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ベージュのサマーヤーンのプルオーバーが完成しました。こないだの藍色の色違いです。首周りと肩幅を微調整して、肩のボタンなしで脱ぎ着ができるようにしました。これで、丈・幅・開き加減・肩幅全てちょうどいい段数と目数が分かりました。もう毛糸ものを編み始めてもいい時期ですが、せっかく編み図ができたことだし、まだこの糸が残っているので、しばらくこのプルオーバーをしつこく編むつもりです。こないだの藍色のプルオーバーは、今年は着ないで取っておくつもりでしたが、結局着てしまっています。中に着る長袖シャツの、涼しい素材のものが世の中にはほとんど売っていなくて、手持ちのものが少ないので、そのシャツの色に合わせて上のニットを選ぶ必要があって。実際に着てみると、脱ぎ着しやすくするために付けた肩のボタンを、通常より高い位置に付けたことにより、着てからボタンを留めるのがすごくやりづらいことが分かりました。また、実際に使うボタンは内側の2個までで、少し開きが広くなるだけで首頭が入ることも分かったので、目数を少し調整すれば、開きをだらしないほど大きくしなくてもいけそうだと気づきました。その首周りのふち編みをガーターでしていますが、この目の拾い加減と、最後の伏せ止めの力加減も、これまでにいろいろやってきて、コツがつかめたように思います。*お盆に祖父母のお墓参りに行ってきました。私はどうも宗教観念が欠落していて、仏壇やお墓にお参りする意味がちっとも分からないのですが。かといって、私はパスと言ってしまうのは、母に悪いという気持ちだけは持っているのです。いくら考えても、どうもそこんところが分かんないなと思いつつも、でも実際に初盆に行ったら、自分の中で何か納得できるものがあるかもしれないと思って行ったのですが、結局今までの自分の気持ちが強くなるだけでした。祖父母が亡くなるまでは、会うたびに弱っていく姿を見ていても、いなくなってしまうことが信じられない気持ちでしたが、実際に亡くなると、喪失感というものはありませんでした。悲しいとか寂しいという気持ちになれるのは、それだけ二人がよくしてくれたからで、目いっぱい、おじいさん・おばあさんを味わったなあ、自分にとっては満点のおじいさん・おばあさんだったなあという満ち足りた気持ちがあります。お葬式の後、霊がどうのというストーリーは幻想で、実際には物質に還ったのだと自分に言い聞かせてしまったので、叔母が墓石に「暑いやろ」と話しかけながら水をかけているのを見ても、まだ遺灰は仏壇にあったぞなんて思ってしまって、どうもピンときません。思うに、これは不慮の事故などではなく、十分天寿を全うしたというべきときまで生きてくれたからではないかと。ギリギリまで頑張ってくれた姿を1年じっくり見てきたから、こういう気持ちになれるのかもしれないと思っています。亡くなっても、自分の中に二人は同じようにあって、墓石や仏壇といったモノや、霊が帰ってくるというような幻想を必要としない気持ちでいられるのは、ものすごく幸せなことだなと思います。父の実家も近いので、そちらにもお墓参りに行きました。祖父は私が物心つく前に亡くなっていましたが、祖母は十数年前に亡くなり、私はその少し前にお見舞いに行ったきりで、体調が悪くお葬式にも行けず、今回初めて墓石に祖母の名前が刻まれているのを見て、自分の中でストンと納得できた気持ちになりました。そういうものなのかな。
2013.08.27
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しっかし暑い。ほぼ毎日かき氷を食べ、レモンを漬けておいた蜂蜜をサイダーで割ったものを飲んだりして、しのいでいます。タオルを水で濡らして、手足などを冷やしていますが、日中の数時間でボール1杯分の水が蒸発して、タオルが乾ききります。2着編んだストローヤーンのカーディガンの色違いで、プルオーバーを編みました。この糸はベージュと一緒にオークションで買ったのですが、番手は同じように1/13と表示されているものの、若干太めに感じました。色も濃いので(「藍色」とのこと)、これまでのように2本取りだと暑苦しい印象になる気がして、1本のまま編んでみました(2号棒針を使用)。身頃はこれまでのカーディガンと同じに目数にしましたが、横幅は変わらず。細い糸だから、1本でも2本でも、そんなに大きく変わらないようです。丈は、カーデが長かったので、2模様分(48段)少なくしました。毎回悩むのは、首周りのライン。夏糸には毛糸のような伸縮性がないので、頭が入る大きさは絶対に開けておく必要があります。しかし、これも伸縮性のなさにより、何度も着ていると首周りが伸びてきます。私は毎日斜め掛けのバッグを左肩から右に向けて掛けたり、買い物したら荷物も全部左に掛けるので、左側のネックの編み目がダランと伸びてきて、首周りがだらしのないことに。編み物をよくする人のブログを拝見すると、すごく大胆に開けたデザインにされている方もいます。そういうものが着られれば悩まないんだけど、私にはいろいろ制約があり。また、編み物の本を見ると、サマーニットではボートネックのものが多く、これは単にデザイン性からだけでなく、こういた問題をクリアするためなんだなと、実際に編んでみて思いました。でも私は肩幅が狭からなあ。今回は、前回のカーデより若干開きを狭くして、でも頭は入るぐらいにしたつもりだったのですが、実際には頭が全然入らないという事態に。でも、これ以上大きく開けると、着ているうちに広がっちゃうし。それで、まだ綴じていなかった右側にボタンを付けることに。普通、このようなデザインにするときは左側に付けることが多いと思いますが。作りながらデザインを変更したからこうなったのですが、私は左利きなので、自分的にはちょうどよかった。ただ、本来なら、肩にボタンを付けるとき、ボタンを付ける土台に8段ガーターを編むなら、その8段分、前身頃の段数を減らさなければならないと思うのですが、もう首周りを綴じてガーターでふち編みをして伏せ止めしてしまっていたので、肩のてっぺんというか、通常より少し後ろ気味にボタンを付けることになってしまいました。その上、左右逆なので、前後ろ反対に着ているように見られてしまいそう。一番暑い時期ではありますが、本屋さんに行くと、「毛糸だま」の秋号が出ていました。ニット男子のコーナーに登場している84歳の方が、とにかくすごい。68歳のとき一戸建てからマンションに移って、それまで趣味でやっていた庭いじりができなくなったから、何をしようかなと考えていて、ふと近所に編み物教室があることに気づき、行ってみたのがきっかけで始めたとか。それを着て出かけるんですか、というような独創的なデザインですが、どれもすごく凝っていて、創意工夫がいっぱい。製図するときは、既製品を解体するところから始めるんだそう。こういうのを読むと、元気が出ます。暑い夏は、少しでも楽しいことを探して、それにかまけて乗り切りたい。
2013.08.10
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ピンクのストローヤーンのカーディガンの色違いが完成しましました。ちょっと黄色っぽく写っていますが、実際はこれよりもう少しピンクよりのベージュ。ベージュといっても、麻縄をイメージさせるような色合い。綿なんだけど、肌触りだけでなく見た目も本物の麻みたいで、とても気に入っています。ボタンは、貝ボタン 二つ穴 茶蝶貝 シェルボタンの15ミリを使用。ついでに、ピンクのカーディガンのほうにも、同じものを付けました。袖の下のほうを、少し目数に変化を付けて、斜めにしました。腕を下したときの袖の収まりが少しマシになりました。ただ、もうちょっと着丈が短めでもよかったかも。透かし編みはやっぱりアイロン(スチーム)を掛けると伸びるので、その加減を見積もるのが難しいです。同じ編み方でも、色によって印象が違って、適当な大きさも変わってくるように思います。昨晩出来上がって、今日さっそくこれを着て外出してきました。それで着ているつもり?というような、穴だらけのカーディガンなので、究極の涼しさ(もちろん、裸で歩いても暑い季節だけど)。これの下にロンTを着るのが、私にとって一番心地よいスタイルです。途中、用事で編めない期間があったものの、それを除くと作業日数はほぼ10日ほど。形や編み模様、大きさや目数などをあれこれ考えているときや、一心不乱に編んでいるときが、至福のとき。
2013.07.30
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2週間以上前になりますが、皮膚科の診察を受けました。2カ月前の診察時は、何となく悪くなりつつある気配を感じるという状態でした。その後しばらくは、ステロイドを多めにしっかり塗っても、悪化の勢いを抑えきれず、太ももなどに新たにアミロイドができたりしましたが、しばらくして全体的に落ち着いてきて、楽になりました。しかし、2週間前の診察の時点では、腕のアミロイドはまだ消えておらず、アンテベートをしっかり塗っても、左腕の外側に、光にかざしてみるとボコボコしているのが分かるという程度のものが残っていました。痒みや刺激感はありませんでした。診察から2週間経った今は、左腕のアミロイドもなくなり、アンテベートの使用量がぐっと減りました。また、診察の1週間前ぐらいに、口の端にヘルペスができ、以前もらっていたアラセナ軟膏を塗っていました。それから、今年は気候が不順で、いつまでも寒いと思ったら一気に真夏の暑さになったり、夏になったと思ったら低温になったり、それからまたドカンと猛暑になったりしていますが、暑くなってきたときに、また今年も足の指の先に水疱ができ始めました。そういう状態での、診察でした。ひととおりの症状と、足の指には毎晩弱いほうのステロイドを塗って、指を1本ずつガーゼで巻いていることを説明しました。血液検査で、3月はTARCが700台だったのが、5月は600台で、今回のTARCの結果はまだ出ていないもののLDの結果は正常値に戻っているので、ステロイドを多めに塗っているとのことだから、おそらくよくなっているのではないか、とのこと。「やっぱり、アミロイドが出ているとTARCが上がって症状が悪くなるんですね。アミロイドが出ていることが原因で悪くなっていたんですね。原因が分かってよかったです」と言われました。また、「鼻炎のほうはどうですか」と聞かれたので、春は特に症状を感じなかったが、5、6月ごろによくくしゃみをして、特に2週間ほど前に一時期、1日中くしゃみばかり出るようなときがあり、それがある日を境に治まったので、後から考えてみると、家の周りの雑草を業者が一斉に刈っていたためではないかと思った、と答えました。スギよりイネ科のほうに反応しているのではないか、ということが言いたかったのですが、先生は、う~ん、というような反応でした。後から、オノン(抗アレルギー剤)を飲んでから鼻炎も治まってきました、という展開を期待していたのかなと思いました。おなかの調子が悪くなるので、相変わらずオノンは飲んでいません。飲んだら調子が悪くなるから飲めないのに、処方し続けるから、こういうややこしいことになるわけですが。今回は、特に薬の塗り方などを指示されることもなく終わりました。自分としては、この夏が終わるまでは、薬を多め、多めに塗っておこうと思っていたので、ちょっとよくなったからと薬を減らされず、ほっとしました。今回の診察では、「アミロイドが原因で悪くなっていたんですね」という先生の言葉に、違和感を覚えました。お医者さんが言うのだから、それが正しいのだとは思いますが、私自身は、アミロイドは原因ではなく結果だという気がします。一番悪かったときと比べると、表面上はずいぶんよくなったものの、長年悪い状態が続いてきたことによる影響が全身にあって、それが悪化を繰り返させたり、アミロイドとして現れたり、足の指の水泡となって出てきたりするのではないかと思います。もちろん、その「結果」のアミロイドが、また新たな悪化の「原因」となるのだという理屈は分かるのですが。アミロイドが出るということは、その部分だけの問題ではなく、そのときの全身の状態を表しているのだと思います。だから、アミロイドが出ている部分に強いステロイドが必要なだけでなく、その他の体の部分にも、ステロイドを使って全体の状態を上げることが、アミロイドの治療としても必要なのではないかと。毎年3月に恒例のアレルギー関連のイベントの講演会で先生がしゃべっていたことが、後日新聞に載っていたのですが、アトピーをステロイドとプロトピックを段階的に使って治していく方法について話している内容を読んで、「この考え方で私に薬の塗り方を指示しているのなら、先生は私の症状を実際より軽く認識しているな」と感じました。また、ここ数カ月で朝日新聞に2回掲載された、表面のアトピーが治まった後もステロイドの使用を継続するという治療方法の記事に、悪化したアトピーは、表面上治まってもその下(奥)にまだ悪いものが残っていて、それが再発・重症化の原因となるので、よくなった後も1週間に1回などのペースでステロイド軟膏を使い続けることが、再発や重症化を防いで、結果として使用するステロイドの総量を減らすことにつながる、というようなことが書かれていたと思います。その記事の事例は子どもの症例なので、大人であればもっと積年の影響がたまっているはずで、表面はよくなっても、皮膚感覚として痒みや痛みを感じたり、アミロイドや水疱が出たりするような状態では、まだステロイドが要るということではないかと思います。まあ、理屈はどうでもいいけど、プロトピックに切り替えられるようになるのは、もっとよくなってからだったのではないかという気がします。これまで苦しんだ人が、より遠回りすることになって苦しむことになるのは、割に合わないなあと思います。とにかく、これまでは悪すぎたのだと、改めて思います。5月ごろに、何となく悪くなっていく感じだなと感じられた時点で薬をたっぷり使えたので、今年の夏はこれまでより、ほんの少~しだけ楽です。春ごろまで、「また夏のあの苦しさがやってくるなんて、受け入れられない!」という気持ちでしたが、まあきついことはきついけど、何とか受け入れている、という感じ。そして、これまではずっと戦闘状態だったからか、あまり改めて思い出すこともなかった、6年前のヘルペス(カポジ)のときのことを、なぜか最近またリアルによく思い出します。去年1年よく行っていた祖父母の見舞いも終わってしまって、祖母の入っていた病院や病室の風景などを思い出すからかもしれません。あのときは、自分ではしっかりしているつもりだったけど、今から考えると意識がもうろうとしていたなあとか、今だったら、もう母に毎日見舞いに来てもらうとか、その送り迎えに父に毎日家と病院を車で往復してもらうのは、ちょっと難しいなあとか。なんとか、この夏を無事、あまりダメージを受けずに過ごしたいです。
2013.07.30
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ストローヤーンのカーディガンが完成しました。使った糸は、透かし編みのプルオーバーに使ったもの。1キロも買っちゃったので。このプルオーバーをずっと着ているので、今回編み上がったカーディガンは当分タンスの肥やしになる予定。他人から見たら、プルオーバーもカーディガンも一緒で、ずっとピンクの服ばっかり着てる人としか認識されないから。もっと違う色だったらよかったんだけど。だから、ボタンは何かついでがあるときに買うことにして、このまま放置しときます。透かし編みの模様は、ラベリーのmon pull gris graphite を参考にしました。この柄をひと目見たときに、はかなげな感じが気に入ったのですが、フランス語で書いてあるので無理だと諦めていました。でも、しばらくしてあらためて見てみたら、模様のところは英語でも書いてありました。幅や長さは適当に編みました。着てみると、着丈はプルオーバーよりちょっと短めで、ちょうどいい感じ。幅も、夏は薄着だからこれぐらい細身でちょうど。ただ、袖がちょっと太かったかな。こういう凝った透かし模様だと、減らし目でカーブを描くのが難しく、私の頭では、肩や袖はまっすぐしか無理。テレビを見ながら編んでるんで。だから、肩下がりもなし、袖山もなしということになって、どうしても肩から脇のラインがダサダサな感じに。袖の太さは、一応腕を下したときのラインとか、いろいろ考えた結果で、これが例えば白だったら、結構悪くない気がするのですが、この色だとやたらと太い腕の存在が目立つような。淡いブルーとかグレーとか、白といった色だったら、この柄ももっと映えて、もうちょっとマシなんじゃないかと思うのですが。デザインを考えて編むって、難しいなあ。私の場合、夏も腕は出したくないし、肌に優しい素材であることは必須だし、汗をすぐ吸い取って、なるべく薄くて風通しがいいデザインで…と、条件が厳しい。世の中に売っている服を見るときも、まずそれらの条件に適っているかどうかが第一。自分の趣味とか、着てみたいという気持ちは二の次。というより、そんなことを考えていたら、着る服がない。っていう制約の中で、なんとか機嫌よく過ごせるようなものを考えて編むって、むつかしわあ。
2013.07.07
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このあいだと同じ柄で、リネンのカーディガンをもう1着編みました。使った糸は、【597】アイリッシュリネン極細の「22 スモークブラウン」。2本取りにして、2号棒針を使用。100gのコーン巻3本をほぼ使い切りました。ボタンは、貝ボタン 二つ穴 茶蝶貝 シェルボタンの15ミリを7個使用。この貝ボタン、適度に厚みがあって、色もきれいでなかなか良いです。今回は丈を2模様分(24段)短くし、肩のラインを左右それぞれ1目ずつ外側にずらし、首周りも左右1目ずつ広くしました。もう今の時期は、この茶色は似合わないけど、晩夏から初秋あたりの、まだ気温は高いけど真夏の格好はできないという時期に着ようと思っています。白のカーディガンと、その前に編んだピンクの半袖のプルオーバーの2枚を毎日着ています。どちらも透け透けで、涼しいです。自分で編んで、出来上がったらその翌日からガッツリ使うって、これはたまらん。めっちゃ楽しいっ。
2013.06.15
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リネンのカーディガンの2着目が完成しました。夜に撮ったので、色合いが妙な感じになってしまいました。ボタンは上に置いただけで、まだ付けていません。裏ボタンがないので、明日買ってきてから付けます。裏ボタンって、売っているところが少ないですが、カーディガンやベストを編んでボタンを付けるとき、裏ボタンを付けない人が多いのかな。やっぱり付けたほうがいいと思うけどな。使った糸は、【597】アイリッシュリネン極細の「21アイボリー」。2本取りにしています。真っ白ではなく、温かみのある白という感じの色です。去年「24オリーブグリーン」で編んだカーディガンがとても気持ちいいので、他の色でも編みたくなったのですが、この糸、去年のリネンと感触が違うような……。去年のものより柔らかくて、コットンかと思うほど。ふわふわです。それはいいのだけど、編んでいると綿ぼこり(麻ぼこり?)が出て、くしゃみが出まくり。ウールの毛糸でもこんなことはあんまりないんだけど。でも、スチームを当てると、シャキッとして麻らしい触感になりました。編地の柄はkittyのserranoを参考にして、形や目数・段数は去年のカーディガンを参考にして、自分で考えました。去年のカーディガンより、首周りの開きを若干小さめにして、肩のラインを少し内側にしました。前と同じ糸なんだから、だいたい同じ目数と段数で、少しシルエットを変えたいところだけ微調整すればいいと思って編んだのですが、うまくいかず、何度も編み直す羽目に。まず、後ろ見頃を前回と同じ目数で編んだら、横幅がとんでもなくでかくなったので、全部ほどいて棒針を3号から2号に変えて、目数も2模様分減らして編み直し。後ろ・前身頃と袖2枚を全部編んで、アイロンでスチームを当て、前と後ろを接ぎ合わせ、首周りと前立ての左右を編んで、いざ袖と見頃を接ぎ合わせようとしたら、これが全然合わない。見頃の脇から上が、異常に長くなっているのです。アイロンをかけたときにビシッと伸ばしたら、巨大になってしまっていて。この模様が、去年編んだ模様に比べて掛け目が多いので、ビヨンと伸びてしまったようです。縄編みがあるわけではなく、メリヤスと掛け目と2目1度の繰り返しだから、同じようなものだと思っていたのですが、柄によってこんなにゲージが変わるとは。今度からは、後ろ見頃の真っすぐの部分(脇より下)を編んだ時点で、一度スチームを当てるようにすべきかもしれません。面倒だけど。編み物の本を買って、指定の糸で、そのとおりの目数と段数で編めば、もちろんこんな苦労はないわけだけど。こんな失敗をして遠回りしながら、イチから考えて作るのが、醍醐味というもの。ええっ!! ガーン、信じらんな~い、とか言いながら編んで出来上がると、喜びもひとしおです。シャツ1枚の上に羽織っても、肌に気持ちよくて、これは夏でもしばらく着られそう。ただ、裾のガーター編みの伏せ止めがちょっと固かった。もうちょっと目数を増やすか、サイドベンツを入れればよかったかな。
