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この度、タイトル帯とプロフィールに連絡先電話番号を載せました。 顕正会の活動や組織について悩みを持ち、誰にも相談できず苦しんでいる顕正会員の方。顕正会を辞めたいけど、嫌がらせに遭うのではと心配し脱会できずにいる顕正会員の方。 この携帯番号は、家内(紫苑)と共有しています。 お話ししましょう。 お電話、お待ちしています。 ※いたずら、嫌がらせ、脅迫等の電話は受け付けません。そのような場合は、会話の内容を録音し警察に提出いたします。
2017.02.08
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「信心の血液を組織の隅々にまで送り込む、この大事な機関紙が一部伸びる毎に、日本の広宣流布が一歩進むのであります。」どこかで顕正新聞購読部数拡張運動に、口角泡を飛ばし強弁する浅井昭衛の姿が目に浮かぶようです。浅井昭衛にとっては、顕正新聞の購読料も大事な財源の一つですからね。 宗教法人顕正会の現代表である浅井城衛が男子部の幹部時代、「顕正新聞の購読料も第二の御供養だから、部数は決して減さないように。」と言っていました。浅井城衛直轄の隊で問題が多く、立て直しの為壮年部に吸収された隊がありました。四国の隊でした。 誓願の名のもとに、一人で100部以上の顕正新聞をとらされ、サラ金で多額の借金をし、毎年の購読料を支払っていた元男子部員が、座談会で私に相談をしてきました。その借金は返済能力の限界を超え、父親に知れるところとなり 「そんな顕正会なんかやめてしまえ!」と言われ大変悩んでいました。元男子部員が、浅井城衛に「利息が膨らみ返済が間に合いません。枠もいっぱいでこれ以上の借金はできません。」と懇願したにもかかわらず、浅井城衛から「他で借りられるところを探して、最低でも部数の維持はしろ!」と言われてたのでした。私は元隊長から機関紙の名簿を見せられました。そこには、目を疑うような数字が並んでいました。 不要な部数は、「バッサリ」切りました。不思議にも浅井昭衛は、激減した部数の報告に突っ込みを入れてきませんでした。 将来顕正会の代表になる男の頭の中には、会員の苦しみを汲む慈悲など微塵もなく、顕正会への入金、お金が全てだったのでしょうね。 多くの会員が、常識で考えても必要をはるかに超えた部数をかかえています。その負担に悲鳴を上げている現状の報告と相談を受けながら、「第二の御供養だから」と言い放ち改善をしない。浅井一族にとっての顕正会員は、「ただの金づるでしかない。」という証拠のひとつです。 当時、私も顕正新聞には相当苦しめられました。「部数は絶対に減らすな。」組織を持たされれば(組長以上)、誓願という名の機関紙部数目標を持たされました。以前(首切りVol.2)の日記にも書きましたが、先輩幹部が高校生だった私たちの盾になり、機関紙の異常な部数目標から守ってくれた事がありました。私たちの盾になった先輩が、直接話をしたのは浅井昭衛でした。その先輩は後日、降格謹慎処分を受ける事となりました。 高校生ですから、「親にばれたくない。」「お金はない。」 「お前が金を払って、お前の家に届くならいいよ。」早く言えば「名前だけ貸してやるよ。」 ですね。このように実体のない部数が増え、同時にお金の負担も雪だるま式に増えていく。 いまでも、顕正新聞の購読拡大に苦しんでいる顕正会員がいるかと思うと胸が痛みます。断る勇気を持って戦っていただきたい。新聞を何百部取ろうと、幸せにはなれないのだから。
2014.04.21
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一夜明け、翌月曜日。 地元顕正会員の激しい動揺を私からだけではなく、担当地区部長からも聞いていたにもかかわらず、「事がことだけに」と言いながら克衛君は、センセイに報告をしていませんでした。 出勤前の慌ただしい時間に、毎週必ず電話での報告が義務づけられていました。 女子部から話を聞いていた浅井昭衛は「なぜ、こんな大事な事を報告してこない。」と、大激怒。 (はぁ〜?) (あなた達親子は何をやってるの⁇) 全くあきれてしまった私は、昨日のやりとりを冷静にかつ淡々と話し始めました。 しばらく黙って聞いていた浅井昭衛は、 「あいつは何をやっているんだ。」