青い島のひだまりで

セピア色の記憶 第一章 七夕の夜




 この作品は1999年に書いたものです。児童文学の賞に応募したのですが、ボツ。かなりくだけた文章 に直して、ジュニア小説にも応募しましたが、ボツ。 やはりジュニア小説という分野は、“文学性”を感じられないと、素人ながらこだわりもあります。
 今、あらためて読み返すと、かなり軽い内容だなと実感します。中学3年生の少年と少女の恋と、ファンタジーがミックスしたような話です。ストーリーその ものは、謎めいていて楽しんでもらえるのではないかと思います。

 15歳の誕生日プレゼントに、玲奈(れいな)は、油絵を買ってもらいます。ひと目で気に入ってしまい、大騒ぎして手に入れます。その絵を買ってから、玲 奈は不思議な夢を見るようになります。古めかしい洋館、どこかの林の中のような夢です。そこでは、玲奈は“真琴”という少女になっています。夢を見るたび に、時間が経過しています。
 一方、学校では幼なじみの修(しゅう)と、なんだかギクシャクしています。夢の中に出てくる青年、裕一にひかれつつある玲奈。
 夏休みに、修の家族と共に軽井沢を訪れると、そこで見つけたものは、夢に出てくるのとそっくりな洋館でした。


第二章 サマーキャンプ
第三章 狭間で
第四章 軽井沢
第五章 油絵
第六章 時をこえて
ひみつの部屋トッ プへ

セピア色の記憶  第一章

プロローグ

玲奈は、一枚の絵の前に立ち尽くしていた。
「パパ、これがいい」
「えっ?」
パパは、眉をひそめて玲奈を見た。
「誕生日のプレゼント」
「この絵?」 めがねの奥の細い目を大きく見開いて、絵と値段を見るパパ。
「洋服が欲しいんじゃなかったのか?」
「これがいい」
「絵なんか買って、どうするんだ。五万円もするんだぞ」
「お願い、パパ。わたし、一年間おこづかいいらないから! それにお年玉も。だから、これ買って」
長野の駅前の百貨店でやっていた、絵の展示会。たまたま、ちょっとのぞいただけだったのに……。 それが、玲奈の十五歳の誕生日のことだった。


第一章 七夕の夜


 玲奈がレースのカーテンをくぐるようにしてベランダに出ると、満天の星が瞬いている。ちょっと大きなため息をついて、手すりにもたれた。
 玲奈、十五歳の誕生日。それが、七月七日。七夕の日。ひこぼしとおりひめが会える、たった一度の日。そんなせつない気持ちがわかるようになってきた、今 日このごろだ。
 今日は日曜日だったもん。あいつ、何やってるのかな。 玲奈は、ベランダに立って向かいの部屋に目をやった。
 カーテンの間から、玲奈のいるベランダにむけてひとすじの光がもれている。修(しゅう)の部屋にはクーラーがついているから、顔など出すはずがない。
 修の家は、玲奈のとなりだ。パパが買った建売住宅で、修とは、小学一年生以来のくされ縁。そのうえ、誕生日まで同じ日。でも、厳密にいうと、玲奈の方が 六時間ほどお姉さんだ。というのは玲奈が生まれたのが、朝の六時で、修が正午だからだ。
小学生のころまでは、誕生日パーティーだといって修の家族や友達とわいわいやっていた。中学生になってから、だんだんと修との距離が広がってきた気がす る。修の部屋から、ちょっと無理すれば、このベランダにひょいっと渡れる。なんかだか、このわずかな距離がかえってわずらわしい気分だった。
 玲奈は、もう一度大きなため息をついて、星空をあおぎ見た。
「何してんの? おまえ」 ビクンと身を縮めて、玲奈は声の方を見た。
「修! なによ、いきなり」 ほおが急に火照ってきたのがわかる。
「なにって、ここ、オレの部屋だもん。玲奈こそ、なんだよ」
「別に、ちょっと星、見ていただけだもん」
「似あわねーの。そういうのがにあう女の子はね……」
「髪が長くって、白いワンピースでも着ていて、にこってかわいく笑える子、なんだよね」 玲奈は、淡々とした口調で続けた。
「おう、よくわかってるじゃん」
「修とは長いつきあいなんだから」
「まあ、だから玲奈には、そんなの似あわねーの」
「余計なお世話よ。ところで、修、なんか他にいうことない?」
「別に……」
「あのね、今日はなんの日?」
「今日? あ、オレの誕生日」
「ということは、わたしの誕生日でもあるわけよ」
「なるほど」
「なるほど、じゃないでしょ?……ったく」
玲奈は、少し背伸びして身をのりだし、修の頭を軽くコツンとした。
「なんだよー、いてーなぁ。……あ、そうだ。数学の宿題、やった?」
おおげさに頭をなでながら、ふと思い出した様子で修がいう。
「もちろん」
「たのむ。誕生日プレゼントとして見せて! オレ、問三がどうしてもわからなくってさぁ。明日、学校で返すから。たのむ、玲奈ちゃん」
「なにが、レ、イ、ナちゃん、よ」
手をあわせている修の姿を、思わず笑ってしまった。
玲奈は、身体にまとわりつくレースのカーテンを振り払うようにして部屋に入った。たまにあるこういうことに、決していやな気はしない。むしろ、心がはずむ 感じ。修との共有する秘密、みたいなものだ。
「ちゃんと、返してよね」
「わかったよ」 ちょっと、ふてくされたような修の顔があった。 渡そうとした、その瞬間。
「修、流れ星!」
「え、どこ?」
ジュッという、空で花火が燃えつきるような音とともに、大きな光のボールが流れた。音が消えたとき、さっきよりもっと近くに、目の前に、修がいた。
ドキンと心臓が強くうち、すっとノートが手から落ちた。
「ちょっと、願いごと、できなかったじゃない!」
「オレのせいじゃないだろ?」
また、いつもの調子にもどっていた。でも、まだドキンドキンしている。
「あ、ノート」
玲奈はベランダから、庭の暗闇をのぞいた。
「いいよ、オレがとりにいくから。サンキュー!」
修が、くるりと背を向けたとき、玲奈はこの瞬間を惜しむようにあわてて声をかけた。
「修! おめでと、誕生日」
「……玲奈こそ」
修は、照れくさそうに頭をかき、かえりみた。  
玲奈は、机の前にすわり、鏡をのぞきこんだ。ショートカットの活発そうな女の子。はじまったばかりの夏の日差しをうけて、日焼けした肌。毎日の陸上部の 練習で、夏本番前にすでに黒くなっている。 笑った顔は、結構かわいいと思うんだけどな……。
活発そう、元気がいい。そうみんなは思っている。でも、このところ心が、どこかよどんでいるのに気づいていた。みんなが、ワーッともりあがればもりあがる ほど、玲奈の心は沈んでいった。ひとりきりになって、山にこもって仙人のような生活がしてみたい。 玲奈は、鏡にむかって、ニコッと微笑んでみる。
でも、修のタイプとは違うんだよね。
はぁとため息をついて、玲奈は鏡の奥をのぞいた。今日、予定外の誕生日プレゼントとして買ってもらった油絵。点描画が、鏡の奥に写っていた。
いすを回転させ、その絵の方に身体をむけた。
はじめは洋服がいいなんていってたのに、五万円もする絵をパパに買わせてしまった。一年間こづかいいらないから!
なんて、子供のように大さわぎした。そのくらい、一瞬で気に入ってしまったのだ。
主に、緑、青、黄、赤の四色で描かれている。絵の右角に Toizumi とある。林の中の小さな泉。少し離れたところに、レンガ造りの洋館がある。ツタがからまっているような、異国情緒あふれる建物。ちょっと神秘的な感じだっ た。 パジャマに着替えて、ベッドにもぐった。電気を消すと、その絵は暗がりに沈んだ。 流れ星か……。なんにも願いごとなんて、いえなかったな。
修との戸惑いの一瞬を思い出しながら、玲奈はベッドで寝返りをうった。