2013.06.04
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ストローヤーンで編んだ、透かし編みのプルオーバーの2着目が完成しました。こないだのと、ほぼ同じ目数です。首回りをほんの少し広げて、袖をほんの少し長くしました。透かし編みの模様は、ラベリーのこれを参考にしました。Sagebrush 昨日の夜出来上がって、今日午前中さっそく着てそこらを歩いてきました。自分でこの糸を買っておきながら言うのもなんですが、私、ピンクって苦手なんです。赤系統を着ると、皮膚の状態によって、ひどいことになります。だからいつも枯れ色とか、せいぜい緑。でもなんだか最近、明るい色に目が行くように。この糸も画面で見たときに、なんとなく着てみたくなりました。でも実際に着て外に出るとなると、ヨイショと気合が必要。何度も母に、おかしくないよね? と念を押した末、意を決して出かけました。下に茶系の長袖Tシャツを着て、下はグレーぽいデニム。自分が気にするほどには派手でもないようで、着心地もよく、なかなか楽しかったです。穴あな透け透けな上に、擬麻加工されているので糸に張りがあり、涼しいです。毎年、春から今ぐらいの季節に着る服に困ります。寒いときは暑さで痒くなることもないのでいいのですが、春以降は少し動くとすぐ暑くなって、汗をかくし痒いしで、行動範囲が狭まります。少しでも涼しく快適に過ごせる素材を、探しています。去年編んだリネンと、このストローヤーンの他に、抄繊糸(しょうせんし)という和紙の材料を使った糸や、竹を使った糸にも興味があります。去年、初めてアイリッシュリネンでカーディガンを編んでみて、とてもよかったので、また同じリネンで編むつもりでいます。
2013.05.23
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先週の木曜は、皮膚科の診察日でした。今年は花粉の影響も感じなかったし、春以降も例年より涼しい日が続いて、楽ちんだなあと思っていました。それが最近、ちょっとまた悪くなる兆しを感じ始めていた矢先の、診察でした。特定の場所に、目で見て分かりやすい湿疹が出ているというわけではないのだけど、自分では、そこはかとなく「来てるな」と分かる不快な感じ。待合室で待っていても、1時間以上待つからここで不足している睡眠を補おうと目をつぶるものの、じっとしていたくても足がピクッと、勝手に動いてしまう。顔にちょっと何かが触れただけで、ワワワッ痒みが広がる感じ。顔に少しでも髪がかかると痒いので、ずっと髪をひとつにひっつめていますが、そんなに神経質になる必要もなくなってきたなと思い始めていたのに、そんなふうに思えたのも、いっときのことだったなあ~とがっかり。1日の後半になると、脚や背中が「早くステロイドを塗って」と言っているような感じで、お風呂上がりに塗って、皮膚がホッと落ち着く瞬間が待ち遠しくなっていました。いつ、どこから悪くなったの? なんで? と聞いてくる先生に、いや、これと分かる原因は思い当たらないし、この日から! とはっきり分かる感じじゃなく、気が付けば何となく最近……という感じで、特定の部分が悪くなるというのではなく、全体的な感じなんですと、説明しました。すると、「なるほど。今の話を聞いて、何が悪いのか分かりました!」と、バシッと言うので、何を言うのかと思ったら、「それは、悪くなる気配があるのに、指示どおりに塗ることにこだわり過ぎて、薬が足りていないんです」と。ステロイドを塗らないと治まらないときでも、プロトピックを使ってくださいと先生が言うので、ハイハイとは言ってはいるものの、実際にはステロイドを使っているんですが、それを言えない状況になっているわけです。私も、悪くなるのをただ傍観しているほど、アホでもお人よしでもないんです。これまで再三、「ここはプロトピックを塗ってますよね」「あ、えー、今はステロイドを塗ってます」「いや、むしろプロトピックのほうが効果があると思いますよ。ステロイドをあんまり使うと、皮膚が薄くなると困るしね」とか言われるので、使えないプロトピックが、冷蔵庫に大量に眠っているんです。悪くなってくると、プロトピックを塗っても、それによって皮膚感覚に何か変化を感じることはないが、ステロイドを塗ると、その瞬間から皮膚の刺激感が治まって楽になるとか、夕方頃になるとステロイドを塗るのが待ち遠しくなる感じだというのは、私にとってはもう何年も前から当たり前の感覚なのですが、たぶん先生は、そういう話を聞いたことがなかったのだと思います。赤ちゃんや子供は、そんなふうに自分の感覚を詳しく説明することはないから。自分自身ではなく家族のために医師と話しているなら、私ももっと無遠慮に言えるのですが、自分自身の体がうまくいかず何年の世話になるとなると、それは違うやろとは言えないし、表面以外の苦しい部分を、聞かれもしないのにアピールしにくいわけです。「長年、全身の広い範囲に炎症がある状態なので、今までと違って表面的に目立った症状がでなくなってきてからは、そういう皮膚感覚のようなものを感じて、適切に対応していくのが、より重要になります」って、私に言わずに、自分で日記にでも書いておいたらどうかと思いました。そういうことを今までも考慮していたら、これまでのような対応にはなっていなかっただろうと思います。別に、1回1回の診察で、見得を切ってもらわなくてもいいんです。ぼんやりと、なんでやろなあ~、といった感じでも全然構いません。ただ、第三者の客観的な目でもって見て、もっと関心を持ってもらえれば、こちらとしてももっと突っ込んだことが言えるし、先生もいろいろ知ることができると思うのに、要らん見栄が邪魔して、不毛だなあと思います。これまでは、アミロイドのあるところにはアンテベートを塗り、その周辺は弱いステロイドとプロトピックを隔日で塗り、その他の体全体には、隔日で弱いステロイドを塗ることになっていましたが、プロトピックは一時やめて、毎日弱いステロイドを塗るように言われました。まあ、実際はもうそのようにしているので、全体的にたっぷり目につけるようにしています。顔は、今までは塗らないと駄目な感じになったときだけ、少しつけるという感じでしたが、今は毎日、多めにつけています。何年か前は、もはやニキビとはいえないような、大きなしこりみたいなものが常に奥にありましたが、ディフェリンをかなり長いこと使って、まあボッコボコがボコぐらいには治まっていましたが、最近また活性化してきていました。それが、プロトピックを多めに塗るようにしたら、顔の皮膚の刺激感が治まってくるのと同時に、奥のほうにあった大きなしこりが消えて、するっとした表面になってきました。これまで、湿疹の治療とニキビの治療は、相対するもののように感じていたので、驚きました。これまで、顔に限らず、脚にも腕にも、巨大な化膿のおできがしょっちゅうできていた時期がありましたが、あれはアトピーが悪くなって体が闘っているときに出る、副産物のようなものの何かが関係して出ていたのかなと、あらためて思いました。体にも、意識的に多め、多めに塗るようにしたところ、よく眠れるようになりました。最近は、急に暑くなってきて、外を歩くと体や頭の皮膚がピリピリ、チクチクと刺すように痛かったのですが、気温が日に日に上がっているのに、皮膚感覚は少しずつ楽になっているように感じます。ただ、太ももの外側に、アミロイドがたくさん出てきました。少し前から、衣服が擦れると痒い感じがあり、ステロイドを塗っていたのですが、この部分に関しては、悪くなるスイッチが入って、抑えきれていないという感じです。アンテベートをしっかり塗っています。この夏は、ステロイドを今までより積極的に使っていこうと思います。
2013.05.23
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ストローヤーンで編んだ、透かし編みのプルオーバーが完成しました。2本取り、2号棒針。12目×10段で一模様の透かし編みを、横に10回(プラス両端に1目ずつ)で122目(52センチ)。縦に20回(つまり200段)で53センチ。肩下がりもなく編んで、袖は横に8回(プラス両端1目ずつ)×縦に4回、透かし編みの繰り返し。ただ、四角をつなげただけのシンプルなデザインです。ボタンを付けるのが面倒くさいから、プルオーバーにしたのですが、首の開き加減の調節が難しく、2回やり直しました。ビヨンと伸びた感じにならないように、最初は引っ張り気味に首周りのガーターを編んでいたのですが、出来たのを着ようとしたら、ぜんっぜん頭が入らなくて。糸はオークションで買ったストローヤーン。夏はサラッとした着心地のものを着たいので、トロンとした感触のものより、シャキッというか、パリッとした感じのものがいいように思いました。ネットで調べると、ストローヤーンっていうのはこんにゃくの成分で擬麻加工を施した綿糸のようです。シャリッとしているので、着ても肌に接するところが少なく、涼しいのではないかと思います。この色はちょっと派手で、着るのに気おくれがするんだけど。中に、白いロンTを合わせようかと思っています。
2013.04.24
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編み始めたのはいつだったっけ。何か月も放置していましたが、ようやく仕上げることができました。カーディガンと。ベストのアンサンブルです。ボタンは、いいのが見つかったときに付けます。使った毛糸は、【313】メリノウールの「11 シェアーグリーン」。おそらく昭和50年代の古い雑誌の切り抜きを母が綴じたものの中にあった、編み図を見て編みました。この毛糸の「06 淡赤茶」で、同じアンサンブルを母が自分用に編み、私はこれを、叔母用に編みました。姉妹で、おそろ。くれぐれも、同じ場所に着て行かないよう願いたいところ。このベストの柄は母のお気に入りで、私が小さいころから、母は自分用に何枚も編んで着ていました。ただ、体格ががっちりみっちり、そこそこ巨乳なので、このダイヤが縦長ではなく、横長になるのです。子どものころの記憶では横長のダイヤだったのに、今回編み図を見たら縦長だったので、そうだったのか~と、笑ってしまいました。カーディガンに、初めてポケットを付けました。裏から付けるタイプです。すごく難しいんじゃないかと思っていたけど、やってみたら意外と簡単でした。でも、仕上がりがあんまりきれいじゃない。薄手なので、下手さが余計目立ちます。袖や襟ぐりの接ぎ合せるところとか、Vラインのゴム編みの目を拾うところなど、すっきりときれいにいっていないところが気になります。言い訳をするわけじゃないけど、何か月も間を空けて編むと、手が狂ってしまって、目がそろわないし、接ぐときの縫い目の間隔や糸の引き具合も変わってしまったりするので。もう毛糸ものを着る季節も過ぎてしまったし、叔母にあげないで、自分で着てもいいかなとも思っています。製造者責任ということで。最近、私がもっぱら着ているのは、去年編んだ、リネンのカーディガン。1年も着たら伸び伸びのヨレヨレになるものと思っていたのですが、2年目も活躍してくれて、めっちゃうれしい。自分で編んだものを着るって、めっちゃ楽しいです。今は、オークションで1キロ1,000円で買ったストローヤーンで、透け透けのプルオーバーを編んでいます。透かし編みの編み図だけ、本を参考にして、全体の目数やデザインは行き当たりばったり。ちゃんと着られるものができるのか、自分でも甚だ疑問。
2013.04.17
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先週のアエラを立ち読みしたら、現代人はネットに頼る癖がついてアホになっているというようなことが書いてありました。記者自身も、手紙の書き出しに「猛暑の折」と書こうとして「暑」の字が浮かばなかったとか。ある若者は、人のブログを読んで影響を受け、フェイスブックやツイッターをはしごして、勧められるままにアマゾンで本を選んで読んでいる自分に気づいて怖くなり、いつも持ち歩いているスマホだかノートパソコンだかを家に置いて、1か月国内を旅して回ったが、しばらくの間、自分のツイッターが気になってネットにつながれるスポットに行きたい要求をこらえるのが大変だったとか。一方で、そういう変化は退化ではなく、むしろ進化だという人もいる。ネットから瞬時に膨大な情報を得られるようになったのだから、これに関しては覚えなくてよいというものは、覚えずともよい。ネットは第二の脳だとか、外部にある脳だとか、そんなことを言ってたっけか、そこまでは書いてなかったかな、私の脳もアホ化が著しくあやふやですが。私が思うに、記憶しているかどうかの問題ではなくて、思考が浅くなっているのでは。それと、短絡的というか、すぐに劇的なものを期待したり、それほど大きな問題ではないのに、あっさり一線を超える傾向があるような。最近の政治経済の世界は、私にはどうもSFちっくに見えて理解できないなあ。*「再起 」(ディック・フランシス)を読みました。競馬シリーズの中の、シッド・ハレーのシリーズの4作目ですが、3作目の「敵手」を私はまだ読んでいません。ずっと翻訳してきた菊池光氏が亡くなり、作者自身も年を取って、6年ぶりに書かれたというこの作品は、ああ、時代が変わったなと思わされます。何といっても、探偵がインターネット検索をしまくって、これがないときによくやっていたものだというようなことを言うのだから。ITを駆使した場面が出てくるものはいくらでもあるけど、こういうものをこの人が書いていることに、驚きました。もちろん、自宅のパソコンですぐに得られる情報を、わざわざ官庁に出向いて閲覧したり、歩き回って聞き回る場面を書かれてもばかばかしく感じるだけだけど、読み終わったときに思い返してみると、人に会って聞き出したり、危ない橋を渡って証拠をカメラに収めたりという場面に比べると、印象が薄くなるように思いました。でも、これは86歳になって書かれたものだということを考えると、息子が協力したとはいえ、新しいシステムに対する深い理解に驚きました。単に、主人公が携帯電話やパソコンやネットを使いこなしているだけでなく、ネットが社会に浸透することによって、かつてはせいぜい競馬場で現金を賭けていた程度だった大衆の賭博が、全く違った性質を帯びるようになったことによる危険性というものを扱っていることは、この人らしいと思いました。全体的に、これまで読んできたものよりサービス精神が旺盛で、ジェフリー・ディーヴァーのものを読んでいるみたいだと思うところがいくつもありました。時代が変わったということもあるし、作者が年を取って丸くなったということもあるのかもしれないし、息子さんの影響もあるのかも。読みやすいし、面白いのだけど、その変化にちょっと寂しさも感じてしまいます。でも、シッド・ハレーの人生がこのように、いい形になっていくという話の展開は、これまでの苦闘を読んできたものにとってうれしいです。まあ、とにかく、この人の話は、初めの印象でいい人はたいていいい人だし、性悪な人はだいたい悪者だから、いい人に肩入れして、悪い人を目の敵にして読んでいれば、最後に気分よく読み終えることができます。「敵手」は見つけたら読みたいですが、この作品以後のものは、読まないと思います。
2013.04.08
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昔、ダシール・ハメット&ポップコーン♪というフレーズが出てくる歌がありました。そのときは、ダシール・ハメットって何? え、昔の小説家? なんか、気取ってるなあと思っていたような。本屋でこの名前を見かけるたびに、この歌が頭ん中を流れ、いつか読みたいと思っていました。で、「マルタの鷹」(ダシール・ハメット)を読みました。この主人公サム・スペードは、映画でハンフリー・ボガートが演じた、らしい。そう聞いても、幸い視覚的イメージは全然湧きません。ミステリ小説の後ろの、他の本の宣伝のページに絶対出てくる人の一人だから、難しい感じなのかと、ちょっと近寄りがたい気がしていたけど、これはほんとにポップコーン片手にって感じ。いや、ポップコーンはちょっと胃にもたれるから、あられとかで。チャンドラーのように教訓じみたところがなくて、よくいえば、より娯楽に徹しています。読む者を楽しませる要素を盛り込んだ、生活のための大衆娯楽小説だと思います。格好をつけるための小道具は紙巻煙草だし、女性の描き方といい、時代を感じさせます。早い話が、高価な「マルタの鷹」を強欲な人たちが血相を変えて手に入れようとする、というお話。といっても、宝探し的なお話としては全然面白くない。滑稽なほどのだまし合い、駆け引き、はったりを繰り返す展開を読んでいると、だいたいオチはこうなるだろうなと読めてきます。むしろ、主人公スペードは、今この時点で何を考えているのか、何をたくらんでいるのかとか、ブリジッドという人物は、天使なのか悪魔なのか。そのあたりを、登場人物が互いに相手を探ったり、だまし合いをしているところを読みながら想像をめぐらすのが、面白かったです。まだ、この1作だけでは、この作者がどういうものを書く人なのか、よく分かりませんが、これを読んだ限りでは、主人公は高潔すぎず、現実味のある描き方になっているように思いました。例えば、ロバート・B・パーカーのスペンサーだったら間違いなく良き人で、意志が強く摂生のかたまりみたいな人物。サラ・パレツキーのヴィクは常に誘惑とたたかっていて度々敗北するけど、権力や巨大組織の悪が我慢ならない。ディック・フランシスの描く主人公は、どれも優秀で正しくて完璧。それに対して、このスペードは決して高潔とはいえず、理想に燃えてはいません。作者自身、実際にこういう稼業もしていたから、あまりにヒーロー然とした人物は書けなかったという面もあるのかなとも思います。後ろの解説を読むと、作者本人の人生の諸々の苦悩や迷いが、出ているのかなとも思いました。全体を通して、ほぼ気楽に娯楽として楽しめるのですが、ただ一カ所、難しい部分が出てきます。それは、スペードがブリジッドに語る、フリットクラフトという人物についてのお話。小説全体の展開には全く必要ない部分に思われ、これはいったいどういう意味なんだろう、何が言いたいんだろうと、最後まで引っ掛かりました。フリットクラフトについてのお話自体は、面倒なので書きませんが、要は、フリットクラフトとは「月と六ペンス」のストリックランドのように、人生半ばで家族を裏切り蒸発した男性で、ただ「月と六ペンス」とは違い、結局第二の人生でも、初めの家族と変わらないような家族をつくって、同じような人生を送るということ。思いもしない出来事が起こったことをきっかけに、ものの見方が変わったり、世の中や人生に対する考え方が変わったりすることは、誰にでもあることで、実際にこういう選択をするかは別として、説明としてはよく分かります。特に、強く印象に残ったのは、次の部分です。「その出来事までのフリットクラフトは、外からの圧迫によってではなく、周囲に同調することで最も安らぎが得られるタイプの人間だったという単純な理由から、良き市民であり、良き父であり、良き夫であるような男だった。」これは、うちの父親のことのように、私には思えました。いい人でいられるのも、運次第なのかもしれない。でも、その真価が問われるのは、何か事が起こったとき。そんなことを、改めて思いました。それにしても、この挿話は、この小説の中でどういう意味を持っているのか、さっぱり分かりません。作者の実生活での、迷いや苦悩が表れているようにも思えます。主人公に、そういう自分の中で大きな位置を占めているものを、世の中に向かって語らせたかったのかな、とか。でも、基本的にあんまり深読みしすぎるより、これは手軽な娯楽小説として楽しむのがよい、という気がします。
2013.04.05
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去年、駅前の商店街に岸和田とかに昔からある魚屋さんがやってきて、おいしい魚が買えるようになりました。そこで、今年はいかなごを4キロ買いました。もちろん、母がくぎ煮をカタキのように作るためです。出来たのを、叔母や叔父んちに送って、「うちでも作った~」と言われました。うちも、伯母んちからくぎ煮が届いたのに、作ったんだから。あれは不思議だなあ。なんで、それぞれの家で作っているのに、あげたくなるんだろうか? もらったものがあるのに、大量に作るんだろうか??先週、久しぶりに、めっけもん広場に行きました。途中で叔母をひろって。雨のぱらつく日で、父の運転する車に乗っていくのは本当に命がけでした。行きたい、でも行きたくない。という心境です。目的は、はるみと加工用のイチゴです。最近は、スーパーでもはるみを置いているところがありますが、日が経ってシオシオになってたり、小さかったり、高かったり。そもそも知っている人が少ないから。今年は春になっても、しばらくはデコポンとか他のかんきつを食べていたのですが、やっぱりどうしても食べたくなって、行こか、となりました。加工用のイチゴは、全体的に小粒でふぞろい。でも普通のものの半値ぐらいなので競争率が高く、開店直後に行かないと買えません。行った日は、うちが12パック、叔母が15パック買って、すぐ売り切れました。テロです。それをイチゴジャムにしたら、家じゅうが飴の中に入っているかのような、甘~い匂いになりました。この春は桜が早く咲いたので、ここらで通り抜けと呼んでいる桜並木にも、町内会のおっさんらが提灯を付ける間もなくて、よかったです。毎年よそから車で乗り付けて、焼き肉をしたり音楽を鳴らしたりわめいたりする人たちも、今年はいません。ただ、毎年お弁当を作って、母と花見をしていましたが、今年は母がそこまで歩けないので、できません。今日は風があって、ちょっとひやっとする空気だったので、久しぶりに本腰で歩きました。ちょっと足をのばしたら、山桜とか山吹も咲いているのが見れました。暑くなかったら永遠に歩けるわ、疲れ知らずや、と思いましたが、家に帰りつくころには、さすがにヘロヘロになりました。しっかり歩いてヘロヘロになるのは、気持ちいい。何年も、毎日ちょっと動いただけでヘロヘロになってたのは、何なんだろうなあ。あの頃は、くたくたでもグダグダでも、歩くのをさぼったらもっと体力がなくなると思って、必死に歩いていましたが、元気になってみると、しばらくサボって久しぶりに歩いたからって、すぐにバテたり筋肉痛になったりしないものなんだと分かりました。ただ今、春を満喫中です。