と声を荒げ、「後は、克衛から聞く。」と言って、電話を激しく切ったのです。 勿論、「あいつ」とは克衛君の事です。 会社に到着し仕事を始めた頃に、私の携帯電話に克衛君から着信がありました。 私「センセイ、相当お冠でしたよ。」 克「いや〜、参ったよ。」 私「参りましたね。」 克「あの後、地区部長から報告あった?」 私「ありませんよ。」 克「何やってんだろう。」 私「 ・・・・・・・」 克「おかげで、こっちが怒られる事になった。」 もう、これ以上話す気にもなれなかった。 そして、お昼過ぎに再び克衛君から電話が入った。 「書き留めて。」 そう言った後から、耳を疑いたくなる内容が克衛君の口からでてきたのです。 「警察へ出した被害届を取下げること。」 「騒ぎを大きくして、学会にしれたら大変な事になるから、すみやかに騒ぎを沈静化すること。」 「管理責任者への処分は追って決める。」 「センセイからのご指導で、本部決定事項なので地元顕正会員に徹底するように。」 地元顕正会員の落胆は、電話越しでもハッキリと分かる程でした。 「本部は、本気でその様な事を言っているのか⁈」 「奪われた御本尊様が、いまどの様な扱いを受けているのか考えただけでも恐ろしくなるのに、本部は平気なのか⁈」 地元顕正会員の憤りは頂点に達していました。 顕正会内の全ての決定権を握る人物は、当たり前ですが浅井昭衛以外にはいません。 顕正会内では「センセイ」と呼ばせながら、このような決定が下せるのですから、人を馬鹿にするのもほどがある。 御本尊を軽視し、顕正会員の心を全く無視した浅井昭衛は、実は創価学会を一番気にしているのです。
2014.01.29
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「浅井昭衛の本性」の続きを書きます。 以前、青森にあった四者(当時)公開の自宅拠点(管理責任者は壮年部総班長)で、日曜日の午後に本尊盗難事件が起きました。 管理責任者(総班長)は生活空間とは別に、通常は施錠できる一室を顕正会員に仏間として開放していました。 その日は日曜日と言う事もあり、大勢の来訪者がいるので鍵を掛けずにいたそうです。 女子部員が入室し仏壇の前に座った時、その異変に気づき心臓が止まるかと思うほど驚いたそうです。 「中央に掛けられているはずの、命より大事な御本尊様が無い。」 上長や管理責任者に連絡をとり、110番通報で来た警察官達と現場検証になったそうです。 「ここ最近、数名の学会員が拠点付近で目撃されている。」 これだけの理由で、地元顕正会員の間では、「犯人は学会員。」と決めつけていました。 様々な噂が飛び交い、地元顕正会員は大騒ぎ。私にも声を震わせ緊張した地区部長から報告がありました。 日曜日、滅多に連絡がとれない克衛くんと連絡をとり、地区部長からの報告を伝へ終わると、克衛くんは「事がことだけに、センセイには自分から報告をして今後の指示をいただこう。」と言って、電話をきりました。 ところが次の日には、話が全く違った方向に進んでいくのでした。
2014.01.26
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沢山の応援を頂きながら、長く更新できずにいました事を深くお詫びいたします。本年よりブログ更新を再開させ頂きます。宗教法人顕正会浅井昭衛に騙され続けている人達が、一日も早く正義に目覚められる事を祈り、ブログを更新して参ります。顕正会でお悩みの方、下記メールアドレスへご連絡ください。www_ryuseiu@yahoo.co.jp
2014.01.13
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御本尊の取扱い方で、浅井の本当の姿が垣間見られる。昭和五十年代の顕正会(解散処分後の妙信講)では、今の様に地方会館は高知会館以外は無く、事務所や自宅拠点も数える程度でした。その為、都内以外の知人を勧誘する時などは「おたもち」と称して、御形木本尊を本部から借りて出掛けるのです。スーツの内ポケットに忍ばせ、長距離を夜行列車で移動する時の心労など、少年時代遊びに夢中で、お守り本尊を空地でなくした事のある浅井には決して分かるまい。(必死で探したら見つかったと本人談)女子部では、「御本尊をおたもちしたままトイレへ行くな。