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2008年8月5日8/5 WBC 274 RBC 350 Hb 10.8 Plt 5.6 フィブリノゲン 51この日は、痛いこといっぱいしました覚悟はしていた、骨髄検査のマルク。すごい力で、鉛筆の芯くらいあるという針をぐいぐい腰の骨の部分に突き刺しての検査。骨髄を抜く時は、痛いというよりなんともいえない変な感覚でした。 それから、マルクの後すぐ、体で圧迫し止血しながら、抗がん剤治療のためのCV(静脈)カテーテルを右首筋に装着する処置。これも血が止まりにくい状態での処置なので、ドクター勢ぞろいで、すごい緊張感がただよっていました...。処置をしてくださるドクターの、緊張した息づかいも感じこちらまでかなりドキドキ。痛いことばかり...><私、これからどうなるのだろう? この日の処置は、まるでまな板の上の鯉になってしまった感覚でした。その後長い時間、処置室のベッドで、自分の体で圧迫して止血していました。首にカテーテルがつき点滴開始。ソルデム3Aという、抗がん剤開始までのつなぎのものがつながれました。一気に重病患者のようになってしまいました。でも、食欲はしっかりあり、すべてしっかりいただきました!私にできること、しっかり食べて、しっかり寝ること。そう思っていたので^^明日から抗がん剤スタートです! (JALSG APL97 での治療です)一度目の入院は、会社をお休みして毎日のように病院へきてくれていたダーリンでした。この日、唯一来なかった日だったようです。ずいぶん後になって、聞いたのですが、この日さくらの様子がおかしくておばあちゃんと小児科へいっていたのだとか...。便秘で浣腸をしてもらって、元気になったらしいのですが。急にママが不在になって、しかも急な断乳のせいでしょう。 これまで、おっぱいがあればころんと寝ていたさくらでしたので..。夜もかなり泣いていたようです>< 2008年夏のできごとにほんブログ村
2010.08.05
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2年前の今日8月4日は、血液内科のある大きい病院で詳しい検査を受けてください。ということで紹介状をいただき、予約を取っていただいた病院へ行きました。詳しい検査というのは、ネットで調べたところ、マルクというかなり痛そうな検査だったので、ドキドキしていました。でも病気だとしても1日も早く治してさくらの元へ帰らなければ!!ということで頭の中はいっぱいでした。その日さくらは、お義母さんがお仕事をお休みして、見て下さいました。そして、お昼過ぎにダーリンとタクシーで病院へ向かったのでした。重篤な病気の可能性があります。といわれた日に私の母にも、お義母さんにも伝えていました。はっきりしたことは、今日の検査で分かるからと...。病院へ到着するとまず採血をしました。、待っている間とても落ち着かず...緊張のあまり、お腹が痛くなるくらいでした。名前を呼ばれ、ダーリンと診察室へ。ドクターは深刻な表情でした・・・。「もう大体は聞いてらっしゃいますか?」と言われ「はい。白血病の疑いがあるので、詳しい検査をして下さいといわれましたけど、間違いではないんでしょうか?」とたずねると「採血の結果では、間違いないでしょうね」と・・・いい終わると同時に ド~ン バリバリバリバリバリ... と、すごく近くで雷が落ちたようなすごい音が鳴り響いたのでした。。あはは これって、まるでドラマのワンシーンみたいじゃん。実感がないから、まるで人ごとのように。。闘病記書かなきゃ!って心に決めた瞬間でもありました^^前診療所のドクターからの「1歳の子どもあり」という言伝にえっーっと顔をしかめられました。そこからは、即車椅子に乗せられ、まるで病人のような扱いに。。そしてやはり入院して、治療が始まるのでした。前回採血してから、3日たち 血液の状態はさらに悪化していたのでした..。8/4 WBC 225 RBC 346 Hb 10.8 Plt 5.8ベッドの上のみで過ごすようにいわれてしまいました。そして血小板の輸血もしました... アレルギー症状で蕁麻疹が足から全身に広がりました。薬で落ち着きましたが。 出産依頼の人生で2度目の入院生活がこうして始まったのでした。