2013.04.03
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「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング)を読みました。何か月か前に読みだしたものの、さっぱり読めない日々が続いて放置していたのを、ようやく読了。確か、トマス・H・クックの本の中で、この本のことがちょろっと出てきて、読みたくなったんではなかったかな、何の本だったか忘れてしまったけど。本を読んでいると、こうやって読みたい本が芋づる式に増えていく。「十五少年漂流記」みたいなものだとか、子どものころに読みましたという感想をよく目にしたので、その手のものだと思って読み始めましたが、思っていたものとは少し違いました。だいたい私は冒険ものは好きじゃないので、そういう部分は端折って読んでいるところがあるのかもしれないけど、これは要するに、話全体がメタファーになっているのではないかと思いました。ちゃんと小説で読んだことはないのですが、「ガリバー旅行記」みたいなものではないかと思いました。あれも、前々から読もう読もうと思いつつ、本屋で手に取るたびに、なんか、しち難しそうで、ま、いっかとなってしまっています。書かれた当時は戦争中で、作者も戦争に関わる体験をしていることから、戦争という現実がチラチラ出てきますが、今の時代に読むと、また違ったものが頭に浮かんできます。政治的なこととか、もっと個人レベルの人間関係とか、読みながらいろんなことを考えさせられました。初めのころは、ピギー以外の子どもたちはみんな、読んでいるこっちが驚いてしまうほどのんびりしていて楽天的なのに、少しずつ変化していく、その様子の描き方がすごいと思いました。無垢な子どもたちが、麻痺して自分で考えられなくなる様子や、集団で誤った方向に行く心理など、だんだんと醜い心に支配されていく様子を読んでいると、今の世の中で起こっているいろんなことは、必然なのかなあ、でも、人間の英知でそこを乗り越えていけないものなのかなあというようなことを思いました。
2013.03.27
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先日、皮膚科の診察を受けました。2か月ぶり。最近は特に悪いところもなく順調で、アトピーのことが日常で頭を占めることが少なくなって、2か月前はどうだったかが思い出せないほど。この日記を見て、復習してから行きました。左のももにアミロイドが出ていたことなんて、すっかり忘れていました。腕には、奥のほうには一部気配がありますが、刺激を感じることはありません。背中の上部には、少しブツブツが残っています。去年の夏に、アミロイドが悪くなって腕に、ステロイドを塗った上から薬包紙と腕カバーで覆っていたときのことを思うと、よくなった思います。時々、一日のうちに、ワッと赤いものができたりします。普通の湿疹とは違うように思いますが、薬をつけると数日で治まります。前回(1月)の血液検査では、TARCは400台だったそうです。その前(12月)は600台でした。今回の結果が分かるのは、また2か月後の5月。何のこっちゃという感じですが。とにかく、順調なのです。で、今年も、花粉症はどうですかと聞かれました。ちょっとくしゃみをする程度で、症状は感じないし、年々花粉の気配を感じることがなくなりましたと報告。そうですか。よかったですね。今年は、ずいぶん皆さんひどいって言いますよね、と先生。え、そうなんですか? と、世間のことに疎いので、すっとぼけた答えしかできません。続けて、それはオノンがきっと効いているんでしょうね、と言われて、飲んでませんといえず、ぼや~っとテンション低く、ハイ…と答えてしまいました。飲んでないのに、調子いいんだよなあ。困ったもんだ。オノンを続けていくのがいいですね、って言われてしまった。ほな、便秘薬代わりにでも、使うかね。アミロイドにも、アンテベートとプロトピックを隔日交代で塗る方法が効いているみたいだから、もう少しそれを続けてくださいと言われました。実際には、アンテベートは塗っているけれども、その量はだんだん減っており、プロトピックは塗っていません。ステロイドを塗らずになんとかいけるときは、プロトピックの必要は感じないから。先生は、ステロイドが減って出てくる痒みを抑えるためにというけれども、アミロイドが出ずに痒みだけ出ることはないので。自分にしか分からない感覚があるから、自分でいいようにしていったらいいと思うけれども、治療の期間がこれだけ長くなると、だんだん先生の中のストーリーと現実がかい離していくなあ。
2013.03.26
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年々、花粉の影響が少なくなってくるのを感じます。天気予報の花粉情報は「非常に多い」ばっかりで、毎朝洗濯竿やベランダの手すりを拭いても、黄緑がかった花粉(黄砂とPM2.5混じり)がしっかり付きますが、症状はほとんど感じません。ちょいちょい、くしゃみをする程度です。半年ほど前から、オノンという抗アレルギー剤を処方されていますが、おなかが適応してくれないので、いまだに飲めていません。好酸球を下げる治療を拒否しようという気はなく、前向きなんでありますが、如何せん体がついてこん。飲み始めて調子を崩したおなかの調子が、何か月もかかってやっと安定してきたと思ったのもつかの間、こないだ、おできを切ったときに出された抗生物質の影響で、元の木阿弥(胃薬は飲んだけど)。いつも飲んでいる、セファランチンも一時やめて、最近ようやく再開しだしたところ。だから、ゆくゆくこのオノンを飲めるようになれば、より一層、アレルギー症状が治まって、花粉のカの字も感じなく、なるのだろうか。私自身は、そこんところは非常に怪しいものだと思っていますが、とにかく、そういう飲むべき薬を飲んでいない中での、花粉の飛散をあまり感じないこの体調は、うれしいです。もちろん、皮膚は相変わらず安定して症状がしっかりあります。最近は、疲れやストレスなどで、1日にしてワッと出る傾向があります。アレルギー的な要素は、年々少なくなっている気がします。聞くところによると、この冬は近年まれに見る寒さだったらしいですが、本当に私もその中で過ごしていたんだろうか?私の実感としては、この冬の寒さは、とっても楽ちんでした。まあ、機嫌よくコロコロと、チョッキやセーターやカーディガンを着込み、足元は毛糸の靴下2枚で、湯たんぽをして毛布を足に巻いてぬくぬくしていましたが。寒いときはどんなに厚着をしても、体の芯が冷え冷えで、ちっとも効果はありませんでした。今は、気温が低いということは感じても、自分の体の内から体温が感じられるから、あまり体にこたえません。しっかり食べているし(しっかりすぎる)、毎日歩いている積み重ねもあるような気がします。筋肉が、血流を上げてくれるのではないかと思います。こないだからしばらくのあいだ、あまりたくさん歩けなかったときも、ほとんど足に力を入れず、ほとほとと歩いていましたが、それでも毎日歩いていると力がついていて、普通に歩いている人を追い抜いてしまっていました。そんなことを言うと、母がうらやましがります。ついこないだまで、母のほうが長時間、長距離を歩いていたのに。ヨチヨチと近所をリハビリを兼ねて散歩に出て、どうしたの? と声を掛けられるたびに、だからね、美人なだけじゃだめなのよと、訳の分からんことを言っています。とにかく、歩ける体の人は、ガンガン歩くのがよろしいです。
2013.03.12
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去年の3月に、夜寝入りばなに意識消失してから、1年。あれ以後、口には出しませんが、常にそのことは意識していました。薬をまた飲まないといけないかなとも思いましたが、結局飲まずにそのまま何とかなっています。丸1年、時間をかけてやめたのだし、それと時期が重なるようにして、神経の痛みの症状が出るようになったこともあって(今日も久しぶりに動きたくないぐらいのものが来た)、あの種の薬は、相当のことがなければもう飲めないという気持ちでいます。正直、あのときはびっくりしたけど、もしかしたらあんなふうに、あるときからふっと意識がなくなってそのまま何にも分からずに死ねるのかもしれないと思ったら、それはもう恍惚という言葉が浮かんでしまうほど。親に迷惑さえかけずに済むなら、それは素敵だなあと思います。ほぼ1か月に1度くらいの割合で、視覚異常は起こります。それは以前から変わらずで、現状維持なのですが、最近は、今までになかったことも起こります。まず、1年前のあの発作以降、頭の特定の場所が痛くなります。頭痛というより、もっと外側のある特定の場所が、物理的にというか直接的に痛い感じ。それから、先月には、視覚異常がいつもと違う展開に。これまでは、視界の左上でしたが、真ん中に出るようになりました。見えるものも、全く違う種類のものです。時間もこれまでのものよりかなり長い時間でした。そして今月になってからは、聴覚の異常も起こりました。朝起きたときから、左側の聞こえがおかしく、聞こえにくいのではなくて、どちらかというと聞こえ過ぎというか、小さく聞こえるはずの音が異常に大きく聞こえるような、空間の認識を間違っているような感じ。その聴覚の異常は、午後に10分ほど机に突っ伏して昼寝をして、起きたら治っていました。治ってみると、音が異常に大きく聞こえているように感じていたけれども、実際には、普通なら簡単に聞こえるはずのものが全然聞こえていなかったことに気づきました。いろいろなことが起きているような気がしますが、とりあえず今のところは、どれも自分の感覚の問題なので、言わなければ第三者には気づかれません。家族に心配させたくないので、ずっと言わずにいますが、だんだんこう、たまってくるっていうか。そんなわけで、ここに書いてみました。
2013.03.12
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痛み止めで思い出しましたが、母も年末年始にかけての最悪期のときに、病院から出された痛み止めを飲んでいました。それもロキソニンの亜種みたいなものでしたが、身動きがとれないほどの痛みだったので、再びその痛みが出るのが怖いと言って、10日以上飲んでいました。必要以上に肉じゅばんを着込んでいるため、人より暑がることはあっても寒がることはない人なのに、寒い、寒いと、エアコンやストーブを付けまくるようになりました。確かに動いていないわけだし、何といっても冬だし、寒いと言うのは正しいんだけど、外から帰ってきたら家の中がモア~と暑くて、おかしいんじゃないかと気になりつつ、何がどうなっているのか分からずにいました。そうしたら、ある朝母がふと、この痛み止めかな? と言いました。母は、前から度を越した低体温で、35度ぐらいになることはざらだったのですが、改めて計ってみると34度台でした。そう言われて、よくよく考えてみると、あれは解熱鎮痛剤というんだった。鎮痛のほうにばかり気を取られていました。病院で薬を出されるときに、このようなことが起こる可能性があるからと、特に注意されたこともないようだし、3週間分ぐらい出されていて、全部飲んでも大丈夫だと言われていたようだから、誰もがそうなるということではないと思うけれど、母の場合、もともと体温が低くなりやすい傾向があるから、そういう薬の影響を受けやすかったのではないかと、遅ればせながら気づきました。服用をやめたら、やっぱり異常な低体温は収まりました。一番痛みがひどいときには、やっぱりあの痛み止めがとてもありがたく、あれがなかったら、母は寝たきりになって何もできない年寄りになっていたのではないかと思います。痛みの信号をいったん止めることが肝心で、必要なときは使うべき薬だと思いますが、痛みが引いたらなるべくすぐにやめるべき薬だなとも思いました。今回のことで、薬の影響は、誰もが同じように出るのではなくて、その人の弱い部分に出やすくなるのだなと思いました。で、母のその低体温は、なんでそうなるのか?私は、甲状腺の手術をしていることが、怪しいような気がするんだけど。もちろんチラーヂンは飲んでいるし、血液検査でも量は足りていると言われているのだけど。今、ずっとなっている、足や腰の痛み、筋力の低下も、その線が気になっているんだけど。本人は、手術後も定期的に病院で診てもらって、検査も受けているから、それはないと考えているんだけど。お医者さんを信じても、宗教じゃないんだから救われないと思うんだけど。ただ、もう一つ思うのは、去年の後半に母の両親が続けて亡くなって、四十九日が過ぎた直後に悪くなったということ。お葬式の前じゃなくてよかったと、口癖のように言っていますが、やっぱり何かがっくりきたのかなと思ったりもします。脳の、筋肉を動かすために必要な物質を出す力が、弱まってしまったとか。まあ、まだコンニャロという気があるみたいなので、大丈夫だと思いますが。
2013.03.12
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去年の夏に、取るように言われていたおできを、ようやく先日取ることができました。暑い時期だと大変だから涼しくなってからと言われていましたが、涼しくなっても一向にその気配がなく、やらないんですかと聞いても、まあ今度と言われ、その2か月後に聞いたらば、え、何ですかと、すっかり忘れていて、来月忘れずに私に言ってね、私は忘れると思うからと言われて。先月は診察室に入ってすぐに、まず一番に言っておかないとと思って来たんですと、言ったのに、普通に診察を終わろうとするので、いやいや先生だからと、2度も催促してようやく日取りが決まりました。なんで、最初に診て「切ったほうがいいですよ」と言ったときに、カルテにメモを挟んでおくなり、何カ月か先のスケジュールを手術する先生と打ち合わせておかないのか不思議でした。で、2月の下旬に取ってもらい、昨日は抜糸でした。膝の外側に、何年も前からあったもので、最近は徐々に大きくなってきて、夏場は根元がかゆくなったり、汁が出たりで不快でした。それで取ってもらいに行ったところ、呼ばれた部屋に入ったら、子どもみたいにかわいらしい先生でした。何となくそんな予感はしていたけど。で、寝転がって、切る部分だけくりぬかれたシートを掛けられて、先生は手に麻酔の注射を持って、まさに今から始めますという段になって、あ、同意書、書いてませんね。って。そこに書いてあるのは、こういうことです、いいですか? って。そんな何とも間の抜けた感じで、とにかく30分ほどで終わりました。縫ったのは、5針でした。その当日は、表面の麻酔が夜まで効いていて、消毒するときも皮膚の感覚がありませんでした。翌朝起きると、奥のほうに何と言えない痛み。おかしな話ですが、足の痛みのために、手の力が入らなくて、いつもならすぐに開けられる、湯たんぽの栓が開けられず難儀しました。気がつくと、何時間もじっと座ったまま身動きせず。すぐそこの物を取るのもいやな気分でした。出してもらった、痛み止め(ロキソニン)がとってもありがたかったです。曲げ伸ばしをする場所なので、なかなか不便な生活でした。外を歩くものきつかったのですが、母は相変わらずの状態なので、買い物に出なければなりません。いつもは何とも思わないけど、世の中、何でこんなに階段が多いのか。でも所詮切り傷なので、母と違って、日に日に、着実によくなっていきました。普段、体のあちこちに神経の痛みが出て、それを我慢することに慣れてしまっているせいか、これって痛いのかな? と、自分でもよく分からない感じがしていましたが、日に日によくなるにつれ、ああ、やっぱり痛かったんだと気づく毎日でした。ぬれないようにしろとのことだったので、お風呂には、膝にラップを巻いて入りました。なんか、ガーゼが大量にあるけど、これは何のときに買いだめしたやつだったっけか。医療用の紙テープも、尋常でないほど買いだめされており、それを見てしばらく悩んだ末に、半日ほどしてようやく、腕のアミロイドが悪いときに、何やかんややっていたことを思い出しました。切った後で、こういうものを薬局で買ってねというリストを渡されましたが、そういうものが、大量にストックしてあって助かりました。あのリストは、当日までに渡しておいてもらわないと、困ります。ま、とりあえず、何とか気温が低い時期に済ませることができて、ほっとしました。
2013.03.12
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先週の木曜日は皮膚科の診察日でした。今も全体的にそこはかとなく湿疹がある皮膚ではあるのですが、そのベースの湿疹にはあまり煩わされることはありません。皮膚に刺激にならないようなものを身に付けることが、長年のあいだに自分にとって当たり前になっているので、他の人に合わせずそのようにできれば、機嫌よく過ごせるぐらいになっています。今の主な症状というか主訴は、アミロイドです。相変わらず、悪くなったら強いステロイドを塗るように言われ、ちょっとよくなったらプロトピックに切り替えろと言われ、またぶり返すことの繰り返しです。先々月は、その前に比べてよくなってきたものの、腕の一部狭い面積に、縦の帯状にアミロイドが出ているという状態でした。背中など、これまでアミロイドが出ていた、他の部位には出なくなっていました。「だいぶんよくなってきたんですけど、まだちょっとこういうのが出てて」と見せると、「ん、よくなったね、ここはまた塗り忘れたんでしょう」ということで、その塗り忘れだけしっかりアンテベートを塗って、あとはプロトピックに、との指示。塗り忘れでないのは自分がよく分かっているので、指示を無視してステロイドを使いましたが、アミロイドが出る勢いは止まらず悪くなりました。少しだけ出ていたアミロイドは、悪くなる予兆だったのです。「んー、ちょっと早まったかなあ」てなことを言われ、アミロイドが出ているところは強いステロイドを塗ってくださいね、でもよくなってきたら、皮膚が薄くなる副作用が出ないよう、プロトピックにしてくださいと言われました。このひと月、腕のアミロイドにしっかりアンテベートを塗るようにしていたら、表面上のブツブツはなくなり、手で触ると奥の方に芯がある感覚がする部分だけにアンテベートを塗るだけでよくなりました。しかし、1月の後半から、背中上部にまたアミロイドの強い刺激を感じるようになり、左太ももの一部にも、皮膚に縦に筋が入ったように見えるようになって、ところどころアミロイドが出てきました。今回は、そういう状態での診察でした。私の中では、ずっと先生はプロトピックを使えと言うけれども、それでいっぱい出してくれるけど、その使いどころが分からないんだよなあということが、頭を占めていていました。これまでに、腕にがっちり出ていたアミロイドにステロイドをがっつり塗って退治したのに、プロトピックに切り替えたらぶり返す、ということを何度もやるたびに本当にがっかりしたその気持ちが積み重なって残っているし、そうやって悪くなる勢いが出てきたときに、指示に従うことを優先してプロトピックを塗っても、ただワセリンなどの脂分を皮膚にベトッと上塗りしたとしか感じられない、あの感覚が経験としてあって。湿疹の痒みとかアミロイドの刺激があるとき、ステロイドを塗ると、私の場合、塗ったその瞬間からよく効くのが感じられます。その瞬間に表面の湿疹やアミロイドが変化することはないのですが、皮膚の奥の刺激は、塗ったそのときからスーッと楽になります。そういう効果をプロトピックで感じられたことがなく、自分の状態では、プロトピックの手に負えないような気がしているのですが。でもまた今回もプロトピックを推すんだよな、ということをグルグル考えていたので、どうですかと聞かれて、こういう状態でと説明したときに、「だから、とにかくそうやってアミロイドが出てくるときは、皮膚の中の刺激があって……」と話し出しました。第三者が目で見て分かる、ブツブツしたものが私の症状の中心ではないのだということが言いたかったのですが、「ああ、よく分かりますねえ~」と、先生が思いのほかというか、言いたいことの手前で食いついてきました。