湿り気を帯びた風だった。首筋から忍び込んだ風に、背中まで伸びた髪がなびいた。
「真琴……」
突然、背後から声をかけられた。 マコト? わたしのこと?
玲奈がふりかえると、そこにひとりの男の人が立っていた。お兄さんと呼ぶにふさわしい青年で、しかも、玲奈よりずっと年上っぽい。その人は右手で髪をかき 上げるしぐさをして、再び玲奈を呼んだ。
「真琴」
「真琴って誰? わたし、玲奈よ」
「なにいってるんだよ、真琴は……」
男は、玲奈が冗談でもいっているのではと思っているらしく、鼻先で笑った。
「あのう、あなた誰?」
「誰って……。いつまでふざけてるんだ、真琴は」
「だって、わたし、本当に知らないんです。……それに、ここ、どこですか?」
「どこって……。ふざけるのは、やめさない。許婚を前にして……」
男は、急にあらたまった口調になり、笑みも消えた。
「許婚って、フィアンセのこと?」
「そうともいうね」
「だって、わたし、まだ十五よ。それも、今日誕生日をむかえたばかりなのに」
「いわれなくても、わかっている。来年になれば、十六だ」
「……そんなことよりも、わたし、あなたのこと、知らないの。帰るわ」
「どこに帰るつもり?」
「どこって、家よ」
「ここが君の家だろ」
また、湿った風が頬をうった。ふわっと髪がなびく。髪?
玲奈は、髪に手をやった。指先にからみつくような長さ。背中まで、すっと伸びている長い髪。
「鏡……」
つぶやくようにいい、部屋を見渡した。
「わたしの髪……じゃない」
玲奈は、手を髪にやった。
「もう、何いってるんだよ。真琴は」
「だって、わたし、ショートカットのはずだもん」
指の間から、髪が肩にこぼれ落ちた。
「真琴の髪は、もともと長いの。子供のころから、ずっと」
長い髪。少し青白い顔。それに、襟元にフリルがついた白いワンピースを着ている。
「わたしだけど、わたしじゃない」 鏡の中の白い顔が、さらに青白くなった。
「こら、いいかげんにふざけるの、やめなさい」
「あなた、誰?」
「僕ですか? 祐一ですよ」
 祐一と名のる男は、前髪をかきあげるしぐさをして、ため息をついた。
「祐一さん?」
「思い出してくれましたか?」
祐一はそういうと、ため息まじりに、玲奈の髪をクシャッとつかんで引き寄せた。どこかなつかしいような祐一のにおいがした。
「何してたの? わたし?」
「何ってね、紅茶を飲んでいて、こぼしたんじゃないか。ほら、そこのしみ。思い出 したかい?」
 たしかに胸元には、薄茶色のしみがある。
「どうして、わたし、ベランダにいたの?」
「星をみるっていっていたんじゃなかったのかい?」
「星?」
「そう星を……」
祐一は、玲奈をうながしてベランダに出た。手すりには、ところどころにさびてはがれた跡がある。細い鉄が形どる、おしゃれな造りである。レンガの壁にまと わりつくような、ツタ。手すりにまで、ツタはからみついている。少なくとも家の近くではない。それに、このこんもりとした林。玲奈は、木々の間からあたり をうかがった。
「真琴、流れ星」
突然、祐一が指差した。ジュッというような音。こんもりとした茂みをこえた、紺碧の空間を光が流れた。 今日、二度目の流れ星?
 次の瞬間、深い深い底に落ちていくような感覚を玲奈は覚えた。


