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さて、バスは広島一番?かどうかはわかりませんが、繁華街近くに着きました。時間もちょうどよかったので、ホテルにチェックインして荷物を置き、旅の目的というか、口実というかの用事を済ませました。そのあたりのお店はどこでも同じチェーン店ばかりで入る気がしなかったので、そごうの中のイタリアンで大きなカキがごろごろはいっているパスタと、リーズナブルなデザートセットのティラミスとコーヒーの夕食にしました。おいしかったです。お隣のテーブルのお客さんたちも、このリゾットはほんもの、おいしい、と言っているのが聞こえました。イルミネーションを見ながらゆっくり歩いて帰りました。市電が走っているのもいい感じです。街角に「平和への灯火」がありました。翌朝、朝食を済ませ、平和公園に行きました。平和公園までは川辺の遊歩道を歩きました。すがすがしい気分で歩いていましたが、そういえば、この川、原爆が落とされて大やけどをおった人々が水を求めてきて、地獄のような光景だったところなのではないか、と気づきました。「原爆投下により生き地獄を見た」上記の体験談に出て来る太田川の支流が原爆ドームの横を流れている元安川です。白血病の回復を願って折り鶴を折り続けた禎子さんの死をきっかけに全国から集まった募金で建てたという、「原爆の子の像」には折り鶴が捧げられています。あとで寄った売店に、この折り鶴を再生して作られたレターセットなどがありました。原爆死没者慰霊碑は、修学旅行や団体旅行の人たちが次々訪れていました。でも、資料館まで行く人は少ないようです。あまりにも整然ときれいな資料館でした。原爆投下直後の悲惨さをリアルに描写した人形は撤去されてしまいました。twitterで知って反対署名をしたのですが…広島市は18日、中区の原爆資料館に展示している被爆者の姿を再現したプラスチック製人形を、2016年3月ごろ撤去すると表明外に出て少し歩くと、被爆しながら生き残った青桐がありました。植物のたくましい生命力が希望を与えてくれます。
January 2, 2015
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「いつか今治に行ってみたい」と父が言ったとき、子供なら「いつか」というのもわかるけれど、高齢になって、いつかっていつのこと?と思いました。結局果たさずに亡くなってしまいました。私は30歳くらいまで知らなかったのですが、父と祖父母は血がつながっていなくて、父の実家は父の祖父の代まで今治在住だったのでした。村上水軍の子孫だという話です。父は子供のない親戚に養子になったのでした。6歳の時のことなので、あとで書いたものを見たら、実の祖母につれられてきたことなどしっかり記憶がありましたが、私の祖母である養母に対してはマザコンかと思うくらいで、認知症になってからは完成しない感謝の手紙を何通も書いていました。 12月中旬に広島に用事ができたので、父のかわりというわけでもないですが、思い切って今治にも行ってみる事にしました。父が亡くなって相続の手続きに取り寄せた戸籍謄本を見ていて、父の実母が父が3歳の時に実家で亡くなっていることを知りました。30歳そこそこでした。幼い子供たちを置いて、どんな気持ちだったのでしょうか。もう両親が亡くなって兄が継いでいた実家は、寒川村というところにありました。 もちろん長い年月がたち、様子がすっかり変わっているし、親戚付き合いなどしている人がいるわけでもないのですが、どんなところかだけ見てみようと思いました。 京都から今治までの夜行バスがあったので、経費節約と、乗り継ぎなど考えなくてよいのでそれを使う事にしましたが、到着がなんと、朝4時50分!知らない町で真っ暗な時間に着いてどうしましょう?検索してみると、港の方に早朝喫茶というものがあるとわかりました。 到着してすぐ行動することを考え、夜行バスはちょっと贅沢な、席が独立してゆったりしているタイプを選びましたが、やはり眠れず、休憩ごとにバスを降りてみました。