そして、紙に簡単な絵を描いて説明してくれました。長年悪かった人は、皮膚の奥にある末梢神経が正常より多く、表面近くまで伸びて来ているので刺激を感じやすい。その末梢神経の状態は、皮膚の状態がよくなればだんだん正常に戻っていくが、神経は修復されるのが遅く、表面の皮膚がよくなったように見えても、その奥はまだ正常になっていないことがある。その神経の刺激が、また皮膚の炎症を引き起こす、ということでした。まあ、そういうことはずいぶん前に新聞で見た記憶があるのですが、私は前々から、自分の神経の一連の症状と、アミロイドが関連して出ているように感じていて、でも皮膚科で延々と神経の症状を言っても聞いてくれそうにないしな、と思っていたので、その説明を先生の口から聞いたことで、自分の中で一連のことがつながったように感じられました。でも、神経の刺激がまた皮膚炎が引き起こす要因になるというところを、先生に再度確認して聞いたところ、何でそんなに食いついてくるのか?と、ちょっと引いた気配を感じたので、今、この機に乗じて、神経の色々な症状を話すと、ちょっとバランスを欠いた人のような印象を与えるような気がして、自制しました。安全弁がはたらいたというか。考えすぎなんだけど。その後、背中を見てもらうと、「自分では見えないからそう思うかもしれないけど、結構上手に管理されてますよ。これまでよりいいですよ」と言われ、がっかり。いや、分かってないなあ。だから、表面に出てる、出てないが問題じゃないのにと。別にいまさら、美容上の問題で、こんなに長年通ってる訳じゃないのに。表面上どう見えるかは、単にタイミングの問題で。アミロイドが出てき始めるときは、まず皮膚の内側の刺激があって、表面に目で見て分かるものが出てくるのはその後。だから、目で見て分かるものが出てきたときは、もう手遅れというか、よくするのに時間もかかるし、薬もいっぱいいる。また、皮膚の表面上はアミロイドがしっかりあっても、盛りが過ぎていれば内部の刺激はないから、きれいになるまでしっかり薬を使う必要はあるけど、つらい症状はないわけです。先生が自分で説明した、皮膚の奥の神経が…という話と、このアミロイドのことが、当事者の私にはつながるけれども、他者である先生にはつながらない。同じ症状が目の前にあっても、当事者にとっては視覚的なものだけでなく痛みやかゆみなど、皮膚の刺激としての感覚が大きなウェイトを占めるのに対し、他者である先生には視覚的な要素しか記憶に残らず、これまでの症状の経過があまり経験として積み重ねられない。そういうジレンマを感じました。ここ数回の診察では、よく、同じような患者がいるんですよ、という話をされます。私はもう何年もこういう状態ですが、この話はここ1年ほどだと思うので、その人はわりと最近先生にかかりだしたのではないかと思います。その人も、湿疹は出ないのに、アミロイドがあっちこっちに出てねとか、やっぱりアミロイドが出るとTARCが上がって、ちょっと油断すると900台になるんです、なんて聞かされると、私のことも同じようにネタにされてるのかと、いい気がしませんが、それ以上に、これを言うのが精いっぱいなら、この先生の中で一番悪いのはたぶん私なんだろうなという、底が知れてしまい、力が抜けます。太ももに出たアミロイドを見ても、「掻いたと言って責めているわけじゃないんですよ。でも、こうやって出ているということは、たぶん気づかないうちに掻いて、こうなってるんだと思います」と言うのですが、私も長年、ここはあほほど掻いたというか、力の限り痛めつけていたので、掻けば掻いたことぐらい分かるわけですが、結局、アミロイドは外的な刺激を与えたことで物理的に出るものじゃない、というのが、私の考え。タコとか靴擦れとか床ずれではないのです。これまで長年苦しんだ末に出るもので、だから想定外ではないのだから、もっと最短距離で効果的に治療してほしい、無駄に回り道するのは、これまでいろいろしんどい思いをしただけに、すっごくいや、という気持ちです。もしかしたら、逆に、先生が言う前にプロトピックを塗れば、ある程度効くかもしれないという気が、最近は少ししています。とにかく、自分の体を守るのは自分しかいないわけだから、この先生に誠意を示そうという倫理的な満足感はほどほどにして、うまく薬を使ってよくしていきたいと思っています。
2013.02.04
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久しぶりすぎて何を書けばいいのか分かりませんが。とりあえず、パソコンが新しくなりました。7年半ほど使ったパソコンは、まだ壊れたわけではなく、今もこのパソコンのすぐ横にあり、使える状態なんですが。何でも徹底的に使い切る性分なので、どうも気に入らないんですが、今やってることに使う機能が古くて、人に迷惑をかけるほどになってしまったので、やむなく。ま、2年半前に、一度完全に動かなくなったものなので、やっぱり寿命かなあ。とにかく今はサクサクです。ヘルペスが出たり、アミロイドがぶり返したりは相変わらずですが、私自身は、そこそこ元気にやっています。ただ、最近は、これまでのように本を読んだり、編み物をしたりということができなくて。ここに書くべきことがないので、絶賛放置中となっていました。まあ、あれです。亭主元気で留守がいい。違うか。ただ、母がちょっと具合が悪くて。まあ、単なる老化といえばそれまでなんですが、年末から膝と腰が痛くなって、寝込んだり。一時期は、全く微動だにできず、トイレに行くのも大騒動でしたが、病院でもらった痛み止めが効いて、なんとか家の中をゆっくり歩けるようになってきて、今日は久しぶりに、道の駅の直売所に行くことができました。今、野菜がすごく高いので、開店前からすごい行列で、いつもは年寄りが多いのですが、若い人もいっぱいいて、お店の中で、携帯電話で実況中継をしている人がたくさんいました。幸いにもというか喪中なので、特にお正月の準備をせずに済み、助かりました。それでもやっぱり、年末は何かと買い物が多く、いつも二人で朝夕に分かれて買い物をしているので、結構大変でした。大掃除は、窓拭きなど、ある程度は早めにやっていたので、あとは四角いところを丸く掃く程度にして、ごまかしています。10年ぐらい前に、一度母が入院したときは、私の体力がへなちょこで、1週間ほどで簡単に痩せましたが、今回は、母は自宅にいるので、父を指導してある程度家事を覚えさせてくれたので、かなり助かりました。でも、動けない人が、一番食欲があるんで困ります。全く、足腰以外はいたって元気で、なのに外に出られないのでつらい、のを隠しているように見えます。滅多にそういう素振りは見せませんが、私も家から出られなかったことがあるので、そうだろうなと思います。最近は、私が編み物をしなくなった代わりに、母がマフラー、帽子、手袋などを編みまくっています。昨日は、ヤフオクで毛糸を買いたいというので付き合ったら、赤系統の派手な毛糸ばっかり選んでいて、欲求不満ぽいなあと、見ていておかしかったです。まあ、とにかく、手近なところで楽しみを上手に見つけて、何とか元気になってほしいと思っています。
2013.01.11
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「あすなろ物語」(井上靖)を読みました。「しろばんば」「夏草冬涛(なつくさふゆなみ)」「北の海」の自伝的小説三部作を読んだ母が、これも読みたいというので買って、昨日から読み、今日午後から叔母が来る予定なので、渡そうと思っています。今度の主人公の名は、鮎太。洪作と同じく、作者の分身的な存在です。先に読んだ三部作より創作された部分が多いですが、やはり共通する部分も多くあります。出来事や人物など具体的な事柄は違っていても、成長するに従い主人公が感じるものは、共通しているところが多いいです。洪作も鮎太も、特に優れた人物としては描かれていません。勉強はできたようですが。でも、周りからは好かれます。主人公がどれだけ努力したかということを言葉数多く描くこともなく、ただあっさりと勉強した、ぐらいに書いてあるだけ。また、当時これだけ回り道して人生を送れたのだからお金に困ることもなく身なりもきちんとしていたのだと思いますが、「北の海」の中で、服装には極端に構わずボロを着てめちゃくちゃだったころのことしか触れられていません。三部作やこの作品の全体に見られるこういった姿勢は、作者の謙虚さが、自分を投影している主人公の努力や絶えずつとめてきたことを、わざとそっけなく書かせているのではないかと思いました。三部作で、洪作はのんびり、のびのびと田舎で暮らし、素朴に都会への憧れを抱いて成長していきます。友人も、のん気にやりたい放題の様子でした。なのに気づけば、右傾化したり、左翼に走ったり。そういう、世の中の流れには全く関係なく少年時代を送っているようでいて、自然と時局にのまれていく様子が少しだけ描かれていました。この小説では、もう少し時代が進んで、戦争に突入し、終戦を迎える辺りまでが描かれていますが、やはり主人公の鮎太には思想的に特別なものはなく、ただ自分が成長して何者になるかということを心の中心に据えて、生きていっているようです。けれども、そういう本人の気持ちとは関係なく、赤紙は二度もやってきて、戦争に巻き込まれるし、新聞記者として書きたくないことも記事にし、職場や自分の周りの人がみんな疲弊しきった状況の中で生きていくことになる様子が描かれています。この小説は、タイトルが示すように、青春とか、向上心とか、強い意志といったものが描かれていますが、明確に書かれていないからこそ、平和を訴えるものにもなっているような気がしました。
2012.11.15
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「オリバー・ツイスト」(チャールズ・ディケンズ)を読みました。地の文章(作者の言葉)が皮肉だらけ。かわいそうな、悲惨な状況を説明するのにも、ユーモアのある皮肉をピリリと利かせて、安っぽい同情心を牽制します。子どもの頃、クリスマス・キャロルを読みましたが、今回これを読んで、やっぱりディケンズは子ども向けじゃなく、大人になってから読むべきだなあと思いました。話の筋書きを簡単に分かりやすく書いてしまうと、寓話的で教訓じみたものになってしまいますが、この小説はもっと複雑なものを含んでいるからです。後ろの解説にもあるように、ちょっと話の筋が都合よすぎて、予定調和的すぎるきらいがあります。作者が25歳のときの作品だから、とのこと。この小説を読んで一番に思ったのは、人の一生分の人生を何度か経験した人みたいだなあということだったので、その若さでこれだけのものを書いてしまったことに驚きました。が、この話がちょっと都合よすぎる点は、そういう作家としての技量不足とは、少し違うのではないかという気がしました。貧しい人々の悲惨な暮らしやすさんだ心の描写は、非常に詳しく真に迫っているのですが、話全体がそういう路線で描かれているというわけではなく、誇張して戯画的に描かれているところも、いくつか出てきます。例えば、スリの犯人と間違えられたオリバーが追いかけられる場面。ドロボー!あいつだっ!と、一人が追いかけだしたら、その声を聞いて周りの人たちも加わり、その追いかける人の列にさらに人が吸い寄せられて、たくさんの人たちが、誰を追いかけているのかも分からないまま追いかける。その滑稽さは、まるでマンガ。また、ナンシーという女性を残虐に殺したサイクスという男を捕まえようとする人たちの数が、異常に膨れ上がる様子を描くところも、実際にはありえないことで、滑稽だけれども、群集の心理をうまく表していると思います。話の筋が都合よすぎる(偶然出会った人が父親の親友だったり、伯母だったりする)のも、最終的に言いたいこと、持って行きたい結末がはっきりしているので、その辺りの事情を現実にありそうなことに小細工する必要がないというか、あえて奇遇が重なるような状況をつくって、こんなことも全くありえないわけではない、世の中捨てたものではない、というイメージを読む人に与える意図もあったのかも、と思いました。最終的に、いい人にはいい人生が訪れ、悪い人には悲惨な結末が待っている、という分かりやすい結末。今の時代の小説を読みつけている身としては、んなわけないやろ、と突っ込みを入れたくもなります。しかし、単純に、富める人が悪人で貧しい人は善人という描き方ではなく、恵まれた境遇の人の中にも、また、そうでない人にも、それぞれに善と悪があるという設定になっていて、そういう人物設定や話の展開が現実に即しており、細部にわたって目配りされていて、全体的に非常によく考えられた話だと思いました。今の時代とは、社会の制度も価値観も全く違う世界が描かれていますが、今読んでも、全く色あせて感じられません。19世紀イギリスの救貧法、その下で運営された救貧院の非情さが描かれています。当時は、今のように、誰でも、尊厳のある生活をする権利を持っているという考えはなく、上からおめぐみをかけてやるという姿勢。1950年代に書かれた解説でも、いや、当時は差別的な考え方とかがあって、今とはまるっきり違ったのだ、というようなニュアンスで書かれていますが、私はここに描かれていることは過去ののことではないように感じました。今、当然だと思っている権利や制度は、勝ち取るまでに、長い歳月と多くの人の尽力があったからなのに、そういうこれまで積み上げてきた努力をないがしろにする風潮が、最近、世界的にあるように思います。そういう今の世の中の構図が、皮肉にもきれいに当てはまってしまうなあと、この小説を読みながら思いました。
2012.11.13
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めっけもん広場へ行ってきました。もちろん、干し柿用の渋柿を買うためにですっ。夏の暑くてグデングデンのとき、私は、早く梨の季節にならんかなと願い、母は、栗の季節にならんかな、干し柿の季節にならんかなと、ず~っと言い続けていました。今年の梨は、あまりおいしくなかったですが。。栗は、食べに食べた。というか、今も渋皮煮を1日に2個は食べます。祖父母の見舞いに詣でていたときも、向こうの田舎の駅デパートで大きな栗を見つけて、3キロも買い込み、私が1日中それを担いで(大げさな)移動しました。それ以外にも、あちこちで見かけるたびに買っては渋皮煮にしたものを、毎日せっせと食べ続けてきたので、今私の体の何パーセントかは、栗でできています。秋のいい気候になる日のことを励みに夏を耐えてきて、やっとそんな季節になったのですが、何だか最近、まだ真っ暗で星が輝いている朝の5時の電車に乗ったりとか、夜遅くに帰ってきたりとかで、ふと気がつくと、家から見える景色がとんでもなくきれいなことになっていてびっくり。桜の木が真っ赤に、イチョウの木が鮮やかな黄色に、上手に紅葉していました。毎年のことですが、母は、「今年こそ、絶対後悔しないぐらい、いっぱい買ってきて干し柿を作りまくるぞ!」と、今年こそ、今年こそと、何度も言っていました。で、今日、渋柿を18袋買い、車のトランクを柿でいっぱいに埋め尽くして帰ってきて、フーフー言いながら家に持って入って、開口一番、「もっと買えばよかった」。あれはたぶん、どれだけ買っても、満足することはないと思います。これまでに何度か買って、いろいろな種類のものを試しましたが、横に広がって平べったい、あんぽ柿用と書いてあるようなものが、干し柿にすると甘くなって、うまくできるように思います。小さいものは、干し柿にすると小さくなりすぎて、全体がかたくなってしまうし、1個で100円以上するような、大きすぎるものは、出来上がるまでハラハラします。去年は確か、1袋で350円ぐらいのものが多かったと思いますが、今年は250円とか180円、小さいものはいっぱい入って150円ぐらいでありました。熟れ具合と天気を見ながら、ボチボチ剥いていくつもりです。寒くなって、もう渋柿が売っていないような季節になったころに、ぽってりとした甘い干し柿を濃いお煎茶と食べるっていう日が、待ち遠しいです。他にも、野菜もいろいろ、6千円分ぐらい買いました。
2012.11.08
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「神去なあなあ日常 」(三浦しをん)を読みました。目のつけどころがさすが三浦しをん。文庫本の帯に、「林業っておもしれー!」。これにつられて母が買ってきたものを読みました。横浜で生まれ育った、いかにも現代っ子な平野勇気、18歳。高校を出たら、何となくフリーターでやっていこうと思っていたのに、担任と母親によって林業の現場に放り込まれてしまう。最初は逃げ出すことばかり考えていたけど、だんだん神去村の自然や林業の面白さに魅せられて、これからもここで暮らしていくのかなあという気分になってくる、というような話。まあ、そこそこ面白い。「風が強く吹いている」で、お正月に何気なく見る箱根駅伝って、こんなに熱くて深い世界なのか!という驚きを味わわせてくれた作者なので、林業についてもそういうディープな面白さを期待して読みました。でも、この作品は、ちょっと浅い。走るという行為は、誰にでも経験のある基本的な動作なので、身体的な実感を伴って、書くことができるし、読むことがもきる。けれども、この小説で林業を取り上げているのは、そもそも関わりを持ったことのある人が少なく、多くの人にとって遠い存在であるからこそ。だから、主人公同様、全く何も分からない読者が分かるように、どうしても説明調になってしまうし、面白いと感じて読み進めてくれる程度の深さにしか掘り下げられない。読むほうも、暑さとか肉体的なきつさとか、分かるところもあるものの、深い森に入ったときの感覚とか、百年千年単位で物事を考える世界観などは、実体験を伴い身をもって分かるという感覚にはなれない。そういう、限界も感じました。そもそも、主人公の勇気くんがいい子すぎる。最初こそ、冗談じゃないと逃げ出そうとしますが、わりとすんなりと林業の世界にはまってしまいます。こんなに素直な子なら、横浜で生まれ育っても、もうちょっと興味のある世界に一生懸命になるでしょう。働きたくても就職が厳しくて、やむにやまれずというのでなく、何となくフリーターでという人間にはならないんじゃないかなあと、思いました。実際はもっともっと大変だと思いますが、自然と一体となって行う林業の世界の一端がのぞけたり、昔からある村落の人々の思考や人間関係など、面白いところがいっぱいあっただけに、都会の何も考えずフリーター的思考のダメな子が、ど田舎で林業に染まって大変身!という薄っぺらい感じが、ちょっと残念に思いました。でも、自然がきれいで、人間関係がしっかりしていて、それでいて軽い感じで、これはドラマとか映画とかにしやすそうだなあ。見ないうちから、何となく目に浮かぶような。実は、昨日は祖母のお葬式でした。祖父が、弟と祖母を引き連れて、みんないっぺんにいってしまいました。私の体調などいろいろ都合があって、私だけ始発電車で日帰りで行き来して、その電車の中でこの本を読みました。そこも、いまどきこの日本にこんな田舎があるのかというようなところで、なんだかこの小説の世界とダブりました。
2012.11.05
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「仮面の男」(アレクサンドル・デュマ/石川登志夫・訳 角川文庫クラシックス)を読みました。後ろの解説によると、前に読んだ「三銃士」、その続編の「二十年後」と続くダルタニャン物語という三部作の、最後の「ブラジュロンヌ子爵」の後編に当たるのが、この「仮面の男」。ルイ14世の時代に、バスチーユに仮面をつけさせられた人が入れられていたという史実から、鉄仮面伝説というものがあって(実際は鉄ではなく布製の仮面だった)、さまざまな話が創作されたそうで、これもその一つ。ルイ14世には実は双子の兄がいた、という設定。三銃士の一人、アラミスがこの兄・フィリップを担いで失敗し、追われる身となります。タイトルは「仮面の男」ですが、悲劇の人・フィリップが出てくるところは、あまり多くありません。やっぱり、三銃士と、何といってもダルタニャンが主人公です。しかし、「三銃士」のころの若さはもう彼らにはなく、白髪交じりで年を取っています。話全体に、物悲しい、寂しい雰囲気が漂っています。さらに、三銃士のうちのポルトスとアトス、アトスの息子のラウール、そして最後にはダルタニャンが死んでしまいます。物語全体を通じて、「死」の場面が何度も描かれています。三部作の最初の、若くて元気ではつらつとした雰囲気とは、ずいぶん趣が異なり、複雑な気持ちで読みました。とはいえ、この物語もとても魅力的です。特に、アラミスとポルトスが洞窟で決死の戦いをした末に、ポルトスが命を落とす場面。映画の派手なアクションシーンのような、圧倒的な「動」と、対照的にポルトスが最後の最後まで怪力で頑張るのに、ついに尽きる「静」の部分との対比。それから、息子のラウールと別れてから、どんどん弱っていって、夢と現をさまよい、最期に息子の死を知って亡くなるまでのアトスの様子も、今の時期に読むと何だか身につまされて、ジーンときました。ラウール(ブラジュロンヌ子爵)と、かつての恋人でルイ14世の愛人になっているヴァリエールとの経緯は、おそらく「ブラジュロンヌ子爵」の前編の部分で詳しく描かれているのだと思いますが、ここのところの事情がもっと詳しく分かれば、より感情移入して読めたんじゃないかなあと思いました。ダルタニャンの最期は、拍子抜けするほどあっけない描き方で、死んだ、終わり。という感じで、物語が終わってしまいます。でもそれが逆に、余韻を残す効果をもたらしていると思います。諸行無常の響きあり、っちゅう感じです。ただ一人生き残ったアラミス。このアラミスのしたたかさ、しぶとさ、不気味さにも、圧倒されました。こんな人だったけか。神職にあるわけですが、誰より現世に対する執着が強くて、策士です。それにしても、訳がかたいっっ!!~に御座候とか、お隠れになるとか。確かに時代的には、そういうことになるのかもしれんけれども、デュマの文章が時代がかっているということもあるのかもしれんとも思うけれども、でも何だか、おフランスと御座候は合わない気が。初版が昭和29年なので、仕方がないか。でも、そういう漢字羅列のお堅い文章だったからこそ、ポルトスの最期やアトスの終末が、引き立っているような気がしました。
