放浪の達人ブログ

水は大事



豊田市の取水施設で大規模漏水が起きて復旧工事が続いている。
その影響で西三河地区の農業用水が大打撃を受けている。
田植えしたばかりの田んぼに水が行き渡らないのだ。
三河地区といえばトヨタや三菱の自動車関連工場や下請け工場が多く、
その工業用水が止まってしまうと日本経済がストップしてしまうので、
まずはそちらへの供給が優先ということで井戸水も活用して対処している。
復旧まではもしかしたら年単位の期間がかかるかも知れないそうだ。

日本は四季があり山も川も多いので水に苦労することはあまりないが、
アジアでは地形的、気候的な要因やインフラ事業の問題などもあって
水の確保に労力がかかる国や地域が多い。

昔、バリ島の田舎の村に居候していた2ヶ月間、俺が寝泊りしていた家は
貧乏だったが井戸を持っていたので近所の人達が水を汲みに来ていた。
紐のついたバケツを井戸に投げ込みまた引き揚げる作業は結構大変で
俺はその役を手伝ったりもしていたのだが、水を受け取った後の女性達は
水を入れた重い容器を頭の上に載せて自分の家まで戻って行くのだ。
満月の前後には井戸の水位が変わるし水が濁るので大変だった。

ネパールの奥地の村もまた水汲みは大変な作業だった。
ヒマラヤからの雪解け水によって水量自体に問題はなかったが、
山間部に住む人達は川の近くに住まずに尾根で暮らすのである。
川の氾濫や土砂崩れからの防御という考えなのか、宗教的観念なのか不明だが
水汲みの仕事は主に子供達によって行われていた。
5歳6歳の頃からヘアバンド部分に紐をあててポリタンクを背負って歩く。
川までは片道30分から1時間、乾いた山道を何度も往復するのだ。
小さな子供達は青空学校が終わって帰宅するとその作業をする。
そうやって立派なシェルパに成長していくのだろう。

カトマンズのスラムに滞在していた時、水は配給制だった。
崩れたレンガのアパートの中庭には共同井戸があったが
ポンプをいくら漕いでもガポガポとカラの音がするだけだった。
日によって(おそらく月齢によって)水は出るものの濁っていた。
だから2日に1度給水車が回って来るのだがそれは夜中の時間帯で、
配給された水はホースに繋いで5階の屋上のタンクに貯めていた。
女性達はそのタイミングで冬の夜中に屋上で身体を洗うのだった。
蛇口をひねればお湯が出るだなんて夢のまた夢の世界だ。

そういう場面を体験しているし元々貧乏性な俺は水をすごく大切にしている。
水を使う時はまるで素麺のような細さで使っている、というのはオーバーだが
必要な時にいつも水が使えることに常にとても感謝している。
ハイキングで滝を見た時には「夜中もこの水量のまま?」だなんて思っちゃうし。
皆さん、改めて水が使えることに感謝して大切に使いましょう。
でもトイレはちゃんと流しましょうね。

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