だから、余計な水分はとるな。」と、言われていたそうです。当初、「厳重な扱いが求められる」と、支隊長(支区部長・総班長)以上の資格が必要であったが、次第に「上長の許可があれば組長も可」と、基準が変わってくる。これも、容易に入信者を獲得するための手段で、本人の捺印が必要な入信(入会)願書を廃止し、本人の捺印が不要で紹介者が記入できる入信(入会)報告書に切替えたのと同じである。本部管理人がH間さんの頃は、樒の葉を口にし祭壇横の三方から手渡されていました。しかし、K峰くんが管理人になってからは、樒の葉は口にせず、1階事務所のロッカーからそのまま手渡されたり、返却後も無造作に同じロッカーに入れていました。その後、自宅拠点が出来、地方事務所が開設され、地方会館が建てられていくのである。どこの自宅拠点も同じ本尊、当時在ったどこの地方事務所も同じ本尊、そして今在る全地方会館の本尊も同じである。青森の自宅拠点で、何者かに御本尊が盗まれた事件があった。その時の、浅井親子(昭衛と克衛)の対応を次回に。
2010.01.27
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「K藤R子さんが、とうとう総幹部会の壇上から姿を消した。」との情報を耳にしました。情報の確認はしていません。しかし、前回の日記にも書いた通り、浅井に心酔する殆どの幹部の晩年は、決して浅井が言うような輝かしいものではありません。むしろ、その逆が多いのでは?顕正会で活動を続けている人達へ申し上げます。家族・親戚・友人はもとより、社会人として生きる為の信頼を回復し、自分自身の人生を早く取り戻してほしいと思います。
2009.09.30
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当時私は、元O地区S地区部長(総務兼任)が突然の病に倒れた事実を、浅井昭衛の口から直接聞かされ大変驚きました。「何故、妙信講時代から、あれ程までに浅井センセイに就いてきた人が・・・・。」そして更に愕然としたことは、大阪での実績を否定するばかりか、そこで贈収賄の事実があったと、どうでも良い話を並べ立て、S総務が、病気で倒れたことを「罰の現象」と決め付けたのです。そして、大阪の自宅拠点責任者(壮年部)を女性問題を理由に(本人は否定していました。私の感想は白です。)謹慎処分にし、自宅拠点を急遽閉鎖させられたのです。この自宅拠点責任者は納得がいかず、大宮の本部会館に出掛け、浅井昭衛との面会を執拗に求めました。しかし、要求は当然のごとく聞き入れられませんでした。「こんな汚い団体、こちらから辞めてやる!」自宅拠点責任者は、捨て台詞を残し大阪へ帰りました。これを受けて克衛くんは、「むこうから辞めて貰って良かったよ。」と、真顔で私に言ったのです。えっ?何がしたいの?その時、私の頭の中は「?」でいっぱいでした。今は、この時浅井親子が何をしたかったのかが良く分かります。浅井昭衛は、顕正会一筋に人生を重ねた古参幹部が、病に倒れたり、経済苦に陥ったり、家庭崩壊を招く姿を、新しい会員に見せたくない。浅井昭衛が、「誰に何と言われようが、顕正会が正しい」と言い張れる「功徳の現象」が、本当は「真っ赤な嘘」とばれてしまう。同じ様な状況のK藤R子さんは、今後どうなるのでしょうね。
2009.02.08
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私が何故、このタイミングで元S理事のことを書いたか。それは、総合女子部長交代の真の理由が含まれる、浅井昭衛が顕正会員に最も気付かれたくない、顕正会のアキレス腱を、現役顕正会の皆さんに知って頂きたいからです。時期が時期だけに、明らかにしていきたいと考えています。当時、顕正会生え抜き?の壮年部幹部三人(当時のI地区S地区部長、理事兼任・S地区F地区部長、理事兼任・K地区K地区部長、本部幹事兼任)を、常に監視し言動の詳細を報告するよう命じられ不思議に感じていました。そのきっかけは、O地区S地区部長(総務兼任)が突然の病に倒れ、現役を退いた事でした。
2009.01.31
