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これは博物館というより
共和制ローマ時代にまでさかのぼれる 大遺跡
です。
以降、常に人が住み続けているので、
地層学からも各年代の人々の生活が分かります。
さて、ここに何があったかを説明しますと、
アウグストゥスの片腕であったコンスル(執政官)の
ルーチョ・コルネリオ・バルボ
(Lucio Cornelio Balbo)という人が、
紀元前13年に建てた劇場
であります。
クリプタ・バルビという名称は
このバルボさんの名前から来ています。
古代ローマ三大劇場の一つです。
三大劇場は小さい順から
バルボさんの劇場、次はポンペイウスの劇場、
そして一番大きいのが今も姿を残しているマルチェッロ劇場です。
ちなみにマルチェッロ劇場は初代ローマ皇帝アウグストゥスが
20歳の若さで亡くなった甥っ子マルチェッロをしのんで造らせました。
内部のうち上階は現在邸宅となっており、
実際に人が住んでいます。
さて、クリプタ・バルビに話を戻すと、
中世にはサンタ・マリーア・ドミーネ・ローゼ教会(この 壁画
も見られます!感激!)が建てられ、

16世紀半ばには修道院やちょっとした畑など、
もちろん住宅もありました。
水回りの整備がしっかりなされたことは
雨樋や井戸、水道管などの遺跡から分かるし、
ゴミ集積場の穴、ガラス炉の跡
などもありました。
ポルティコ
と呼ばれる半円形の門も
このあたりの建物の特色です。
今でもここの裏手に
アウグストゥスがお姉さん
(先述した夭折マルチェッロくんの母親)のために造った
ポルティコ・ディ・オッターヴィア
というのが残っていますが、
ポルティコの回廊はクリプタ・バルビにもありました。
東端には エセドラ
と呼ばれる半円形の場所があり、
ここは40人分の公衆便所(男性・大)だったそうです。
壁のモザイクも一部キレイに残っています。
もちろんすべてが 今なお発掘中もしくは修復中
であり、
いつ終わるかも分からない
のでしょう。

それからこの辺りは ミトラ教
崇拝の中心地だったそうで、
それについての展示もありました。
ミトラ教というのはペルシア(今のイラン)から入ってきたカルト的宗教で
まだキリスト教がなかったローマの、
特に軍人階級に受け入れられたといわれています。
新しい博物館なのであまり知られていないらしく人もまばらです。
ただしガイドツアーがあってもおそらくイタリア語だけ?なので
イタリア語が分からない人にはちょっとキツいかも。
でも説明してくれる人(ガイドじゃなくて案内役よ、としきりに言っていました。
おそらくガイド免許がないからか?)は
とても細かく説明してくれて、おもしろかったです。
そのうち英語ガイドもできるでしょう。
チケットは 9ユーロで3日間
、
4つすべてのローマ国立博物館に有効。

2000年の昔、バルボがアフリカとの戦いに勝利してローマに戻ってきて、
意気揚々と凱旋しているのと同じ所を歩いているのかもしれないと思うと、
何だかドキドキしませんか?
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