夜中でもパーキングエリアの売店には煌煌と明かりがつき、大型トラックが何台も並んでゴーゴーとエアコンの音をさせて止まっています。長距離の運転手さんたちが仮眠をしているのでしょうか。 「岡山にようこそ」と桃太郎の絵がかいてあると、ああ、岡山まできたんだな、と思い、最後の休憩では、遠くに点々と灯が見えて、もしかして海?と思って見回したら「瀬戸田」と書いてあって、暗くて見えないけれど、ついに瀬戸内海まで来たんだ!と感動したり。 今治で降りたのは私ひとりで、他の乗客は松山まで行くひとばかりでした。とりあえずコンビニで使い捨てカイロを買い、念のため早朝喫茶の場所を教えていただき(地図で見てはいましたが、暗い中迷いたくないので)、教えていただいたとおり商店街を歩いて抜けました。商店街のクリスマスの飾りはどの町でも同じですね。当然シャッターが降りて寝静まっていましたが、魚屋さんだけがもう準備を始めていました。 商店街を抜けたところに早朝喫茶はざっと見たところ2軒開店していましたが、ネットで朝からしっかり食べられると書いてあった所に入りました。ハムエッグセットにしたら、ハムが数枚に目玉焼きが2つ、サラダ、トースト、たっぷりのコーヒーで、ボリューム満点でした。メニューに載っていたレディースセットはなぜか焼きそばと飲み物のセットで、その後他の喫茶店の前にやきそばと書いてあるのを目撃したり、ホテルの朝食ブッフェにも焼きそばがあったり、今治の人は焼きそばが好きなのでしょうか。 喫茶のごマスターに駅への道を教えていただき、寒川村は合併して三島になったと(今はさらに合併して中央市らしい)ネットで見ていたので、伊予三島というところに行ってみました。普通の地方都市という感じです。ふと、一つ前の駅、「さんがわ」とひらがなだったので結びつかなかったのですが、「寒川」だったのか、とひらめいて、戻ってみる事にしました。駅の売店で三島名物と書いてあったので、ひうち焼きというお菓子を買いました。(ひうち焼きはホームメイドのホットケーキがさめてちょっと固くなったのに少し似ていますが、もう少し洗練されていて、よけいな添加物や香料が入っていない、安心して食べられておいしいお菓子でした。) 寒川は戸籍謄本を見たふと目に浮かんだとおりの所でした。山があって、黒い瓦屋根の家があって。瓦の産地が近いせいか、凝った鬼瓦の家が多いです。小雨の中、少し歩き回って、古い家があると、こんな風な家に暮らしたのかなあ、と思い、100年近く前のそのあたりの様子など想像したり、会ったことのない、話にも聞いたことのなかった若い祖母に思いを馳せました。次の電車(本数が少ないので)で今治に戻りました。穴子丼のお昼をいただき、今治城を見て、ホテルにチェックインしました。今治城はすぐ海に打って出られるように海辺に建てられたお城で、再建された天守閣は中は普通の展示館になっています。 翌日は西国八十八カ所のうちのひとつ、南光坊にお参りしました。ホテルでもらった地図を見てほかにも行こうかと思ったのですが、4キロも5キロも離れているようで、少し散歩するにとどめました。歩いていたら天守閣が見えたので、方向音痴の私は思ったのと反対に来て、また今治城に来てしまったかな、とか、もうひとつお城があるのか、と思いましたが、なんだか様子がへんです。洗濯物が干してあります。近づいたら「城山ハイツ」というマンションらしいです。 広島までは松山からフェリーにするか迷いましたが、時間の関係もあり、今治駅からのバスに乗りました。橋と島々のしまなみ海道を渡るバスです。採石場がある島、みかん畑の島、など通りましたが、島と島の距離が近いので、橋を渡っているのか島内を走っているのかよくわからないうちに尾道につき、陸路を広島に向かいました。
January 1, 2015
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明けましておめでとうございます。新しい年が皆様にとってよい年でありますよう、心からお祈り申し上げます。日本が平和主義と民主主義の国であり続けることができますように!
January 1, 2015
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