星界の道~航海中!~

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あ行

「あ行」

【浅井 昭衛】 (あさい しょうえい1931年11月30日 - )は、日本の宗教法人顕正会の会長。(自称・冨士大石寺顕正会と名乗る。また、一部では本仏・教祖とも言われている。)

浅井甚兵衛の長男として東京都に生まれる。

敗戦後の1947年、16歳の時に日蓮の『立正安国論』を読んで本格的に日蓮正宗の信仰に目覚めたという。

早稲田大学政経学部を中退後、法道院法華講の青年部長、妙信講青年部長、同本部長を歴任した。全国法華講連合会の統制に抵抗し、日蓮の遺言(日蓮正宗では御遺命と呼称)について、総本山大石寺との全面的に対立するに至った。

後に創価学会の池田大作と対立し、富士大石寺を総本山として、顕正会を創設した。

次男の浅井城衛は顕正会理事長兼男子部長をしているものの、長男の浅井克衛は2005年以降公に姿を現しておらず、顕正会内部での話題は、暗黙の禁止事項になっている。
また、2010年12月現在その所在は不明である。
長女の小峰昌子(旧姓、浅井昌子)は、小峰勝彦と結婚。小峰勝彦は、副理事兼壮年部副部長、顕正新聞編集兼発行人、

代表的な著作
* 日蓮大聖人の仏法 -折伏理論解説書- (一部では、ダ本・メタボ本としても通用する) 
* 南無日蓮大聖人 
* 立正安国論謹講 
* 試練と忍従の歴史 
* 御遺命守護の戦い 
* 顕正会の歴史と使命
* 学会・宗門抗争の根本原因 (買い取りを条件に一般出版社からの発刊)
* なぜ学会員は功徳を失ったか (買い取りを条件に一般出版社からの発刊)
* 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む 
* 日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ (平成16年発刊の第2回目の諫暁書・これも、ダ本・メタボ本とも呼ばれている)
* 日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ (平成9年発刊の第1回目の諫暁書・ダ本・メタボ本とも呼ばれている)

「糖尿病で腹膜透析」をして延命をしている。


【浅井甚兵衛】 (あさい じんべえ、1904年5 月9日 - 1984年4 月27日)は、日本の在家仏教指導者。冨士大石寺顕正会の前身である妙信講の創立者。

愛知県西尾市に生まれる。封建時代の浅井家は近在の三郡を束ねる庄屋であったが、近代化の流れの中で家運はじょじょに傾いていった。そこで父親が浅井家復興の願いをこめ、曽祖父の名であった「甚兵衛」を彼に付けたという。

1923 年、立身出世を夢見て19歳で上京するが、事業の失敗から、たちまち生活苦に陥った。

1926 年12月、 22歳の時に、白須郁三に折伏されて日蓮正宗に入信し、妙光寺(東京都品川区)所属の信徒となった。入信当初は勤行の習慣すら身につかなかったが、「勤行をしなかった夜、夢に借金取りが現れる」という個人的な恐怖体験がきっかけとなって、以後は勤行も実践するようになった。

1936 年ごろ、白須郁三と共に、妙光寺から妙光院(現在の妙国寺。東京都板橋区高島平)へと所属寺院を移り、国粋主義的な論調の新聞「顕正の光」の発行人となって名を上げ、信徒総代となった。 その後再び妙光寺に移り、ここでも信徒総代となる。1942年には、妙光寺所属の法華講の一講中として「東京妙信講」を結成し、講頭に就任した。

第二次世界大戦後の1948年、「東京妙信講」は、内山ワカ氏の取りなしで、講中ごと法道会(東京都豊島区)に移籍した。

法道院時代当初の甚兵衛は、信仰面においては総本山大石寺への御供養推進活動と折伏弘教に努めていた。また生活面においては、印刷会社「日東ローラー」の社長として一定の経済的成功を得た。1952年には、日蓮正宗の立宗700年記念出版事業として発行された『日蓮正宗聖典』の印刷を請け負った。

