ぷーたろ本舗

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レトロ満載!足助の魅力☆


どこがそんなにいいのかって~?
そりゃあ、おひなさんはもちろんのこと、足助は、食べ物がめっちゃ美味しいんです♪

足助の 百年草 という老人福祉施設にあるZIZI工房、バーバラはうすでは、とっても元気で素敵なおじいさん、おばあさんたちが、フランクフルトなどの肉製品や、焼きたてのパンを、心をこめながら、一つ一つ手作りで作っているんですけど、それが、もう、めちゃくちゃ美味しいんです。紅葉の時期には、行列が出来るほどなんですよ!
これ食べたさに、足助に通っているといっても、過言ではないかもしれませんね!
(おじいちゃんがやってるからZIZI工房で、おばあちゃんのパン屋がバーバラはうすなんて、ネーミングもかわいいよね!)
その他にも、お肉屋さんのししコロッケや、橋本屋のお豆腐も美味しいかったですね~。

それに、足助は明治時代まで、中馬街道の宿場町として栄えたと先ほどの日記でも書きましたが、昭和以降は、鉄道の路線から遠く離れてしまった為か、近代化が遅れてしまいました・・・。
足助の地図(Yahoo!より)

でも、逆にそれが、江戸時代の古い蔵の立つ家並みと、昭和のレトロさを残す、何ともいえない風情をかもし出すことになったのかもしれませんね・・・。

アサヒビール


駄菓子屋 アグネスラムか?
(ブロマイドの人・・・もしかして、アグネス・ラム?)

松美屋商店の看板
(この看板のロープって・・・もしかしたら、馬で荷物を運んでいた頃の名残かも? それにしても・・・御茶屋さんにロープとは・・・)

レトロな看板とポスター!
(ポスター・・・レトロマニアには、たまらんやろ?しかも、この看板、右から書いてあるし・・・)


そして、足助は、南北朝の戦いで、後醍醐天皇側について楠木正成らと共に活躍した、足助次郎重範(あすけじろうしげのり)の出身地としても知られています。

風雲!”足助城
(山の上に建つ、風雲!足助城!!)

もともと、足助氏は清和源氏浦野氏の一族で、平安時代末期に山田重直の子・重長が、この足助の地に住んで足助氏を名乗ったのが始まりと言われています。
また、重範は、南朝の後醍醐天皇の挙兵に応じ、笠置山に最初に駆けつけて宮方の一角を担って六波羅軍(北条氏側)と奮戦したそうですが、残念ながら敗れ、1332年、京都の六条河原で斬首されたとか・・・!

南北朝の争い・・・っていうのが、これまた複雑でして・・・
鎌倉時代後期、1318年即位した後醍醐天皇が、もう一度、幕府の手から実権を取り戻そうとして倒幕計画を立てるのですが、それが幕府側の北条氏にバレて、島根県の隠岐に流されてしまいます・・・。

でも、後醍醐天皇の息子の護良(もりなが)親王が、楠木正成らと共に兵を立ち上げ、倒幕へと立ち向かいます。苦戦して戦う中で、足助次郎重範も亡くなっていきますが、その後、後醍醐天皇も隠岐から戻り、足利尊氏らも討幕派に加わって、北条氏ら幕府側を倒しました。

こうして、足利氏らのお陰で、後醍醐天皇が実権を握り、教科書でも出てきた『建武の新政』と言われる、奈良時代の律令国家のような国づくりを目指しますが、しかし・・・あれだけ尽くした武士の立場をないがしろにされたとして、今度は、足利尊氏が朝廷側に反旗を翻し、室町幕府を立ち上げるんですね~。
(このとき、後醍醐天皇側を南朝、足利氏側が北朝となって1358年まで戦いが続いた時代が南北朝と言われています。)


まあ、ちょっと説明が長くなってしまいましたが、こんな感じで・・・足助の人々は、後醍醐天皇側に貢献した足助次郎重範を、とても誇りに思っているのですね・・・。

古くからの歴史を重んじるという文化度の高さと、人情あふれる土地柄が魅力の足助町・・・4月からは豊田市に合併されてしまいますが、この足助らしい魅力だけは、そのままに保ってもらいたいものです・・・。


最後まで読んでくれた人に、おまけの画像です。

おまけの画像
(実は、北朝鮮に行って来たの~!って嘘です・・・足助の帰り道で、見つけました!)


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