放浪の達人ブログ

旅先での無駄

    【旅先での無駄】

25年以上前にバリ島ウブドゥ村の外れにあるプリアタンに滞在した。
川のほとりに建てられた小さなゲストハウスに夫婦で何日か過ごした。
俺達夫婦は連日バリ絵画の美術館巡りをしたり木彫り像を集めた店を見たり、
夜はヒンドゥー寺院へ行ってバリ舞踊やガムラン演奏を観賞したりしていた。
2人共ウォルター・シュピースやアントニオ・ブランコとかの芸術家に惹かれ、
彼らの影響を取り入れて独自の芸術性を歩んでいるバリ島の虜になっていた。

泊まっていたゲストハウスには1人の欧米人も滞在していて、
彼はバリ島で買ったであろう竹笛をいつもピーピー吹いていた。
毎日木の階段に座って笛を吹いている他に何もしない彼を見て
当時の俺は「せっかくバリ島に来ているのにもったいない」と感じていた。
ほら、テレビとかでもよく見かけるではないか、
せっかくワイキキビーチに来ているのに本を読んでいる観光客とか
フロリダ辺りのビーチでずっとビニールチェアで寝ているだけの観光客。
若かった俺はそれを「もったいない時間」と思っていた。

しかしそれからしばらくして俺のバカンスの楽しみ方も変わってきた。
観光地巡りやギャラリー巡りをしなくなり、言い換えれば欲が無くなり、
俺も彼らと同じような旅のスタイルになったのである。
バンコクでの安宿での滞在時も日本の山歩きの時も
太宰治や夏目漱石の後期作品なんぞの文庫本を持参して行って
のんびりと読みながら惰眠を貪るようになったのである。
小説なんか休日に自宅で読めばいいじゃないか、せっかく旅に出たのに本なんて、
そう思われる読者さんもいるだろうが、そういう無駄で怠惰な時間が好きになったのだ。
それは心に余裕が出来たからなのか、観光巡りが面倒になったのか、
他人との接触が煩わしくなったのか、まあ多分その全てが当てはまるのだろう。
その方がむしろ優雅な時間と思えるようになったのだ。

ヒマラヤ・トレッキングに2週間ほど出掛けた際にも小説を持って行った。
すると意外にも世界各国のトレッカー達もみんな各々小説を持って来ていたどころか
「この旅にはどんな本を選択して持って来たのか?」というのが合言葉になっていた。
俺が「パウロ・コエーリョだ」と言うと「ああ、すごくスピリチュアルね」だとか
「私はユキオ・ミシマを持って来たわ」とかそんな感じだったのである。
まあヒマラヤ奥地の村から村を歩く旅なんてのは相当旅慣れた人達だからこそ
そういう過ごし方をする人に限定されていたのかも知れないが。

あれから時は過ぎて今や世界中どこでもスマホが使える。
しかし、旅に出ている間はネットやLINEをあえてシャットアウトして
自分だけの世界に没頭するのも楽しいかも知れない。
便利過ぎる旅は面白みも減るような気がする。

日本もいよいよ秋の季節となった。
秋の夜長、たまにはスマホの電源を切って小説なんぞを読んでみるのもいいかもね。



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