2012.10.29
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最近更新できていませんが、元気にやっています。涼しくなって、ガンガン歩けるようになりました。周りの人は、みんなもう暖かい格好をしていますが、私ひとり、夏とほとんど変わらない格好です。夏も長袖だから余計なんですが。前は、人より早く着込んでいたのに。変わるもんだなあと思います。先週の木曜日は、皮膚科の診察日でした。夏に新たにできた、腕や足首、太もものアミロイドは、ほとんどよくなりました。が、腕は、これまで左右を比べると常に右側の症状が軽く、アミロイドも少なかったのですが、2週間ほど前から、右の腕だけに新たなアミロイドができています。そして、同じく2週間ほど前に、足首のアミロイドがあったところの皮が、ボロボロめくれだしました。ステロイドの治療をするまでは、十年以上に渡って、常に皮や粉を大量生産していましたが、ステロイドを使うようになってからはそれがピタッと止まり、今まで一度も皮がポロポロ取れる状態になったことはありませんでした。何だろうなとは思いましたが、脚、特に膝より下は、皮膚全体がピカッと張ったようになっていて、すごく悪いままその状態が固定しているので、表面の皮膚が取れる時期に来たのかもしれない、と思いました。これは数日で治まりました。それから数日して、今度は、今新たにアミロイドができている右腕に、同じようにペラペラはがれかけの皮ができてきました。これはなかなかしつこくて、今もそういう状態です。先生は、「乾燥したんでしょう」と言って、アミロイド用に出しているアンテベートを、サラサラのクリームから軟膏に変更しました。まあ、季節的に軟膏になるのはちょうどいいとは思いますが、自分としてはこれは乾燥のせいだとは思えません。この先生に診てもらうようになってから、冬は何度も経験しているけど、こういうのは初めてだし。とにかく、もうずっと前の時点で、私は人の一生分の皮膚の新陳代謝の、何倍分もやりつくしてしまっていると思います。その負担が、皮膚の奥の奥に何らかのかたちで影響していて、アミロイドができたりするのかなと思いますが、前のように新陳代謝が過剰な状態でなくなったので、湿疹とかアミロイドをステロイドで治した痕がいっぱいあって、皮がはがれるのも必要なんではないか。もちろん、正常な、きれいな肌の人なら、こんなんふうにペロペロはがれてくる必要はないんだけど。ちょうど2週間前に祖父が亡くなったので葬式に行ったり、その行き来を家の人と時間差攻撃にして家事をしたりで、生活のリズムがいつもと変わったり、疲れたりしたのが、ちょっと皮膚に出たのかもしれません。さらに、ひと月ほど前から内職のようなことを始めて、まあ椅子に座ったままだから楽なんですが、今まで何もしてこなかったので、慣れなくてこれまでより疲れます。でも全般的に夏より調子はよく、右腕にできたアミロイドも今は下火で、痛くもかゆくもありません。時々、背中が痛くなります。肩甲骨の辺りなど。触ると、アミロイドっぽく少しブツブツしている時があります。どんどん悪くなる感じではありません。先月の血液検査では、TARCが400台になっていました。その前は、700台。暑さでの悪化も治まりつつあるようです。去年の夏は900台になったので、夏に悪くなる勢いも、少しだけ去年よりマシだったようです。夏に悪くなりだした時にネットで見たのですが、TARCというのは、年齢が若いほど数値が大きくなりやすいそうです。IgEとか好酸球の値と違って、そのときのアトピーの状態を素直に反映している数値といえるとされていますが、小さい子は大きな数値になりがちだとか。先生が、私の場合数値が低めの傾向があると言ったのは、そういうことだったのかもしれません。でも、子どもがパーッと赤くなったり、節操なくかきむしって泣いたりするのと、大人の積年の症状によって慢性化したものとを、同じように比較するのは無理があるというか、意味がないというか、現状を正確に把握できないんじゃないかなあと思います。今の私のアトピーは、長年の慢性状態から来るアミロイドが主症状なので、TARCが私の調子を、どこまで表してくれているのか、ちょっと疑問に思います。実は、祖父と2週間違いで今度は大叔父が亡くなり、今日はお通夜でした。さらに、祖母も近いのは間違いない状態。お葬式の合間に、お見舞いにも行って。もー、なんか、落ち着かない日々です。
2012.10.29
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ウェストシェイプ入りベスト2号が完成しました。使った毛糸は、ピュアウールのcol.7「ラベンダー」。これは、母が自分用に、年齢にふさわしいものを編んでおきたいんだと言って、買った毛糸。写真ではペールブルーのような色になってしまいましたが、実際は浅い紫、藤色です。おばあさんが着ると、明るい雰囲気になってよく似合う色。でも、届いてみると、ビミョーに間の抜けた色というか。それで、自分で編んで着たくなくなったのか、私に回ってきました。ボタンは、100円ショップで調達した木製のもの。柄は、前回と全く同じ。上の方で柄がちょん切れるのもそのまんま。まあ、着る人は別に気にしないかなと。前回のベージュのものを叔母(母の妹)に、今回のを伯母(父の姉)に、押し付けて着てもらうつもり。父も母も、そのきょうだいもみんな年を取って、これからこういうチョッキを着ることが多いと思うので、つくり貯めておく所存。靴下は、もう、数年は編まなくてもいいぐらい編み貯めてしまったので。でもとりあえず、次は叔母のツインニット(カーディガンとベスト)を編みます。というか、編み始めています。リクエストしてくれたので。要らないものを押し付けるばかりで、求められることが滅多にないので、うれしいです。今年も、母がぶどうジャムや栗の渋皮煮をつくっています。去年は、ちょうどぶどうの時期に祖母が悪くなり、時期を逃して作れませんでした。今年はもう、祖母は何も食べられないですが、今まで甘いものなど見向きもしなかった祖父が、ジャムは食べられる数少ないものの一つということで、食べてくれているようです。明日、またふたりのところに「詣で」てきます。ここ数回は、いつも、これで最後かもしれないと思っています。昨日から久しぶりに、手に神経の痛みが来ていますが、ま、逆立ちして行くわけでなし、祖父母の苦しさを思えば、なんてことないじゃろう。
2012.10.03
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木曜日は、皮膚科の診察日でした。先月は、暑い盛りでも、自分としては何とか持ちこたえているつもりでした。2週に1度の「祖父母詣で」にも行けているし、昨年の夏に比べると、キンカンの消費量は断然少ないし(私の痒みの、一番のバロメーター)。今年の夏は大丈夫、これまでとは違うと、思おうとしていました。それが今月になって、暑さも峠を越えて、少しずつ楽になってきた頃に、だんだんボロが出てきたのか、からだのあちこちに、アミロイドが出てきました。場所は、前にアミロイドが出ていた腰の左右外側、左の太もも、左足首、右脚ふくらはぎ。それまでも、太もものところは、見た目は何ともないのに同じところがしつこく一日中かゆかったし、足首は、何か悪いものが下に溜まるみたいに、気持ち悪い感覚がありました。この足首には、何年も前に化膿のおできが大爆発した痕が残っていて、ここの皮膚の奥がうまくいっていないのか、夏になるとむくんだように腫れます。そういう、ちょっと調子よくないなという感覚はあったのですが、アミロイドがはっきり出てきたのは先週以降、ごく最近。そういえば、右のふくらはぎにも、化膿のおできが大爆発した痕が3つ縦に並んでいて、今回できたアミロイドは、そのすぐ横。ここ何年か、アミロイドが出てきそうなところから、はっきり出来上がるところをじっくり見ていて思うのですが、皮膚の下の繊維が盛り上がって、皮膚表面に縦じまができるのです。最初は、何となく縦に模様が見えるような気がしながらも、気のせいかなと思うのですが、その縦の模様がだんだんボツボツと隆起してきます。ふくらはぎと太もものアミロイドは、特にその縦じまがよく見えます。まあアミロイドの観察日記はどうでもいいですが、とにかく、できる前から気配は感じていたし、じっと見てはいたのです。なんだかちょっとよくないぞとは思いましたが、まだアミロイドができてしまう前に、強いステロイドを塗っておくという気持ちにはなれませんでした。もともと夏の初めから、背中の左右の肩甲骨の辺りがとてもかゆく、でも見た目には何ともないという状態が続いていました。腕や脚に、毎日どこかここかに赤いものがポツッと出ては数日で治まる、ということも続いていました。でも、急激に悪化というほどではなかったので、先生に言われたとおり、からだに塗る弱いステロイドを使っていました。今になってみれば、夏の初めからこうなる予兆はあったということです。先生には、先月の血液検査で、TARCが700台に上昇していたと、今になって言われました。「その影響が、少し遅れて感じられるようになったということですね」と言われましたが、私自身はもっと早く気配を感じていたのです。後からだから、言えることだけど。ああ、今にして思えば、あれが、というやつです。もっと早く、ちょっとした気配にもすぐ強いステロイドを使っておけばよかったと、後悔しています。でも、それはなかなか難しい。見た目に症状が出ていなかったら、お医者さんからは弱いステロイドの指示しか出ないし、そこに強いものを使うのは、何だかこらえ性がないというか、我慢が足りないみたいだし、なるべくなら使いたくないものだから、勝手に強いものを使うことには罪悪感があるし。結局、アミロイド用に出された強いステロイドを使い始めたのは、先週末ごろからで、今は、しっかりあるものの、悪化の勢いは止まり、ちょっと元気をなくしてきたように感じます。主治医によると、先生が診ている患者さんの中には、私と同じように長年悪い状態が続いた人が数人いて、その人たちはちょうど私と同じような皮膚の状態で、アミロイドを繰り返している、ということでした。「うーん、だから、このアミロイドがやっぱり一番問題なんですよねえ~」という先生の口調から、以前に比べ、少しずつアミロイドに対する認識が変わってきたように感じました。(前は、アミロイドは過去の燃えカスでりナレノハテで、再発するのはステロイドをちゃんと塗っていないからだという認識だった)ネットを見ると、アミロイドが出ている人でも、単に見かけの問題と捉えている人もいて、普通に元気に生活を送っているようですが、私は皮膚が悪くなる時はからだもしんどく、夏なら暑さが本当につらくて横になっている時間が増え、行動範囲が狭まって、一日にできることが少なくなります。先生は、私が夏になると悪化することに対し、汗をたくさんかくからねというようなことを言いますが(今年は言わなかったけど)、汗をつらく感じるのは皮膚が悪化した状態になったからであって、汗をかくから皮膚が悪化するのではないのです。私の場合。いったん皮膚が悪くなれば、確かに汗は堪えるし、夏の終わりになるとそのダメージが積み重なって、悪くなることもありますが、それは皮膚の表面の問題で、アミロイドのように奥から湧き出てくるものは、また別問題。でも今は涼しくなり、この夏も悩まされた足指の水泡も、よくなりました。先週までは、毎晩お風呂上りに、指にステロイドを塗ってガーゼを巻いていましたが、それをしなくなってもぶり返さず、夏のあいだのむくみが取れたのか、前より足指がスマートになって、お風呂に入りすぎた時みたいに、しわしわになっています。先月飲み始めた、オノンという抗アレルギー剤は、自分の感覚では全然効きません。くしゃみは、自慢じゃないですが、1日に20回以上はしていると思います。それでも、ずっと飲んでいたのですが、飲み始めてからずっとおなかの調子が悪く(下痢)、先週一日外出した時に困ったので、もうこんな効きもしない薬のためにずっと具合悪いのはいやだと切れてしまい、飲むのをやめてしまいました。先生にも、効かないし下痢になるから飲んでいないと話したのですが、敵もさるもの、「では、効果はもう少し遅れて感じられるのかもしれませんね」「先日から飲むのをやめておなかのほうも治まっているということなので、飲む量を減らして、もうしばらく続けてみましょう」。やられた。。
2012.09.29
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「月と六ペンス」(サマセット・モーム)を読みました。以前、面白い本ないかな~と、ネットで検索した時に、これを薦めている人がいて、読みたい本にずっとリストアップしてありました。また、チャップリンの自伝を読んだ時、彼の社交界での交流を描いたところに、「モーム君」がたびたび出てきたのを、覚えていました。先日、ほんの「はしたポイント」を消費しなければならない時に、ブックオフでこの本を見つけて、手に入れました。画家のポール・ゴーギャンの自伝に「暗示を得て」書かれたのが、この小説。私はあまり絵のことに詳しくないのですが、それでもゴーギャンと聞けば、あの、南方の土着っぽい暑苦しい感じの絵のイメージが、パッと目に浮かびます。でも、どういう人かは、まったく知りませんでした。この小説の主人公は、株屋として平凡な人生を送っていた、ストリックランドという人物。普通に家庭を持ち、おしゃれをするでもなく、ウィットに富んだ会話をするでもなく、あまり冴えない凡庸な男。ところが、ある日突然、妻に当てた、わずか10行の手紙を置いて、スパッと家庭を捨ててしまう。自分は親の言いなりのまま、商売人になってしまったが、子どもの頃には絵を書いていたことがあり、もう、どうしても絵を描かずにいられない。だから、悪いが妻には別れてほしい(でも妻は結局離婚しなかった)。主婦として、華やかにパーティなどを開いて暮らしていた妻も、まあ何とか仕事を見つけて、自分で生きていくだろう。子どもたちも、これまでは並以上の生活をしてきて幸せに生きられたのだから、これからは少々の苦労があってもよい、何とでもやっていくだろう。イギリスを出てパリへ行き、ボロボロの身なりに食べるものにも事欠くような、どん底の貧乏暮らしをして、そのことをまったく気にも留めず、ただただ絵を描き続ける日々。しかし、彼の絵を見ても、誰にもそのよさが分からず、まったく売れない。なんじゃ、こりゃ。全然だめだ、ありゃ、という感じ。なのに、平凡で俗っぽいがよく売れる絵を描く、ストルーヴという人物には、ストリックランドの絵が本物だと分かり、どんなに冷たい態度をされても、彼に親切にしようとする。その、ストルーヴの妻を奪い、なのにその妻が自殺。。やがてストリックランドは、タヒチに渡り、現地の若い女性と結婚して、森の奥で絵を描いて暮らすようになる。子どもも生まれ、その世話をするおばあさんなど、数人と家族のように、数年間平穏に暮らしていたが、やがてハンセン病になり、周囲の人と孤立し、家に閉じこもって部屋の壁中に絵を描き続け、ついには目もみえなくなって、死んでしまう。俗物である私は、はじめのうち、読んでいて、なんという素っ頓狂なことをするんやと、驚き呆れました。これぞ、破天荒だなと。しかし、読み進めるうち、このストリックランドの価値観の目を通して、世の中や人生を考える癖がついてくると、結局、お金とか、食べ物とか、装飾品とか、豪華な調度品とか、そういうものを持っているか持っていないかなんて、本当はどうでもいいことなのかもしれないなあと、考えるようになりました。贅沢の限りを尽くしても、着たきりすずめで質素な食事だけの人生でも、みんな死ぬのは1回だし。どんな死に方をしたって、どれだけ苦しんでもその苦しみにも、大して違いも意味もないような気がします。生まれてから死ぬまでに、手にするもの、つくり出すものには、「月」タイプのものと「六ペンス」タイプのものがあって、ほとんどの人には、この世だけの、物質的な価値である「六ペンス」の価値しか分からないし、得られない。本質的な、根源的な価値である「月」が分かり、自分の生を超えてこの世に残るものを、自ら創造できる人間はほんのわずかで、そのような選ばれた人間は、多くの苦しみを味わわなければならない。そんなことが、頭に浮かびました。ゴーギャンと、このストリックランドとは、同一人物ではなく、いくつかの点で相違があります。読んでいる最中は、具体的にどの部分が共通していて、どの部分が違うのか、分からなかったのですが、読み終わってからネットで見ると、思っていた以上に共通点がありました。学校の教科書で、はいこれがゴーギャンの絵、こっちがピカソの絵、なんていう感じで見ているだけでは、想像もつかないですが、ひとつの絵の背景には、こんな壮絶なドラマがあるのかと、驚嘆しました。この、ゴーギャンの人生に魅せられて、これだけの想像力を働かせて、生き生きと描いた、モームという人も、すごいなあと思いました。
2012.09.19
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すべり目を使ったVネックベストの2号が完成しました。縁と模様の一部に使っているベージュ系の毛糸は、【313】ソフトメリノ中細(「08」ダストブラウン)。オレンジは、2本取りのラムウールとネップ入りの毛糸を引き揃えて使用。グレーは薄めの色と濃いめの色がありますが、薄めの方は細いグレーの毛糸の6本取り。濃い方は、同じ糸の2本取りに濃いグレーの毛糸1本を合わせたもの。オレンジとグレーに使った毛糸は、1年前にオークションで買ったもの(これまでに何度も使ってきたもの)。濃いブラウンは、3本取り。これは先日、母が欲しがっていた杢調の毛糸を見つけオークションで買った際に、オマケでいただいたもの。先日、これも母用に【毛糸ピエロ】のお店で毛糸を買い、その送料対策としてブラウン系の中細糸を5玉買ったのですが、これだけではチョッキにも少し足り苦しそうだったので、ほかのあまり糸と組み合わせて、またAriettaの柄のチョッキを編もうと考えました。それで、オークションのオマケでもらったピンクやブルーや黄色の極細糸をそれぞれ16本取りにして、編んでみたものの色組み合わせがイマイチでほどく、ということを繰り返すこと3回。いや~、編物でかつてこれほど苦労が報われずしんどい思いをしたことはありませんでした。4回目に編んだ組み合わせがこれで、もう、いいとか悪いとか、どーでもええ、もうワタシャほどかんからねっ!と、やけっぱちの気分で編みました。完成してみると、こんなんもアリかなと思います。
2012.09.08
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「北の海 」(井上靖)を読みました。「しろばんば」「夏草冬濤」に続く三部作の最終編です。ひとことで言えば、「洪作の青春」といったところ。洪作はずっと家族と離れて暮らしているため、帰属意識がなくフラフラとして、まったくあわてたりあせったりすることがなくのんびりしていて、まるでゴクラクトンボだとみんなから言われます。モノに対する執着がまるでなく、いつもボロを着て、足りないものがあると友人から借り受けたり譲ってもらったりして済ませてしまったり。苦労をしてもそのつらさをいつまでも思うことがなく、すぐに忘れてしまって、いつものんきな顔をしていたり。人から唆されればすぐその気になり、ついには金沢の高校の柔道部員に勧誘されて、まだ入学試験に受かってもいないのに(浪人生の身でありながら)金沢へ行き(荷物も持たず手ぶらで)、夏休みのあいだ中柔道をして過ごす始末。台北の両親の元に行くことになっており、沼津の中学時代の教師や同級生、祖父母に、何度も送別会を開いてもらっているのに、いつまでもブラブラしているばかりで周りを呆れさせたり心配させたり。もう、洪作ってやつはっ!そう思うのだけど、でもなんか憎めんなあ~。親にいわれたことだけを堅実にやって小さくまとまってしまうのでなく、自由な心で、何かに魅力を感じたらあれこれ感じずポンと行動を起こしてしまうところに、読んでいて「なんでやねん」と呆れたりハラハラすると同時に、惹かれるものも感じてしまいます。洪作の中学時代の教師も、心配して怒りながらも、いや大したものだ、あっぱれだなどと言ったりします。学校の先生だけでなく、下宿している寺の娘も、トンカツ屋のお内儀さんも、すき焼き屋の女中も、柔道部の部員も、柔道部員の下宿している家のおばさんもおばあさんも、みんな洪作にとてもおせっかいで、おそろしく親切なことをしてくれます。いい時代だなあ、と思いました。
