SALT OF THE EARTH

SALT OF THE EARTH

人類みな兄弟?


会話は聞こえないし、一見日本人のようだが、服装のダサさから日本人でないことはわかった。とっさに蹴飛ばしたい衝動にかられた。
「中国人が東京でいちゃつくんじゃねえ!」
...既にここで私は2つの差別をしている。「ダサい服装」で中国人と決めつけ、さらに自分の住む東京で中国人はいちゃつくな、と。

一時英会話を習ったことがあって、その先生はイタリア人だった。
(彼はアメリカンスクールに通っていたので英語に問題はなかった)
ある席で別の外国人と話すことがあり、「イタリア人」に英会話を習っていると言ったら彼等は笑った。「イタリア人」に英語を習って大丈夫なのか?とはるかに悪い(素人の私にもわかるほど)発音の英語で。

有吉佐和子の「非色」という小説がある。
戦後の日本で黒人と結婚し、アメリカに渡った主人公の女性の直面する差別。
日本で肩身の狭い思いで亭主の故郷に渡ってみれば、さらにそこはきつい差別がある。
同じWar bride(戦争花嫁)同志でさえ、黒人と結婚したものはどちらがより「肌が黒い」かで差別し、イタリア系やプエルトリコ系はさらに蔑まれる。
「自分以下」の差別の対象を見つけることでなんとかすくわれる。
またその中には「黒人」同志の差別も描かれるくだりがあって、
アメリカの黒人はルーツであるはずのアフリカの黒人を「未開の土人」だと言い、アフリカの黒人はアメリカの黒人を「堕落」していると言うのだ!

知人に在日韓国人の女性がいる。とはいえ、彼女は韓国に行ったこともない。
日本で育っているので私から見れば韓国人といわれるほうが違和感があるくらいだ。
韓国人の文化みたいなものは、今はまだ彼女の親や年輩の親類から受け継いでいるようだが自分の子供の頃にはうすれているだろう、と言う。
若い頃働いた職場で、隠すわけではないが(日本名を持っていた為)韓国人だということをあえて明かしていない時、何も知らない同僚が「韓国人はキムチ臭くて...」と言うのを聞いて思わず自分の身元を明かし、「そういう表現はやめてほしい」と訴えたそうだ。
彼女いわく韓国人と日本人は近くに住んでいて顔も似ているのに一番遠い人種ではないかということである。

報道カメラマンの同級生が、取材で韓国(北朝鮮に近い方らしい)へ行った。
辛いもの好きの彼にはキムチも焼肉も日本よりはるかにおいしかったそうだ。
ハードな仕事もにんにくパワーでこなせた、と実感を語った。
しかしむこうで、ある時エレベーターに一緒に乗った男性の体臭がキムチ、というかにんにく臭く、はっとした。日本に帰ってからしばらく、同級生も周りに「におう」といわれたそうだ。
すると「韓国人がキムチ臭い」というのも単に差別だけで言うのでもないのだろうか。ちなみに「くさい」話になって恐縮だが、だいたいキムチやにんにく食ったあとの排泄物は誰でもにおうぞ。しかたないのだ、日常的に摂取してればなおさら。
ようするに「キムチ臭い」と差別感をもって言うかどうか、ということになるのかもしれないが。

ここに紹介しただけでも、不謹慎かもしれないが面白いではないか。
私は本当の差別にさらされたり、実感したことがないからお気楽に言えるのだが。
自分はこれでもわりとグローバルな方だといい気になっていたこともあるのだが、
冒頭に書いたのがほんとのところで、めっちゃ差別的だ。
先進国のWASPの前じゃ英語がダメなことを恥じるくせに、途上国の人間を軽視したりする。
自分達が優れた民族だと思うことはあるにしても、一番劣っていると思いたくないのは人情。
これは個人でも言えると思うが...自分の下がまだいるのだということで救われる構図。それはなくなることはない。


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