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marota-san @ Re:Happy Brthday To Roy♪♪(10/13) もうすっかり寒い季節になりましたね。 …

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Apr 1, 2009
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カテゴリ: カテゴリ未分類
超久しぶりです。
2008年のロイの7歳の誕生日以来かf^_^;

ご無沙汰してます~


あれからどれくらい過ぎたんだろう・・・
その間、ちょっといろいろありました(>_<)
簡単にですが、これまでにあった事を振り返りたいと思います。


まずは・・・
おじいちゃんの事です。

2008年のロイの7歳の誕生日の後の10月後半。

幼少の頃から遊びに行ってた家を離れる事になりました(T_T)

95歳のおじいちゃんは入院してるし、
いくら母や叔母が交代で泊まってるとは言え、
これから先87歳のおばあちゃんを一人にさせてもいられず、苦渋の決断(*_*)

引っ越しに伴い、一足早く、11月頭におじいちゃんの転院も無事決まりました。
転院先は、当時私の通勤途中o(^-^)o
定期で病院にもおばあちゃん家にも行けるようになり、
ちょっとラッキー♪

無事転院でき、とても綺麗で雰囲気の良い病院になりました。
あ、前の病院ももちろん素晴らしく良くして頂きましたよ(^-^)

それからおばあちゃん家の引っ越し。


それが2008年11月半ばの事。

やれやれと引っ越しの片付けも一段落した11月下旬。
おじいちゃんが風邪をひいちゃいました。


そして、肺炎に…


12月に入ると、かなり容態が思わしくなく、個室に移動。



私は朝早くにロイの散歩を終わらせ、
走って出勤前に朝食のサンドイッチや果物、ヨーグルトなどを届ける日々…

次第に酸素吸引の数値も増え、引けるタンには目を覆いたくなるような血が混じり、
お医者様から、親しい人には逢わせるようにと…
後数日だと告げられました。

バルーンから落ちる尿も、250ml以下になり、
呼吸が止まってしまう事が頻繁に起きるようにもなりました。


その度、涙の別れのシーン…


しかし、数日だと言われてからも、おじいちゃんは頑張った!!

尿も増え、タンに混じる血も少なくなって酸素吸引の数値も少なくなくなり、血液検査の結果も良くなってきた!

スゴイぞ!おじいちゃん(^O^)/

長期戦になるからと3ばばトリオ(おばあちゃん、母、叔母)の泊まり込みもやめて、通いに変更。

私も朝は寄らず、仕事帰りに病院に寄るだけにしました。


そしてこの数日続けてた通り、仕事の後病院に寄った2008年12月17日の事。

病院は20時に面会時間は終わり。

いつもなら病院に迷惑だからと、おばあちゃんは率先して帰る支度をするのに、
この日はおじいちゃんの手を握ったまま、帰ろうともしない。


バイタル的には血中酸素濃度(なのかな?)も酸素吸引を7位してるとは言え、
100%近くあるし、血圧も正常。
でも、おばあちゃんは「いつもと様子が違う」とおじいちゃんの傍を離れようとしません。


かれこれ3週間位の緊張の日々で、おばあちゃんもボロボロだし、倒れちゃったら元もこもない。
ベッドで休んで明日朝早くまた病院来ようと話しても、動こうとしない。

看護士さんがおばあちゃんを安心させる為に、忙しい合間にもう一度バイタルチェックをして下さった。

やはり問題なし。

私と母はエレベーターホールで9時近くまで、待ちました。

さっきバイタルチェックをして下さった看護士さんが、
「大丈夫だと思うけど、今までも他の患者さんで気を抜いて帰った途端急変と言う事があったから…泊まりますか?」と。

その看護士さんは主任さんで、本当に良くして下さっていたので
急変したらすぐに連絡して貰う事にして、やっとおばあちゃんも帰る気になってくれました。

おじいちゃんが寝入るまで、ずっと手を握っていたおばあちゃん。

主任さんもおばあちゃんが病室から出てくる前に
「長年連れ添ったカンがあるのかも…」
ととても気にしてくれました。
私や母の目からは、その前の日と変わらないように見えたんだけど…