2012.09.08
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どうも最近編物に耽っていて、この日記をサボりがち。まあ夏のあいだは書くと愚痴ばかりになるので、これぐらいがちょうどいいかもしれません。このあたりの、今年の夏の最高気温は37.9℃でした。8月中はほぼ毎日、ビチャビチャに塗らしたタオルを、肩にかけたり腰に巻いたり脚に付けたりして、気化熱に助けを借りて生きていました。夏のはじめに風邪を引いて少し元気をなくしたので、感染源(母)が妙にサービス精神を発揮して、今年の夏はあれこれ冷たいデザートを作ってくれました。まず、毎年恒例になったかき氷。ま、これは作ってもらうもなにもないですが。これまでのベストは、自家製いちごジャム&練乳でしたが、今年のヒットは、生活クラブの茹であずき&グリーンティの粉末を使った宇治金時。はじめは、宮澤商店のゆであずきを使っていたのですが、生協のお店で売っている、生活クラブの茹であずき(缶入り)を試したところ、甘さが極限まで控えてあるのでたっぷり使えて小豆の味が濃く感じられてとってもおいしかったです。それから、白玉と寒天とフルーツを黒蜜を薄めたもので食べるもの。あれは、なんていうんだろ?冷た~い!っていうものではないんだけど、一番暑い時間帯でグダグダになっている時にこれを食べると、元気が出るような気がします。これも何度も食べました。杏仁豆腐も、生協に売っている杏仁豆腐の素を買ってきて(買い占めて)何度も作ってくれました。母には杏仁豆腐は初めての味だったそうで、めっちゃハマり、買い占めては親戚中に配っていました。コーヒーゼリーもよく食べました。手抜きせずちゃんとコーヒーを淹れて、ゼラチンを少なめにして極限のがコツのようです。それと、私は普段ジュース類は飲まないのですが、今年の夏は日本果実工業の「夏みかんスカッシュ」というジュースを何本も飲みました。生協以外では見かけないのですが、あまり甘くなく微炭酸で夏みかんの苦味があって、ちょっとビールちっくでトンカツなんかをガッツリ食べる時に飲むとおいしかったです。秋の気配を感じ始めたのは、8月11日。ツクツクボウシを初めて聞きました。それからは毎日、雲を見ては「ちょっと秋っぽくない?」ばかり何度も言って笑われました。暑さのピークはもう過ぎたものの、夏のダメージが皮膚に来ているのか、太ももや膝の骨のくぼみなどに、新たにアミロイドが出てきています。去年は秋に悪くなったので、この時期をどうにかうまく切り抜けたいです。
2012.09.08
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「エマ(中公文庫)」(ジェーン・オースティン/訳・阿部知二)を読みました。エマはほかに岩波文庫とちくま文庫があり、どちらも上下巻に分かれているのに、この中公文庫のは1冊にまとまっています。古本で300円で買った後、しばらくして上下それぞれ350円で売っているのを見かけたので得した~と思ったけど、とにかく分厚いっ!重いっ!外出時に持ち歩こうにも、帰宅後暑ぅ~と扇風機の前で寝転がって読もうにも、重たすぎる。ほとんど、歯みがきの時にしか読まなかったので、トロトロ時間がかかってしまいました。この人の小説を読むのは2作目ですが、これも自負と偏見と同じような世界が展開されています。~ですことよ。~でしてよ。という会話が延々700ページ超。厳格な階級社会だった19世紀初期のイギリスが舞台。ご近所づきあいというか、毎日各家庭を訪問しあったり舞踏会を開いたり、ひらひらとした暮らし。あの男性が親切で振る舞いが立派だとか、あの女性は舞踏やピアノが上手だとか、まあ今で言うところの婚活みたいなことをしているわけです。しばらくは読んでいて退屈でした。しかし読み進むうち、主人公エマの、頭がいいんだけどもそんな自分を買いかぶり何でも分かった気になってしまう生意気な性格が引き起こす騒動や、ユーモアや皮肉の利いたせりふ、細かな心の動きに、引き込まれていきました。ごく狭い世界の話なのに、今の時代とは世の中の仕組みも価値観も全く異なるのに、読んでいて、こんな人いるいる、とか、あるあるこういう勘違い、などと思えてきます。いつの時代でも、どの世界でも変わらない、人の愚かさ、人間として根本的にもっとも大切な気質、人間関係の機微などが描かれています。解説によるとジェーン・オースティンは9歳頃までしか学校教育を受けなかったが(その時代の女性の教育はその程度だった)、10歳になるかならないかでゲーテなど次々に読み、短い物語を書き始めたという人だとか。そういう鋭い頭脳と感性を持った作者が、若い頃から家族や地域や社会をみつめて、さまざまなことを感じたり考えたりして、生活していた様子が、この小説を読むと感じられます。なんとなく、このエマという主人公は、オースティンに似ているような気がしました。また、エマが一番好きだと思う男性も、一筋縄でいかないというか、いつも明るく社交的というのでなく第一印象はとっつきにくい感じであるところが、自負と偏見のダーシーに似ているように思いました。
2012.08.30
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皮膚科の診察日でした。腕、背中上部、腰のアミロイドは、いっときは前回の診察時よりさらによくなったものの、少し逆戻りしているような気が、自分ではしている、という感じ。腕は、あんなにガジッと張り付いたような感覚がずっとあったのが嘘みたいに思えるほど。毎晩薬を塗った後に覆っていた油紙を、どこに付ければいいか分からないほどになり、真夏でめっちゃ暑いこともあって、油紙を省略して、薬を塗った皮膚に直にガーゼのハンカチを巻いて腕カバーをしていました。でもそしたら、一週間ほどして、逆戻りしかけてきたので、また初心に戻り、たっぷり塗ってしっかりラップしています。背中上部は、怠けたわけではありませんが、やっぱり暑さが凄いので汗をよくこともあって、時々ポツと出たりします。先生によると、先月採った血液検査では、TARCがその前の月と変わらず500台だったとのことで、もうあとひと月だけ、アミロイドにマイザーを続けるように言われました。そして、ふと、「鼻炎はありませんか?」と聞かれました。はい、あります。子供の頃から、私といえばクシャミ、というのは友人のあいだでよく知られていました。世の中が花粉症だとか言い出す前から、ずっと年中クシャミをしています。ま、一時期、アトピーがマックスに悪いどん底の時には、クシャミがでなくなっていましたけども。あれはどういうリクツなのか分かりませんが、とにかく、一時期よりアトピーがマシになった今は、クシャミしまくり。今年に限って言えば、春より夏の方が10倍ほどひどいと思います。先生によると、鼻炎があると好酸球の値が高くなり、それがアトピーに影響することがあるのだそうです。なので、鼻炎の薬を飲んでくださいと、オノンカプセルという薬が追加されました。でも私の場合、今に始まったことではなく、もうず~~っと慢性的なんだけどと思い、そのように言いましたが、慢性的でも、それが好酸球を増やしアトピーに影響するのだと繰り返し言われて、ああそうだったのかと思いました。何がああそうだったのか、なのかというと、この先生に診てもらうようになって5年ほどになりますが、春になるたびに「花粉症はありますか?」と聞かれ続けてきた意味がようやく分かった、ということ。私にしてみたら、春だけでなく一年中鼻炎があるのだし、アレルギーの検査をすれば春の花粉にも夏や秋の花粉にも、カビにもダニにも反応があるのだし、でも食品とか精密機械などを扱う仕事でもしていれば困って治療が必要だと思うだろうけど、そういうこともしていないから、クシャミ鼻水鼻づまりなんて痛くも痒くもなく。「検査すれば反応はあるけど、別に花粉症というほどではない」というような返事をし、先生に「検査で反応はあるけど、特に鼻炎とか症状を感じるほどではないんですね」と言われても、自分にとって痛くも痒くもない鼻炎のために薬で治療が要ると思わず、面倒くさいので「はい」とだけ返事してしまっていました。そして、何で毎年同じ事を聞かれるのだろう、これだけ長年全身にアトピーでまくりの私に花粉症かと聞く意味って何?と、ずっと疑問に思いつづけてきたのです。今日の先生の話で、そういうことだったのか~!と、やっと疑問が解けてすっきり。小さい時からアレルギー体質の人生しか経験していない私と、アレルギーは他人事の先生という、立場の違いが生んだ齟齬、だったようです。それから、もう何年も前から(10年以上?)、右膝の外側に大きないぼがあるのですが、ずっと痛くも痒くもなく特に変化もなかったので、これまでずっと放っていました。それがこの夏、これまで白かった表面が赤くなり、根っこのところが痒く(でも根っこなので掻けない)、さらに大きくなって、何となく痛みもあるように感じることもあって、存在感アリアリになってきたので、今回診てもらいました。すると、イボだと思っていたのですが、これは良性の腫瘍だと言われました。ただのイボなら焼けばいいが(ドライアイス)、これは切った方がいいでしょう、ただ、切った後はお風呂には入れなかったりするので、もう少し涼しくなってからにしましょうとのこと。これまでに何度かイボをドライアイスで焼いてもらったことがありますが、10数年前に一度、この病院で違う先生に、右手の甲にできた大きなイボを3回ほどに分けて焼いてもらった時は、あれは痛かった…。今でも痕があり、時々痛痒くなります。でも、今度は切るのかぁ~。。早く涼しくなって欲しいけど、切る日が近づくのかと思うと、なんかなぁ。。足指については、先生には何も言わなかったし、聞かれることもありませんでした。実際のところは、前回の診察の後2日間は、からだに使っている弱い方のステロイドを塗りガーゼを巻いていたが、全く良くならず悪くなる一方だったので、その後強い方のステロイドをしっかり塗るようにしたところ、徐々に良くなってきました。しかし一筋縄ではなく、次々に場所を替えて水疱が現れるのを、見つけてはつぶして消毒して薬を塗る、の繰り返し。一度水泡が出来ると、薬を塗っていても、しばらくはその勢いが衰えずすぐ近くに次々とできます。それが、全然効かないなと思う日が続いた後、ある日ふとよくなり出したことに気づくのですが、よくなったからと薬を弱い方に切り替えると、またジャジャーンと勢いが盛り返す。ので、夏が終わるまでは気を抜かずステロイドをしっかり塗って、毎晩全部の指を巻き巻きする所存。これまでは毎年、夏の暑いあいだ、日中座っているだけで足指がむくんだように腫れてコロコロになり、左足の中指と薬指、右足の親指はガンガンと骨が何かで叩かれるみたいに痛くなるときもあって、机の上に脚を投げ出し、上品極まりない格好になったりしていましたが、足指にガッツリステロイドを塗った今年の夏は、午後になっても足指が太短くなることも痛くなることもなく、楽でした。おかげで、今年は8月の気温35度の日にも、祖父母のところに出かけていくことができました(昨日も行った)。
2012.08.23
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ベージュのウェストシェイプ入りベストが完成しました。使用した毛糸は、今回もダイヤモンド毛糸 ウール並太の125番。6玉半使用。ボタンは100円ショップのもの。母が、30年以上前の雑誌「ミセス」の編物のページを切り抜いて保存していたファイルに、二谷英明一家3人がニットを着ている写真があり、その中で白川由美の着ているカーディガンを参考にして、ベストにしてみました。オリジナルは中細の毛糸を3号棒針で編んであるのを、並太の6号で編むため、柄を少し減らして調節しました。また、前の開きは、オリジナルではVになっており、その斜めのところの目数が前身頃と前立てとで違うため、部分的に引き返し編みを入れたりなんだかんだとややこしそうだったので、簡単なU字の開きにしました。こないだのベストのような、細かい地模様を続ける編み方とは違って、このようにいくつかの模様編みを組み合わせて柄にするタイプの編地は、覚えてしまえばグングン編み進められて楽しいのですが、ゲージを採りにくいのが難点。中細の毛糸を並太にするには、どこをどれぐらい減らせばいいのか?昔の編物の本や雑誌をアレコレ見ていると、昔は今より細身でピッタリと着ることが多かったように感じることや、こないだの男物のベストの目数などを考慮に入れつつ、なんとなく勘でやってみたら、サイズ的にはなんとかうまいこといきました。でも、身頃を全部編んでみてようやく、前身頃の肩幅にちょうど収まるように柄を調節すればよかった、と思い至りました。。そして改めてオリジナルの編み図を見ると、中細の3号で、横幅42センチにして、柄が肩幅で一番上までキレイに収まっています。着ている人にもぴったりサイズ。なるほどなあ、ニットのデザインをする人って、すごいなあと改めて感心させられました。ま、それでも出来上がりを見ると、このウェストに二目ゴム編みを入れてシェイプさせるデザイン、おばさん(私も含めて)が着るのにちょうどいい感じで、なかなかではないか。30年以上前のデザインなのに、今見ても全然古い感じがしないのが驚き。この雑誌の編み図を作った人(岡村嘉子さん)も、まさかこんなに年月を経て今もこの編み図を使う人がいるなんてことを知ったら、驚くだろうなあ。
2012.08.16
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夏風邪ってのは、長引くもんらしい。ダルさはすぐ抜けたものの、いまだ咳がこみ上げ洟をかみまくり。いつも病気ひとつしない父までも咳き込みだし、36度9分で嬉しそうにお医者さんへ。普段元気なので、ちょっとのことで大げさで、寝込んで、一晩にパジャマを3度も着替えて、大騒ぎ。結局、病院へ行かずに済んだのは私だけでした。長年、いっぺんでいいから夏をらくにすごしたいと願いながら、この夏もそうはならずやっぱりしんどいですが、今年は私だけの事情でしんどいのではなく、世の中一般の人と同じようにしんどい、という感じ。1階のお婆さんは、熱中症なのか、救急車で運ばれて行ったきりだし、みんなそれぞれ大変なんだね、と思える程度のしんどさになりました。ベージュのベストが完成しました。使用した毛糸は、ダイヤモンド毛糸 ウール並太の125番。毛糸がなくなった~と、靴下を編んでたら、母がこの毛糸を出してきました。祖母のベストを編もうと買ったものの、年寄りが着ると暗い感じになってしまいそうだったので、押入れに仕舞い込んでいたもの。これで、父用のベストを編めと。母の感覚では、華のない暗い色なのでしょうが、私にはナチュラル系の好きな若い子が好みそうな色に見えます。柄を考えようとしても、どうも女の子っぽいイメージしか湧かない。とりあえず、「男のセーターM&L」(雄鶏社)という昔の本から、この柄を拝借。男のセーターというんだから、男っぽいのが出来るはずだ!ところが、編み上がってもやっぱり女性的な印象に見えてしまう…。ま、とにかく暖かければいいや!最後に濃い色の木のボタンを付けたら、まあ、男もんに見えないこともないような気もしてきました。この柄自体はカンタンなもので、編み図を見なくても編めるし、私には珍しく並太で6号針で編んだので、どんどん編み進められてラクチンでした。が、アイロンがけとか、前立ての縫い付けとか、ボタン付けといった、仕上げのところがまだ慣れなくててこずりました。アイロンをかける作業自体はあっという間にできるのですが、きれいに形を整えるために、細かく待ち針を打つ作業が面倒くさい。特に今回は、ケーブルのラインをきれいに出すことに気を使いました。前立ての縫い付けは、特にVの斜めのラインが難しく、前立てが波打たないよう、引張り気味に縫い付けるのですが、そうするとケーブル模様が曲がってしまいます。襟首のとこらへんは、この前立ての引っ張り方が緩かったみたいで、カミシモみたいになってしまいました。最後の仕上げのアイロンがけで、できるだけごまかしましたが、カミシモちっくなところはなんとかなったものの、やっぱりちょっとケーブルが歪んでいます。ボタンホールを開けるところでは、ちゃんと等間隔のところに待ち針を打って、そのとおりに穴を開けたつもりなのに、出来上がってみたら、間隔がマチマチに。編みながら穴を作る方式ではなく、普通に1目ゴム編みを編んだ後で、ムリクリ穴を広げてかがる方式でやったのですが、ギュッと引っ張って無理やり穴を広げる時に、ずれてしまったようです。キレイに垢抜けた仕上げができるようになりたい。。
2012.08.06
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この暑い盛りに、風邪を引きました。半年ほど前と同じく、今回も母の風邪をうつされたもの。胸の奥の方が熱く痰が絡んで近所中に響き渡るようなオッサン咳で窒息しそう。グルジイ。で、編み物という現実逃避と、音楽という現実逃避と、読書という現実逃避に、邁進中です。「夏草冬濤」(井上靖)を読みました。「しろばんば」の続編です。今年の母の日のプレゼントに添えた図書カードで母が買ってきた本のひとつが「しろばんば」。面白かったから続編が読みたいけど、本屋には置いてないというので、この続編の上下2冊をネットで買うことに。さらに、その続き(「北の海」)も読みたいということで、ポイントをはたいて買う羽目に。どうせなら私も読まな損やと、読み始めたわけですが、この洪作のお話は、本当に面白い。特別な事件が起こるわけでもなく、ただ、一人の少年の学校の友達との会話とか、祖父母や伯母さんなど親族との関わりといった、何てことのない日常が描かれているだけなのですが、その、いかにも感動させてやろうとせず淡々と描いているところが、何ともいいのです。「しろばんば」で、朝から晩まで村の中の自然を満喫し思いっきり遊びまくっていた洪作が、中学生になり、3年ぶりに帰郷したときの様子は、特に印象的。曽祖父の妾だった、おぬい婆さんと暮らした土蔵を訪ねると、本当の祖母であるおたね婆さんによって、事前に土蔵の内部をきれいに拭き掃除してあることに、洪作は気づきます。また洪作がおたね婆さんに、生前のおぬい婆さんに似てきたと言うと、腹も立てずに、そうかそうかおぬい婆さんはとてもよくできたいい婆さんだったというようなことを、おたね婆さんは言うのです。さらに小学生の頃と同じように、近所の子供たちと遊ぼうとしますが、たった3年しか経っていないのに、何をしても以前のように楽しく感じない自分に気づく、というところも、淡々と書いてあるだけにじぃんときます。中学では、1年上の利発でやんちゃな少年たちに惹かれ、仲間に加わるのですが、この金枝、藤尾、木部、餅田といった男の子たちが、みんな個性的で、会話が機知に富みユーモアがあって、何とも楽しい。それに比べ、伯父や祖父といった大人の男性は、みなぶっきらぼうで厳格で、つまらない人物ばかり。なのに、なぜか読んでいて、魅力的な人柄の人物よりも、こういった面白味のない不器用なおじさんの方が、印象に残ったりします。感情に乏しいおじさん、温かみのある人柄のおばさん、ひ弱だけども繊細な男の子、二十歳ほどなのにもうすでに子だくさんの肝っ玉母さんのようなお寺の娘、など、登場人物がみな生き生きしていて、ああ、そんな人っているよなあと思わされます。洪作は、仲間たちと比べて世の中の常識にも文学の知識にも乏しく、仲間からは「これまで何して生きてきたんだ」と言われたり、祖父には「おくてだ」と言われたりしますが、子供のころに自然いっぱいの中で遊び回り、他人よりゆっくりと成長してきたことが、こういう小説を生むことになったのかもしれないと思いました。このシリーズにはまってしまい、もはや、洪作が他人とは思えなくなってきました。
2012.07.29
