ネットショップを一本化しました。 http://sakamotocoffee.shop/ お支払いは・・・【クレジット決済】【PayPay決済】【amazonPay決済】【代金引換】【コンビニ支払い・銀行振込】になります。(卸のお客様は「卸のご案内」ページから登録をお願いします。)お手数おかけしますが、よろしくお願いします。
4月になりました、やっと桜も満開・・・春ですねー。我が家は初孫が小学校入学、会えるのは年に数回ですが・・・今はスマホで写真共有アップしてくれるので便利です。子供の成長にはエネルギーもらいますね。
さかもとこーひーおゆみ野店は4/6で6周年を迎えました、いつもお引き立てありがとうございます。これからもホームタウンこーひーとしておゆみ野の街で必要とされるよう精進していきます。気がつけば長男も次男もキャリアを重ねて・・・最近はリードしてもらうことが増えています。
そうそう、津田沼ブラウンサウンドコーヒーさんが、僕の昔のレシピからヴィクトリアケーキを作るようになって・・・しかも今の時代に合うように少し軽いテイストに仕上げてくれて、昔のレシピではコクはあるけど今には合わないかなと感じていたので、流石いいセンスしているなと嬉しいものでした。
昔ならミルクティに合わせましたが・・・この日は春夏向けのエスプレッソブレンドでのラテで、ご機嫌でした。
千葉市中央のカフェアンドさんでは、発酵バターのスコーンが人気になっていて、40年前毎日12時に焼き上がるようにオーブンに入れていた時は、スコーンって女性に人気で、ポットサービスの紅茶と一緒のスコーンランチが5分10分で売り切れていましたが・・・自分ではどこが人気なのか分からなかったのです(笑)・・・そしてカフェアンドさんでは少し小さく、少し軽めに仕上げていて、なるほどなぁーと・・・40年前との違いを実感しました。
幕張のリトルフェイバリットさんでも、僕のレシピでプリンやマフィンが人気で・・・もうケーキを焼かなくなりましたが、若いカフェでお客としてお茶を楽しめて染み染みとしてしまいます。
そんなこんなで・・・19の春に喫茶業界に入ってこの春で50年経ちました。自分としてはコーヒー紅茶でなんとか食べてきたので感慨深いものがあります。駆け足で振り返ってみます。
カフェとかで20代の独立希望者に会うと・・・ちゃんと学校出ているなら就職すればいいのにと思ってしまいますが・・・そう言っている自分も親や友達からはあちこち就職の心配されたものでした。
特に親からは喫茶店なんて入っても食べていけない、大きな会社に勤めなさいと何度も言われました、まぁ当たり前ですね。(それでも独立やその後も金銭的に色々と応援してくれたのですが・・・。)
自分としては・・・喫茶店というよりは、茶道が認められているように、コーヒーや紅茶も素晴らしいもので、極めるぞ!って思っていたのですが・・・そんな若輩者の戯言なんて伝わるはずがありません(笑)
しかし、高校は理数科なのに、数学や物理が全く分からず即文系に切り替えて・・・文系の授業はほとんど無いので高二の頃から放課後水道橋の予備校に通っていたんです。
これ幸いと授業はそっちのけでお茶の水、水道橋、神保町の喫茶店、古本屋、レコード屋、名画座と回って・・・一浪の時も同じようにぶらぶらしてました。親からしたら酷い息子です。(なので、一浪しても落ちてしまいました、当たり前です!)