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それは、東北のA県で有名な、壮年部T総班での出来事でした。女子部から、「集団カンニングをしている」との情報が入り、関係者(T総班長とS副長)を大宮の本部会館に呼び付けた克衛君は、書き換えられた数年分の答案用紙を手に自白を迫り、・・・・・・2人を落としたのです。数年前から、どのような手口で?試験は、定刻通りに始め、制限時間で終わらせ、壮年部の班長が全員の答案用紙を集める。ここまでは普通の流れ。ここからです。集められた答案用紙は、別室で待機しているS副長に渡される。このS副長が、一人ひとりの答案用紙をチェックし、間違えを書き直し、空欄を正解で埋める。チェック済みの答案用紙を再度封筒に入れ本部に送る。そして、本部に送られた答案用紙を女子部が採点する。証拠品として出された数年分の答案用紙。「すごいな。全員の答案用紙を保存している。しかも、何年分?」その時、本気で思いました。しかし、それは違いました。浅井昭衛は、集団カンニングを相当前から知っていたようです。でも表沙汰にしなかった。何故?そして、このタイミングで出すのか?浅井昭衛は、このT総班が所属する当時I地区のS地区部長(理事兼任)を表舞台から消したかったのです。実際に克衛君は、集団カンニングの事実を二人に認めさせながら、いつ何処で調べたのか、S地区部長が勧誘の最も多い班を表彰し数珠を与えていた事や、御宗門の本を教材に勉強会をしていた事をネチネチと確認していました。それから間もなく、S理事は班長に降格されました。ちなみに、T総班長とS副長は班長と組長に降格されました。しかし、Tさんはすぐに総班長に戻されました。(S副長のその後は不明です。)これは、ある事実を隠蔽する為に、巧妙に仕組まれた降格劇だったのです。
2009.01.30
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心を入れ替えて、・・・・・などと言いながら、一年以上が過ぎてしまいました。各方面の方々からご心配頂き、誠に申し訳ありませんでした。この一年、じっくりパソコンに向かえる時間が持てない程、色々と貴重な体験をさせて頂きました。本当にスローペースですが、更新したいことが山ほどありますので今後ともよろしくお願い申し上げます。次回は、紫苑さんが書き込みをした「顕正会伝統の教学」と浅井昭衛が誇らしげに語る「登用試験」の集団カンニングを公開します。
2009.01.29
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古参幹部(宗門の一講中だった頃から妙信講に所属していた人達)に対する顕正会内での評価は、良くも悪くも人によって様々でした。しかし、私の知る古参幹部は、とても個性的ではありましたが、社会的常識を持った人が多かったように記憶しています。(当時の話です。)私が顕正会(当時妙信講)に入会して間もない頃(高校生)、両親からの猛反対(特に父親からの暴力)に耐えられず夜中に家を飛び出し、先輩宅に逃げ込んだ時のことです。心配した幹部の方々が、夜中にもかかわらず先輩宅に集まってくれました。私の話を黙って聞いた後、幹部は私にこう言ったのです。「このまま家に帰りなさい」と。私は、唖然としました。「家に帰ったら殺されるかもしれません」と、必死に訴えました。ところが、幹部は興奮する私に対し静かに「家に帰りなさい」と、言うのでした。親が子を思う深い愛情等を話し、世法上から私の軽率な行動を叱責した上で、仏法上の親子関係や私の現状を優しく話してくれました。私はこの時、初めて「兄弟抄」を知りました。更に、高校を卒業するまでの間は活動を控え、しばらくは「身は従えども心は従わず」の精神でいくよう促されました。「内得信仰」を知ったのもこの時でした。どんなことをされても決して親を憎んではいけない。「親の反対によって自身の信心が鍛えられ罪障消滅が出来るのなら、それは親を憎むのでなく、かえって感謝すべき事。内得信仰でも功徳はある。世法でも力をつけ、将来、自立出来たら堂々と報恩の思いを込め両親に話をしなさい。」この当時の幹部は、御開扉を何度も受けたことがあり猊下様の御指南も頂いていた人達です。ご宗門で経験した本物の信心から得た確信で私に話してくれたのだと、今でも思っています。この当時の幹部達の殆どは、今は顕正会には残っていません。自ら離れた人もいるでしょが、処分を受けて姿を消した人もいます。