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「ヒューマン・ファクター」(グリアム・グリーン)を読みました。何となくこの作者の名前を見聞きしたことがある気がして手に取ったら、裏表紙に「スパイ小説の金字塔」とあって、金字塔に弱い私はさっそく読むことに。キム・フィルビーという二重スパイの事件が話題となり、それに触発された小説が量産された中で、キムの部下として働いたことのある作者がスパイの「裏切り」についての考え方を示したのが、この小説、ということらしい。…ちょっと私には難しい。。この小説が世に出た時に、多くの人が当然のように知っていた事件のあらましや、その意味についてを、今の時代にあっては切実に考える機会があまりありません。西と東が互いにイデオロギーを背負ってスパイ合戦する、という時代ではなくなって久しくなります。南アのアパルトヘイトや、ソ連のKGBが、なくなる日が来るとは考えられなかった時代です。しかし時代が違っても、主人公カースルが、南アから命がけで連れて来た妻とその息子が何よりも大切という考え方に基づいて行動しているということに対しては、一人の人間としてよく分かります。二重スパイになったのも、イデオロギーによってではなく、妻をアフリカから危機一髪で脱出させてもらった恩義に報いる必要があったからというのも、そういう気持ちになるのは自然なことだろうと思います。キム・フィルビー事件をきっかけに作られた小説で有名なものが、このグリーンの作品以外にもうひとつ、ル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」だそうで、これはぜひ読みたいと思いながらまだ機会がないのですが、その小説で示されているスパイの裏切りについての考え方と、この「ヒューマン・ファクター」での考え方を対させて、後ろの解説が書かれていました。少し前に読んだル・カレの小説「寒い国から帰ってきたスパイ」では、主人公リーマスは徹底したプロで、自分の経歴までも徹底的に貶めて人となりを偽り、東ドイツに情報をリークするふりをします。そのようなスパイの行動の動機は、東側の個を犠牲にする全体主義は間違っているという思いであり、つまりイデオロギーによってここまで徹底的に自分の人生を犠牲にして行動するのがスパイであるという描き方でした。しかしこの小説の作者は、いや、そんなものではないでと言っているようです。頭でっかちのイデオロギーよりも、もっと深いものがあるんであって、国家機密を守り敵対国から機密を盗むためにどんなに緻密な組織運営をしていても、このスパイというパーソナルな部分を持った人間が行っている限り、家族愛とか恩義といった個人的な事柄を完全に排除することは出来ない、ということが描かれています。こういう、「ヒューマン・ファクター」は、今の世の中の人間にもよく分かることではないかと思います。ここに描かれているのは、ヒーロー化したスパイではなく、役所仕事を坦々とこなし家庭を愛する普通の社会人。そう考えると、ここに描かれていることは、今の時代にも変わらず通用することだなあと思いました。
2012.07.24
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ウェアを編めるほどのまとまった毛糸がなくなってきたので、毛糸を物色中ですが、ついでに欲しい毛糸があったら言うてと母に声をかけたばっかりに、難題を吹っかけられ足踏み状態。これまでいろんなものに使って重宝してきた、茶杢と呼んでいるラムウールを1年前に買ったときから何度も、セーター類を編むのにいい毛糸だから使ってと言ってきたのに、要らないといい続けてきた人が、私が使い果たした頃に、あんなのが欲しいと言う。。しばらく前から探していますが、今はあれに似たのは売りに出てないのだと、何度言ってもどうもよく分かってくれません。なので久しぶりに靴下を編みました。234足目の靴下です。161足目と同じ編み方。茶杢のラムウール4本取りと、限りになく黒に近い茶を6本取り。添え糸に、100円ショップの縫い糸(ベージュと黒)を使用。今回は、足裏も全部同じ編み方にしました。ちょっと太っちょになってしまいました。毛糸の太さからいうと、これくらいの目数でちょうどいいのですが、横方向の伸縮性がない編み方なので、ビヨンと太くなりました。でも、履いたらちょうどいい感じです。昨日は朝起きたら、水道が止まっていました。トイレも流れないし、台所も出ないし。夜中の3時に起きた母は、ウチの元栓だけをいたずらで誰かがしめたのではとか、警察に連絡しなくてはいけないとか思って心配で寝られなかったとか。そんな支離滅裂なことを考えていたということは、半分夢の中だったのだと思いますが。地震でもないし、何の予告もなかったので、何の心の準備もなく驚かされました。一応ある程度の水はペットボトルに貯めて置いてあり、ほかに、事前に市の水道局から、長期保存できる水を買って保存してあったので、慌てずにすみました。赤く濁った水はすぐに出るようになったのに、上の階の人はどこから調達したのか、大きなポリタンクに6つも水を入れて車で運んできて家に持って上がっていました。1階には、高齢のお婆さんが一人で住んでいるのだから、私が車を運転できたら、あのお婆さんに分けてあげるけどなあと、見ていて思いました。偵察にと、散歩に出かけると、どのスーパーもいつになく盛況で、飲み物だけでなくお惣菜などバンバン売れていました。今の世の中、なんでもお金だなあと思いました。家に帰ると、父は散髪に出かけていました。なんでこういう時に水を使う散髪に行くのか?母はまだ少し赤い濁りがあるのに洗濯をしていました。。なんやようわからんのう。午後には水道の水も正常に戻りました。やっぱりインフラにも地道にお金をかけといてもらわんと困ります。
2012.07.24
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皮膚科の診察日でした。背中と腰のアミロイドは、なくなりました。腰の方は自分では見えませんが、手で触った感じではアミロイドというより肥厚という状態ではなかったかという気がします。この部分は、この先生に診てもらうようになる何年も前からずっと悪かったところで、よく皮膚が決壊して水分が出てくる状態になり、ガーゼのハンカチを常に当てていたことを覚えています。仰向けに寝転ぶと当たるので、まっすぐ上を向いて寝ることが出来ない時期がありました。背中の上部はよく汗をかくところなので、何度も湿疹が悪くなるのを繰り返してきたところですが、アミロイドと言われだしてからあまり日が経っていませんでした。腕のアミロイドは、完全に消えたわけではありませんが、前回のような勢いはなくなり、痕が残って、触ると奥の方に芯があるように感じる、という状態。「よくなってきたところなので、もうあとひと月、今のステロイドを使って、血液検査でTARCが下がったのを確認してから、ランクを落とすようにしましょう」とのこと。6月のTARCは500台で、この程度なら正常値といえるぐらいだそうですが、私はだいたい低めなんだそうで、4月には200台だったので、アミロイドが悪くなるとTARCが高めになる傾向にあるようだ、ということです。TARCについては、帰宅してから過去の数値を見てみたところ、去年の8月は900台になっていました。だから、もしこのひと月に目立って悪くならず現状維持で夏をやり過ごせたら、1年前よりアトピーが改善していると言えるのでは。最近は腕のアミロイドをガーゼのハンカチなどで巻いているわけですが、この巻く作業をしていると、アトピーが重症化しだした20代の頃にも、毎日腕に包帯を巻いていたことを思い出しました。独断でやったわけではありませんが、脱ステをし、皮膚表面の皮が果てしなく剥がれ落ち続けた時期や、その後の剥がれ落ちるものもなくなって、異常に薄い皮膚になり、腕の内側が腫れていた時期には、夜だけでなく日中も、また散歩する時も人目を避けて日が落ちてから、包帯だらけの状態で歩いていました。その後、何年もかけて、皮膚表面がウスウスの状態から徐々に硬くなってきて、外側が筋状にキリキリと絞られるような感覚が常にある状態になり、それが全身に広がって、今の治療を受けるまでは常に全身が雑巾のようにキリキリと絞られるような感覚でした。もう随分長いこと忘れてたけど、また今になって同じことしてるよ~、戻ってきちゃったよ~なんて思いながら、毎晩グルグル巻き巻きしていますが、やめなさいといわれると困るので(言われてもやるので)、先生には言いませんでした。ひとくちにアミロイドといっても、私の場合で言えば、腰になったような皮膚が分厚くなるというものや、背中上部に出来たような汗をよくかくところに老廃物や新陳代謝の関係でなるものや、そして腕になったような、重症の状態が長期間続いたことによる代償的なものというように、いろいろ種類があるのかもしれないと思ったりします。ま、どっちにしても、なってしまえば対症療法のステロイドで治すのだから一緒だけど。6月の末になった、右の腰付近のヘルペスは、もう何となく痕が残るという程度になってしまいましたが、一応報告。一日外出した時になったこと、初め赤く腫れて、その後小さなブツブツができ、ブツブツの先が白くなった数日後にかさぶたになって、徐々に取れたと経過を説明。痛みはあったか?(硬いものが触ったり押さえたりすると、奥の方に鈍痛があったが、ピリピリとした痛みはなかった)、何もせずに治ったのか?(薬は塗らなかったが1週間ほどで治った)、ほかのところにうつったりはしなかったか?(しなかった)と、アレコレ聞かれました。それから、また今年も足の指先が、水泡が出来たり皮がめくれたりしているので、診てもらいました。足の指といっても、指のあいだは何もなっておらず、指の先端の、手の指で言えばささくれができたりするような、ほんとに先っちょのキワのキワにだけ、出来ています。脚は膝から下が全体的にむくんでいるように思うし、特に指は、朝起きた時は細いのに時間が経つとごろんと太くなって、気持ち悪いほど大きさが変わります。と説明したのですが、「それはあせもでしょう。何も心配ないと思います」と言われました。やっぱり今年も、納得できません。。ひと月ほど前に、母が水虫になって皮膚科の治療を受けました。私が毎年足指のことで神経質になっているので、私に内緒でこっそり薬局で治療薬を買って使ったらかぶれてしまい、相談されたので、母が行こうとしていた近所の商売っ気たっぷりの皮膚科(お医者さんがにっこり笑ったイラスト入りの広告をあちこちで目にする)ではなく、歩いて30分ほどの大学病院の皮膚科で見てもらうよう薦めたところ、まずかぶれを治すためにアンテベートを使い、その後検査をして水虫と確認してからかぶれにくい薬を出してもらって、すぐによくなりました(今も治療中)。そういう経緯があるので、自分は状態から見て水虫ではないとは思いますが、感染しやすい状態になっているので、気にはなっています。朝晩消毒しまくりの毎日です。何も心配ないといわれても…。特に親指の先端の、外側の方はガンガンチクチクと常に刺激があって、時には熱を持ってしもやけみたいにジンジンとします。気温(体温)が高くなると悪くなるようで、一日外に出ていると翌日は大きな水泡がいくつも固まって出来て、めちゃくちゃ痒いので、針で突いて水を出して消毒すると、皮がめくれて治まります(同じところに続けて水泡が出来たりはしません)。昼間の一番暑い時間帯は、横になったり、脚を高いところに置いていると(机に投げ出したり…)、痒みや痛みや熱感といった刺激やむくみによってパンと張った感覚を感じず、楽に過ごせます。とか言うことを、もっと詳しく言えればよかったのですが、あせもだと言われると、何もいえることがなくなってしまいました。先生の方に知識があれば、たぶん、ヘルペスに関してアレコレ聞いたように、詳しいことを質問して状況を知ろうとしたと思います。こないだから気になってネットで少し見てみたのですが、汗疱と言われるものが、症状としては似ているなと思います。こういう水泡自体は、私は長年手の指にも出ていましたが、別に深刻に心配したことはありませんでした。たぶん、あれも同じようなものだったのではないかと思います。でも、あせもにしても汗疱にしても、汗腺の分泌が関係するようですが、足の指といっても、先っちょも先っちょ、なんです。この小さい場所に、いったいどれだけの汗腺があるというのか。足のむくみの原因になっている水分が、この小さい部分の汗腺がスムーズに働けば解決するものだとは、どうも思えないんだなあ。私としては、5年前にこの先生にかかるようになった時に聞いた説明が当てはまるようにずっと思っているのですが。あの時は、足の甲の皮膚が決壊して常にジョボジョボと水分が出続ける状態が1年続いていたのですが、先生の説明では、皮膚の一部分が悪いようでも、からだは血管で全身がつながっているから、その悪いものが全身をめぐって影響を及ぼす、ということでした。特に、からだの末端に溜まる傾向にあり、端の中でも特に下半身の方に悪いものが溜まってその影響が出る、と言われたと記憶しています。だからこそ、全身の状態をよくしようと、ステロイドによる治療をしているのだし、夏になるたび足先に水分が溜まって皮膚が悪くなれば、前のひどい状態がまだ治りきっておらず少し再発していると考えて、前のような状態になっては大変なので気にしているわけで、これまでの積年の経過がなければ、私もあせもと言われても、あっそ、とやり過ごすところなのです。まあいいや。今日からは、消毒の後、弱いステロイドを塗って、悪くなっている指全部にガーゼを巻き巻きして寝よ。これも、これまでに長いことやってたことがあるんで、要領は分かってら~。
2012.07.19
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「川は静かに流れ」(ジョン・ハート)を読みました。「ラスト・チャイルド」より評判がいいようなので、今度は大いに気に入ったっ!ということになるかもと期待して。で、読み始めてすぐ、何が気に入らなかったのかが分かりました。浅い。っていうか、それは言わぬが花でしょうということを書いてしまうために、饒舌に書けば書くほど、深みがなくなって台無しになってしまう。本文の前にある「謝辞」という文章がやたら長く(4ページ)、ここで「家族」をテーマにしていますと明言しているため、本文でそのような場面が出てきても、「ああ、今狙って書いてるね」とあざとく感じてしまいます。やたら家族家族と言っているのだけども、家族をテーマにしているというよりも、ミステリーの舞台が家族というだけで、あまり掘り下げられているようには感じられませんでした。世の中とはこういうものだと暗黙の了解としている、物語の前提というか作者自身の世界観が、下世話っていうか、表層的というか、読んでいてそこはかとなく違和感というか不快感を感じます。これは東野圭吾を読んだときに感じたものと似ているような気がします。でもこの違和感は、もしかすると翻訳によるところもあるかもしれません。たとえば、グレイスという女性が暴行され重傷を負い、病院に運ばれた時の会話で、「あなたは生きている彼女を最後に見たんだもの」とあるので、死んでしまったのかと思ったら、ちゃんと生きていたり。もっと基本的なところで、「肝腎なのは、足に地をつけることだ」ってな言葉が出てきたり。ま、これは、翻訳が下手っぴなんだなとすぐ分かるので、腹が立つこともないのですが。さーっと読み進む時に、作者が意図する意味とは違う解釈をしてしばらく読み進んでから、あれ、じゃああそこはこういう意味だったのかなと考え直さなければならないところがいくつかありました。ミステリーの筋書き自体は、ハラハラドキドキで、犯人は誰なんだろう?と考えるのも楽しく、主人公の推理は二転三転し、読む方はそれに振り回され、最後に分かる真犯人は意外で、面白かったです。ページをめくるのももどかしい感じで、一気に読めました。面白かったぁと、読んだ直後は思ったのですが、後から落ち着いて、話し全体を振り返ってみると、あまりにも現代社会の病理をひとつの家族に凝縮しすぎていて、いかにアメリカといえども、これはないやろという気がしました。こんなもんかな、私も家の中の人のことをよく分かっていると言える自信はないけども、この家族はあまりにも互いのことが分かってなさすぎでは。家族の中に精神的に病んでいる人がいたら、第三者として冷静に、そういうこともあるんやなというような理解の仕方ではなく、もっと自分自身の利害と衝突したり葛藤があって、いっぱいいろんなことを考えるのでは。いや、スリリングで読み応えがあって十分面白かった。たぶん、「謝辞」の言葉が余計だっただけ。。
2012.07.17
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すべり目を使った模様のVネックのベストが完成しました。残りの毛糸の量と色の組み合わせで出来るものをあれこれ考えていて、以前Knittyで見かけたAriettaというパターンを思い出し、これを拝借することに。オリジナルは5色ですが、黒(限りなく黒に近い茶)6本取り、グレー(濃いグレー1本&薄いグレー2本)3本取り、茶杢4本取りの、3色にしました。明るく淡い色の組み合わせがオリジナルのよいところなのに、こんな暗い色では台無しなのですが、いかんせん毛糸が限られとるんですわ。本体は3号棒針、ゴム編みは2号棒針。また、オリジナルはメリヤス編みですが、糸が細いので編地に厚みを出すためガーター編みにしました。これもはじめは前開きのベストにする予定で編み始めたのですが、糸が細い上に柔らかい(ラムウール)のでヘロヘロの編地になり、羽織りものには向かないように思い、途中で前開きでないタイプに変更しました。で、ラウンドネックは一度編んだので、今度はVネックに挑戦してみることに。ポイントは、Vの部分のゴム編み。編物の本をあれこれ見ると、通常はVの中心で、3目一度の減らし目をするようなのですが、そのようにするには中心が1目となる必要があります。しかし今回は前開きのつもりで編み始めているので、1段の目数を偶数にしており、つまり2で割り切れてしまうので、真ん中の1目というものがありません。こういう場合のやり方が、どの本にも載っていなかったので母に聞いたら、1目で無理なら2目にすればいい、という単純な答えでした。真ん中の2目をメリヤスにして、それを中心に、表側を編む時はメリヤスの両隣の目も表編みになるよう、真ん中の両隣の裏目が隠れる方向に2目一度の減らし目をして、裏側を編む時はメリヤスの両隣が裏編みになるよう(つまり、裏・表・裏…という一目ゴム編みになるように)、今度は真ん中の両隣の表目(裏側から見ると裏目)が隠れる方向の2目一度の減らし目をする。…文章で書くと分かりにくいですが、言われてみると、そりゃそやな、というようなことでした。それにしても、この編み方、ずっとガーター編みなので、退屈。すぐに眠くなります。これまでに編んだもので、メリヤス編みが続くところなど退屈なところは、机に本を開いて置いて、それを読みながら編んだりしていました。でもこれは、編地は超退屈なんだけど、モザイク編みだから常に数を数えていなければならず、さらに何本もの糸を引きそろえているので、よく注意しておかないと糸を割ってしまいます。退屈な編み方なのに、ほかのことをしながらではなくずっと専念して編まないといけないので、眠ネム暑アツで集中力が途切れがちで、なかなか進みませんでした。でも完成すると、喜びもひとしお。ちょっと個性的過ぎる柄になってしまいましたが、せっかく自分で編んだものだから、秋になったら着たいと思っています。
2012.07.16
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「レベッカ」(デュ・モーリア)を読みました。「わたし」の一人称で話が進みます。前半のわたしは、空想に耽りがちな若い娘。いつも自分の経験不足を気にし、若さを疎ましく思い、自信が持てない。ある時、1年前に前妻(レベッカ)をヨットの事故で亡くしているマキシムという大富豪と知り合い、結婚することに。マキシムの大邸宅であるマンダレーでは、前妻の幼い頃からの使用人であったダンヴァース夫人が一切を取り仕切り、そこかしこにレベッカの気配を感じる中で暮らさねばならず、わたしは気後れし萎縮してしまう。。上巻を読んでいるあいだは、下手したらこれは昼メロになってしまいそう、と思っていました。わたしの、次はこうなるんじゃないの?それで、それで…と、暴走する妄想。わたしとマキシムの、ほわほわ浮くような出会いとデート。絢爛豪華なマンダレーの世界。背表紙の言葉によると、「ゴシックロマンの金字塔」とのことですが、う~ん、上巻だけを古本で手に入れたものの、下巻を買うべきか?とちょっと迷いました。が、結局下巻が届いたその日のうちに、最後まで読んでしまう面白さでした。後半は、話の展開がスリリングで、すばらしいミステリー小説になっています。前半のふわふわした部分も、すべて後半の話の展開に生かされて、ジグソーパズルのピースのように、しかるべき働きをして集約されていきます。読みながら、こういうことじゃない?と読者が予想する要素をちりばめておいて、それらの予想をことごとく裏切る憎い展開。それをやられた~と思うのが、また楽しい。よく考えられたストーリーです。しかも単にミステリーとして面白いだけではなく、どの時代にも通じる、人の心理が鋭く描かれています。若く自分に自信のない「わたし」は、マンダレーを取り仕切るどころか、こそこそと使用人のような態度をとってしまうし、歳の離れたマキシムに対しても自信がなく子供扱いされていると思い、対等の関係にはなれずこの結婚は失敗だと考えてしまう。しかしマキシムも、妻は自分のような人生の半分がすんでしまったような人間は好きではないのだと、年齢のことを気にしているし、「わたし」の若さや自信のなさから来る危なげではかない感じや、物慣れた態度をとらないところにこそ魅力を感じている。そういった互いの気持ちを知り、二人の絆が深まり、「わたし」は自信を深める。マキシムの危機的な状況もあいまって、「わたし」は一日のうちにぐっと大人になる。。マキシムの好きな「わたし」は消えてしまうわけで、うしろの解説で恩田陸はそれを、果たして勝ったのだろうか(「わたし」は常にレベッカに勝つことを意識している)と書いていますが、私はこれでいいのではないかと思いました。マキシムは世間体を気にして一見非の打ちどころのないようなレベッカと結婚したが、本当のところは、いい歳をして、自分の半分の歳のあどけないような娘を好むような人間。しかし二人とも一生あどけないままでいるわけには行かず、犠牲を払いながら、ゆっくり成熟していくということでは。40歳過ぎといっても、まだまだ人生の半分。以前のマキシムではなくなってしまっても、マンダレーでの暮らしとは真逆の暮らしをするようになっても、その人生がまた人間をつくっていくのではないか。「わたし」の変化も、たしかに子供っぽさというか、けがれのなさというかけがえのないものをを失ってしまうという面はあるけど、人が大人になるというのはそういう犠牲を伴うものだということを描いているように思います。この小説が1940年にヒッチコックによって映画になったことも知らずに読みましたが、読んだ後ネットで見ると、映画とはいろいろ違いがあるようです。特に最後のところは、小説では夜なのに明るかったり灰が飛んでくるという、気配だけを匂わせて終わるのに対し、映画では鮮明に映像にしているということですが、それではこの小説の粋なところが薄れてしまって、興ざめではないかという気がします。