    3
 夏休みまで、あと二週間近くあった。夏休み直前の大会が終わると、本格的な受験という荷物を背負わせられる。心のどこかにひっかかっている。
 いつだったか英語の授業中、Blueには、憂うつという意味があると先生が話してくれた。そういえば、Blue Mondayという言葉をきいたことがある。憂うつな月曜日。週末がおわって、また月曜日がくる。教室で、部活で、陽気な笑い声の渦巻く中にいるのが、な んだか憂うつだった。わけもなくため息をついてしまう。そんなブルーの気分を玲奈は感じていた。
陸上部の夕方の練習は、ロードワークであった。顧問の気まぐれでか、たまに学校から往復で四十分程度の道を走らされる。これが坂道で、結構きつい。校庭に そって、近年、新しく広い道が開けた。まっすぐな道だから、かえって遠く感じられる。
玲奈は、香織と並んで走っていた。香織は、走り高跳びをしている。だから、このロードワークはハードルをやっている玲奈の方が少し有利だ。
「香織、夢って、よく見る?」
「夢?」
 少し息を切らしながら、香織がききかえす。
「そう、見た夢とか覚えてる?」
「あんまり。見てるんだと思うけど……」
「なんか、不思議な夢を見たのよ」
「ふーん」
 香織は玲奈の夢の話には、全く興味のない様子であった。  また上り坂にかかってきた。今日は、なんだか身体が重い。昨夜、夢なんかみていたから、熟睡できていなかったのかもしれない。太もものあたりが、だるく 痛くなってきている。息をすると、鎖骨の下に痛みを感じる。走りながら、深呼吸してみる。新鮮な空気が身体に送り込まれるようで、いくらか楽になった気が する。
 最後は、下り坂。楽なようで、下りは意外ときつい。おのずとスピードはでるけれど、足の裏への激しい衝撃と、その振動から伴うひざへの負担。スピードに よる呼吸の乱れ。
 校門が見えてきてラストスパートをかける。パタンと倒れ込むように、校庭の隅に玲奈は寝転がった。手足に土がつき、閉じた瞼から、夏の光の明るさを感じ る。まだ呼吸は荒く、玲奈の胸は波打っていた。身体が、地にはりついたかのような重さを感じた。
「玲奈、水、飲みに行こうよ」
「……うん」
 香織にせかされて、起きあがる。
 思っていた以上に、身体が重い。急に起きあがったから、ちょっとくらっとした気もする。身体がほてり汗をかいていたはずが、冷や汗に変わってきたよう だ。急に身体が冷たくなった。
 今日のロードワーク、ハードだったかな、と思いつつ蛇口をひねる。飛びだした水が、大きな水滴のように見えた。光をすかして、眩しいと思った瞬間のこと だ。目の前が、紫色に点滅した気がした。
 玲奈が、気づいたときは、保健室のベッドに寝ていた。
「貧血ね」
 玲奈をのぞきこんだ先生の顔が、ぼんやりと視界に入ってきた。
「しばらく横になっていれば、大丈夫よ」
 起き上がろうとした玲奈を、再び寝かせようとした。
「あなたくらいの年代で、陸上だとかバスケット、バレーなんかの激しいスポーツをやっている子たちに多いのよ。足からうける衝撃で、赤血球が破壊され て……。ちょうど身体もどんどん成長する時期でしょ? その成長と衝撃によってね、貧血になりやすいのよ。一度、検査してもらうといいわ」
 その日、帰宅して早々にベッドにもぐりこんだ。玲奈は、自分が病人にでもなったかのような気がしていた。たまにある校長先生の講話のとき、激しい音とと もに直立のまま後ろに倒れたり、すわりこむ生徒もいるけれど、自分とは全く無関係の世界だと思っていた。
 ため息とともに、玲奈は寝返りをうった。軽い夏用の肌ふとんが、身体にやさしくまとわりついたときだった。
 ガラス窓を三回、たたく音がした。ふとんをはねのけ起き上がった玲奈が、カーテンを開けると修がベランダに立っていた。
「修、なによ、窓から」 玲奈は、前髪のくせを直しながらぶっきらぼうな声をあげた。
「なんだよ、せっかく人が心配して来てやったのに!」
ガラス戸のすきまに、修の手がかかった。
「ちょっと、レディーの部屋に勝手に入ってこないで」
「だれが、レディーだよ」
 そういいつつ修は、玲奈の部屋に入りこんだ。
「久しぶりね、修がここにくるのって」
しょうがないという気分になって、玲奈は修を見た。小学生のころは、当然のことのようにベランダから出入りしていた。
「玲奈が貧血って、似あわねーの」
「失礼ね。……でも、心配してくれたんでしょ」
「くたばってるとこ、見にきただけ」
「うそ、さっき心配してって、いってたじゃない」
「そうかぁ?」
 修は部屋の中をみまわした。
「あれぇ? あの絵って、前からあったっけ?」
「なかなかいいでしょ? 誕生日のプレゼントに買ってもらったの。駅前の百貨店で、たまたまやっていた展示会で見て、なんかすごく気にいっちゃって」
「ふーん。でも、まぁ、オレの趣味じゃないけどさ。玲奈って、子供んときから、絵、上手だったもんな。ところでさ、オレ、客なんだけど、ジュースとか出な いの?」
「出るわけないでしょ? 窓から入ってきた人なんかに……。玄関からのお客さんならともかく、不自然よ」
「なるほどね。じゃ、オレ、帰るよ」
 修は、再び窓から外に出た。ベランダからひょいと、自分の部屋のベランダへと渡った。
「じゃあな」
 玲奈は、そんな修に小さく手を振った。
 十五歳の夏。自意識では、決して子供ではなく、そしてまた大人でもない。そんな微妙な時期。小学生のころならともかく、今、窓から修が入ってきたなんて 知ったら……。多分、パパやママは驚いてしまうだろう。



