお正月やクリスマスのような、1年で最大のお祭りイベントなんですって!期間中、ラマザン・バージョンのパンやお菓子が売り出され、家族や友達とラマザン・ディナーのパーティがあったりブルーモスクがある広場には屋台が立ち並び、お祭りモードが大全開♪マダム・カセさ~ん!モスクに掲げられたメッセージ、どういう意味でしたっけー?!イフタル・ソフラス(日没後の断食明けの食事)は、レストランもいつもより豪華なメニューを準備しているし、待ち遠しい夕方7時に遅れまいぞと、人と車で大渋滞!トルコのお惣菜が並ぶ食堂「プディング・ショップ」それに「太陽が出ている間は‥」ということは、陽が沈んだら、思い切り飲み食いOK!と聞き及び、あらまあ!そうなの?目からウロコのラマザンだった☆この時期、みんながお腹いっぱいに♪と、市やボランティア団体が主催するテントで食事が無料で振舞われます↓本来は、貧しい人向けとのことですが、一般市民や観光客の便乗組も実は多いようでした。どこの店も溢れんばかりの超満員!で、断食明けの食事を満腹したあとは、夜中にも夜食を摂って一眠り。そして、早朝の朝陽が昇る前、みんなを起こすために、太鼓をドンドンドンと打ち鳴らし、町を練り歩く人たちが!なんと『太陽が昇る前にご飯だよ~』の合図です。うーむ、結局、一日三回 しっかり食べているわけよね~短時間にお腹に詰め込んで、しかも寝る前などの時間帯。貧しい人の気持ちを思いやるというものの‥「ラマザン太り」という言葉があるそうです‥●写真は↓リミンとウチの彼がトルコで一番旨いと思った「ドネル・ケバブ」炙り焼きした肉をそぎ丸いパンにはさみます。生トマト、マスタードなど お好みでトッピング。トルコのファースト・フードの代表ですが、ハンバーガーと違うのは大量生産の冷凍品じゃないことと、炭火焼きしたり、包丁の技を競ったり、人の手を感じるところかな~☆混沌としたオーラが渦巻く街、イスタンブール!モスクから大音響でコーランの祈りが響き渡り、新市街の市場は魚、肉、野菜、香辛料から荒物まで、何でも揃う庶民の台所。そしてまた大勢の胃袋を満たしてくれるエネルギッシュな空間でもありました。●追伸お正月だ、冬休みだ、と騒いでいたら、もう明後日11日は「鏡開き」なのね~季節の行事は、暮らしの中で節目節目のアクセント!お供え餅を食べる日ですが、やっぱりお汁粉かな。普段は茹で小豆の缶詰ですが、この日は少し手間かけて、小豆(アズキ)をコトコト煮ています。小豆って、一度沸騰させて、茹でこぼしたら、一時間足らずで煮えちゃう意外と簡単なものなんですね。お雑煮、七草粥、お汁粉で、リミンのお正月三部作?も終わります♪ではまた、お会いしましょうね☆
2008年01月09日
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ヤッホー!明けましておめでとう!一晩 眠っただけなのに、年が変わるって、なんだか不思議!それでも 松の緑に、白い餅、気分一新 寿ぎ気分☆朝からお屠蘇でほんのり桜のリミンでございます♪皆さまも良いお正月をお迎えのことと存じます。昨年は、公私ともに、またブログとリアルともに、皆様には大変お世話になりました。今年も「目指すは秦野のピーター・メイル」で、がんばります。昨年はイタリアに田舎暮らしの幸せ発見!旅の途中で、ブログのお友達「マダム・カセ」さんを訪ねて、イスタンブールまで飛びました。イスタンブールの新市街、アンティークの店が立ち並ぶ通りにも、長い間培われてきた生活があり、人間的な感性が息づいている手仕事がありました。トルコはまた「手仕事」の宝庫でした。手先の器用なことが「良いお嫁さんの条件」といわれるため、女性は、幼い頃から手芸をお母さんから仕込まれるそうです。こちら↓は、カセさんのお友達のアンティークの店。店のマネージャーの奥様も、そんな女性の一人でした。彼女が作るトルコ手芸の代表「Oya」(オヤ)です。 ガーゼのように薄い花柄のスカーフの縁に、細い縫い針で編みつける繊細な縁飾りを(オヤ)といいます。