2012.07.13
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アミロイドに塗るステロイドが変わり(商品名マイザー)、確かに効果を感じています。はじめの1日塗っただけで、翌朝腕を見た時に、ちょっとアミロイドに勢いがなくなっているように感じました。何より、久しぶりによく眠れて、機嫌がよくなりました。。私にとってステロイドは睡眠薬やなと思ったところで、あ、これ、前にも思ったことがあった、と思い出しました。背中の上部(首の下)にあったアミロイドはなくなり、腰のざらざらブツブツと分厚くなっていた皮膚も、かなり柔らかくなり状態がよくなりました。背中の上部は、よく汗をかくところで、何度も湿疹が悪くなったところで、アミロイドになったのはわりと最近。腰のところは歴史が古く、ステロイドを塗るまでは汁が出るので、常にガーゼのハンカチを当てていました。でも、アミロイドというより、分厚い皮膚といったところでした。この、アミロイドとしては比較的新しかったりマシだったりするところは、ステロイドを変えたことによりよくなったのですが、3週間経ち、腕は依然治りません。日によって、ちょっと勢いがなくなってきたように見える時もあれば、ぶり返しているように見えることもあり。また、最近、暑くなってきたからかどうか分かりませんが、からだのあちこちに、突発的に赤い湿疹ができます。これはひとつだけ単独でポツッとでき、赤く、少し隆起して、痒みが強いのですが、これが腕のアミロイドのところにも出来、その影響で痒くなくなっていたアミロイドの一帯が異常に痒く全体が赤みを帯びてきたことがありました。どうもうまくいかないな、何かいい方法はないかなと、ネットを見ていたら、ある医者が、アミロイドはその兆候が見えたらすぐにマイザーを塗るのが一番よいと書いているのを見つけました。あれ、私は弱いステロイドやプロトピックなど紆余曲折させられているのに。まあ、アミロイドには強いステロイドを使うのが効果的という記述は、以前にも見かけたことがあるのですが、それは効かないとしているところもあり、実際のところ分からないなあと思っていました。でも、その医者の記述ではまさに同じステロイドの名前が書いてあったので、ちょうど背中がその薬でよくなったところだった私にダイレクトに響きました。その医者は、アミロイドのある箇所にはマイザーを塗り、しかも必ず包帯でラップするようにしなければならないと書いています。私は、背中のアミロイドには効いたけど、ずっと長く続いている腕のアミロイドにはマイザーが効いていないようだったので、試しに、このラップする方法をやってみようと思いました。ステロイドを塗った後密閉することは、ステロイドの副作用の危険性を高めるのでよくないと言われていることは知っています。が、もうそんなかわいいこといってられる段階ではなく、副作用はとっくに出てるし、でも必要だから塗らざるを得ないという状態が永く続いているわけで、アトピーやアミロイドが医学的にはよくなっても美容的にはよくはならないと思っているので、それならなるべく効果を挙げる方法を採るのがいいんじゃないかと思いました。で、方法をいろいろ考えたんですが、今は、以前飲み薬を減薬する時に使った薬包紙を使って、以下の方法でやっています。まず、腕以外の場所に薬を塗り、パジャマを着て、髪も乾かす。その後、腕のアミロイドにステロイドを塗り、その上から、薬包紙でアミロイドの箇所を覆う。その後、腕全体をガーゼのハンカチで巻いてテープで留め、さらに、100円ショップで買ってきた日焼け防止用の腕カバー(綿100%)をはめる。薬包紙は油紙なので、普通の紙のように薬を吸収してしまうのを防ぎます。ガーゼのハンカチは絶対必要というわけではありませんが、腕カバーだけだと中の油紙が取れてしまう恐れがあります。。油紙とガーゼのハンカチを付けた状態で、腕カバーをつけるのはちょっと難しいですが、まず腕カバーをくるくると丸めた状態にしておいてから、徐々に引張り気味に付けるようにすると、うまくいきます。このように腕をがっしり固定すると、肘を曲げてする作業があまり出来ないので、ほかの場所に薬を塗ったり髪を乾かすのを先にやっておく必要があります。そんな風にして、腕のアミロイドにステロイドを塗って密閉するようにして今日で5日。目に見えて、効果が出てきました。まだまだ、奥にしっかり根があるような硬さがありますが、隆起しているものは確実に小さくなり、色も勢いがなくなって茶色くなって、所々粉が吹いてはがれようとしているように見えます。しばらく続けてみようと思います。
2012.07.08
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「マダム・タッソーがお待ちかね」(ピーター・ラヴゼイ)を読みました。この人の本を読むといつも巻末の著作リストにこのタイトルが目に付き、お待ちかねって何を?どういう意味?と、気になっていました。読みたい読みたいと思いながら機会がないままだったので、古本で見つけて飛びつきました。いつもこの日記に「古本屋」としているのは、実際には「本屋の古本コーナー」なんですが、この本屋の古本コーナーの古本は、3日ほどの周期で商品が総入れ替えされて、その都度値段が変わります(いつも均一価格)。100円均一の3日後には300円均一だったり、そのまた3日後は250円均一だったり。で、最近気づいたのは、値段が高いほどつまらない本のときが多く、安い時ほど掘り出し物があるということ。一時出版社が派手に宣伝して売れに売れても、買った多くの人が失望してすぐ書店から消えたというような本が、新しいだけに高い値段になり、逆に時代の風雪に耐えうる価値を持った良書が、安い値段で売られていたりするように思います。ちなみに、この「マダム・タッソーがお待ちかね」は、100円でした。なんといっても、この翻訳のタイトルが成功していると思いました。原題は、ただ「WAXWORK」。マダム・タッソー蝋人形館って、いったい何なんだろうと前から興味がありました。最近ではウィリアム王子とキャサリン妃の人形で話題になりましたが、以前youtubeで、オジー・オズボーンがあの展示室で蝋人形のようにじっとしておいて見学の人が近づき覗き込むようにしたら「わっ」と驚かせるという、大人げないいたずらをしている映像を見たことがあります。近頃はそういう芸能人の人形が多くなっていますが、この小説の舞台となる19世紀ヴィクトリア朝時代には、「戦慄の間」と呼ばれる、ギロチンとか恐ろしいものを再現した部屋が有名だったそうです。当時のイギリスには絞首刑があって、絞首刑執行人なる職業があり、執行人が仕事を行うと人々はこの蝋人形館に殺到して、新しく追加された死刑囚の人形を見に行った、とか。。つまり、マダム・タッソーが待っていたものというのは、絞首刑の執行。。そんな、絞首刑がエンターテインメントになってしまうような世間の冷酷さを背景として、殺人犯とされた女性が果たして本当に犯人なのか?という疑問を解くべく時間と闘いながら調べまわるクリッブ部長刑事の活躍が描かれています。もしかしたら、冤罪のまま絞首刑が執行されてしまうかもしれないというスリルで、読み出したら止まりません。19世紀を舞台にしていますが、その女性をただ美しい被写体としてひたすら愛する写真師の夫とか、その写真師を取り合う女性三人の心理など、複雑な人の内面が描かれていて、古臭さを感じさせず、今の時代の出来事を描いたものを読んでいるようでした。
2012.07.07
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足の痛みは、いったん1日で治りました。痛みはマックスの状態にまで至らず、夜にはほとんど気にならなくなり、翌朝起きたら、すっかり治っていました。ところが、そのまた翌朝起きたら、また痛みが復活。前々日ほどではなく、動き回ってほかの事に気を取られていると全く痛みを感じないこともあるという程度だったので、いつもどおり散歩兼買い物に出ました。土踏まずのわずかに上のあたりの皮膚感覚が異常に敏感になっていて、歩くたびに靴下が擦れる感覚が分かりすぎてうっとうしい感じでした。歩くこと自体に支障はないので気にせずにいましたが、家に帰り着く頃には、皮膚表面より奥の方が、シュワーというかジーンというか、キンカンを大量に塗ったあとみたいな感覚に。午後はしばらく、じっとしていてもどんどん痛みがひどくなる感じでしたが、夜には痛みを感じなくなりました。で、その翌日(つまり昨日)は日中痛みも皮膚の感覚異常もまったくなかったのですが、よるテレビを見ていたら1時間ほどのあいだだけ、骨をガンガン叩かれているような痛みがして、すぐに治りました。と、まあ、ちょっとぶり返したりしましたが、それも少しずつましになってきたし、今日は痛くないので、もう治ったことにしようと思います。右の腰(わき腹?)のヘルペスは、2日ほど前からブツブツの上部に赤いかさぶたが出来て、そのかさぶたもだんだん黒っぽくなってきました。赤くなった一帯の腫れも引き、赤みの勢いもなくなって、紫っぽくなってきました。やっぱり、お出かけ後1週間ほどで、いったん悪くなり→回復となりました。もちろん、なるべくじっとしていようというつもりはありませんが。今回たまたまそうなっただけで、関連性はなく、たんなる偶然、だとも思えません。少しずつ、少々ムチャやっても大丈夫と思えるようになれればいいなと思います。*ところで、痛みとかゆみって、関連性はあるんだろうか?と疑問に思いました。どちらも私を悩ませるものです。で、安直にネットで検索してみたら、βエンドルフィンという言葉が出てきました。これはモルヒネの様な作用を持つもので、痛みなど不調があると、人のからだはストレスを感じるので、これを和らげるために脳内で分泌されるものだそうです。このβエンドルフィンがその受容体と結びつくと、痒みが出るらしいです。今まで知りませんでしたが、痒みには中枢性のものと末梢性のものがあるそうで、よくアトピーの痒みとして説明される、ヒスタミンなどによる痒みは末梢性の痒みだそう。それに対し、このβエンドルフィンが関わるものは中枢性の痒み。抗ヒスタミン剤など皮膚科で出される痒み止めが効かない痒みは、この中枢性がかかわっているとか。それ以上の詳しいことは、ちょっとシロウトの私にはよく分かりませんが…。痛みと痒みでは痛みの方が優先されるので、痒い時に痛みが加わると痒みを感じなくなるらしい。痒いところを掻いてしまうのは、痒みを痛みに変えるため、という説明は以前からよく聞きます。私がよく、痒くなると掻かずにキンカンを塗るようにしているのも、同じようなことだと思います。ちょっと話は逸れますが、確か1月ほど前だったと思いますが、新聞に「アトピー長引く原因解明」という記事が載りました。佐賀大学の教授による研究で、アトピー発症時に白血球(TH2)が放出する情報伝達物質(インテグリン)が、ペリオスチンというたんぱく質を大量生産する細胞の働きを促し、このペリオスチンが皮膚に刺激を与えてまた白血球にインテグリン産生を促すため、それによって再び炎症が起きたりペリオスチンが作られるという、悪循環が起きるという仕組みが、マウスの実験でわかったとか。だから、このペリオスチンがつくられないようにすれば、この悪循環をとめることが出来る、そのような新薬の開発が期待されている、というようなことでした。私自身はこの記事を読んで、そういう薬を早く開発して欲しい、という気持ちは起きませんでした。なのでその後、NHKの「ニュースで英会話」という番組が、アトピーに朗報と取り上げていたのを意外に思いました(見なかったけど)。ただ、ああやっぱりアトピーが長引く人って世の中にいるんだなと思ったのと、最初のアトピー発症によりこのようなインテグリン→ペリオスチンという悪循環の基が作られる人と、そうでない人の分かれ目は何だろうという疑問を持ちました。それが分かれば、自分で何か努力のしようがあるのではないかと。ペリオスチンというのは、骨の形成とかに関わるもので、遺伝子レベルのもののようで、遺伝子ということになれば自分で努力できることにも限りがあるかもしれないけど。また、アレルゲンなどアトピーの症状を引き起こす原因がなくても、自分のからだの内から痒みが発生するという説明は、自分自身のこれまでの経験から感覚的によく分かるような気がします。結局、アレルゲンが…とかヒスタミンが…といったからだの表面部分の説明では説明しきれないところに、そしてそのため皮膚科の専門の人たちが思考から除外しているところに、問題なり原因なり要因があるかないかが、分かれ道のひとつなのではないかなと。私の中では一見関係ないことがいろいろ起こっているんだけども、じつはそれらは関連性があるじゃないのかなあと、常にぼんやり思っていることが、時々カチッと合うように感じるなあ、いつかもっとちゃんと分かればいいなあ。
2012.07.05
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「しろばんば」(井上靖)を読みました。主人公を洪作少年とし、家族や親族の名前も変えているが、これは作者の少年時代を描いた作品。自伝的小説というか、私小説の一種ではないかと思います。計算すると、作者が50代の頃に書いたものですが、よくこんな幼い頃の素朴な気持ちを覚えているなあと感心しました。洪作は5歳の時から両親とは離れ、亡き曽祖父の妾だった「おぬい婆さん」という赤の他人と二人、土蔵で暮らしていた。おぬい婆さんは、自分の不安定な地位を守る唯一の存在としての洪作を、ただひたすらかわいがった。そのおぬい婆さんの洪作への愛情の注ぎっぷりが、読んでいて、ああいいなあと、あったかい気持ちにさせられます。たとえば、毎朝洪作が寝床の中で「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼ぶと、耳の遠いはずのおぬい婆さんが、「どっこいしょ、どっこいしょ」と階段を上ってきて、「はい、おめざ」と駄菓子の入った紙包みを手に握らせたり布団の中に突っ込んでくる。とか、母親とおぬい婆さんとで洪作の取り合いになり、父親に、「洪作、帰るか、ここに居るか」と聞かれて「おばあちゃんと帰る」と即答すると、おぬい婆さんは、そうれ、見なされといったような顔をして、「洪ちゃ、ものには正直に言っていいことと悪いことがある。しかし、言ってしまったことはもう取り返しがつかん」などという。とか、洪作が家で勉強をしていると、おぬい婆さんは、「もう総理大臣にも博士にもならんとええが。遊ぶこっちゃ。遊ぶための夏休みだもの、洪ちゃ、遊んでおいで」と言う。とか、中学受験のために熱心に勉強を始めると、「わしゃ、たまげた!洪ちゃがきちがいみたいに勉強始めた」と、近所中に触れ回った。とか、勉強のため朝早く起こしてくれと洪作が頼んでも、おぬい婆さんは決して起こそうとしないので目覚まし時計を借りてくると、「むごいこっちゃ。六時になると、継母みたいにちゃあんと鳴りよる」と毎回言う。とか。読みながら、何度も笑ってしまいました。親ではなくおばあさんだから、さらに所詮赤の他人だからこその、こんな手放しのかわいがりようなのでしょう。両親や親戚一同はみな、複雑な感情で、でもおぬい婆さんに懐いている洪作の気持ちを無碍にも出来ず、親族とおぬい婆さんとの間では常に皮肉にあふれた言葉の応酬となります。幼い洪作には、常にチクリと棘のあることを言う親族や、自分のしつけのことを厳しく言う両親の気持ちがよく分からずにいましたが、小学校の上級生になってくると、次第に周りの景色がこれまでと違って見えてくるようになります。この、ただただ幼かった心が次第に複雑な感情を理解するようになる様子や、これまで気にも留めなかった世の中の不条理に目が行くようになる様子の描き方が、自然でとてもよかったです。こういうことって、だいたいの人は大人になると忘れてしまうのでは。こんなに感情の細やかな動きをよく覚えているのは、この人が、さまざまな出来事を喜んだり悲しんだりと感情豊かな人だったからではないかと思います。そして、そのような人になったのには、「おぬい婆さん」という人の存在が大きく影響したのではないかと思いました。それにしても、昔はいまより健全な世界だったんだなあと思いました。こどもたちは、朝からさんざん遊び回って、それにも飽きた頃にふと誰かが学校を思い出すと、だいたい登校する時間だった。とか。こどもが勝手に買い食いをして、おなかを壊すと、往診に来た医者は、「今回はどうにか二人とも生命だけは取り留めるらしい。しかし、もう一回家の人に内緒で買い食いなどをすると大変なことになる。いいかな」と言って帰る。とか。洪作が喧嘩で相手に怪我をさせると、おぬい婆さんは何が何でも洪作の味方をして守り、本当の祖母は「謝って来たら、このばあちゃが、おはぎでも甘酒でも作ってあげる」と言い、祖父は何度も「ばかもん、ついて来な」と否応なく相手のところに連れて行きながら「いま、折檻して、ここへ連れて来た。腹も立とうが、ひとつ勘弁してやってくれんかな」と言う。極めつけは、相手の父親で、「洪ちゃ、勝った褒美じゃ」と蜜柑をくれる。。ちょっと冗長で取り留めのないところは「青春デンデケデケデケ」みたいですが、とってもよかったです。
2012.07.03
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今朝から、久しぶりに神経の痛みが出ています。左足の内くるぶしの10センチほど上から、土踏まずの上まで。縦20センチ弱、幅5センチほどの間だけ、触ると感覚が違います。痛みは、何でもない時もあれば、どうにもたまらん感じのときもあります。まあ、いつものように数日で治るでしょう。この前にこの痛みが起こったのは、いつだったかなあ。と、前に起こったときも、同じように思ったような気がします。痛みの起こる頻度は減っています。また、皮膚表面の感覚の異常が起こっても、ここまでちゃんと痛みというものに発展する前の段階で、治るということが増えてきました。先週の水曜日に、また祖父母に会いに行きました。暑くなってきたので、行くべきか迷ったのですが、祖母はあとひと月持つか分からないと言われているし、祖父も来年はいないかもしれないと、行くことにしました。だいたい、月に1、2度の割合で行っていて、去年の秋頃は、行くたびにどっかこっか痛くなったりしましたが、最近はそういうこともなくなっていました。今回は、大阪まで帰ってきてトイレに入ったら、右の腰あたりが一部だけ赤くなりわずかに腫れていました。それが翌日には、手で触るとブツブツしているのが分かるようになり、その翌日には目で見ても細かいブツブツが分かるようになり、今はひとつひとつのブツブツの上部が白くなっています。ヘルペスかなと思います。ヘルペスも出る場所によって(?)微妙に表情(?)が違うように思います。。そういう状況での、今日の神経の痛みなので、やっぱりちょっとした疲れで出るのかなあと思っています。行った先で、おばさんにできたての野菜をいっぱいもらい(トマト、きゅうり、ピーマン、ズッキーニ)、重たいんじゃない?と言うのを、ぜ~んぜんっ♪と調子に乗って持って帰ってきた、お前が悪い、というようなことを母から言われています。あほらし。いつもは、この痛みが起こらないよう、毎食後に飲んでいるビタミン剤をかばんに入れてもって行って、電車の中でパパッとおにぎりで済ませる昼食のあとに飲むようにしているのですが、今回は立ったり座ったりを激しく繰り返す挙動不審のオジサンばかり見ていて、うっかり飲むのを忘れたのがいけなかったのかもと、自分では思っています。電車に乗ると、どこでも、たっくさんの人が、仕事に行ったりまたそこから出先に行ったり帰ったりしています。みんな、毎日あんなに動いて平気なのに。何で私はずっとこんなんなんや。今日も、私は一日中部屋でじっとしていて、母がひとり買い物に行ったり、宅配の荷物を出しに行ったり、ゴミを出しに行ったりと何度も出かけて、「出かける前から汗でビッチョリ」なんて言われると、身の置き場がない思い。
2012.07.01
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