HP de るってんしゃん

HP de るってんしゃん

ラストについて



 アキの遺灰の一部はオーストラリアに撒かれた。でも、朔太郎は別にちゃんとアキの遺灰を小瓶に入れていた。これは、朔太郎の祖父ともかぶる行動と言える。オーストラリアに来た時、朔太郎は「こんなところまで来る必要はなかったのだ」と言っていた。オーストラリアは2人にとって「世界の中心」ではない。当たり前だ。だから、朔太郎は遺灰を自分の手に持っていた。そして、朔太郎は本当の「世界の中心」を探し、あの夢島へ行った。しかし、遺灰を撒かずに帰ってきてしまう。なぜ撒かなかったのだろうか?

 私は考えた。アキは死ぬ間際に「ここからいなくなっても、いつも一緒にいるから」と朔太郎に言った。だから、朔太郎は遺灰を撒く必要がないと気が付いたのだと。私は、朔太郎は遺灰を持ち続けるのだろうと思った。そして、祖父と同じようにするのだろうと思っていた。いや、そうして欲しかった。しかし、あのようなラストが待っていた。それならば、寧ろ夢島でアキの遺灰を撒いた方がよっぽど良いと私は思った。

 私があのラストを嫌う訳。朔太郎がアキと出会ったあの中学校が「世界の中心」とは到底思えない。もちろん朔太郎もそう思っていないだろう。もし、選んでのことならば、校内の特定の場所に思いを込めて撒くはずだ。空へ放っただけのやり方は投げやりにさえ感じる。つまり、朔太郎は遺灰を持ち続けることをやめただけであって、撒いたという意識はない。それでは、アキがあんまりじゃないか?

 しかも、どうしても許せないことがある。それは、アキではない他の女と一緒に遺灰を撒くその場所を訪れたということだ。10年も経ったのだから新しい女が朔太郎にできてもおかしくない。それならそうで「アキは僕にとって大切な人だ。しかし、僕は前へ向かって生きていかなければならない。だから、僕はこれから新しい人を愛していこうと思う。ありがとう、アキ。」という感じでなければ納得がいかないではないか。しかし、第5章の朔太郎は中学校に連れて来た女を本当に愛しているだろうか?アキの遺灰がどうでもよくなるほど愛しているだろうか?女に対する朔太郎の言動はあまりにもそっけないじゃないか。第一この女には名前すら与えられてない。アキの遺灰の小瓶を手にしたとき朔太郎の目に入ったのは「若い女」である。これでは、結局、死んだら負けってことではないか。このラストに意味はあるのか?

 このラストは「衝撃」なんかじゃない。第5章が始まったとたんに嫌な予感がした。予感じゃ言葉が正しくないかもしれない。文章から感じる空気で先が読めた。でも、読みながら、そうならないことをに必死で願った。それでも、朔太郎はアキの遺灰を捨てた。私の中では「撒いた」とは言えなかった。第5章の朔太郎は、私の好きな朔ちゃんではなかった。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: