酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、

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紹介:監督、野村芳亭


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

野村芳亭(のむらほうてい、本名・粂蔵、1880年11月13日 - 1934年8月23日)は、大正・昭和期の映画監督。日本映画の基礎を作った功労者の一人である。

京都市に生まれる。父は、「芳圀」と号し、京都寺町三条で劇場用の背景や看板の製作を業とした人で「都をどり」の背景を独占的に製作していた。父の没後は、その号を継ぎ、芝居絵の制作に従事する。その父の関係で、若いときから京都劇界につながりがあり、松竹創始者の白井松次郎、大谷竹次郎とは懇意であった。

1897年に、京都で、織物業者稲畑勝太郎がフランス人技師ジュレールを招いてシネマトグラフの上映を日本で最初に行ったときに助手を務めた。その知識を生かし、舞台と映画を連続して上映する「連鎖劇」に深くかかわり、「本郷座」で新派劇の頭取になる。

1920年、松竹が本格的に映画制作に乗り出すと、松竹蒲田撮影所の理事に迎えられ、短編劇映画『夕刊売』を監督し、利益を上げ、1921年、撮影所長となる。ヘンリー・小谷のアメリカンスタイルと自身の家庭ドラマをミックスした「松竹現代映画」の原型を作った。また、旧劇の演目に現代劇俳優を起用して、従来の「旧劇活動写真」の写実化を徹底し、これが後の時代劇の原型となった。

その後も、大衆の望むものを追及し続け、芸術性も高く、集客力もある作品を作り続けた。

1934年、最後に監督作品となった『街の暴風』の公開試写会場で倒れ、死去した。享年55.

映画監督野村芳太郎は実子。


[編集] 代表作
夕刊売(1921年)
清水次郎長(1922年)
実説国定忠治・雁の群(1923年)
母(1923年)
女殺油地獄(1924年)
大尉の娘(1924年)
元禄女(1924年)
カラボタン(1926年)
大楠公(1926年)
父帰る(1927年)
母(1929年)
金色夜叉(1932年)
沈丁花(1933年)
婦系図(1934年)
地上の星座(1934年)
街の暴風(1934年)

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