「気がついたかい? 真琴」
 玲奈が起き上がろうとしたとき、祐一の手にいさめられた。
「ここは?」
「真琴の部屋だよ」
「わたし……どうしたの?」
「貧血を起こして、たおれたんじゃないか」
「貧血?……」
 また夢? 夢の続き?
「そう、僕は慣れっこだけどね。子供のときからの真琴を知っているから」
「どこで?」
「どこって……。泉まで出かけたじゃないか」
「泉?」 玲奈は、眉をひそめた。
「まったく、最近の真琴は少し変だ」
 夢の世界だとしたら、と玲奈は考えた。真琴という女の子になりきって、この世界を探検しても楽しそうだ。祐一についても何もしらない。この部屋から出た こともない。それに真琴は、どうやら玲奈とはまったく違うタイプの女の子らしい。
「祐一……さん?」
「ん?」
「もう一度、泉に行きたいんだけど」
 祐一がいうところの泉は、遠いのだろうか。
「具合はどうなんだ、もういいのか」 玲奈は、こくんと大きくうなずき祐一を見た。
「もう夕刻だから、大丈夫だろう」
 玲奈は、ゆっくりと起きあがった。昼間、学校で貧血を起こしたときと同じで、少しだるい気がする。
 今日は、ブルーのワンピースを着ている。紅茶をこぼした日とは、違う日らしい。鏡の前で、髪を整えた。修がいたら、驚くだろうなと思う。髪が長くて、ワ ンピースの似合う女の子。わたしだけどわたしではない、真琴という女の子。
「さて、行こうか」
 祐一にうながされ、玲奈はかえりみた。
あきらかに、この部屋は玲奈の部屋ではない。ベッド、ドレッサー、部屋の中の丸いテーブルと、ふたつの椅子。アンティークな家具。古めかしい洋館の一室。 色彩にとんだ玲奈の部屋とは、まったく違う。素朴さ、色にたとえるとセピア色。壁も、床も、天井も、基本的な色素は、セピアであった。
 はじめて開けられる扉。祐一の一歩後について、進む。黒光りしている階段。階段のなかほどには赤いじゅうたんが敷きつめられている。まだ二階の奥には、 いくつか部屋があるらしかった。祐一は、まっすぐ階段を下りて行った。そして、玄関のドアを開けた。少しまぶしいくらいの夕方の光が入りこんでくる。
 泉は、この洋館から、すぐのところらしい。林の中の小径を、祐一と共に歩く。この世界も、夏のようであった。暑さのやわらいだ空気の中を、背の高い木々 の間から光がこぼれ落ちる。小径をぬけたところに泉はあった。
「いいところね」
 はじめて来たとは思えないほど、やすらぎを感じた。水がわき上がっているのか、中ほどに小さな泡が浮かんでいて、ゆっくりと波紋が広がっている。 「今さらなにをいってるんだ。あらためて、そう思ったのかい?」 祐一は、玲奈の言葉をいぶかしく感じたようだった。
「えっ? あ、そう……」
 あわてて、玲奈はとりつくろった。
 真琴のことを知らなければならない。祐一のことも……。真琴の両親は、どうしているんだろう。
 玲奈は、身をかがめて泉に指先をひたした。夏とはいえ林の中にあるせいか、わき出る水は冷たかった。指先に、ぴりっと響いた。その瞬間、またくらくらっ という感じがして、身体が落ちていくような感覚にとらわれた。



 朝になっていたようだ。カーテンの間からもれる光に、玲奈は手をかざした。 ここは? わたしの部屋?
きのうの夜、修が来て、そのあとそのまま眠ってしまったのだろうか。
 夢? 指先には、あの泉のさらりとした冷たい感覚が残っている。身体がだるい。また夢のせい? それとも、貧血のせい? 貧血?
真琴も貧血のようだった。髪? 玲奈は、自分の髪にふれる。私の髪。短いままのいつもの自分。
 夢の続きなど、ふつう見られるものなのだろうか。そして、あんなにはっきりとした夢。
 玲奈が、ぼんやりとして考えていたところ、ママが起きてこない玲奈を起こしにやってきた。
 玲奈の貧血検査結果が出たのは、この翌日だった。健康には自信があった玲奈であったが、増血剤の世話になる日々がはじまった。   




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