まぁ、今になってみればその頃の暇つぶしがどれだけ役に立っているか・・・千葉でのフルーツパーラー2年の修行後神保町の紅茶の店タカノにお世話になったので、またお茶の水神保町界隈をぶらぶらしてました。古本屋はあるし、ランチも飲み屋も名店もあります。今でもたまにぶらぶらしています。
紅茶の店タカノではスリランカの紅茶農園ツアーに参加させてくれて、現地に行かないと分からない陽射しや風、匂いや現地の食べ物等々体験し・・・コーヒーになってからも当たり前のように産地に行きました。
そして27歳になる直前に千葉市中央で紅茶の店テ・カーマリーで独立・・・ポットサービスの紅茶や焼きたてのスコーンにケーキと人気でしたが・・・これでは一生は食べていけないと感じて、自家焙煎のビーンズショップの準備を始めました。(40年経った今なら、SNSもあるし、もう少し繁盛したでしょうが、それでも厳しいのは同じでしょう)
結局テ・カーマリーを10年営業して・・・自宅ガレージでのさかもとこーひーを開店しました。
よく何故紅茶から自家焙煎に変わったのか?聞かれますが・・・お茶のひと時ということでは同じなんです。ただ、紅茶は仕入れて淹れるだけですが、自家焙煎は同じ生豆使っても焙煎やブレンドでの職人仕事があるのが気に入っています。なので、いまだに自宅では紅茶を日常的に飲んでいますし、毎回しみじみと美味しいなぁーと思います。
さかもとこーひーになって、微増微増で少しずつ常連さんが増えて31年今に至っています。
最初にサンケイリビングさんでコーヒー教室してくれて、そこからずーっとこーひーレッスンを続けています。千葉市内四街道市内を毎日配達していて・・・配達できなくなったら通販に・・・そしてネット時代になって、HP作ってネット通販になりました。
同じ頃、25年くらい前にスペシャルティコーヒーを知って、アメリカSCAAカンファレンスや産地訪問をして・・・スペシャルティコーヒーの情報発信をしながら・・・素材のカッピング、焙煎の検証しながら焙煎メソッドのバージョンアップ、同時にブレンドもたくさん作ってきました。焙煎とブレンドのカッピングもトレーニング、トレーニング。
スペシャルティコーヒーをビジネスのチャンスと捉えた業界人が多い中・・・さかもとこーひーは農産物として素晴らしい素材に出会って、その魅力を常連さんのためにどう生かすかの25年でした。
同時に自宅ガレージから本店への移転、支店のおゆみ野店の開店・・・はじめに次男が店に入って、長男も入って・・・焙煎機もフジローヤル5kgからプロバット12kgへ・・・で今に至ります。
先日届いた「TATSURO MANIA」のインタビューで、達郎は自分は100%ドメスティックな人間で、海外での活動はしない、TVでない、本書かないと言っていますが・・・まぁ昔から言っていることなのでファンにはお馴染みのことです。
同じように、さかもとこーひーはホームこーひー、ホームタウンこーひーを柱としていますので、カフェしない、多店舗展開しない、社員は雇わない・・・この20年は業界と距離を置き、業界誌とも距離を置いていますので、若い人にはあまり知られていません。(それでも、新しいお客さんがすっこしずつ増えていますので、そのくらいがいいと思っています。)
拡大思考が自分にとってあまりいいことではないことと・・・良い素材が手に入り、焙煎やブレンドのメソッドが出来上がり、ビジネスモデルも出来ると・・・業界のざわめきが邪魔に感じるようになったからです。
(そうそう、今サポートしている自家焙煎のビーンズショップが10店舗くらいあります。焙煎見学に来た方から一年二年に一店舗くらいサポートするようになっています。素材・焙煎・ブレンド・ビジネスモデルとサポートしています。さかもとこーひーの暖簾分けやFCよりも、各自がその街でコーヒーの魅力を広めていけることがホームタウンこーひーとして良いことだと思っています。条件はカフェ併設をしないでビーンズショップで行うことです。開店後数年常連さんが増えるまでは大変ですが、その後は年々安定していっています。このサポートもやりがいのある仕事です、スペシャルティコーヒーの魅力が全国に広まっていきます。)
素材があって、お客さんがいれば・・・あとはお客さんに喜ばれて、必要とされることにフォーカスしています。ビーンズショップは常連さんさえ増えれば、安定して一生食べていけるので良い仕事だと思っています。(カフェ併設だと豆の売上がなかなか上がらないので、しません、ここに業界人は気がつきませんし、気がついてもどうしたら良いか分からないようです。)
来年は古希を迎えるので・・・仕事量を減らしながら、息子への事業承継が仕事の仕上げになっています。ピークを作らない商いを心がけてきましたが、なんとかなったようです。相変わらずの微増を続けられるように精進していきます。
さかもとこーひーは「部屋中にひろがる香りと後味の美味しさ」を大切にしています。
「特上アイスコーヒー」 2024.05.23
「特上フレンチ」 2024.05.22
「あたら夜」 2024.05.21
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