急な断乳で、おっぱいが張って痛いので搾乳し捨てることを何度か繰り返さなければいけませんでした。インターンの若い女医さんが私の担当になると、話に来てくださり、心配そうなY先生の表情にやっと少し実感がわいたのか、涙があふれてしまいました。でも、子どものためにも早く元気になって帰らなくちゃ。とさくらの存在はとても大きな支えでした。その日の日記育児日記を闘病日記にしてしまうのは不本意ではあるけれど。何が何でも病気治して、またさくらとパパとこれから先ももっともっといっぱいたのしいことして、いっぱいいっぱい幸せにならなきゃいけないもんね!ママ負けないよ!さくらは急な断乳、パパは家事育児大変だけど、みんなでがんばろうね! 2008年夏のできごとにほんブログ村応援ありがとうございます♪
2010.08.04
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2年前の今日、2008年8月3日は明日紹介状を持って、大きい病院での受診予約をお昼1時に取っていただいていたのでいつもと変わりのない日曜日を家族で過ごしていました。ただ、採血の結果 Acute promyelocytic leukemia の疑い有りと記入があり、ネットで白血病のAPLというものを調べまくっていました。(主にダーリンが!) 本当は、急性のものは進行が早いので、即大きい病院へ搬送されることが普通のようですが...でも、私にとって日曜日をはさみ、家族とゆっくりすごし予備知識を得る時間があったことは、幸いでした。どうか間違えであってほしいと強く願いながらも、冷静に入院準備もしました。さくらの写真と家族写真も一緒に!ガンを克服したロードレーサーのランス・アームストロングの本ただマイヨ・ジョーヌのためでなくをダーリンが持っていたので、それもかばんにつめました!ダーリンは、採血の結果から間違いないだろうと言っていましたが...。(アウエル小体というあってはならないものが認められていましたので)1歳ちょっとのまだ幼いさくらをおいて入院するかもしれないということが一番気がかりなところでした。 まだおっぱい大好きなさくらでしたので...。 つづく 2008年夏のできごと(闘病記)にほんブログ村
2010.08.03
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この写真は、2年前のお祭りに行ったときのものです。(浴衣は義理の妹からの贈り物♪妹のお手製なのです^^)このとき疲れやすい感じがあり、足に青あざが10箇所以上もできていました。しかも1つ1つが大きく広がって痛々しい足になっていました。ネットで調べると白血病なんてでてくるので、念のためにと8月1日に採血をしてもらいました。そして、2年前の2008年の今日8月2日の朝食を摂ろうとしている時に電話がなったのでした。それは、採血をしてもらった診療所のお医者さんからでした。「重篤な病気の可能性がありますので、ご主人と一緒にきていただけますか?」と...。詳しくは、こちらにも綴っています。7月9日のお誕生日(7/10)の前日から風邪のような貧血のような症状で腰も痛く炊事ができず、寝込んでいました。その後は、まだ不調ながらもだましだまし動いていました...。しかも予定はたくさん入れて、遊びに行ったりしていました...。育児ってこんなに体力がいるんだなぁ。大変なんだなぁ。と思いながら...。「母は強し」子どものためと思うと強くなるものなんですね。ケチな節約家な私は、初診料を節約するためになんて言って、8月に変わってからやっと病院に行ったのでした。本当は、8月末に市の無料の健診があったので、そこで調べてもらおうかなと、のんびりしていたのですが・・・。「最近しんどいから月末にある市の健診に行って来るわ。」と主人にいうと、「そこまでがまんできるくらいなのか?」とさりげなく言われた一言に、ややむきになりすごくわたし我慢してるのよ!という思いで8月に入って病院へ行ったのでした。結果白血球125000 そのうちの75%はできそこないの白血球らしくひどい状態のようでした・・・。(通常は4000~8000です)今思うと、この時でも病院へ行ったのが遅かったのかもしれませんが、もっと我慢して遅かったら、どうなっていたのか...?考えるとぞっとしてしまいます。初期の場合は、白血球の数値も正常値であったり、低かったりするようですが、それがどんどんすごい勢いで増えていってしまうようです。