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まだまだ暑い毎日ですが、いつの間にかせみの声も夏の終わりを知らせるかのように ツクツクボウシの鳴き声になっています。もうお盆も過ぎてしまいましたしね。 先週末も、さくらと盆踊りにでかけ楽しんできました(パパは足が痛いのでお留守をお願いしました。)盆踊りの起源は、精霊を迎えたり、死者を供養するための行事だったようですね。今までそんなことあまり気にしたことなかったけれど、病気してから何人かの方とのお別れがあったこともあり、お盆について考えちょっと調べてみました。お盆には、みんな帰ってきていたのかなぁ?今私がこうして生きているのはまず両親のおかげですが、両親にもまたそれぞれの両親があり、そのまたそれぞれの両親にもそれぞれの両親があり・・・と何代にもわたりたくさんのご先祖様があってのこと。闘病中退院したら、したいことの1つにお墓参りがありました。体の不調な時に、会ったことがない私のおばあちゃんのことが頭をよぎりました。父が幼い頃に亡くなったというおばあちゃん。きっと幼い3人の子どもをおいて亡くなったことは、すごく心残りだっただろうな。と・・・父の妹は当時2歳だったそうです。その後、おじいちゃんは再婚したので、私が会ったことがあり記憶に残っているのはその再婚した父の義理の母にあたるおばあちゃんだったのですが。。私も、1歳ちょっとのさくらをおいての闘病で、父を産んだおばあちゃんの気持ちを鮮明に感じました。当時6歳の父も、お母さんとの別れはあまりにもつらく切ないものだっただろうな。ワンマンでやや遊び好きすぎる父だけれど、そのせいもあって何年も別居した後、熟年離婚しましたが、また寂しい思いをしているのかな..?私自身も愛がないならと離婚をすすめたけれど、闘病中読んだ本に夫婦はソウルメイトでありともにこの世で修行するって知りました。。おばあちゃんが、そんな父の幼い頃の傷を教えに来たような気もしました。。退院して数ヵ月後に、九州へお墓参りをかねてさくらと飛行機で行きました。今年は、帰省せず遠く離れていましたけれど、ご先祖様へ心を向けることってすごく大切なことですよね。病気して親に心配かけ、親不孝をしてしまった私ですが、両親が元気でいることには感謝です。元気なうちに親孝行しなくては。1番の親孝行は、私自身も元気で幸せに暮らすことかな~なんて^^1番の親不孝は、親より先にあの世へいってしまうことってどこかでよんだことがあるんですけど、順番ぬかしはやっぱりだめですよね。私が入院して最初の頃は、かなり悪い状態だったようですが、そんな頃にあったことのないおばあちゃんが現れた気がしましたが、私を守ってくれるそう言ってくれたような気もしました^^ (勝手な解釈なんですけど^^)そんなこと綴っていると、引いてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが。。闘病中いろんな本を読み、心で感じたことは人はこの世に生まれていつか死ぬ。 でも死んで終わりではないんだな。ってことです。かと言って、まだまだ幼いさくらをおいていくわけにはいきませんから、精一杯生きるために努力しますよ!2人目も欲しいし、孫の顔もみたいですから^^ いつのことだか分かりませんけどね~!今日は、妹親子が遊びに来ました♪いっぱい8ヶ月の甥っ子を抱っこして癒されましたにほんブログ村応援ありがとうございます♪
2010.08.23
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最近読んだ本を、ご紹介したいと思います。○○には、どんな言葉をいれますか?本の中には、 偶然 と よほどの理由があって の2つが入っていました。自分は、○○ この宇宙に存在している。 自分は、○○ この地球に生まれてきた。自分は、○○ 人間として生まれてきた。自分は、○○ この時代に生まれてきた。自分は、○○ この場所に生まれてきた。自分は、○○ この両親のもとに生まれてきた。自分は、○○ あの幼稚園・保育園に入り、あの小学校に入り、あの中学校に入り、あの高校に入った。自分は、○○ あの学校で出会った人たちと、友人になったり、嫌いあったりした。自分は、○○ あの学校で出会った先生方の教えを受けた。自分は、○○ あの人を好きになったり、恋人になったり、振ったり、振られたりした。自分は、○○ この人との話が盛り上がって結婚した。自分は、○○ この仕事に就いた。自分は、○○ この職場にいる人々と一緒に仕事をしている。自分は、○○ これらのお客様たちを相手にして仕事をしている。自分は、○○ あの時、あの事故にあった。自分は、○○ あの時、あの病気になった。自分は、○○ あの時、あのような出来事にあった。自分の子どもたちは、○○ 自分たちの子どもとして生まれてきた。もしすべてのことが、偶然であると考えたら・・・「人生は、失敗・挫折・不幸などの悪い偶然性に満ちていて、自分はしばしば、それらの被害者となる」という、暗い気持ちに陥りかねません。なぜなら、人生で起こる出来事には深い意味などなく、「世の中には、たまたま幸運に恵まれて安楽に生きている人もいれば、たまたま不幸に見舞われて苦しんでいる人もいる」というのが、つらく哀しい現実だという解釈になるから。一方、もしすべてのことが、よほどの理由があって という考え方で生きていくと・・・「人生は、自分を成長させる修行課題としての順調な試練に満ちているが、本質的な失敗・挫折・不幸は存在しない」という解釈のもとで、あらゆる出来事や人間関係に深い意味づけを感じながら、真に前向きな生活を送ることができるでしょう。一般的な宗教が「あなたは人生展開を支配する様々な宇宙法則のもとで生きており、人生で生じるあらゆる出来事には、深い意味や理由があるのですよ」という説明で多くの民衆を救ってきました。でも、信仰が深くないと、疑念を抱いてしまうところですよね。著者もそう書いてありましたが、日本人は特に疑念を持つ傾向が強いと。科学的に、退行睡眠や、出生時記憶などからそういうことを証明しているのです。生まれる前に、自分にどんな試練を与えるのか決めてこの世に生まれてくるって。しかも生まれる前に、親もえらんで生まれてくるといいますよね。なので、まだ生まれて間もない子どもは、生まれる前のこと(あの世のことも)まだ記憶しているといいます。 神様に近い存在ともいいます。そんな子どもを、虐待するなんてとんでもないことです地球に人間として生れる際に、宇宙のお母さん(偉大な存在?)や仲間から「勉強してきなさい、がんばってね!」と言われて送り出されたという記憶を幼い子ども達が語ってくれるようです。<たかくん 6歳>「病気の子で生れるか、元気な子で生れるかっていうのを、絶対に決めなくちゃ、生れられないから。自分でお母さんを決めて、元気な子で生れるって決めたから元気な子に生れるし、病気の子に生れるってなったら、病気で生れる」<りおくん 5歳。 喘息で入退院を繰り返している>お母さんが、「喘息になったのは、どうして?」と聞くと、にっこりして、「それは、(生まれる前に自分で)決めてきた!だって、治すのがおもしろいからね」と言うなり、いたずらっぽくクスッと笑って、「ママごめんね!」と言ったという例ものっていました。私は、病気する前は、偶然ということばをあてはめがちでしたが、入院中この本の著者 飯田史彦さんの本に出会ったおかげもあって、すべてのことに意味があると思えるようになりました。だから、やっぱり私が白血病になってしまったことにも大きな意味があったのだなと思えますたまには、バイオリズムの低下で、落ち込んだり、不安に襲われることはありますけど、乗り越えられない試練はないはずですよね試練は乗り越えられる人に与えられるんですってにほんブログ村 いつも応援ありがとうございます♪
2010.04.12
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