放浪の達人ブログ

方言の伝承

   【方言の伝承】

今年度は町内の神社係と衛生委員になったので公民館に数度出向いた。
去年まで俺は町内のイベントに全く参加していなかったので、
(というか日曜日に仕事を休むのは自営業のため難しかった)
そういう役員の仕事なんてしなかったし全然興味もなかった。
そんな世間知らずの俺が公園掃除に参加された人に配るお茶を買ったり
ゴミ集荷所の準備をしたり神社内の中庭を竹箒で掃いたりなど、
見知らぬ人達と行動をすることになったのは我ながら驚きである。

俺よりも20歳以上も年上の人達がほとんどなのであるが、
公民館や神社で彼らの話す言葉を聞くと何だかほのぼのとする。
「おんしゃどこに住んどらっせるだん?」のような三河弁で会話がなされ、
「ほれみりん、ほんなちょうけとるもんでぶちゃけるだがね」
(それみなさい、調子に乗っているからこぼしてしまうのですよ)とか、
「ほんなもんまあ古いだでふちゃっちゃえばええだわさ」
(そんな物はもう古いから捨ててしまえばいいのですよ)だとか
「ぐろはとっちんこ結びにせやあ取れやへんだわ」
(隅っこは固結びにしておけば取れませんよ)のように
彼ら年配者の言葉はコテコテの土着系なのである。

そういった場所で親近感を作り出すにはこちらも方言で話すことだ。
相手がコテコテの方言で話しかけてくれるのに対して標準語で返答すると、
何だか殻を被っているような感じでぎこちなくなるのである。
これは恐らく国内共通、いや、世界共通なのだろうと思う。
たとえばインドネシアのバリ島にはよく行ったのだが、
公用語のインドネシア語の他にバリ語というものがある。
しかもカースト制度によって階級別に分けた丁寧語や謙遜語がある。
通常の観光客は英語、或いは簡単なインドネシア語を使うのだが
そこでカーストに応じたバリ語を話すとすげえ親近感がアップするのだ。

それにしても日本語ってレパートリーが世界で最も多くて難しいね。
自分のことを「私、僕、俺、ワシ」って使い分けて言うだけでキャラが変わるし、
俺は使わないけど「自分、小生、おいら(これは誰も使わんか)」なんてのもある。
女性でも「わたし、わたくし」から派生した「あたし、あたい」ってのもあるし。
英語でいう「I」を俺達日本人は状況や相手によってこんなに使い分けられる。
いくらマスコミが標準語を使ってても、そして異国間や地方間で子孫が産まれても
やはり生活している場所で使われている方言というのは今後も廃れることなく、
こういった公民館や神社の寄り合いやモスクや市場で引き継がれていくのかなあ、なんて
神社のしめ縄飾りをしながらワシは漠然と考えたのであった。


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