「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、
紹介:榎本健一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
榎本 健一(えのもと けんいち 1904年10月11日 - 1970年1月7日)は、俳優、歌手、コメディアン。当初は浅草を拠点としていたが、「エノケン」の愛称で広く全国に知られていった。「日本の喜劇王」とも呼ばれ、第二次世界大戦期前後の日本で大活躍した。
生涯
生い立ちから「エノケン・ロッパ」時代(全盛期)
東京都港区青山の出身。幼少期に母を亡くし、その家系の祖母が引き取るが、その祖母も死去。父親の元で育てられるものの、生来のやんちゃな性格が仇となり、学校から親が呼び出されることもしばしばあった。晩年の述懐によると、当時流行していた「馬賊の歌」に憧れて、満州で馬賊になることも考えていたようだが、浅草に頻繁に遊びに行っていたこともあり、役者になることを志した。
そして、浅草オペラの「根岸歌劇団」の俳優・柳田貞一に弟子入り。コーラス・ボーイとして所属し、佐々紅華の創作オペラ「勧進帳」などに出演。徐々に頭角を現すが、関東大震災によって壊滅的な被害にあった浅草を離れ、当時流行の最先端であった活動写真(映画)の撮影所がある京都嵐山で喜劇的な寸劇を仲間らと演じるなどをしていた。この震災前後、エノケンは舞台で猿蟹合戦の猿役を演じたとき、ハプニングでお櫃からこぼれた米粒を、猿の動きを真似て、愛嬌たっぷりに拾いながら食べるアドリブが大いに観客に受け、喜劇役者を志すきっかけとなったと言われる。
1929年、古巣浅草に戻り「カジノ・フォーリー」に参加。一度は解散するが、エノケンを中心とした新生カジノ・フォーリーは、都会的なギャグとコントのセンスで一躍インテリ層の人気を集め、若き文豪であった川端康成が「浅草紅団」で紹介。「金曜日の晩には踊り子がズロースを落とす」という噂も手伝って、連日満員の大入りとなり、かくて榎本健一は浅草の人気者となった。
その後、ジャズシンガーの二村定一と二人座長となった「ピエル・ブリアント」を旗揚げ。座付作家に菊谷栄、俳優陣には、中村是好、武智豊子、師匠である柳田貞一などを抱え、これが後に「エノケン一座」となる。
エノケンの最大の魅力は「動き」の激しさであり、手だけで舞台の幕を駆け上る、走っている車の扉から出て反対の扉からまた入るという芸当ができたという伝説がある。この人気に目をつけた松竹はいち早くエノケン一座を破格の契約金で専属にむかえ、浅草の松竹座で常打ちの喜劇を公演し、下町での地盤を確固たるものとした。一方、東宝は映画雑誌編集者であった古川緑波の声帯模写などの素人芸に目を付け、トーキーの進出で活躍の場を失っていた活動弁士の徳川夢声や生駒雷遊らと「笑いの王国」を旗揚げさせ、有楽座で主に学生などインテリ層をターゲットとしたモダンな喜劇の公演を旗揚げし、「下町のエノケン、丸の内のロッパ」と並び称せられ、軽演劇における人気を二分した。
エノケンの人気が全国的になったのは1934年以降。東宝の前進であるPCL映画製作の映画にも積極的に出演。その第一作「エノケンの青春酔虎伝」は、トーキー初期のヒット作となった。クライマックスシーンで、飛び乗ったシャンデリアから落下、全身を強打して、撮影は一時中断かと思われたが、翌日もエノケンは元気に撮影所に現れ、ラストまで取り終えたというエピソードも残っている。
当時、アメリカで流行し始めたジャズを積極的に取り入れ、「洒落男」「リリ・オム」「南京豆売り」「アロハ・オエ」など、外国曲を原詩とは全く関係の無いストーリーに沿った歌詞で歌い、ミュージカル風に話が進行するエノケン映画は、1940年まで、ほぼ年に3~4本は制作され、「エノケンの千万長者」「エノケンの頑張り戦術」といった現代劇、「エノケンの近藤勇」「エノケンのどんぐり頓兵衛」「エノケンのちゃっきり金太」「エノケンの猿飛佐助」「エノケンの法界坊」「エノケンの弥次喜多」「エノケンの鞍馬天狗」「エノケンの森の石松」「エノケンのざんぎり金太」といった時代劇はいずれも大当たりし、ほとんどエノケン一座でキャスティングされ、人気を博したのであった。前記の俳優陣の他に、如月寛太やエノケン夫人となった花島喜代子らも活躍。
舞台でも1935年の「民謡六大学」「最後の伝令」などが人気を博していたが、座付き作家であった菊谷栄が日中戦争によって戦死してしまったため、徐々に光彩を失っていく。その後、人気俳優らと共演した映画「孫悟空」が1941年に大ヒットするが、エノケン映画の持ち味であった流行や風俗を巧みに取り入れた演出が、第二次世界大戦の激化によって失われていき、国策に賛同する役柄を演じさせられるエノケンの人気は徐々に衰えていった。
浅草時代からコロムビアの廉価盤リーガルやビクターに「モンパパ」などをレコーディングしていたが、1936年にポリドール専属の歌手となり、多くの曲を吹き込んでいる。『月光値千金』、『エノケンのダイナ』、『もしも忍術使えたら』などのヒット曲がある。同じポリドールの人気歌手東海林太郎、上原敏と一緒のスナップ写真が多く残され、エノケンが司会を務めた1941年発売の流行歌謡集「歌は戦線へ」はポリドール専属歌手を総動員し、慰問用として数多くプレスされた。
戦後~喜劇界の重鎮
終戦後、エノケンは格好の相手役とめぐり合う。笠置シズ子であった。戦後の開放感を体現したかのような笠置と、小さいながらも必死に生きる小市民を演じることで、エノケンの人気は戦後の一時期大きく挽回したのであった。笠置とのコンビは有楽座の舞台を連日満員にし、映画でも「エノケンのびっくりしゃっくり時代」「歌うエノケン捕物帖」「エノケン・笠置のお染久松」などが大ヒット。また、「犬猿の仲」といわれた古川ロッパと共演した「新馬鹿時代」は前編後編ともに大当たりとなった。
しかし、1950年以降はエノケン映画はマンネリ化を否めず、人気を失っていく。さらに舞台で孫悟空を演じた際に、如意棒を左足に落としたことが原因になった脱疽を発病。1952年、再発したのは右足で、足の指を切断するという悲劇に襲われた。
残された左足を駆使して、主に舞台に活躍の場を移し、1954年には古川緑波、柳家金語楼と「日本喜劇人協会」を結成。自ら会長となり、喜劇人協会の公演などで軽演劇を演じ続けた。「雲の上団五郎一座」などの舞台でのヒットも飛ばし、1960年には紫綬褒章を受章。一方、長男を若くして失い、1962年に病魔が再発し、右足を大腿部から切断。エノケン最大の武器であった「動き」の魅力は、このとき完全に失われた。失意のエノケンは、自殺未遂を繰り返したが、後妻の献身的な看護と、病床を訪ねた喜劇王ハロルド・ロイドの励ましにより、生きる気力を取り戻した。
その後は、喜劇界の重鎮として後進育成に努めた。植木等や三波伸介、萩本欽一などの高度成長期以降の日本の喜劇俳優に大きな影響を与えている。最晩年は、「自分のペーソスに似ている」と持ち歌などの芸を坂本九に譲ると公言していた。
1969年11月の台湾巡業中、エージェントに出演料を騙し取られる「ご難」に会い、このことが心身ともに大きな打撃を与え、そのまま死の床についてしまう。
1969年12月に帝国劇場で公演された「浅草交響樂」の「最後の伝令」では車椅子姿で演出を担当。自身、90度で倒れる演技指導をして起き上がれないまま涙を浮かべて「ここまでやらなきゃだめだ。喜劇をやろうと思うな。」と叫んだ。これが榎本健一最後の舞台であった。
死後、勲四等旭日小綬章を受章された。
エピソード
敗戦時、「勧進帳」のパロデイ映画「虎の尾を踏む男たち」(監督・黒沢明)に出演。ラストシーンの跳び六法は、1934年に二代目市川左團次の紹介で川尻清譚から教えてもらったもので、本格的な歌舞伎仕込みであった。
映画ロケの妙義山麓で菊屋栄の戦没を聞かされ人目はばからず号泣。帰京の列車内でもウイスキーを泣きながら飲み続けていた。
主演映画作品の一つ、「エノケンの孫悟空」(東宝)は円谷英二が製作に携わり、日本特撮映画黎明期の代表作の一つとされる。
テレビ放送初期のCMソングの代表作に「渡辺のジュースの素」(販売元は渡辺製菓。のちにカネボウに合併)がある。
人気絶頂期、全国各地に「エノケソ」と名乗る偽物が活躍した。
最晩年、足を失い芸に行き詰まり、ついに自殺を決断。首つり用の紐を天井から下げ、一言「サヨナラ」と言って首を吊ろうとしたが、余りにもその声が大きかったため家人が気付いて、この一件は未遂に終わり一命を取り留めたことがある(元々地声は大きかったらしい)。
アメリカの喜劇俳優であるハロルド・ロイドが見舞いに訪れたことがあり、同じ喜劇人であり、同じく体の一部を失っているロイドから激励された事がある。
長男が結核で他界したときも舞台の仕事があり、彼はそこでもいつも通りの元気な姿を見せた。しかし、長男の逝去を知っているファンたちから、「エノケン、もう良いよ!(長男さんのところに帰ってあげて)」と言われたが、本人は帰らず、気丈に舞台を終えた。
2004年に、生誕100年記念として歌唱曲を収録したCDが発売された。エノケンの鼻に響かせた伸びのある声は現在もなお魅力的である。
著作
『エノケンの泣き笑い人生/喜劇こそわが命』(大空社伝記叢書、1998年) ISBN 4-7568-0495-0
叙勲歴
紫綬褒章受章(1950年)
参考文献
井崎博之『エノケンと呼ばれた男』(講談社文庫、1993年) ISBN 4-06-185528-X
矢野誠一『エノケン・ロッパの時代』(岩波新書、2001年) ISBN 4-00-430751-1
東京喜劇研究会 編『エノケンと〈東京喜劇〉の黄金時代』(論創社、2003年) ISBN 4-8460-0479-1
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