機関誌購読部数を巡って浅井昭衛と衝突し、私達(高校生)をかばった先輩幹部が処分されました。「高校生だから折伏は進む。しかし、経済的に自立していない高校生に対し、折伏数に比例した数の機関誌購読申込を強要するのはおかしい。」その幹部は、謹慎を命じられました。(20年後、その事実を知りました)この様な、組織の後輩を守る本物の信心を経験したことがある幹部先輩が、今の顕正会に何人いるでしょうか?今の顕正会幹部の中には、組織の上下関係を利用して下の者を平気で恐喝する者がいます。正に、「虎の威を借る狐」です。小心で卑怯な浅井昭衛に諂う顕正会幹部達は、大聖人様の本物の信心を知らない「群狐」なのです。
2008.01.07
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昨年の10月以来、更新を怠っておりました。すみませんでした。本年は心を入れ替え、ブログの更新をして参ります。昨年11月、家内と私のブログをご覧になった顕正会元幹部の方が、連絡を下さいました。その方と共に大勢の方が拙宅にお越し下さり、顕正会の誤りや宗門の正しさを縷々お話しをさせて頂きました。そして、皆さんが晴れて法華講員になられました。その時、顕正会元幹部の方々から伺った顕正会内部の現状は、末期症状そのものでした。(この方々の紹介は、今後ゆっくりとさせて頂きます。)宗教法人顕正会の崩壊は、まさに「時間の問題」ですね。一日でも早く、一人でも多く、浅井昭衛に騙されている顕正会員を救っていきたい。新年を迎えての私の決意です。今年も宜しくお願いいたします。追伸「首切り」の続きは、この時、実名入りで話してしまったので後日掲載いたします。
2008.01.05
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何故?顕正会では古参幹部が少ないのか?青年期の信心が壮年期の人生を決め、壮年期の信心が臨終を決める。などと言われ、その気になって頑張ったものです。浅井昭衛が言うように、大聖人様の御遺命を死守した唯一の団体が顕正会だけで、ただひたすら大聖人仰せのままに50年、正しく進んできたと言うのなら、妙信講解散当時に血判状に名を連ねた幹部達は、その後どうなったのか?学会本部襲撃に参加した当時の男子部員は、壮年になって現在どうなっているのか?3万・5万・10万・50万・100万と、浅井に言われるまま勧誘に人生の全てを賭けてきた人達は?浅井昭衛は、古参幹部が表舞台に出ることを嫌います。何故か?一つに古参幹部は、まさに生き証人だからです。一例をあげます。いま浅井は、御宗門で行われている御開扉を不敬と盛んに言っています。しかし、「妙信講が宗門の一講中だった頃は、皆で登山して御開扉を何度もお受けしていた。」との話を、私も先輩から幾度も聞いたことがあります。先輩達は、奉安殿での御内拝の様子を懐かしそうに語っていました。浅井自身、願い出て御開扉が叶った喜びを富士に掲載しているではないか。その他、学会本部襲撃事件に加わった本人達の生々しい証言と食い違う浅井の記述等々。「第一線で余計なことを言われては叶わん。」これが浅井昭衛の本音です。ですから浅井昭衛は、第一線で活動する古参幹部の言動には相当神経を使っていました。男子部や女子部を使っての情報収集に躍起でした。浅井昭衛は、古参幹部を役職から外すきっかけが見つかると、今までの態度を豹変させ極悪人かの様に追い詰め、処分を下します。そのやり方は、「えげつない」の一言です。何人も見てきました。何故そんなことをするのだろう?私が壮年部幹部現役時代、古参幹部が次々と処分・降格された時期がありました。その時、裏ではとんでもない事が起きていたのです。つづく
2007.10.19
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山門入り口さん、有難うございます。顕正会九月度総幹部会に於ける、浅井昭衛の講演を見せていただきました。トチロ~さんも仰っていましたが、よくもま~此れほど嘘ばかり並べられるものだと、呆れてしまいました。正確に言うと、気分が悪くなりました。トチロ~さんが連載されていた、「元妙信講問題」と御宗門より戴いた「破邪新聞」を併せて今回の浅井講演の内容を比べると、「浅井昭衛の馬鹿に付ける薬はない!」を確信しました。浅井昭衛よ!「閻魔大王の責め」は免れぬぞ!