花や果物を模したり、ビーズを編み込んだり、一日に数センチづつ進む、気の遠くなるような手仕事ですが、昔から、普通の家庭の奥さんが、家事の合間に、お友達とおしゃべりしながら、自分や家族のために作るものだそうです。スカーフはこんな風に巻いて使う、イスラム圏に暮らす女性の必需品。今年も、そんな「人」や「モノ」との出会いが楽しみです。そして、同じ思いをお持ちの皆さんと共感し合い、感動し合い、2008年の物語を、ご一緒に紡いでいけたら‥と思います。 というわけで、今年もリミンブログの千夜一夜物語は続きます。もしかして、眠られぬ夜のつれづれに、数ページ 紐解いて下さったら嬉しいです☆●新年なので、おまけ付でございます♪良い夢を見るためのオマジナイがこの色紙。宝船の回りの回文(上から読んでも下から読んでも同じ)は、「なかきよのとをのねふりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな」初夢は、この紙を枕の下に敷いて眠るんだそうです♪どうぞ、この宝船をプリントなさって枕の下に!恒例のリミンからのささやかなお年賀でございます。※今日のトップ写真は、 ビザンチン時代、1100年前のヨロス城の要塞跡で、 後ろは海、ボスボラス海峡と黒海がつながる場所でした。 マダム・カセさん撮影のリミンとウチの彼です。 今年の年賀状にも使っていま~す。 それでは、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。 またお会いしましょうね☆
2008年01月01日
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『大きくなったら何になりたいの?』子供の頃、こう聞かれるたびに、『私? もちろん探偵です!』と答えていたリミンにとって、エルキュール・ポワロは、本当に雲の上の人、憧れの探偵でした☆彼はベルギー出身で、フランス語なまりのベルギーワロン語を使っている事も、いかにもカッコよく思え、ポワロのくち癖である『私の灰色の脳細胞が活動を始めた』などと、探偵きどりで真似をしていたのです。アガサ・クリスティーが書いた、沢山の事件簿の中で、印象に残るのは、なんといっても世界的に有名な皆様おなじみ「オリエント急行殺人事件」でしょうか。超豪華客車のコンパートメントというのも、この本で知りました。フランスのパリとイスラム圏を結ぶ「長距離・豪華特急列車」欧州とアジアをつなぐイスタンブールが、なんと魅惑的に思えたことでしょう。およそ百年前、下男、下女を、ひき連れて旅をするヨーロッパ上流階級の贅沢な旅行者たち。オリエンタリズムに憧れて、大挙してイスタンブールを目指した時代でした。お供の人や荷物の多い、彼ら寝台車の客、二両の寝台車に対して、同じ二両の荷物車が必要だったそうな。その荷物車に運び込まれる膨大な数のトランクに、詰め込まれているのは、夜会服に帽子に高価な宝石、執事が運ぶクリスタルの水差しや、羽の扇やレースのハンカチーフ。夜毎、催されるパーティや食堂車の様子。チェスやカードに興じるサロンでの粋な会話。そういった諸々の、私にとっては現実離れしている上流社会の空気が、イスタンブールという「東洋」のエキゾチックな雰囲気とあいまって‥ここでおきる、きわめて非日常的な殺人事件さえも、ヨーロッパ的な優雅な出来事のように思えたのでした。そんな、夢に見た豪華列車の世界が、イスタンブールにありました。イスタンブール・スィルケジ駅の「オリエント急行博物館」です。スィルケジ駅の一番ホームの端っこに、忘れられたかのようにあった小さな部屋。二十年代当時の姿を偲ばせる博物館になっていました。一歩、足を踏み入れて、どんなにワクワクしたでしょう!ここなのね!ポワロさん!私、やっと来たわ!ガラス窓に隔てられたホームのざわめき、こちら側の人々のさんざめく話し声、絹ずれに混じった革靴の音が聞こえてくるような‥当時の駅の一部が、ホームのバールになっています。一人、新聞を読んでいた男性がいましたが、のんびりと列車の時間待ち‥事件など起こりそうもない平和な時間が流れる朝です。私は一人で「オリエント急行ごっこ」憧れのポワロ探偵と会えました☆どんな会話をしたかは‥ナイショ‥です。
