放浪の達人ブログ

母の遺品



介護施設に数年間入所していた母が時々意味不明の言葉を発するようになり、
体調悪化で転送された病院に入ってからは会話も出来なくなった。
俺への最期の言葉は「コーヒー淹れようか?」だった。
自分が病院にいることも分からなかったんじゃないだろうか。
母の葬儀はこじんまりと家族葬で執り行い、孫達も大勢集まって賑やかとなった。
明るかった母もあの世で笑っていたんではないだろうかと思った。

母の葬儀が終わってすぐに妹から連絡があった。
「生前、お母さんから預かってた荷物があるけどみんなで開けてみようよ」
うわあ、それはきっと父に内緒でコツコツと貯めていたヘソクリだとか、
子供5人へ宛てた手紙だとかそんなものに違いない。
というわけで妹宅に集まって動画を撮りながら荷物を開けた。
いやあ、何かタイムカプセルを開けるようでドキドキするぜ。
一体どんなモノが出てくるんだろうか?
死んでから知らされる子供達への深い愛情だなんてものに俺は耐えられるだろうか?
姉や妹の前で号泣しちゃうんじゃないだろうか?

袋からはまずシワシワのハンカチや片側だけの手袋が出てきた。
古いポーチを開けると中にはやっぱりシワシワのハンカチ。
そんなくだらない布類が延々と出てくる。俺達は意味が解らず少々戸惑う。
布類が終わるとその下からは使いかけのテレフォンカードや店のポイントカード。
とっくに潰れて閉店した喫茶店の回数券、下水道の領収書、書き損じの年賀状。
その次に出てきたのはかなりの数の熨斗(のし)やお年玉袋。
子供の頃、親戚からお年玉を貰っても「お母さんが預かっといてあげる」と言われ、
お年玉でオモチャを買うこともなく母に取りあげられていたが、
その頃からのお年玉がそのまま保管されていたのか?と少々感極まる。
熨斗袋にしても事あるごとのお祝い金をそのまま残しておいてくれたのか?

ところがだ、それらのお年玉袋や熨斗袋はそんな昔の物ではなく新しい未使用の物で
当然中身は何も入ってない物ばかりか、書き損じの熨斗袋がほとんどなのだった。
御、御、御供、御供米(御供料の途中まで書いたやつ)ばかりだ。
ふつう書き損じた時点で棄てんか?なんで取っといてあるん?

最後に通帳が出てきた。そっか、これに全部お金が入ってるんだ...。
子供達5人で仲良く分けなさいってことだな。ああ、お母さん!
しかし普通預金残高を見ると353円、定期預金の欄は無記入、つまり預金無し。
しかもUFJ銀行ではなく東海銀行の頃の通帳、他の通帳は解約済みのものばかり。
結局遺産と呼べるものは何一つなかったのである。

じゃあ何でこんなモノを父に内緒でこっそりと妹に託してあったのだろうか?
「親を当てにしちゃダメ、頼みになるのは自分だけよ」という教えなのか、
「この世の全てのものは儚いもの」と色即是空みたいな教えを示したものなのか、
或いは単なる認知症によるものだったのか。まあ認知症によるものだろうな。
母の遺産が全く無かったことに対して俺達はむしろ清々しかった。
さすが私達のお母さんね、と大いに笑った。スッキリとした。これでいいのだ。
遺産なんぞ残すと子供のためにならん。そう再認識させてくれた母に感謝だ。

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