2007.10.02
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壮年部の勧誘で、個人対象を出すとなると、やはり仕事関係になります。壮年特有の親分子分の関係で、上から下へ勧誘をせまる方法は成立するのでしょうが、その逆は悲惨です。もっとも、親分子分の勧誘で人が育つことは滅多にありません。勧誘が原因で取引先から契約を解除されたり、社内で仕事を減らされる等の問題は随所で有りました。幹部になると、会合に参加する時間の確保も深刻な問題です。午後6時前には、本会場の壇上にいなくてはなりません。毎回それが出来ると言う事は、「時間に自在を得ている」ということになるので、皆さん必死だったはずです。就業時間の短縮を会社に申し出ると、昇進がなくなったり、減俸になったり、地方転勤や移動を言い渡されたり、挙げ句は退職を余儀なくされるケース等の問題が発生してきます。当然です。自業自得ですよね。それでも、失業しているのに「私は時間に自在を得ている」と、平気で言うおかしな幹部もいましたね。「自業自得の諸問題」を、「法難」と勘違いしているのです。当時、私もそうでした。幹部ですら、生活の基盤に関わる大きな問題を抱えたまま、それ等を「罪障消滅の戦い」と信じて活動しているのです。苦しいですよ。続くわけありません。皆が苦しんでいる、この実態を浅井昭衛は知っています。男子部幹部に失業者が多いことも。多額の借金を抱えていることも。睡眠もろくにとらずに、飲まず食わずで活動していることも。知っているくせに、会員に無理を強いるのです。勧誘活動や、広布ご供養と呼ばれるまやかしの集金で。顕正会では「仏法は生活法」と言っていますが、顕正会内ではとても空しい言葉です。いま法華講員になれて、「仏法は生活法」を実感しています。私の功徳です。
2007.09.09
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婦人部(コットンあめさん)・女子部(紫苑さん)に続いて、壮年部も勧誘の実態を暴露して参ります。壮年部における勧誘は、個人対象を追いつづけるのが大方で、それ以外の殆どは勧誘活動は致しません。「組織にあぐら」と言われる人たちですね。ところが、上位地区の勧誘はそれ等とは違います。殆どがホームレスを対象にします。都内では、東京駅地下街・墨田公園・新宿西口公園・浅草仲見世通り・池袋駅周辺・サンシャイン池袋・上野公園と駅周辺等は代表格です。それ以外にもホームレスの居そうな場所は、「何処へでも」と言った感じです。上記の場所へ行けば、顕正会員に必ず遭えます。壮年部にも男子部にも。相手の出身地を聞き出し、地方とわかれば銭湯へ連れて行き、予め用意しておいた一束いくらの安い靴下を履かせ、本部や会館に連れて行きます。本部はチェックが厳しかったのと時間が深夜になることも多いので、自宅拠点に連れて行くのが殆どです。その後、職を探してあげ住むところも決めてあげるのですが、数日経つといなくなります。後日、同一人物が他の組織(男子部も含む)で入信手続きをした事が分かる事があります。その時は、組織間で連絡を取り合い修正をします。しかし、同一人物の多重入信が、全て分かるわけではありません。浅井昭衛もこの事実を知らない訳ではありません。普段は目をつぶりながら、当事者を何らかの理由で処分したいときにこの事を持ち出します。つづく
2007.09.05
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今頃は、インチキビデオの放映会が終わった頃ですかね?浅井昭衛は、雑誌で集めたデータを並べ「日本は危ない!」「全人類が滅びる!」等と、唾を飛ばしながら叫ぶのでしょうね。私は、この大会で「新本部会館建設」の構想が出されるのではないかと、密かに思っている一人です。なぜならば、大宮の現本部会館は致命的欠陥を有する会館だからです。「本部会館に致命的欠陥がある」との情報は、私が顕正会現役時代に聞いた、確かな情報です。(当時は大変驚きました)建設予定地が「歴史的に由緒ある場所である。」とか、「建設会社のM井建設は、誠実な会社」だとか、「使われる木材は、大変珍しいもの」・「地震に強い蛇紋岩の上に建つ不思議」等、並べればきりがないほど自慢してましたよ。親子で。大いに自慢したかったのでしょう。ですから、前回のブログでも書きましたが、「災害時には、安心して避難してきなさい。」などと、自信たっぷりに言っていたのですね。(会員に対する慈悲の心ではない事が良くわかりますね)ところが、完成後しばらくして「致命的欠陥」がみつかった。結局、三階礼拝室使用禁止状態で工事を行うも、問題の解決に至らず。それより、浅井昭衛の口から本部会館の話は、一切出なくなりました。(大聖人様が、御照覧ですから。)浅井昭衛は、今の本部会館を壊したくてしょうがない。新たな五十年の出発である今日が、「新本部会館建設構想」を打ち出す絶好の機会?でるかな?でないかな?