1955 年、妙信講は既存の法道会法華講と合併して約三千世帯の大法華講となり、甚兵衛はこの新生「法道院法華講」の講頭に就任した(特殊形態として副講頭は置かれなかった)。長男である浅井昭衛も青年部長となった。

しかし彼の講頭就任後まもなく、法道院内部は主管派と講頭派に分かれ、激しく争うようになった。法道院に対する金銭面や行事面での外護を極力サボタージュして、あくまでも講中組織の維持・拡大を最優先していこうとする甚兵衛の方針がその原因であった。 その後、一旦は同人が講頭職を辞任し静観するが、旧友に後押しされる形で、1957年、甚兵衛・昭衛父子は320名の同志と共に、純粋に日蓮大聖人の御遺命実現のための戦いを起こすと称して、法道院をいったん離脱し、新たに、「日蓮正宗妙信講」を発足した。

但し、妙信講の発会式や第1回総会などがその後も法道院を会場で開催され、早瀬主管も出席している。

しかし結局1958年1 月15日、総本山大石寺第65世日淳法主の決断により、「妙信講」は日蓮正宗に復帰し、新たに東京都墨田区の妙縁寺住職・松本日仁師及び早瀬道応師の両名を指導教師とする特殊継体で、正式に再建が認められた。

1974 年、正本堂をめぐる教義的対立から妙信講は講中解散処分を受け、彼個人も妙信講によるテロ事件への加担責任を問われて、日蓮正宗の信徒資格を剥奪された。1975年、講頭の職を浅井昭衛に譲って、自らは顧問へと退いた。

なお、子息浅井昭衛の理事長就任から、講頭職禅譲に至るまでの経緯が、実際には浅井昭衛の講内クーデターであったことは、当時の青年部の証言で明らかになっている。

1984 年、80歳で亡くなる。

戒名(法号)は「直達院護法甚道居士」。


【阿部日顕】 (あべにっけん)

日蓮正宗総本山大石寺第67世の法主。立正大学日蓮学科卒。阿部姓。越洋阿闍梨。1979年(昭和54 年)登座。

2005 年(平成17年)12 月4日、大石寺で行われた広布唱題会の席で「今年中に法主を退座する」と表明。大石寺法主の隠居は1956年(昭和31年)の64世日昇以来である。

顕正会浅井昭衛が、誹謗中傷を行っているが、その情報ソースは、創価学会機関誌、創価新報からの二番煎じネタを利用してるだけである。

【池田大作】 (いけだだいさく)

池田大作(いけだ だいさく、1928年1月 2日 - )は、宗教家、教育者、作家、詩人。

宗教法人・創価学会の名誉会長、 SGI(創価学会インタナショナル)会長、創価学会元会長(3代目)、公明党創設者。

顕正会浅井昭衛が、何かとライバル視をしてるが、全く相手にしてない。

【一念信解】 (いちねんしんげ)

一念に仏を信解し帰命すること。


【衛護隊】 (えいごたい)

会館施設内で行われる行事等の警備、場内整理を行う組織。
任務には、男子部が当たる。また、受付などは女子部が当たる。
無償奉仕であるが、お弁当支給がある。

【エコ】

世界的にエコブームであるが、顕正会では無縁の言葉。
会館に人が居なくても、夏は寒いぐらいに冷房を使用し、冬はその逆である。
また、一部では、顕正新聞は利用価値がないとの事で、環境に悪い、資源の無駄とも言われている。

【御大会式】 (おたいえしき)

顕正会で行われる日蓮大聖人入滅を祝う儀式。
日蓮正宗の場合「御大会」が本山で行われて、各末寺では「御大式」が行われる。
顕正会の場合、日蓮正宗の行事を真似た「偽御大会式」と呼ばれる事もある。
(浅井克衛失脚後、DVDの販売が中止になった)


茜女史、茜嬢(パラパラ茜)
(参照)






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