京都府紹介/奈良県紹介 京都の舞妓はん

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昭和時代



● 昭和3年、垂水村は町制を敷き垂水町に昇格しました。昭和6年に
  は神戸商大が舞子で開校されています。
● 昭和10年、満州国の初代皇帝溥儀(いわゆるラストエンペラー)が
  来日し、武庫離宮(現須磨離宮公園)に泊まり、舞子ヶ浜に来遊し
  ました。舞子ヶ浜には七回も明治天皇が来られていたのに、満州
  国皇帝が来たときに記念碑もありませんでしたので,昭和11年に
  明治天皇の舞子の御製(短歌)の石碑が建立されました。以下の
  三首が三面に刻まれた花崗岩製方形の大きな石碑です。 
    はりまかた 舞子の浜に 旅寝して 見し夜こいしき 月の影かな
    あしたつむ 舞子の浜の 松原に 千代をやしなう 処なりけり
    はりまかた 舞子の浜の はま松の 加けは遊ひし 春をしそ思う
● 昭和13年、六甲山の山津波が起こりました。幸い垂水は大きな被
  害を受けませんでしたので、垂水の人々は垂水漁港や舞子漁港か
  ら海路を使って須磨以東に復旧の応援に駆けつけました。この復
  旧需要に加え、垂水や明石に川崎や三菱の軍事工場が次々に建
  てられたため、垂水の町は大いに活気付きました。この時の軍事
  工場従業員の住宅や寮の建設が現在の「ホームタウン垂水」に発展
  したきっかけになったのです。
● 昭和16年7月、明石郡垂水町は神戸市に合併され、神戸市須磨区
  垂水町になりました。これは神戸市の上水道を期待してのことでし
  た。
  垂水町営の上水道の水が不足してきたのと、水源である福田川や
  山田川が排水で汚染されてきたからです。
● 昭和19年秋には明石海峡をレーダーの目印にして毎日のように飛
  来してくる米軍のB29爆撃機のため、垂水の人々は睡眠も取れなく
  なってしまいした。昭和20年に初夏になると米航空母艦の艦載機が
  田畑で働く女性にまで機銃掃射をかけ、明石海峡には無数の磁気
  機雷が投下されて明石と岩屋を結ぶ播淡連絡船も航行不能になり
  ました。それでも垂水には大空襲はありませんでした。
● 昭和21年11月1日に須磨区垂水町は垂水区として独立しました。
  これは垂水の空襲の被害が比較的少なく、疎開者で人口が増加し
  ていたのと西部の農産物豊かな七ヶ村(現西区)の神戸市への吸
  収を狙ったためです。
● 昭和26年、舞子墓園が創設されました。
● 昭和31年、本州と四国を結ぶ神戸-淡路架橋の調査が開始され
  ました。
● 昭和33年、淀川の水を垂水,舞子淀地区に送るための送水大トン
  ネルが開通。
● 昭和34年、建設省、本州四国連絡道路建設計画について、明石、
  鳴門地質地形調査を開始しました。
● 昭和39年、山陽電鉄歌敷山駅がなくなり、霞ヶ丘駅ができました。
● 同年7月、舞子公園の陸橋完成。JR舞子駅の新駅舎完成。
● 昭和40年、五色塚古墳の復元起工式。六ヵ年計画で復元。
● 昭和42年、舞子大美堂現在の場所で営業を開始しました。
● 昭和45年、舞子ビラオープン。
● 昭和48年、石油ショックで本四架橋着工延期。
● 昭和49年、大歳山に竪穴式住居と小型前方後円墳が復元され、
  大歳山遺跡公園となりました。
● 昭和61年、明石海峡大橋、神戸西バイパスルート発表。
● 同年9月、垂水区の花ゼラニウムが選定されました。
● 昭和63年、明石海峡大橋着工。


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