2007.08.26
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前後は忘れましたが、当時の青年会館敷地内に設置されたコンテナ内と、一般会員が知らない本部会館内倉庫を参加者全員が案内されました。ガイドはK峰理事だったと記憶しています。当時の本部会館内トイレには、オムツ換え台が備えられていないにもかかわらず、幼児用ミルクや紙オムツが用意せれていたのには、流石に驚きました。しかし、「量は足りるのか?ミルクの賞味期限は大丈夫なのか?」等、心配は確かにありました。それ以外には、毛布・乾パン・レトルト食品・防災用グッズ等、色々と揃えているようでしたが、やはり、絶対量が足りない気がしました。浅井昭衛は、何故これ等の物を私達に見せたのか?昭衛は自慢気に「顕正会では、いざと言う時の為に、これだけのものを用意してあると、皆に伝えて欲しい。」と、のたまったのです。「でも、量が足りないだろう?」そう感じたのは、私だけ?そして会議では、驚くべき発言が浅井昭衛からありました。「皆が本部会館に避難してきても、水はたっぷりある。これは心配ない。」(確かに、豊富な地下水がある)「休むところは、男子・壮年は公園で野営。女子・婦人は会館内。」(・・・・・・・・)「食事は、朝・夕一人おにぎり二つ。三日分でよい。」「多く出して住み着かれては困るからな。あっはははは」その時、私と茶寮職員はかたまった。K藤総合女子部長とY浅婦人部長は、ともに大声で笑っていた。「安心して避難してきなさい。」と言いながら、「食料三日分」しか出さないで「住み着かれては困る」だと!?たとえば、新潟の顕正会員が交通機関麻痺状態で、埼玉の本部会館にたどり着くのに何日を要するのか?やっとの思いで本部会館に着いても「食料三日分」。「ひとを馬鹿にするな!」その後私は、座談会内で「いざと言う時の為に、自分達のための準備は自分達でしよう!」と、説いて歩きました。パフォーマンスと言えば聞こえはいいが、浅井昭衛と言う男は全てがハッタリなのです。浅井昭衛を信じる顕正会員は、浅井昭衛に裏切られます。
2007.08.14
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チェビンさん、"暖かい応援コメント"有難うございます。遅ればせながら、「晴れて法華講員になられ、おめでとうございます。」私たち家族も、ハラハラしながら見守らせて頂いておりました。トチロ~さんは、とても気配りの行き届く暖かい方です。チョビンさんとご家族が、顕正会脱会と法華講への入信が叶って、本当によかったです。同士として、今後ともよろしくお願いいたします。さて、顕正会員は「浅井先生は、私達を守ってくださる。」「地震や災害で被害を受けても、浅井先生がいらっしゃるから大丈夫。私達一人ひとりの事を、先生は真剣に考えて下さっている。」等、本気で信じている。私が、顕正会にいた時もそうだった。「朝鮮半島で動乱が起きた時、北朝鮮の武装難民が大挙日本海を渡って、新潟・北陸方面に上陸する。」とか。「大地動乱の時代に突入した。いつ、どこで大地震が起きてもおかしくない。」等と得意の演説を繰り返しながら、「その時は、この新本部会館に逃げてきなさい。」「水はある。食べ物もある。この新本部会館は、あらゆる災害に対応し、万全な準備をしてある。安心していらっしゃい。」こんなことを言われて、当然、顕正会員はその気になった。新本部会館とは、大宮にある現本部会館である。この本部会館が出来て間もなくの事である。一階大会議室で「災害対策委員会議」なるものが開かれた。幹部と茶寮職員が出席した。そこで、またもや浅井昭衛の正体を見ることになる。つづく
2007.08.14
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「なぜ、浅井先生に対しての忠誠心が大事か?」という内容で、克衛くんが長々と話をしたことがあった。主旨は、「自分達が逆立ちしても、大聖人に直接忠誠を貫くことなどは決して出来ない。自分の信心は、自分がよくわかる。だから、孤忠貫かれた先生に忠誠を貫く、先生にお誓いした折伏誓願は必ず勝つ。この忠誠心が、先生を介して大聖人に通じるのである。」昭衛が息子に言わせ全組織に浸透させるのである。全くの猿芝居である。 浅井昭衛は、「顕正会の中で大聖人様に忠誠を誓えるのは自分だけ」だと、本気で思っている男です。「気安く大聖人と言うな!」と、一喝された人がいました。