2007年12月11日
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ボスボラス海峡からイスタンブールを望む台風情報を見ていたら、ウチの彼が私に聞いた。「なぜトルコが親日なのか知ってる?」「えーと、親日だとは聞いているけど‥その理由?」「そう理由。んー、キーワードは、台風ね」「台風で?・・トルコと日本は、なぜ仲良しなの?」●1890年(明治23年) 和歌山県串本町沖で、トルコの船エルトゥールル号が台風で沈没した。オスマントルコ皇帝が日本に派遣した特使たちを乗せた船の帰国途中の出来事だった。灯台守の通報により大島村(当時) の村民が総出で暴風雨の中を必死の救助に当たり、災害に備えた村の僅かな食料すら放出したそうだ。犠牲者587名。多くのトルコ人が異国・日本の海で死んでいった。救出され一命を取りとめた生存者69名。生還の人たちは日本海軍の軍艦2隻でトルコへと送り届けられ、無事故郷の土を踏んだ。エルトゥールル号の遭難事件は、トルコ国内の新聞で大きく報道され、このときから日本とトルコの友好関係が始まったという。日本もトルコもお互い帝政ロシアの南下政策に苦しめられている似たようなお家事情というのもあってか、トルコでは日露戦争終結の年に生まれた子供には、「トーゴー」の名が付けられたそうだ。それからおよそ100年後‥1985年 イラン・イラク戦争が激化。フセインの『リミット48時間』宣言が発表された。イランの首都・テヘラン空港は海外脱出の人で溢れていた。各国の旅客機が自国の乗客を乗せて国外へと脱出していった。が、日本政府の対応が遅れ‥日本人215人が空港に取り残された。パニック状態、万事休すと思われたその時、トルコの特別機が2機到着。日本人乗客全員を乗せて無事テヘランを脱出。まさにタイムリミット1時間15分前だったという・・。トルコの外交筋は、特別機の理由をこう答えた。『エルトゥールル号の借りを返しただけです』●そして、それから22年後の今現在、 「犬と三日月 イスタンブールの7年」の著者「madamkase」こと加瀬由美子さん、「イスタンブールにユミコあり」と言われるほどの有名人、日本とトルコを結ぶ新たな親善大使で頑張っているのです。 マダム・カセさん、きっかけはブログで知り合ったお友達。先日、日本帰国の際はお互いの著書にサインをと、嬉しい出会いの夢が叶いました。「飛んでイスタンブール~♪」でご紹介したように、お会いしたのは、ほんの短いひとときでしたが、お互いとても共感し合えるオーラを感じたのです。ぜひイスタンブールで再会しましょう!そのお約束を果たしたい。それで私たち、今年の秋にイタリアへ向かう途中、トルコに立ち寄ることにしました。だから、もっと、もっと、トルコを知りたい!少しは勉強していかねばと、出発前に、まずは東京都美術館へ。 そのトルコの首都イスタンブールに、日本の和の文化の使者あの「お着物くまちゃん」が、お嫁入りすることになりました。また新しい物語がブログワールドから生まれようとしています。この「お着物くまちゃん」制作したのは、「来楽暮」さん。先日、「重ねに表す、和の文化」でご紹介した工房です。共感と共感をつなぐ風の輪が、アジアとヨーロッパをつなぐボスボラス海峡を渡ります。トルコの皆さんへ日本の心をお伝えしようと、日本の真珠とトルコ石のコラボのかんざしを身につけて、「来楽暮」の愛と粋が詰め込まれたクマちゃんが、私たちと一緒にボスボラス海峡を渡ります。親善大使の助手クマちゃんをお連れする私たちも大任です。この秋はレポート「クマちゃん大使、飛んでイスタンブール編」をお届け予定ですので、こちらもどうぞお楽しみに~☆次回は、イラン・イラク戦争の頃、長期出張でイラクに滞在していたウチの彼が見た「イラクの幸せ」をお届けしようと思います。それではまたネ。
2007年07月16日
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