増えていくのは未熟な機能しない白血球なので、正常な白血球は少ない状態になってしまうようです。血小板も少ない状態だったのでもし出血でもしてしまうと血を止める力もないんだとか...。実感はなかなかわきませんでしたけれど。過去に、体の不調で受診したことがありましたが、自律神経失調症だとか、病気と病気じゃないのとの間の状態だとか、長い期間数ヶ所の病院の門をくぐったのですが、はっきり分からないということがあったので、今回もどうせ行ってもはっきり分からないんだろうなと思ってしまっていました。でも、あまり覚えのないところにまで、無数の青あざができた時には病院へ行きましょう。つい主婦って少々疲れていても病院へ行かず、ギリギリまで我慢しがちなのではないでしょうか?白血病なんて10万人に3~6人だとか。 すごい確立なんですけどね。どうせなら宝くじがよかったねとは、よく話しているのですが、これも生き方、食べ物いろいろと原因はあったのではないかな?と今になって思うところはいろいろとありますが..。アレルギー(皮膚の湿疹など)で悩んだこと、過去に微熱が続いていたこと(10ヶ月程)、生理通がひどかったこと、腰痛(坐骨神経痛)になったこと、耳鳴り、倦怠感すべて体からの警告だったのかな?体質改善に励んだりもしていたけれど、もっと体に耳をすませてあげれば、いたわってあげれば、病気にならなかったのかも・・・?でも病気してしまったけれど、病気したことで得たこともたくさんあります。病気にならない方が、もちろんいいと思いますけど、人はいつか必ず死ぬこと。それを意識できることは、日々の生活をより充実させることができるようにも感じています。そして、あれから2年たった今私は自分が白血病だなんて忘れるくらい元気にしています。いろんな本を読んで感じることは、やっぱり気って重要みたいです。人の寿命は、分からないもの。病気を持っていてもいなくても。でも、どんな時も明るく人生楽しんで生きたいものですよね。今図書館で借りたターシャ・テューダの本ターシャ・テューダー最後のことばにも遅かれ早かれ、人はみな死を迎えます。それでも、私たちは人生をより良くするために多くのことができるのですと書いてありました。家族と仲良く楽しい思い出をたくさん作り、毎日をもっと楽しもうと思いますこれから、2年前の闘病日記をもとに闘病記を綴っていこうと思っています。紹介状をいただき、4日に大きい病院へ行くことになったのでした...。 (つづく)8/1 WBC 125 RBC 362 Hb 11.3 Plt 6.9 にほんブログ村
2010.08.02
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今日 7月10日は 私のお誕生日です今日から、36歳になっちゃいます...。今年は、年女なのです^^早いものだな。 本当に人生はあっという間なのかな。でも今年も元気にお誕生日を迎えることができたことに心から感謝です2年前の今日は、立ってられず9日から寝込んでいました・・・。風邪だとばかり思っていました・・・。思い起こすと6月から体がとても疲れやすかったんです。それでも、さくらとあちこち出歩いていたんですけどね。採血して病気が分かったのは8月に入ってからだったんですけど。病気して、悲しいことにお知り合いになった何人かの方とのお別れがありました。病気するまでは、人生にいつか終わりが来るなんて考えたことあまりなかったけれど、病気してからは、時々頭をよぎっちゃいます。でも、くよくよ考えても仕方がない。今は、元気なんだから。楽しいことを考えて過ごしたほうが楽しいもんね何でもなく日が過ぎていくようでも、そばにいるさくらは日々驚くくらいの早さで成長している。毎日発見が一杯昨日までなかった、芽が出ている!先日さくらが種まきしたひまわりだって!生きてるって素晴らしい目標を持てば、病気していてもちゃんと達成できるものだって。私は、さくらの成長をこれからもずっとずっと見て生きたい。病気克服して、さくらの弟妹だって、作ってあげたい。強く強く願えばきっと叶う。 そう信じています!にほんブログ村 にほんブログ村 応援ありがとうございます♪
2010.07.10
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