それと「おまえ達に、私の真似が出来るものか」と、顕正会員を完全に見下しているのが事実です。幹部の登壇等で、「浅井先生は、会員一人ひとりの信心を昼夜にご心配くださり」とか、「末端の会員にまでお心を砕いてくださり」などと言わせていますが、実際は全く違います。日曜勤行を終え、本部会館から出てくる大勢の顕正会員を見て、「ウヨウヨいるな」と、得意になって言い放った浅井昭衛の姿を直に見た時、「ハァ~~~?????????いま、何て言った?!」と、私の頭の中は「?」でいっぱいになったのを覚えています。この男の根底にこのような意識があるわけですから、皆様もお気づきでしょうが、顕正会員に対しての処遇は、余りにも中途半端です。会館設備や災害時の対応、それと会員が逮捕されたときに派遣される弁護士。他にもまだまだ沢山有ります。登壇原稿を「大聖人様の為〃と書いたら、浅井先生〃」と、手直しされる旨のブログを拝見いたしましたが、浅井昭衛は、「この世で自分が一番」と思いこんでいる男ですから、、、ネ。私が所属する寺院のご住職様は、解散前の妙信講をよく知るお方で、当時のことをお伺いすると、「本当に身勝手な行動ばかりする困った人達でした」と仰っています。
2007.07.29
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私が顕正会に入会した当時は、まだ妙信講と呼ばれており、本部や各自宅での勤行も五座・三座でした。本部会館での勤行は、朝が浅井会長で夕はH間管理室長が導師をしておりました。解散処分を受けて間もない頃でしたから、先輩達の自宅には、日寛上人の御本尊が奉られておりました。当時の折伏(勧誘)で先輩達は、「浅井さんが間違った方向に進んだらあなたはどうする?」との対象者からの問いかけに、「その時は、自分達は妙信講を離れる。我々は、大聖人を信じているのだから。」と、答えておりました。私もそうだと思っておりました。それが、いつ頃から変わってしまったのか。克衛くんが男子部長以上の役職を持ち、親子鷹よろしく、二人三脚で独自路線を走り出した頃からだと思っています。大宮に本部が移るか移らないかの頃、こんな話が幹部の中で横行しだしたのです。「こんなことは絶対にあり得ないのが前提での話だが、浅井先生に騙されていた事がわかったとしても、先生に付いていくのが本当の忠誠心だ。」いま思えば、??????
2007.07.23
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暖かいコメントの数々、本当に有難うございます。一つひとつ、直接お答えしたいところですが、ブログの更新もままならない状態です。ご理解願います。さて、いま宗門では夏期講習会が行われています。私も家族4人で第8期に参加させて頂きました。下山してから1週間が経過しましたが、日に日に胸の奥から込み上げる暖かいものが大きくなるのを感じております。御尊師方の御講演は、初めて耳にする事や顕正会当時に聞いたものより深く掘り下げたもの等が多く、興奮状態の中で聞き入っておりました。更に、日如上人猊下様の御講義はまさに圧巻でありました。暖かさがこちらに優しく伝わってくる、とても有難く大切にしたい貴重な時間でした。私が25年以上もの間、顕正会で聞かされていた浅井の話などは、足元にも遠く及ばない代物であったと、再確認出来ました。あの頃なぜ、浅井の話を「最高」と思い込んでいたのか?顕正会の御書講義や総幹部会での浅井の話を毎回寝る間も惜しんでテープおこしをし、「感激の増幅」等と言って、鸚鵡返しのように語っていたのが何だったのか?これも、洗脳のからくりの一つであったと思っております。次回は、もう少しまとめて更新いたします。
2007.07.22
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私は、昭和51年から平成15年までの間、富士大石寺を詐称する謗法団体・顕正会に籍を置いておりました。浅井昭衛に騙されていたとは言え、四半世紀以上もの間、多くの人達を悪道に誘い込んでしまった自身の罪を重く感じております。私が知る浅井の嘘をここで暴き、一人でも多くの顕正会員を救いたいと考え、懺悔と正義顕揚の為にこのブログを開設いたしました。現在は、法華講員として家族四人、信心修行に励ませて頂いております。ブログは全くの初心者ですが、よろしくお願い申し上げます。
2007.07.18
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