それが、この先ずっとの後悔となりました。


おばあちゃん達が病院から電車で15分かからないマンションに帰り、
ベッドに身体を横たえてしばらくして……

病院から恐れていた電話が来ました。


3ばばトリオが慌てて着替え、タクシーを飛ばして病室に駆け込んだその直前


おじいちゃんは頑張ったけど、息を引き取ったそうです。


おばあちゃんはほんの数分、間に合わなかった…


以前まだ話しができた頃、おばあちゃんに「奈落の底に落ちてくようで、怖い」と話していたおじいちゃん。
それに対して「私が手を握って引っ張ってあげるから」と言っていたおばあちゃん。


あの日、無理矢理にでも病室に泊まらせるように強く言わなかった事が悔やまれてなりません。

どうして「おばあちゃんの気が済むように、泊まったら」と、もっと強く言わなかったんだろう…

悔やんでも悔やみきれない……


後日、母も同じ事を悔やんでると言ってました。



おじいちゃんが息を引き取ったのは、12月18日。

おじいちゃん、95歳とちょうど半年に時計の針が回ってからでした。


翌朝早く、実家にいる妹から電話で知りました。


葬儀は翌日に決まり、そのお通夜当日の早朝、母からとんでもない連絡がきたんです。

葬儀は家族葬にして、本当に親しい身内だけで、無宗教で行うのがおじいちゃんの希望だったからと。
だから、進行役の司会をしてとの事。
貴方が小さい頃一番遊びに行ってたんだし、
最期の頃はおばあちゃん以外誰を見ても貴方の名前で呼んでたんだからと…

通常のお寺や教会での葬儀はもちろん出席した事あるけど、
無宗教の葬儀は未経験。
でも、おじいちゃんの為に温かい会にしたくて引き受けました。


おじいちゃんの容態が思わしくない時、散々仕事を休んでしまったので
お通夜当日、午前中は仕事でした。

心配してたお通夜も、斎場の方の助けを借り、楽しく良い見送りになりました。

おじいちゃんの若い頃の写真を沢山置き、
妹は習っているフラワーアレンジで祭壇を飾り
私の姪っ子達、おじいちゃんにとっては曾孫が「千の風」を歌いました。

おじいちゃんの古いアルバムを見ながら、おじいちゃんの傍で最後の夕食。
思い出を語りながら、
また、姪っ子達は普段会わない親の従兄弟達とはしゃぎ、笑いながらのお通夜になりました。


翌日はいわゆる告別式。

斎場でおじいちゃんと最期のお別れ。

棺には大事にしてたステッキや手紙、おばあちゃんと最後に行った海外旅行の思い出の写真に
昔着てた着物や故郷岡山の風習で切った皆の爪も入れました。


祭壇から火葬場までの途中に、引っ越したマンションがある。

斎場の方の心優しいご配慮で、火葬場に行く前にちらっとマンションに寄って下さった。


無宗教なのでお経もなく、静かにお骨になるおじいちゃん。

お骨になったけどおじいちゃんが困らないようにと、骨壺にはちゃんと眼鏡も入れました。


軽くなってしまったおじいちゃんと一緒に、引っ越したばかりの新居へ。

そこではまた昔話や子供達の笑い声に囲まれて、楽しい会食。

お坊様やお経はない、いわゆる葬儀とは程遠かったけど、
涙涙で哀しんでる顔で見送るより、ちょっと変わってたけど
皆が一生懸命に考えた温かい見送る会になったと思います。


皆が書き綴った介護日誌は10冊を越えてました。

この沢山のノートは私にとっても、皆にとっても
ここ数年の大事な宝物です!


もう3年近い前のことになりました。



おじいちゃんへ

おばあちゃんの事は心配しないでね。

娘達はもちろん、孫や曾孫だって沢山いるんだから!

決して淋しい思いはさせません!

皆おばあちゃんの傍にいるから、安心してね!

安心してゆっくり眠って下さい。

そして、空から私達皆を見守って下さい。。。


今までありがとうございました!





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最終更新日  Sep 7, 2011 09:05:41 AM
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