酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、酒と映画と歌と、

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紹介:鈴木傳明


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を引用

鈴木傳明鈴木 傳明(すずき でんめい、1900年(明治33年)3月1日-1985年(昭和60年)5月13日)は、日本の俳優、水泳選手。無声映画時代の現代劇の人気スターである。


[編集] 経歴
東京上野に実業家の息子として生まれる。中学生の頃から水泳選手として実績を残していた。1920年、明治大学予科に入学。水泳部の主将となり、上海で行われた極東選手権大会には200ヤードリレーのメンバーとして出場し、優勝している。

またこの頃、かねてより映画に興味を持っていたので、小山内薫の「松竹キネマ研究所」に出入りするようになり、在学中に同研究所製作の『路上の霊魂』に"To Go There"をもじった「東郷是也」の芸名で主演、これにより日本初の大学出のスターが誕生した。同研究所には、後に名監督といわれた村田実、牛原虚彦、島津保次郎などがいた。

大学卒業後、日活京都撮影所に入る。入社第1作は、小山内薫原作、溝口健二監督の『塵境』である。その後、1924年に浦辺粂子の相手役として貫一を演じた『金色夜叉』などで人気を博した。

1925年、松竹に引き抜かれ、栗島すみ子、田中絹代と看板女優とコンビを組み、その人気を不動のものとした。さらに、松竹キネマ研究所以来の盟友である牛原虚彦監督とのコンビで、溌剌として明るい青年を演じ、新しい形のヒーロー像を作り上げた。

一躍、大スターへ上り詰めたが、当時の松竹蒲田撮影所所長、城戸四郎と徐々に対立するようになり、1931年、当時の人気俳優、岡田時彦、高田稔と松竹を退社し、不二映画社を設立するが、2年で解散する。その後、日活に復帰し、後には永田雅一の第一映画社に参加するが、作品に恵まれなかった。

戦後は、映画界から身を引き、実業界へ転じたが、成功したとはいえなかった。また、1950年の第2回参議院議員通常選挙には国民民主党公認で、1953年の第3回参議院議員通常選挙には改進党公認で全国区から立候補したが落選している。

1985年、肺気腫のため死去。85歳。


[編集] 代表作
路上の霊魂(1921年)
塵境(1924年)
金色夜叉(1924年)
青春の歌(1924年)
曲馬団の女王(1924年)
春は来れり(吹雪をついて)(1925年)
海人 南国篇(1926年)
海人 都会篇(1926年)
受難草(1926年)
新珠(1927年)
真珠夫人(1927年)
昭和時代(1927年)
彼と東京(1928年)
彼と田園(1928年)
陸の王者(1928年)
進軍(1930年)
大学の顔役・ラグビー篇(1930年)

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